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2025.05.17

リオの悔しさから東京へ “オリンピックの魔物”に打ち勝ち日本女子初のメダル獲得

今週の「SPORTS BEAT」は、日本史上初のメダルを獲得し、現在は体操女子の強化本部長でもある村上茉愛さんのインタビューをお届けしました。
村上茉愛さんは、1996年、神奈川県生まれ。
3歳の時に母親に勧められ体操を始め、ジュニア競技会で多くの優勝を飾り、14歳の時には全日本種目別選手権のゆかで優勝。
2015年に日本体育大学に入学し、2016年のリオデジャネイロオリンピック団体総合に出場。
2017年、カナダの世界選手権種目別のゆかで、日本女子としては63年ぶりとなる金メダルを獲得。
2018年、カタールでの世界選手権個人総合で日本女子初の銀メダルを獲得。
さらに2021年の東京オリンピック女子個人総合で日本人歴代最高順位となる5位入賞を果たすと、個人種目別ゆかでは日本の女子で史上初となる銅メダルに輝いています。
2021年10月、世界選手権種目別のゆかで2度目の金メダルを獲得し現役引退を表明。
去年11月、28歳で体操女子の強化本部長に就任されています。

──村上さんといえば、後方抱え込み2回宙返り2回ひねりというH難度の大技・シリバス。このシリバスという技、実は小学生の時に既にできていたんですか?

そうですね。小学校6年生の大会で初めて披露をしたので、小さい時からできるようにはなっていました。

──どうやってシリバスをを習得していくんですか?

この技は、後ろに2回回って横に2回ひねっている技なので、縦回転がないとまず技が覚えられないので、2回宙返りのみをまず練習していって、そこにひねりを加えていく、という練習になります。

──体操の演技は、ゆかに限らず、映像で見ていても何回転しているかわからないぐらいひねりも速いし回転も速いですが、実際に飛んでいる最中というのはどんな感覚なんですか?

私だったら…虫が耳の近くを通る時って、耳元で“ブォン!”と音がするじゃないですか。あんな感じの音が“ボンボン!”と聴こえます(笑)。

──(笑)。体操は失敗がつきものの競技だと思いますけれども、演技をする前は緊張しないんですか?

していますけど、私は“心臓がバクバクする”ような緊張はないですね。
(試合の時は)誰の声も入ってこないし、自分の肌から先のところは真っ暗、真っ黒に見えるんです。(普段は)光とか、(今のように)お顔が見えているじゃないですか。でも、本番では見えないです。もう全部黒いです。話しかけられても多分聞こえないと思います。

──演技をしている時にあまり広い視野は必要じゃないということですか?

必要です。器具をしっかり見ていないと軸が歪んでいるかがわからないので、基本見ている…“見えている”んですけど、ちゃんと壁があるので、その中で自分が演技している、という感覚です。

──いわゆる“ゾーン”みたいなことですよね。

そうです。

──毎回ゾーンに入るんですか?

基本入っているんですが、究極はやっぱり東京オリンピックの時だったと思います。

──小さい頃から体操をやってきて、気がついたらそういう風にできていたんですか?それとも、きっかけがあってできるようになったんでしょうか?

元々私の性格があまり緊張しないというか、失敗してもすごく落ち込んだりもしないので、それが良かったんだとは思います。
初めて緊張したのは、初めて世界選手権に出た時ですね。そこで、良い演技ではあったけれども(緊張して)思うようにはいかなかったことから、“どうやって試合で(緊張せずに良い演技に)持っていこうか”と(考えて)、最初はいろんなやり方を自分でルーティーンを作らないとできなかったんですが、気づいたらそれが習慣になっていました。

──ちなみに、そのルーティンにはどんなことがあるんですか?

私の場合は、ストレッチの順番を“頭から最後は足の指先まで”というイメージで上からストレッチしていって、アップは普通にやって、最後は“先生にゼッケンをつけてもらう”というお守りをして(笑)、演技の前は、リラックスするために手を上げてから下に下げて力を抜いて、前屈などをしてから演技に入る、みたいな感じでした。

──それでゾーンに入れるんですね。意外と特別なことはないんですね。

自分でもなぜゾーンに入れるのかがわからないんです。集中を作っていくために自分のやり方があるだけで、“ゾーンに入れるかどうか”というのは、本当にオリンピックの時とかじゃないとできないのかもしれないですね。

──実は、リオオリンピックで引退を考えてらっしゃったんですか?

そうですね。2016年の時に大学2年生だったので、“リオに出てメダルを獲る”ということを目標にして、気が向けば、体が持てばあと2年やって、大学生で終わりかなと考えて入学しました。

──やっぱり激しいスポーツなので、怪我などのことも考えながら?

そうですね。あとは、大学を卒業して社会人チームでやるという選択肢が…男子は結構あるんですが、女子はプロや社会人チームで競技を続けるということが当時は主流ではなかったので。

──環境が整っていなかった。

はい。そこがちょっと大きかったので、できるかどうかもわからなかったし、やっぱりオリンピックに2回も3回も出るのは難しいと思うので、大学生という一番体の調子が良い時に終わっていくのがちょうどいいのかなと思っていました。

──そこを“やっぱり現役を続けよう”と思ったきっかけは何だったんですか?

やっぱり、リオの時に思うような演技が1つもできなかったので。団体戦の時はすごく良かったんですけど、個人戦の時はなかなか練習も積めなくて後悔が残る大会だったんです。
ちょうど東京(オリンピック開催)がその数年前に決まっていて、当時は全く東京オリンピックに出ることを考えていなかったんですが、そこ(リオオリンピックの後)で次に目指せるものが目の前にあったので、“これをやるしかない”と思って(現役を続けることを)決めました。

最初、東京オリンピックの開催が決まった時は、「東京まで目指しますか」とよく聞かれていて、それがすごくプレッシャーでした。もちろんできなくはないと思いますけど、自分の人生を80年ぐらいで計算した時に、“東京オリンピックに出ることはない、もう1回(オリンピック出場)はないだろう”と思っていて、 “(東京オリンピックを)目指そう”と思っているつもりはなかったので、「やります」とは言えなくて、ずっと「まだ考えていないです」と言っていたんです。でも、リオの時にあまり思うような演技ができなくて、“次は東京だ”となったので、やっとプレッシャーから解放されて、(東京オリンピックを目指すと)言えるようになって。
ただ、やっぱり生きていく上でこんな機会は一生ないだろうなと。神奈川で生まれて東京で育ったんですが、自分が育ってきたところでオリンピックが開催されるなんてことはまずないだろうから、そういう意味でも“目指そうかな”と思ったところもありましたね。


──「オリンピックには魔物が住んでいる」とかいろんな表現がありますが、実際にリオ、そして東京に出場されましたけれども、オリンピックってどんなところでしたか?

自分の夢の舞台だったので、“夢の中にいるような場所だったな”と思いました。と同時に、リオの時はオリンピックがどういう場所かまだわからない状況だったので挑戦者として挑めたんですが、東京では、一度オリンピックのあの緊張感を経験してるからこそ、「魔物が住んでいる」と言われている意味がよくわかるなと思いました。
東京の時はすごく調子が良かったんですが、(普段なら)ミスが出ないところでミスが出たんです。でも原因がよくわからないというか、たぶん心の問題なので、“やっぱりこの魔物に打ち勝てなかったらメダルは獲れないんだろうな”と思っていたんですが、それに打ち勝つことができたのが、種目別の時だったんです。なので、(種目別ゆかでメダルを獲ることができて)“(オリンピックの魔物に)勝つことができたんだな”と思いました。

──「いろんなことを考えるな」と言われても、絶対に考えますもんね。

そうですね。内村航平さんがよく「無欲無心」とおっしゃっているんですけれども、それがすごくいいなと思って、「どうして緊張しないんですか」と聞かれたら、私も内村さんを真似して「無欲無心でやっているから」と言っているんです(笑)。

──(笑)。とはいえ、やっぱり人間なので、欲が出たり、“失敗したらどうしよう”とか、余計なことをついつい考えがちじゃないですか。

それを「(なるべく)考えないようにするといいかもしれない」と、みなさんによくアドバイスしています。「自分はそうだった」という経験を聞いて、自分もそうしてみて確かにそうだと思ったので、欲があるのはいいことなんですけれども、“それを出さずに淡々とやる”というのがやっぱり金メダリスト、トップの選手なんだろうなと思いましたね。

──そして最後の大会となった世界選手権はみごと金メダルで締めて、そうなると「まだまだできるんじゃないか」なんて周りからも言われるでしょうし、ご自身でも「まだいけるんじゃないか」と考えたりはしなかったんですか?

世界選手権の時に、最後に「引退します」と皆さんの前で言ったんですけれども、その後に、自分の前に強化本部長をされていた方に「やっぱりまだ続けない?」と言っていただいたりして、まだ期待してもらえていたということは嬉しかったですけど、でも、「すみません、もう辞めます」と言って辞めさせてもらいました。

──そこはもう未練なくというか、“やりきった”という思いが?

その1年、2021年が一番いい年で、自分の理想通りだったんです。そこから上に行くことは難しいし、時間もかかるだろうなと思っていたので、ちょっともったいないと思われるぐらいで辞めようとずっと考えていたこともあって、すごく良い終わり方ができたなと思っています。

──この番組では、毎回ゲストの方にCheer up songを伺っています。村上茉愛さんの心の支えになってる曲を教えてください。

安室奈美恵さんの「Hero」です。

──この曲はリオオリンピックのテーマソングですけれども、これを選ばれた理由というのは?

先ほどもお話したように、リオリンピックではなかなか思うような結果が出なかったんです。オリンピックが始まる前、日本選手団として結団式をしたりする時もこの曲が流れていて、ずっと(この曲とともに)記憶がある中で、リオでは思うようにいかなくて、でも終わった後も解団式や日本チームが集まる時にこの曲が流れていて、その時はただ “テーマソング”というだけだったんですが、その後、リオの後から東京オリンピックまで5年間(この曲を)聴いていて、“あの時はあんな練習をしていたな、ああいう演技だったな、悔しいな”というようなことをふと思い出す瞬間になりました。
“今日やらなきゃ、頑張らなきゃ”と気持ちを奮い立たせてくれる曲でもありますし、自分の結婚式の時にオープニングムービーみたいなものを作ったんですけれども、その時もこの曲を使いました。

──引退した後にこの曲を聴くと、やっぱり聴こえ方は変わってきたりするものなんですか?

“頑張って良かったな”と振り返れる曲になりましたし、この曲もそうですけど、リオがなかったら東京を目指してもいなかったし、オリンピックのメダルも獲れていなかったということを考えると、(リオオリンピックは)本当に悔しい経験なんだけれど、嬉しい経験というか、楽しかった経験だったなということも思い出させてくれます。


来週も村上茉愛さんにお話を伺っていきます。
お楽しみに!



今回お話を伺った村上茉愛さんのサイン入り色紙を、抽選で1名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、番組公式X(旧ツイッター)をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。

そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。
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