有森裕子さんは、1966年、岡山県のご出身。
マラソンランナーとして、オリンピックでは1992年のバルセロナ大会で銀メダル、1996年のアトランタ大会で銅メダルを獲得。
競技生活からの引退後、2008年からスペシャルオリンピックス日本の理事長として2023年まで15年間務められました。
ちなみにこの『スペシャルオリンピックス』というのは、「知的障害のある人たちに、様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じ提供している国際的なスポーツ組織」で、スペシャルオリンピックスの世界大会はオリンピックと同じく4年に1回、夏と冬に開催されています。
理事長を退任された後は、ユニファイドスポーツのアンバサダーとして関わりを続けていらっしゃいます。
──今回は有森さんに、今年開催される「第9回スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム・東京」について伺ってまいります。 陸上でマラソンを中心にされていた有森さんとスペシャルオリンピックス、どういう接点があったんですか?
接点というか、もともと、私が引退をする少し前ぐらい、前回の(ナショナルゲームの)東京大会の時に、理事長の方から「ちょっと手伝って」というお話をいただいたんです。東京でナショナルゲームを開催するのが、今回2回目なんですね。その前の東京大会の時に、同じアスリートだから、ドリームサポーターという形で(手伝ってほしいと言われた)。
私はスペシャルオリンピックスのことを全く知らなかったんですが、「スポーツを通じて、知的障害者の皆さんにスポーツをする機会を与えている組織なのよ」と言われて、その瞬間に、“え?”と思ったんです。私たちは、“機会を与えてもらった”という感覚はないじゃないですか。
──“当たり前に選択してやっている”というイメージがありますから。
生まれて、学校に行ったら部活もあるし、体育もある。でも、それですごく活性化されたものもありますし。
私自身、両足股関節脱臼で股関節が外れた状態で生まれてきました。“足はあるけれど動かない”という状態だったんです。
そんな自分の状況をどんどん変化させてくれた大きなきっかけがスポーツでした。競技が好きというよりは、そこから成し得られるもの…人に応援される機会も増えたり、頑張る機会も増えたり、何か一生懸命さみたいなものを感じながら、みんなと良いエネルギーを生み出せること。それがすごく自分を変えていった。そうすれば人は変わっていけるとわかっていたんです。それは知的障害者であっても同じで、人であればスポーツをすれば変わることができる。なのにその機会がないって、どういうこと?と、驚きでした。
私自身がそうだったからこそ、自分の今まで生きてきた経験と、彼らのこれから、そして彼らに対してできることとの接点があった。だからこそ躊躇なくその時に「やります」と言って関わり出したのが最初ですね。
ただ、なかなか難しいなと。他の障害と比べてみると、例えば身体障害の方々は、競技者、アスリート側の発信があるわけですよね。だからそれに準じて現場を作っていけばいいし、選手たちの思いが、もちろん優先的に、当たり前に反映される。
ただ、スペシャルオリンピックスは知的障害なので、もちろん、自分の思うことを全く表現できないわけではないけれども、やっぱりそこはすごく難しい。
彼らの環境、現場というものは、周りの人が作るんですよ。良くも悪くも、代弁者のごとく。だから、彼らがどう思っているかは、正直、わからなくもないけれど、完全にわかるわけでもない。わからないけれども、代弁者のような思いの中で現場を作っていくし、物事を進めていく。それが正しい方向か、そうじゃない方向かなんて、誰もジャッジできない。
だから、私が一番大事にしてきたのは、“機会を作る”ということで、それは“その機会を通じて彼らが頑張れる”ということ。そこだけが大事。
それがどう彼らのためになっていくか、どうなっていくかということは、私たちが決めることではない。“勝たなきゃいけない”とか、“いや、勝たなくてもいい”とか、“いやいや、頑張れ”“頑張るだけでいいい、参加すればいい”とか、そういうことは、私たちが決めることじゃない。
ただ、機会さえあれば、彼らが“頑張りたい”とか、“勝ちたい”とか“楽しみたい”とか、“こうなりたい、ああなりたい”とか、いろんなものが生まれて変化していける。この道筋を作ることが、私たちの大事な役割であるということを基本にしています。
時には生意気にものを言ったりとか、現場を混乱させたりしたこともありますけれども(笑)、そこは私自身の中では変わらず大事に、とにかく“機会を作る”ということが私たちの一番の使命だと思っていますし、そこにはこだわりましたね。
──また、スペシャルオリンピックスだけの特徴的な制度もいろいろあるんですよね。
そうですね。私は今、「ユニファイドスポーツアンバサダー」となっていますけれども、もともと、このスペシャルオリンピックスは“共生社会の実現”を掲げているんですね。社会も健常者だけではないし、男女も含めていろんな方々がいらっしゃる。そういうみなさんが共生して生きる社会が大事だよね、というところで、知的に障害のある人たちを通して、“スポーツの中で共生はできるんだ”ということを実現するのに、“ユニファイドスポーツ”というものがあるんです。
これは何かというと、例えば、バスケットチームの半分が知的障害者のアスリートで、もう半分が健常者、つまり障害のない人たちが、パートナーとしてチームを組むんです。それで、一緒にプレーをする、競技をしていく。そういう形を取ってやっていくのがユニファイドスポーツというもので、バスケだけでなく、チームスポーツ、あとペアができるもの、そういったものをどんどん見つけてやっていくという取り組みが、今、非常にスペシャルオリンピックスの中で重要視されてきているんです。これは、通常の競技の中ではしていないことなんです。
実は、マラソンではずっとやってきたことなんですよね。マラソン大会もいろんな人がいるじゃないですか。他の競技にはないでしょう?男子は男子、女子は女子、健常は健常、障害は障害、子どもは子ども、大人は大人で分けちゃうけれど、マラソンはバーン!と(いろんな人が)一緒くたに走るということで、ユニファイドといえばユニファイドなんだけれど、誰もそれに気づいていないんです(笑)。
なので改めて、他の競技を通して、スペシャルオリンピックスの中で、知的障害者も健常者と一緒にできる、コミュニケーションを取れる、プレーもできる、というところを見て、これを社会に落とし込む。いろんな現場に落とし込んでいく。その流れを作るという点で、非常に特徴のあるプログラムになっています。
──そして、先日4月4日には、お台場でスペシャルオリンピックス日本がエールランイベントを開催しまして、トヨタの陸上部が参加しました。こちらはどんなイベントでしたか?
普段スポンサーをしてくださっている企業のチームの方とか、もちろん一般の方々も家族で参加してくださいましたし、私はもちろん、うちのメンバーやアスリートも一緒に参加しました。アスリートはアスリートだけで組むのではなく、一緒に走ってくださる方々、ボランティアの方々も含めてチームを組んだり、いろんなパターンを組み合わせて(実施された)。一番長いものは3時間走だったんですが、ちょっと久しぶりに復活して走ったんですけど、大雨で1時間半になってしまって。それでもみなさん、すごく楽しんでくださいました。
──コンディションは良くなかったんですね。残念でしたね。
そうなんです。
でも、ランニングの専門であるトヨタの陸上部が…彼らもエールランは初めてだったと思うんですよ。ものすごく速かったですけれども。そこまでガチで走ってくれるとは(笑)。でも、その一生懸命走る姿が逆に参加した方々を喜ばせてくださいましたし、そういう経験も彼らにとって良い機会になったんじゃないかなと思います。
──去年の11月に、現理事長の平岡拓晃さんがゲストに来てくださいました が、“ともに、一緒に”という言葉を何度もおっしゃっていました。そういう一緒に楽しむ気持ちがあれば、競技のスペシャリストではなくても、誰でも参加できるんですよね。
そうですね。この“一緒に”というところがものすごく大事なポイントなんです。
今までは、障害者(に対して)とか、スペシャルオリンピックスもそうでしたが、感覚的には、“for”つまり、“私たちのために”“誰かのために”じゃないですか。でも、“for”じゃないんですよね。だって、私たちアスリート側も、応援はできるわけですよね。応援されるばかりじゃなくて、“応援してください”じゃなくて、いや、応援もできるでしょう、応援するからされるんだよ、と。そういう感覚でいないと、共生社会なんて成り得ないわけですよ。
だから、“共生”において“for”はあり得なくて、一方だけのものは違うと。 “for”ではなくて、“with”。“一緒に、ともに”。
だから、私たちは「Be with all」をとても大事なスローガンとして掲げていて、今、それを平岡理事長が一生懸命根付かせようとされています。
それは結構衝撃的なことで、スペシャルオリンピックスから発信はしていますけれども、多分、世の中の障害があることにおいての訴え方…たとえば「お願いします」とか“ために”とか、それって続かないんですよ。“ために”ばかり言っていると、どちらかが倒れてしまって、そうなると終わってしまう。でも、“ともに生きていく”ためには、どちらかが終わってしまってはダメ。だとしたら、“一緒に”ということを当たり前に考えられないと、どちらも続かない。どちらの方が大事ということはないので、どちらも大事となると、やっぱり一緒に盛り上げよう、一緒に応援しよう、一緒にやろう、ということになるんです。
まさにこのエールランは“エールをどちらにも送りましょう”というところをすごく大事にしたランイベントだったので、一度ちょっと途絶えてしまったんですけれど、9年ぶりに復活してみなさんの思いを形にできたのは、とてもありがたいなと思っています。
──そして、6月から4年に一度の全国大会、「スペシャルオリンピックス2026東京(第9回スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム・東京)」が開催されます。この大会は、来年開催予定のスペシャルオリンピックス夏季世界大会の日本代表選考会も兼ねた大会となっております。 こちらはどんな大会にしたいと考えていらっしゃいますか?
今、タイミング的に東京でやるのはすごくいいなと思っているんです。去年、世界陸上があって。
──盛り上がりましたね。
盛り上がりましたね。私もびっくりしました。あの9日間で、まさかあそこまで、スポーツで、陸上で盛り上がると思わなかったので、嬉しかったです。
あの大会は、デフの選手も一生懸命アナウンスして、盛り上げてくれたんですよ。なので、障害があろうがなかろうが、みんなスポーツでつながって、東京が1つにした。それで、東京世界陸上の後にデフリンピック。この流れで来たので、本当に東京が今、まさにテンションが一番高いところにある。
──注目されていますから。
そうですね。東京のみなさんも、違和感なく受け入れられる態勢にある中で、翌年の6月と9月にナショナルゲームが行われるということは、ものすごく大事な発信の場でもあるし、改めての見せ方も含めてとても大事だと思っています。
なので、まずは楽しさと驚きと、意外性と、なんでしょうね…また未来の東京に、日本のみなさんにもそうですけど、なんとなく明るいものを落とし込めるような大会にしたいなとは思っていますね。
──その「スペシャルオリンピックス2026東京」は、開会式が6月5日金曜日、トヨタアリーナ東京で行われ、競技は、ユニファイドのバスケットボール、陸上競技、サッカー、卓球、フライングディスク、バドミントン、テニスが6月5日から6月7日まで。そして、9月4日金曜日から6日日曜日まで、バスケットボール、競泳、ボウリングが開催される予定となっております。 さあ、そしてこの番組では、毎回ゲストの方にCheer up songを伺っています。有森さんの心の支えになっている曲を教えてください。
私の心の支え+αですが、スペシャルオリンピックスの心の支えの最初になった曲ですね。
2014年のスペシャルオリンピックスの日本夏季ナショナルゲーム福岡大会にMISIAさんが初めてジョインしてくださって、その時歌っていただいたのが、「HOPE & DREAMS」という曲なんです。
もう本当に、元気と、鳥肌が立つようなエネルギーが生まれる。そんな大会テーマソングとして歌っていただいたので、これを聴くたびに、あの当時の盛り上がりを思い出す、そんな1曲です。
──有森さんはオリンピックでメダルを獲得されていますから、オリンピックというと毎回テーマソングがあって、それが流れてくると名場面がよみがえりますし、もちろん選手としてテーマソングのようになった曲もあると思いますが、理事長として参加されている大会でこうやってMISIAさんが参加してくださると、またちょっと違った意味合いを持った曲になるんじゃないでしょうか。
なりますね。こんなビッグスターがジョインしてくださって、この素晴らしい歌を歌ってくださった時は、本当に涙が出るくらいみんな感動に浸って、アスリートなんかもう踊りまくってましたから(笑)。
彼らは非常に素直なので、開会式であろうが、もう歌が流れると踊るんですよ。
──逆にそれが素直な反応というか、人間らしい。
そうなんです。
障害って何なんだろうなと。一体何を障害と思うかというのはやっぱり人それぞれで、固定観念は怖いなと思います。障害はこうである、障害がないとはこうである…でも本当は全然違うということを、このスペシャルオリンピックスで教えてもらいました。
今回お話を伺った有森裕子さんのサイン入ポロシャツとタオルを1名のリスナーにプレゼントします。 ご希望の方は、番組公式X をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。 また、4月から新たにポッドキャストのコンテンツとして始まった『SPORTS BEAT supported by TOYOTA Mixed Zone 』。 こちらは、radikoなどの各種ポッドキャストサービスでお楽しみいただけます。 聴き方など詳しくはTOKYO FMのトップページ をチェックして、そちらも是非、お聴きください!