村岡桃佳選手は、1997年生まれ、埼玉県のご出身。
中学2年生の頃から本格的に競技スキーを始め、2018年の平昌パラリンピックでは、金メダルを含め、出場全5種目で5個のメダルを獲得。
2021年、夏の東京パラリンピックでは、陸上女子100メートル、車いすのクラスで6位入賞を果たし、今年3月のミラノ・コルティナパラリンピックでは2つのメダルを獲得し、冬のパラリンピックでは日本選手最多11個のメダルを獲得されています。
──まずは2つメダル獲得、おめでとうございます。実は、村岡選手は去年11月に大怪我を負いまして、今回のパラリンピックが復帰戦になったというぶっつけ本番で挑んだパラリンピックだったと。あのスピードで斜面を滑る競技なので、やはり怪我はつきものの競技なんでしょうか。
そうですね。時速100キロとかのスピードで体と用具で斜面を下っていくので、1つの転倒がそれこそ命の危険につながったり、大きな怪我につながることはたくさんありますね。
──1年ほど前にも怪我があったそうですね。
はい。昨年、2025年の4月と11月に、1年間で2度ドクターヘリに乗っています。
──オリンピックに向けた大事な年にもかかわらず、怪我との戦いでもあったということですか?
そうですね。去年は雪上にいる時間やトレーニングしている時間よりも病院にいる時間とリハビリをしている時間が一番長くて、本当に苦しい1年間でした。
──パラリンピック本大会でも、エントリーされていた最初の種目、滑降は出場を回避されたんですよね。回避や出場については、どういう判断でされたんでしょうか?
私自身の雪上復帰も、大会が迫っていたこともあって、十分な準備が何1つできていなかったんですよね。4月に怪我をして、リハビリをして、“じゃあ雪上復帰をして、トレーニングをして、いよいよこれから今シーズンのレースが始まるぞ”という、そのレースの直前の11月にまた怪我をしてしまったので、私の今シーズンのレース初戦がパラリンピックのレースだったんです。
そのパラリンピックのレース初戦で、一番最初の種目は「滑降」という種目なんですが、滑降は時速100キロ前後、ときには100キロを超えて120キロ出るような種目で、本当に危険性が高い種目なんですね。特に、今回のイタリア・コルティナのコースというのは、いろんな選手が「こんなに難しいコースは経験したことがない」と言うぐらい本当に危険なコースなんです。
レース初戦でトレーニングも十分にできておらず、コンディションも万全ではなく、お医者さんからも「転ばないで」と言われるぐらいの状態だったので、例えば、何かミスをして転倒した場合、その後の種目にも出られなくなってしまう。それなら、後の種目にフォーカスをしてしっかりと準備をしていった方が自分の“メダルを獲る”という目標に対しては良いのではないかということで、初戦の滑降は欠場することを決めました。
──そして、村岡選手の最初の種目となったのが「スーパー大回転」ということですが、このスーパー大回転もかなりスピードが出る種目だったのではないですか?
そうですね。スピード領域では、滑降に続き2番目に高い種目です。
──いきなりの復帰戦になるわけですけれども、それがスーパー大回転。いざスタートのところに立った時、どんな思いでしたか?
“ここに来れたんだな、来れて良かったな”と思いました。
──恐怖心というよりは安堵感というか、“この場所まで帰って来れた”という思いの方が強かった?
本当に難易度の高いコースなので、恐怖心は大きくあったんですけど、ただ、私の、このスーパー大回転という種目への戦略は“フルアタックをしない”だったんです。その後の「大回転」という種目が一番得意としている種目なので、そこでの金メダルの獲得を一番の目標としていました。
なので、そこに向けての準備というか、(スーパー大回転で)フルアタックをして、一か八かの滑りをするのではなくて、まず、基本的にはゴールを第一とする。怪我なく、転倒もなくしっかりと滑り切ってゴールするために、コースの状況をしっかりと確認したり、雪質や山の状態を把握する。そして、その中でできるところは攻めて、守るところは守るということをきちんと戦略的に使い分けてアタックしていく。そういう気持ちで滑っていました。
──でも、ある程度セーフティーに滑りながらも、見事銀メダルを獲得。では、逆に予想外のメダルだったんですか?
すごく予想外でしたね。ゴールをしてから、まず自分が3位以内にいるということと、プラス、その後メダル争いに食い込んでくるだろうなという選手が控えているじゃないですか。私の滑走順より後ろにはあと3人ぐらいしかいなくて、一番上位に来るであろう選手がコースアウトしたので、“あれ?”という(笑)。自分も本当に想定外の銀メダルではありました。
──でもこれで、日本人獲得メダルタイに並んだわけじゃないですか。そして、その後、自分の得意な大回転が控えているということで、“これは更新できるんじゃないか”という期待、手応えは感じていらっしゃった?
正直に言うと、メダル数というのはあまり気にしていなくて。本当に、ただただ、私は大回転という種目で金メダルが獲りたい。それだけだったんです。
メダルがタイに並んだ時も「どうですか?」と聞かれたんですけど、「うーん、そうですね、気がついたら並んでました」みたいな状況だったので、本当にメダル数については何も気にしていませんでした。
──金メダルというのはその時の1番なわけですから、やっぱり欲しいのは金メダルということなんでしょうか。
そうですね。まずよく言うのが、自分で言うのも何ですけど、メダルは、まあ、いっぱいあるんです(笑)。でも、何個獲っても嬉しいし、何個獲っても“これが欲しい”と思うのは金メダルだけですね。
──そういう意味では、大回転で金メダルを獲れなかったことは、悔しさの残る大会でしたか?
本当に悔しいですね。大回転では“金メダルが獲りたい”という気持ちがすごく強かったので。
昨年2回ドクターヘリに乗った時に帯同してくださったスタッフの方がその時もサポートスタッフとしていてくださったんですが、スタート前、その方に「今日3回目(のドクターヘリ)になるかもしれないけれど、その時は本当に申し訳ないけれど一緒にヘリに乗ってね」と話していたんです(笑)。
──金メダルには届かなかったけれども、自分なりに攻めきれたレースでしたか?
はい、本当に攻めきりました。
次の選手たちもどんどん滑ってくるので、ゴールしてから、ゴールエリア、ゴールハウスからすぐに出なきゃいけないんですけど、もう息もめちゃくちゃ上がってるし、体が急に脱力して力が入らなくなってしまって、“出なきゃ”と思いながらも本当に動けなくて、気持ちで“よいしょ、よいしょ”と移動したぐらい、私の中で出し切ったレースではありました。
結果的に銀メダルということも、ゴールをして、その後の表彰式やメディア対応でインタビューを受けている時には、“やり切ってこの結果だったら仕方がない”と、自分の中で納得した気持ちでいたんです。でも、それは“納得しよう”と思っただけだったんだということを、改めて時間が経ってみて感じるようになりました。
時間が経てば経つほどに、金メダルが獲れずに銀メダルに終わったという結果が悔しくてたまらないですね。経てば経つほど、その思いがどんどん大きくなっています。
──パラリンピックは4年に1度なので、そう簡単には4年後のことは聞けないんですけれども、今はどのように考えていらっしゃるんですか?
今回の結果があまりに悔しくて悔しくて、“このままじゃ終われない、4年後は再び金メダルが獲れるように”ということで、金メダルの獲得を目指して、また4年後を目指していきたいと思っています。
──もしミラノ・コルティナパラリンピックで金メダルを獲っていたらどうなっていたかわからないですね。
だから、“スキーを辞めちゃ駄目だよ”という神様からのお告げだと思うことにしました(笑)。
──もうすでに4年後に向けてふつふつ思いをたぎらせているということですけれども、ぜひ、怪我はしないように。
そうですね。何よりもやっぱり、怪我には気をつけていきたい4年間ですね。
──さあ、この番組では、毎回、ゲストの方にCheer up songを伺っています。村岡桃佳選手の心の支えになっている曲を教えてください。
なにわ男子の「勇気100%」です。
──これはNHK教育テレビの「忍たま乱太郎」の曲ですけれども、普段から聴かれているということですか?
聴きます。いろんな方のバージョンで聴いたりもするんですけど、でも、老若男女、誰もが歌える曲でもあるじゃないですか。すごくアップテンポで気がつくと口ずさんでいるような、このキャッチーな感じがすごく好きなんです。
練習しながらでも聴けるし、運転しながらでも聴けるし、いつ聴いてもすごく勇気をもらえる歌だなと思って、すごく好きな曲の1つです。

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