阪本章史さんは、1982年生まれ。
2008年の北京オリンピックから正式種目となったBMXレーシングの初代BMXオリンピック日本代表選手、さらには、BMXの本場アメリカのトッププロに初めて昇格した日本人選手で、日本初のBMXプロチーム「GANTRIGGER」を立ち上げ、チームのオーナーとしての活動もなさっていらっしゃいます。
──阪本さんがBMXを始めたきっかけは何だったんですか?
僕が住んでいる大阪の堺に、BMXのコースが公園の中にあったんです。その近くに住んでいたということもあって、友人が先にBMXを始めていたんです。
──それはいくつぐらいの時ですか?
8歳の時です。その彼の練習について行って、目の前で自転車で飛んでいる姿を見て、自分の中に衝撃が走って、すぐに“やりたい!”と思ったことが最初のきっかけですね。
──阪本さんが取り組んでいらっしゃるBMXレーシングとは、元々は1970年代、アメリカでオートバイのモトクロスレースを自転車で真似たことが始まりと言われており、全長300〜400mの、形状の異なる大小のジャンプ台やバームと呼ばれるコーナーなど数々の障害物が途中に設けられたコースを、スタートヒルと呼ばれるスタート台から横1列8人の一斉スタートで争う競技です。「自転車の格闘技」とも呼ばれているんですよね。
そうですね。「自転車の格闘技」と呼ばれて浸透して、何か僕が言ったらしいんですけど、自分では記憶がなくて(笑)。
──阪本さん発信なんですか!?
どうやらそうらしいんです。ただ、僕自身はあまり記憶にないんです(笑)。
──でも、コーナーの位置取りとか、確かにとても激しい競技ですよね。
そうなんです。おしゃった通り、コーナーの位置取りでぶつかり合ったりするので、本当にコンタクト競技ではありますね。
──「レーシング」は、いわゆる「フリースタイル」というのはまた別物なんですよね。
そうですね。フリースタイルというのは、2021年に開催された2020年東京オリンピックから正式種目になったんですが、競技としては「レーシング」というものがまずBMXのオリジナル競技としてあって、そこから派生していったというか、“もっとこういうふうに使ったら面白いんじゃないか”みたいなところから(「フリースタイル」という)競技が生まれてきた、というイメージですね。
──オートバイのモトクロス、エンジン音は迫力があってそれも素晴らしいんですけれども、BMXレーシングの場合は、脚力がエンジンというか全てになってきますよね。
そうですね。やはりフィジカルの要素が大きいので、海外の選手なんて、“格闘技だったらヘビー級”みたいな選手たちがゴロゴロいるので、日本人もしっかりと体格も作っていかないとなかなか勝ち上がれないような競技です。
──でも、それだけフィジカルの大きな選手だと、例えば“重さがあって最初にスピードに乗りきれない”というようなことはないんですか?
それがですね、スタートヒルは8mの高さにあって、そこから一気に下りるんです。なので、やはり体重が重くないとスピードの乗りも良くないですし…。
──重い方が有利ということですか?
そうなんです。単純に重ければいいというわけではないんですが、筋力がしっかり付いていて体重もないと、“上から下りていく”というイメージなので、勢いがつかない。あとは、体重がある方がコースを走り抜けるスピードの維持もしやすいので、やはりそこそこ体重は必要な競技ではあります。
──そんな自転車の格闘技・BMXレーシングで、阪本さんは13歳の頃から日本代表選手として活躍。そして18歳で日本チャンピオンになっていらっしゃいます。でも、“アメリカでやりたい”という夢があったんですよね。
BMXの本場がアメリカなんです。13歳のカテゴリーの日本代表に選ばれて、アメリカで世界選手権が開催されたので、初めて本場のレースを見たんです。その時に海外のプロの選手の走りを見て、初めてBMXに出会った時のような衝撃というか、“日本とはレベルが全然違う”と。速度も違うし、飛んでいる距離も違うし、ぶつかり合っているハードさも違うし、“すごい!”となって、そこで“自分も走りたい”という夢、目標ができたという感じですね。
──実際にアメリカに進出されて夢が叶ったわけですよね。
そうですね。18歳の時に日本の一番上のトップカテゴリーで優勝して、そこで一旦は日本国内でやれることは全てやったので、次は夢だったアメリカに進出するというところで、18歳の頃からアメリカでレースを戦い出したんです。
アメリカでは、プロも2種類あるんです。野球で言うとメジャーリーグとマイナーリーグみたいな感じで、まずはマイナーリーグで戦っていく。それが「A PRO」と言われるカテゴリーなんですけど、そこのカテゴリーで戦って規定のランキングまで上がれば「AA PRO」に昇格する、というようなイメージで、それに向けてずっと戦っていました。
──そして、いわゆる最高のカテゴリー、「AA PRO」に昇格を果たした時というのは、やはり喜びもひとしおだったんじゃないですか?
そうですね。その前の1勝目、A PROで優勝した時も、日本人では初だったので、優勝したことを日本のファンのみなさんもすごく喜んでくれましたし、スポンサーの方々も喜んでくれて、そこで自分のモチベーションもより一層高まっていたところもあって、年間シリーズの最終戦で4位以内に入れば(AA PROに)上がれるというレースだったんですが、ギリギリ4位に入ることができて昇格したんです。
でも、その時は嬉しかったんですが、レースは何日も続くので、翌日からAA PROで走ることになるんですね。だから、嬉しい反面余裕がないというか、やはりレベルが一気に上がってくるので、喜び半分、不安半分という感じでした。
──そして阪本さんは、プロ生活を送られていた中で、2008年オリンピックで初めて採用されたBMXレーシングに出場なさっています。やっぱりオリンピックに出場されて、環境というか周りの反応は変わりましたか?
そうですね。オリンピック予選が2006年から始まったんですが、それまで僕はずっとAA PROを目指していて、「オリンピックを目指します」ということは(公には)言っていなかったんです。ただ、BMXがオリンピックの正式種目になると決まった時に、僕はアメリカでレースを戦っていたので、まず最初に(期待のオリンピック選手候補として)注目していただけたんですよ。そこから、スポンサーさんが次のオリンピックに向けてオファーをくれるようになったり、あとは当然メディアで取り上げられる量も変わってきましたし、そういうところは明らかに変化は感じました。
──さらに、オリンピック出場後は、地元の大阪のコースがだいぶ新しくなったそうですね。
そうですね。最初にお伝えした、一番最初にBMXに出会った場所です。日本にいる時はそのコースでずっと練習をしていたということもあって、オリンピックの出場が決まった時に大阪府の方に表敬訪問に行かせていただいて、当時は橋下さんが府知事だったんですが、いろいろと一連の話をして、次のオリンピックに向けて若い子たちも大阪からどんどん出てきていたこともありますし、「コースを今のトレンドに合った形で改修しましょう」という話になりました。
──さらに阪本さんはBMXの普及にも取り組んでいらっしゃいまして、2017年に日本初のBMXプロチーム、GANTRIGGERを設立されています。日本でBMXのプロ活動をするというのは、やっぱり大変なご苦労もあるんでしょうか?
僕は2012年のロンドンオリンピックまでオリンピックを目指してプロの競技者としてやっていたんですが、その中で、若い才能ある選手たちが「競技を続けるのが大変だ」ということで辞めていく状況を見ていて、自分が第一線、日本代表から退くという際に、“何か若い選手たちを支援できる形がないか”と考えていたんです。日本に帰ってきてからも一応、日本のレースには出場していたので、その中で何かやれることがないかということで、プロチームを立ち上げて、チームにスポンサーをつけて、その中で才能のある選手たちを支援する、競技活動を応援する仕組みを作ったというところです。
──本当に“選手ファースト”というか、選手にとってはありがたい団体ですよね。
海外に行ける機会も作っていますし、現在3名の選手が所属しているんですが、全員アジアチャンピオンでもあり、日本チャンピオンでもあり、世界の舞台で戦っているので、“日本人としてオリンピックに出場しメダル獲得”というところに向けて支援していきたいなと思っています。
──これからどんな選手、どんなBMX文化を育みたいと考えていらっしゃいますか?
日本国内でももっといろんな方々にこのBMXレーシング、BMXフリースタイルを含めBMXというものを知ってもらいたいですし、こうやってオリンピック競技になってオリンピックを目指す選手もいますけれども、趣味で楽しく乗っている方々もたくさんいるので、そういった方も今以上に増えてほしいなと思っています。
なので、BMXというスポーツ自体がもっと大きなものになってもらえるように今も活動しているというところはありますね。
──さあ、この番組は毎回ゲストの方にCheer up songを伺っています。阪本さんの心の支えになってる曲を教えてください。
Public Enemyの「Harder Than You Think」です。
これは2012年のロンドンパラリンピックの時にイギリスで流れていたCMの中で使われていた曲で、パラリンピアンの人たちを特集したCMなんですね。
その映像がめちゃくちゃかっこいい映像なんですよ。生まれた時から不自由な方もいれば、事故などで身体が不自由になったりした人もいて、そういう背景も描きながらスポーツで戦っているところを映像で流していて、その映像にこの曲がめちゃくちゃマッチしていて、僕自身もその映像を見てすごくエネルギー、勇気をもらったという思い出のある曲です。
──阪本さんももちろん厳しい環境の中、自分の限界を乗り越えるために戦ってこられたと思いますが、やっぱりパラアスリートの方たちは、まずは競技を始める上で1つ乗り越えなければいけないところがある。それでさらに競技としてレベルの高いところで競い合っている、そのすごさ、美しさはありますよね。
そうですね。今おっしゃられた通り、オリンピアンとしてもすごく学ばされるところが多いので、すごく勇気を常にもらっています。
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