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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2025.06.22
    第88回 6月22日「冷蔵庫」後編
    電気冷蔵庫のルーツとされているのは、
    アメリカの発明家 ジェイコブ・パーキンスさんが、1834年に開発した機械式の製氷機です。

    これは、容易に蒸発する揮発性の液体を冷媒=冷却剤として
    人が手押しの空気ポンプで減圧=気圧を下げると
    冷媒が蒸発する時に周囲から気加熱を奪い、それによって冷却するという原理。
    気化した冷媒はその後、今度は加圧されて再び液化するといったように循環しています。
    この仕組みは現在の電気冷蔵庫も同じで、電気の力で減圧と加圧が繰り返されているのです。

    家庭用の電気冷蔵庫が初めて作られたのは1918年のアメリカ。
    その5年後には、日本に輸入され、初の国産製品が発売されたのは1930年。
    しかし、しばらくの間は「超」がつくほどの高級品で
    普及し始めるのは昭和30年代以降、高度経済成長期に入ってからのことでした。
    電気冷蔵庫が、電気洗濯機・白黒テレビとともに「三種の神器」と呼ばれる
    憧れと豊かさの象徴だった話は聞いたことがあるでしょう。
    普及率は昭和40年に90%、昭和50年に96%へと達して
    時代とともに大型化と多機能化が進んできました。

    AI時代の今、電気製品の技術進化には目覚ましいものがあります。
    電気冷蔵庫で言うと・・・ 

    ドアを開けると、カメラが自動で冷蔵室を撮影したり
    買い物中に写真をスマホでチェックすると買い忘れや二重買いが防げたり
    スマホで使い忘れを知らせてほしい食材・日付を登録しておけば、
    登録した日に音声などで知らせてくれたりと・・・なんてお利口さん(笑)

    さらに節電機能もかなり向上しています。
    電気代を節約するポイントは

    ☆ 大量にモノを入れておかない
    ☆ 開け閉めは少なく 開けっぱなしにしない
    ☆ 室温によって設定温度を調整
    ☆ 温かいものは冷めてから入れる

    といったことが挙げられています。
    無駄な電力消費は避けて便利な冷蔵庫を使いましょう。
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  • 2025.06.15
    第87回 6月15日「冷蔵庫」前編
    家電製品の1つ、冷蔵庫。
    日本で初めて電灯が灯ったのは文明開化の時代、1882年(明治15年)の銀座。
    それ以前に現在のような冷蔵庫はありませんでした。

    ただ、かつての人々も食糧の保存のため
    飲み物や食べ物を冷やして美味しく口にするため
    自然や環境を冷蔵庫のような役割で上手に利用していました。

    日本では日本書紀などの書物に氷や雪を使って物を冷やした記録があります。
    洞窟の中や地下に貯蔵庫を作ったりもしていたようです。
    もちろん井戸水や川の水も使っていたことでしょう。
    海外を見ると、16世紀のイタリアで硝石(硝酸カリウム)を水に溶かすと
    水の温度が下がることが発見され、ワインなどを冷やす目的で利用されています。

    そんな時代を経て、元祖・冷蔵庫が登場したのは1803年。
    アメリカのトマス・ムーアさんが、氷で物を冷やす箱を開発。
    これを「refrigerator」と名付けました。

    その後、人工的に氷を作る技術が確立されたこともあり
    当初の冷蔵庫は電気を使わない人工的な氷で物を冷却する箱。
    ちなみにrefrigeratorはラテン語で「再び」「冷やす」という意味で
    現在の「冷蔵庫」を指す英単語にもなっています。

    氷を使う冷蔵庫は、明治時代になると日本にも伝わり
    大正時代から昭和初期に「氷箱」という名称で一部の上流家庭に広まりました。
    しかし、今のような家庭用電気冷蔵庫が普及するのは、まだ先の、それから40年近く後のこと。
    家電製品や自動車など耐久消費財の統計が取られるようになった1957年(昭和32年)時点では、
    冷蔵庫の一般家庭への普及率は、わずかに2.8%でした。
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  • 2025.06.08
    第86回 6月8日「水筒」後編
    近代以降、水筒は飛躍的に進化してきました。
    19世紀から広く普及したのがアルミニウム製の水筒。
    戦後になるとプラスチック製やステンレス製など、素材も多様になっていきます。

    一方で19世紀終わりには、後の水筒に大きな影響を与える開発がありました。
    それは、魔法瓶。発明したのは、液体を長時間、温かく、または冷たく保つ方法を研究した
    イギリスの化学者・物理学者 ジェームス・デュワーさん。

    1873年、デュワーさんは金属容器を2重にして
    間を真空にすると断熱効果があることを発見します。
    その後、他の研究者によるガラス容器を使った実験などを経て
    1892年、デュワーさんは、ガラスを2重に、その間を真空にしました。
    そして、内壁部分のガラスに銀メッキを施し、鏡のような状態にすることで
    熱を閉じ込めることをかのうにしました。これが、魔法瓶の基本的な原理です。

    戦後、魔法瓶の技術は水筒にも応用されるようになりました。
    昭和50年代になると、ステンレス製魔法瓶が日本で開発され
    保温性があるだけでなく、割れない携帯水筒が広まります。

    そして、令和7年の現在、水筒はマイボトルと言われるようになって大人気!
    素材・機能・デザイン・サイズ、本当にさまざまな商品が出ています。
    飲み物によって使うものを変える複数持ちの人も多いとか。
    ちなみに最近は洗いやすさがポイントの1つ。
    底まで洗えるタイプが注目されているようです。

    職場へ、学校へ。
    お気に入りのマイボトルで好きな飲み物を持っていくと
    気分がよくてパフォーマンスも上がりそう。
    お財布にも環境にも優しいマイボトル、マイ水筒、楽しんではどうでしょうか?
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  • 2025.06.01
    第85回 6月1日「水筒」前編
    古の生活には、今のような飲料用の缶やペットボトルはありません。
    人類は何千年もの昔から飲み物を持ち運ぶ容器を見出して「水筒」として使ってきました。
    素材にしたのは、それぞれの地域の暮らしや特性に合ったもの。

    例えば、以前「チーズの物語」でふれたように、
    古代アラビア商人が、ミルクを携帯していたのはヤギの胃袋の「水筒」。
    また、紀元前3千年頃には既に皮をなめす技術が確立していたと言われていて
    ヨーロッパや中国で使われていたのは、動物の皮を縫い合わせた「水筒」。
    天然素材としては、北アフリカ原産とされる瓢箪が世界で栽培され「水筒」が作られます。
    東アジアでは、竹を「水筒」として利用しました。

    長らく日本で使われてきたのは、縄文時代に伝わったとされる瓢箪と主には竹の「水筒」。
    竹は軽くて持ち運びやすいことと、おにぎりを包むのも竹の皮だったように
    その抗菌作用や腐敗防止効果に気づいていたからだと考えられます。

    そんな水筒は、時代とともに装飾品としての要素を持つものも作られるようになりました。
    日本では幕府が安定期に入り、産業が発達して町民文化が花開いた江戸時代中期、
    庶民も家紋を身につけるようになると、行楽や芝居見物に持っていくための
    漆塗りで家紋が入った木製の水筒も登場しています。

    そして、明治時代に入った頃には、軽くて丈夫なアルミニウム製の水筒が誕生。
    そこからプラスチック製、ステンレス製と水筒の素材は増えるともに機能性も上がっていきます。

    戦後の高度経済成長期の頃には、保温タイプの水筒も登場しますが・・・ 
    この続きは後編で。
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  • 2025.05.25
    第84回 5月25日「自動改札機」後編
    鉄道の駅や空港に普及している磁気式自動改札機の登場は1967年(昭和42年)。
    大阪府吹田市で開業した阪急千里線 北千里駅。

    その頃、電気製品による自動改札機の開発が世界で進められていました。
    人件費の節減や不正乗車の防止が期待できて労働者不足を補えるからです。

    その中で、乗車券の裏に情報を記録し、読みとる磁気式自動改札機が開発されたのは日本。
    北千里駅は世界初の実用化として、2007年に電気・電子分野における世界最大の専門家組織
    IEEEのマイルストーン賞を受賞。現在、改札内には認定プレートが設置されています。

    当初は課題が山積みでした。
    求められたのは、増える通勤客の改札通過を早く、効率的にすること。
    しかし、大きさが違う定期券と切符を共に処理する技術がなく、2つの改札機が必要でした。
    また、他の鉄道会社との連絡切符は、自動化に未対応。
    駅係員がいる改札もなければならず、つまり3タイプの改札があったのです。

    それでも、最先端の実験と受け入れた地元住民の協力の元で改良が重ねられました。
    やがて、定期券用ときっぷ用改札機は1つになり、磁気式自動改札の共通規格が確立。
    他の鉄道会社にも導入され、1990年代に入ると首都圏にも普及します。
    21世紀になるとICカードがスタートして、今ではスマートフォンのタッチでも改札通過が可能。
    私たちのスムーズな行動を陰で支えてくれています。

    自動改札機の進化は止まっていません。
    きっぷの主流は磁気式からQRコード式に切り替わる流れがあり
    クレジットカードをかざす方式も普及し始めています。
    未来の自動改札機は、どうなっているのでしょう。
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  • 2025.05.18
    第83回 5月18日「自動改札機」前編
    2025年の現在では、鉄道駅の改札で職員が切符を切ったり
    定期券を確認する光景を見ることも無くなりました。

    自動改札機が翳されたスマートフォンやICカード、挿入された磁気きっぷの情報を
    人間に替わって処理してくれています。
    そんな日本における自動改札機の原点は、なんと98年も前の昭和2年。

    この年に東洋初の地下鉄「東京地下鉄道」、現在の東京メトロ銀座線が開通。
    当初の運行区間は短く、運賃が10銭均一だったことから
    10銭硬貨を投入すると、横にした数字の「十」のような木製バーが回転して通過できる
    「ターンスタイル型」の自動改札機が設置されました。
    これはニューヨークの地下鉄から導入したもので、
    現在はそのレプリカが東京メトロ東西線 葛西駅の高架下にある地下鉄博物館に展示されています。

    しかし、自動改札の原点は開業から数年で姿を消します。
    路線が伸びたことで料金は乗車区間によって変わることになり
    対応する自動改札機をつくれなかったからです。

    それからしばらくの間、日本では駅係員が乗車駅で切符に鋏を入れ、
    降車駅で切符を受け取る時代が続きました。

    時は流れ・・・ 

    戦後になって、高度経済成長期に突入。
    首都圏の労働人口と通勤で鉄道を利用する人が爆発的に増えて
    求められる輸送量も飛躍的に上昇すると、処理が早い改札システムが必要になってきました。
    そこで登場するのが、新たなタイプの自動改札機です。
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