入江聖奈さんは、2000年、鳥取県生まれ。
小学校2年生の時に読んだマンガ「がんばれ元気」の影響でボクシングジムに入門。
中学では陸上部に所属し、1年生で800mの全国中学駅伝に出場するも、高校からはボクシングに専念。
高校2、3年の全日本女子ジュニア選手権を連覇し、国際大会でも2018年世界ユース選手権にて銅メダルを獲得。
2019年、日本体育大学へ進学し、世界選手権日本代表に選ばれ、ベスト8。
そして2021年の東京オリンピックでは、オリンピックの女子ボクシングとして日本史上初の金メダルを獲得されています。
競技生活からの引退後は、大好きな「カエル愛」を極めるため、東京農工大学院修士課程へ進学し、カエル研究の道を歩まれています。
──入江さんがボクシングを始めたきっかけが、漫画の「がんばれ元気」。この漫画は僕が子供の時の漫画ですよ。だいぶ世代が違いませんか?
母親が持っていて、暇潰しに読み始めちゃったんです。
──これは「雄飛」や「あずみ」などを描かれている小山ゆう先生の作品ですけれども、お母様が元々ボクシング漫画を持っていらっしゃったそうですね。
母親が小山ゆう先生の作品が大好きで、「がんばれ元気」も集めていたんです。そうしたら娘が読んでしまって、ボクシングを始めるに至ってしまいました(笑)。
人間ドラマとか諸々含めて主人公がかっこ良すぎて、“私も元気くんになるんだ”と思ってボクシングを始めました。
──でも、女の子で、しかも小学校2年生の時からボクシングを始めるというお子さんは少ないんじゃないですか?
周りにはいなかったですね。空手とかをやっている子はいたんですけど、ボクシングは本当にいなかったです。
──ボクシングを初めてみてどうでしたか?
最初はパンチを覚えないといけなくて、1年ぐらいは全然楽しくなかったんですけど、実際に殴り合えるようになってからはめっちゃ楽しかったです(笑)。
──どちらかというと実戦寄りというか…。
そうですね。型とかよりは実戦の方が好きだったみたいです。
──1年経った頃というのは小学校3年生ぐらいじゃないですか。その時にいわゆるスパーリングみたいなことをしたということですか?
そうです。スパーリングをしました。
──その相手というのは、同じぐらいのお子さんですか?それとも大人が相手になってくれたんですか?
初めてのスパーリングは、当時中学校1年生の男の子が膝を(床に)つけてやってくれて、でもボコボコにされて、もうめちゃめちゃ泣いた記憶があります。
全然パンチが当たらなかったりして、本当に悔しかった記憶しかないですね。
──逆に、悔しくて“もうボクシングを辞めたい”とはならなかったんですか?
“悔しくて辞めたい”はなかったですね。青春を味わいたくて“辞めようかな”と思った時期はありましけど。高校の部活とかを見ているとめちゃめちゃ楽しそうで、“ちょっと青春をやりたいな”とゆらいだことがあったんですが、何とかこらえて、オリンピックまでボクシングを続けました。
高校はボクシング部がなくて、部活動に所属できなかったので、青春への憧れが増していく一方でした。だから来世は絶対に高校の部活動に入ろうと思っているんです(笑)。
──(笑)。ちなみに、何部とか決めてらっしゃいますか?
バスケ部がいいですね。団体競技をやってみたいです。
──来世の部活が決まっている人ってなかなかいないですよ(笑)。そして入江聖奈さんは、主な戦歴を見ますと、国際大会の経験が少ないと。20歳でオリンピックの金メダルを獲っているので、トントン拍子でオリンピックの一番高いところまでたどり着いたという感じですよね。
そうですよね。何か成績だけ見ると「エリート」と言われる感じなんだろうなと思いながら自分の経歴を見ています(笑)。私は運が良くて金メダルを獲れたと思っているので、別にエリートではないと思っています。
──その国際経験があまりない中でのオリンピック。「オリンピックには魔物が住む」と言う選手もいるぐらいですが、オリンピックはどういう舞台でしたか?
やっぱりひたすらに怖かったですね。負けたら報道されないので、誰にも記憶されずに消えていくと思うと、それはめっちゃ怖かったです。でもありがたいことに、オリンピックの魔物は私に味方してくれたので、日頃の行いが良かったのかなと思います(笑)。
──他の選手はどちらかというと“注目を浴びていて負けたらどうしよう”みたいな恐怖心と戦っていますけれども、やっぱり“自分がスターになるんだ、目立ちたいんだ”という思いが強かったということですか?
そうですね。やっぱりオリンピックに出たからには、「金メダルを獲ったよ!」「ワーッ!」ってされたいなと(笑)。パレードとかしてみたかったので。
──実際に金メダルを獲って、周りの反応、世間の反応は大きく変わったんじゃないですか?
はい。当時はめちゃめちゃびっくりしました。やっぱりSNSでも限界まで通知が来ていましたし、鳥取県では“入江聖奈フィーバー”が絶対に起きていました(笑)。あれは“オリンピック以外じゃ味わえないだろうな”という感じでした。
──鳥取県で初めてのオリンピック金メダリストになったわけですものね。
はい。何か自分でもすごいなと思いました(笑)。
──その他に、“金メダルを獲ってこんないいことがあった”ということはありますか?
例えば、私ゲームが好きなんですけど、ゲームをもらえたりとか、お肉も好きだったんですけど、鳥取県から素敵なお肉をもらったりとか、“金メダリストってすごい”と思いながら味わっていました(笑)。
──それだけの偉業を成し遂げたということですよね。小学6年生の頃に、「秘密の計画書」というものを書かれたんですか?
そうですね。当時読んでいたサッカー漫画の主人公がこういう計画書を書いていたので、真似しました。
──そこにオリンピックのことも書かれていた?
書きました。
──どんなことを書かれたんですか?
「20歳でオリンピック選手になって金メダルを獲る」と書いていました。
──それが実際に叶ったわけじゃないですか。
びっくり(笑)。出来すぎているなと自分でも思います。
──でも、これを書かれた時には、20歳の時のオリンピックを東京でやるとはまだ決まっていなかった。そうやって「20歳でオリンピックで金メダルを獲る」と書いたら、オリンピックがまさかの東京。驚きじゃないですか?
私は東京より外国に行きたかったので、(東京開催が決まって)別に「東京だ、イエー!」という感じではなかったんです。
──でも、自国開催のオリンピック、特に現役の時に出られる選手って本当に限られているじゃないですか。
でもやっぱり、ロサンゼルスとかあの辺に行きたかったなってめっちゃ思います(笑)。
──ロスは28年にありますけど…(笑)。ロスに行けますよ。
いや、絶対にやらないです。走れないです(笑)。
──その東京オリンピックが1年延期になりましたが、1年延期というのは、入江さんにとってどういう影響がありましたか?
最初はちょっと緊張の糸が緩んでしまったんですけど、でもその1年間でだいぶ大人の体になって、筋力とかフィジカルで負けなくなったので、この1年延期がなかったら多分金メダルは獲れていないと思います。
──そして、入江さんの誕生日が10月9日ということで、2020年に東京オリンピックが開催されていたら、まだ19歳のままだった。だから、1年延期になるところまで言い当てている。これ、予言の書ですよ。
確かにそうですね(笑)。
──でも、小さい頃にこうやって計画を文字で書くということは、ひょっとしたらものすごく大事なことかもしれませんね。そして臨んだ東京オリンピック。11日間で4試合。まだコロナ禍は続いていたということで、無観客だったり、検査などもたくさん受けなければいけなかったでしょうし、大変な大会だったんじゃないですか?
そうですね。やっぱり調整とか大変でしたし、減量中で水も我慢しているので、唾液が出ないのにコロナの検査のために毎日唾を出さないといけなかったりして、それはちょっとつらかったですね。
──他の大会でも、11日間という期間をかけるような大会はあるんですか?
東京オリンピックの方が少し短いかなという感じです。世界選手権とかだと2週間ぐらいあったりするので。
──ずっと体重はキープし続けなければいけないわけですよね。
そうです。アマチュアボクシングというものが、勝ち進んでいる間は常に体重をキープし続けないといけないので、この辺りは慣れっこだったんですけど、でもやっぱりタイトなスケジュールだったので、準決勝ぐらいから筋肉痛とかが取れなくなってきて、きつかったですね。
──自分の思い通りにならないまま戦わなければならない。
そうですね。でも、相手も多分疲れているだろうなと思っていたので、そんなに気にせず試合をしていました。
──選手村でどんなことをして過ごされていましたか?
「パワプロクン」という野球ゲームがあるんですけど、それでずっと甲子園目指してゲームをしていました(笑)。ずっとゲームをしてました。
──(笑)。本当にゲームがお好きなんですね。
そうですね。他競技の選手に話しかけられるほどコミュニケーション力もないし、減量中で別ご飯も楽しみじゃないし、となるともうパワプロくんしかするものがなくて。
──逆にそうやって何か好きなものがあって、1人で時間を潰せるものがあってよかったですね。
よかったですね。なかったらずっと“ご飯食べたいな”と考えていたと思うので、“パワプロくん様々”でした。
──さあ、この番組では毎回ゲストの方にCheer up songを伺っています。入江聖奈さんの心の支えになっている曲を教えてください。
プリキュア5の「プリキュア5、スマイル go go!」です。
──いわゆるアニメ「プリキュア」は、子供の頃から見ていたものですか?
たまに。そんなにはまっていたわけじゃないんですけれども、“この曲が好き”という感じですね。あと「太鼓の達人」でこの曲をプレイしていたので、それで覚えちゃったということもあります。
──この曲もオリンピック期間中もよく聴かれていたんですか?
はい。試合前に絶対に聴いていました。
音楽だけは本当に大事にしていました。音楽がないとアドレナリンが出てこないので。
──やっぱりそこではテンポのある激しい曲が多いんですか?
私はそのタイプですね。ゆったりな曲調を好む選手もいるんですけど、私は“もうガンガンぶち上げていこうぜ!”みたいな感じですね。
この曲のおかげで軽快なフットワークで戦いきることができました。
来週も入江聖奈さんにお話を伺っていきます。お楽しみに!
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