小谷真弥さんは、1983年、大阪生まれ、埼玉県東松山市育ち。
明治大学付属明治高等学校、明治大学の野球部を経て報知新聞社に入社。
2009年からプロ野球を担当するようになり、千葉ロッテ、横浜ベイスターズ、ジャイアンツなどを歴任し、2015年から北海道日本ハムファイターズ、そして2017年からメジャーを担当。
現在は、野球専門Webメディア「Full-Count」に所属し、大谷翔平選手の最新情報を届けてくださっています。
──Webメディア「Full-Count」さんの記事をいつも読んでいるので、まずはありがとうございます。もちろん大谷選手のことは日本にいた時からずっと見ていらっしゃったと思いますけれども、去年1年間の活躍というのはすさまじかったんじゃないですか?
もう本当に想像できないというか、想像をどんどん越えていくような感じだったので、やっぱり一緒にやっている選手が一番驚いていましたね。
リーグのホームラン王のジャッジ選手などは、「大谷は肘のリハビリをしながらホームラン王になっているんだ」「リハビリをしながらあれだけホームランを打つなんて信じられない」というようなことをよく話していましたし、「世代ナンバーワンの選手だ」とどの選手も口を揃えて言っていたので、本当に世界を代表するナンバーワンの選手だなと思いますね。
──昨シーズンを振り返ると、韓国での開幕戦から始まりましたけれども、その前に、突然結婚したというニュースにも驚きました。小谷さん的には、そういうプライベートに近い部分の情報というのは知っていたんですか?
全くなかったですね。結婚の時はアリゾナでキャンプの取材をしていたんですが、大谷選手が結婚を発表したのが、おそらくアリゾナの深夜12時とか、その少し前ぐらいだったと思うんです。キャンプは朝早いので、日本人記者はみんな寝ているんですよ。みんな(大谷選手結婚の発表を受けて)“叩き起こされた”みたいな…(笑)そこからみんなバチバチ原稿を書いた、という感じです。次の日に会見をするということだったんですが、多分、みんな、半分頭が回っていなかったと思います(笑)。
それぐらい現地でも驚きで、チームメイトに聞いても、エンゼルスのトラウト選手などはわりと長く一緒にプレーしていたんですが、「翔平は野球と結婚すると思っていた」「ガールフレンドの存在なんか聞いたこともなかった」みたいな話をしていて、チームメイトもみんな驚いていましたね。
──韓国シリーズの時に奥様とのツーショットの写真を球団がSNSで載せたりしていましたが、その微笑ましいシーンから突然、とんでもないニュースがありました。通訳の方が…ということで、急遽解雇されて。そこもまた、「大谷選手、どうなっちゃうんだろう」という不安もありましたよね。
そうですね。それもまた朝の、韓国時間で多分6時半ぐらいに第一報が出たんですが、最初は僕もフェイクニュースだとずっと思っていて、時間が経つにつれて、“やっぱり本当なんだろうな、とりあえず宿舎に行ってみようかな”というような感じで、最後まで(なかなか)信じられませんでした。
ましてや、日頃からずっと我々現場の記者と近い距離にいた方なので、大谷選手の取材のセッティングなども通訳の方がされていたので、大谷選手も当然すごくショックだったと思いますが、僕らメディアの人間もかなりショックでしたね。
──そういう騒動があったりして”大変だろうな”と思っていたシーズンが、終わってみたら、50:50という、歴史上でこれまでなかった記録になったわけじゃないですか。
ちょっととんでもないですよね。漫画でもなかなか描けない、描いたらボツを喰らうような内容だと思うんですけど(笑)。
──どのくらいから、手応えというか、“大谷選手、変わってきたな、吹っ切れたな”みたいなものを感じていらっしゃいましたか?
いつも6月に調子がすごく良い時期があるんですけれども、その時期にボンボンホームランを打ち出していましたし、今年はピッチャーをやらなかった分、走塁をキャンプ時からかなり重点的にやっていたので、“30盗塁は決めるだろうな”と思っていましたが、そこからどんどん走るようになって、1試合3盗塁とかも当たり前のように決めるようになっていったんです。
──一番打っていたMVPトリオの1人であるベッツ選手がデッドボールで手首を骨折して離脱したことで、大谷選手の打順が1番に上がりましたよね。それが走塁の意識が変わった要因なんじゃないかなと思っているんですが。
もちろん、それもありますね。一塁にランナーがいると次のバッターがどういうバッターかが大事で、初球からガンガン打つバッターだと、ランナーが盗塁するのを気にしたりするんです。(復帰後2番に入った)ベッツ選手は“(一塁のランナーは)どんどん走ってくれ”という環境だったので、50:50というのはベッツ選手やフリーマン選手がいたからこそ達成できたのかなとは思いますね。
──今シーズンの盗塁について、大谷選手ご自身に聞いたことはありますか?
そうですね。シーズンが終わった後に、「今年は盗塁を伸ばしましたが、何が良かったんですか?」という質問をさせてもらったのですが、“盗塁だったらスタートの切り方とかそういうところなのかな”と思っていたら、大谷選手は「帰塁」だと言うんです。「まず戻ることを確実にできたからこそ、今の盗塁数ができているんです」というような話をしていましたね。
盗塁というのは、決めれば勝利に近づくし得点に繋がるんですが、失敗したら試合の流れを一気に変えてしまうので、大谷選手の話を聞いて、まず本当にチームが勝つための走塁なんだなと、強く印象に残りました。
──念願のポストシーズン進出。ただやっぱり、ドジャースのフリーマン選手がシーズン終盤に怪我をしたりということもありましたし、ピッチャー陣があまりにも故障だらけで、”これはワールドチャンピオンは難しいんじゃないかな”と、僕たちは思っていたんですけれども。
僕も思っていました。やっぱりパドレスはかなり強いなと。ダルビッシュ投手も本当に素晴らしいピッチングだったので、“ちょっと現在のパドレスの戦力を超えるのはどうかな”と思っていたんですけれども、2連敗で追い込まれて、“あと1敗したら負け”という時の大谷選手の発言がまたカッコ良かったですね。
──「あとはもうシンプルに2勝するということだけ考えて」とおっしゃっていましたけれども。
そういう風に考えられるのがすごいですし、これが一流選手の考え方なんだなと思いました。
試合に負けてすぐに取材に応じてもらったんですが、その時には次のことを考えていたので、やっぱり大谷選手の気持ちの切り替えの早さを感じましたね。
──そして念願のワールドチャンピオンになった。でも一方で、肩の怪我・痛みを隠しながらの戦いでしたが、実際に優勝が決まった後、シャンパンファイトなどの時の大谷選手の様子はどうだったんですか?
かなりはしゃいでいましたね。あんなに嬉しそうな姿を見たことがない。そのくらい喜んでいました。
もうニコニコで、由伸投手にシャンパンをぶっかけたり、チームメイトの頭にもジャージャー掛けていたので、“こんな表情を見せるんだな”と思いましたね。
──大谷選手はストイックな部分もあるので真面目だなというイメージを持っている人も多いと思いますが、でも、エンゼルスの最後の方でも感情を見せることも多かったですし、WBCの時も、仲間を鼓舞するためというのもあるのかもしれませんが、すごく感情を出すなと思っていました。
ポストシーズン1号をパドレス戦で打った時にバットをぶん投げていたので、”気持ちが入ってるな”というか、そういう姿でチームを盛り上げたいという気持ちもあるんだと思います。
──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。小谷さん手の心の支えになっている曲を教えてください。
TEEさんの「Despacito」です。
──こちらの曲を選ばれた理由は?
2018年に、大谷選手はエンゼルスに所属していたんですけれども、その時にチームメイトの前で初めて大谷選手がカラオケをした歌です。
大谷選手は、日本ハム時代も、食事会には行っても2次会では「早く帰ります」というタイプの選手だったので、カラオケを歌うケースはあまりなかったのかなと思うんですが、その大谷選手がカラオケを歌って、なおかつ、このTEEさんの歌は日本語の歌詞なんですが、元々はプエルトリコの歌手、ルイス・フォンシが歌って大ヒットしたスペイン語の歌なんです。
チームメートも、翔平が、日本語バージョンとはいえその歌を歌っているということで、かなり盛り上がっていました。
──チームでカラオケをする機会があるということですか?
当時、新人選手の通過儀礼の1つとして、ヒューストンの空港からチーム宿舎に向かう間に、新人選手が歌って盛り上げていこう!ということで歌を歌うんですが、そこで大谷選手が選曲した曲ですね。
この歌詞がまたエロくて(笑)、大谷選手っぽくなくて、そのギャップもすごく印象に残っていて懐かしいなという思いもあります。
来週も、小谷真弥さんにお話を伺っていきます。
お楽しみに!

今回お話を伺った小谷真弥さんから、ロサンゼルスお土産として、ロサンゼルス・ドジャースの大谷選手記念グッズ 昨シーズン韓国での開幕戦記念Tシャツを、抽選で1名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、番組公式X(旧ツイッター)をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。
そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。放送できなかったトークが盛りだくさん! ぜひお聴きください!