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2025.06.14

恩師、そして“第二の親父”長嶋茂雄さんへの想い

今週の「SPORTS BEAT」は、プロ野球選手として活躍された元木大介さんのインタビューをお届けしました。
元木大介さんは1971年、大阪府のご出身。
上宮高校で甲子園には3回出場。
プロ野球選手として、1991年から巨人一筋15年、“クセ者”といわれる堅実な攻守で活躍!2005年のシーズン終了後に引退されました。
引退後は野球解説やタレント、俳優などの活動をしながら、2018年には指導者として、U12世界少年野球大会の日本代表監督に就任。2019年から巨人のコーチに就任し、様々な担当を歴任しながら2023年のシーズンまで務められてきました。

──長嶋茂雄さんですけれども、6月3日に亡くなられたというニュースが入ってきました。本日の収録が6月3日なんですが…。

ここに着いてから連絡を受けて、長嶋さんが亡くなられたということで、びっくりしましたね。本当に悲しいです。でも、リハビリもすごく辛かったのかなと思うと、楽になったのかなとか、いろんな思いが出てきて、しばらく車の中から降りられなかったですね。

──巨人のみならず日本のプロ野球界に多大なる貢献をされた方ですが、その長嶋さんとは、付き合いとしては相当長いのではないですか?

長いですね。僕は4人の監督のもとでやらせていただいたんですけど、長嶋さんが一番長いんです。よく試合でも使ってもらったし、いろんな思い出もたくさんありますね。
その中でも一番の思い出は、やっぱり仲人をしてもらったこと。野球以外でもそうやって面倒を見ていただいて…。長嶋さんが選手の仲人をしたのは(自分を含めて)3人しかいないんです。堀内さんと、篠塚さんと、そして僕の3人だけなんです。

──じゃあ、本当に貴重な。

そうですね。本当に嬉しかったですね。“嬉しい”というか、僕、もともと(仲人を長嶋さんに)頼んでいなかったんですよ。一茂さんに頼んでいたんです。そうしたら、新聞社がオフシーズンに「長嶋監督、元木の仲人」みたいな一面を出しちゃったんですよ。“なんだこの記事は!?”と思って。その日ちょうど何かのイベントがあって、監督も選手も集まらなきゃいけなかったんです。その時に監督に「新聞記者が勝手に書いて間違った報道をして申し訳ありません」と言ったら、「(仲人を)やってやるよ」と(笑)。“はい!?”と思ったんですけど、「俺がやってやるよ」と言われて、すぐ一茂さんに電話して「どうしたらいいですか」と聞いたら、「それは親父にやってもらった方がいいよ」と言ってくれて。

──本当に誤報というか、どこでそんな話になったんでしょうね。

そうなんです。でも、だから初めて(マスコミが)ありがたい間違いをしてくれたと思って(笑)。そしたらもう大変な結婚式になっちゃって。テレビ局もついちゃった(笑)。

──でも、これは思い出に残りますね。

本当にありがたいですし、思い出ですよね。だって、あの長嶋さんですよ!

──長嶋茂雄さんが監督になられた当初は、伊東で相当厳しい合宿があったと聞きますけれども。

それは(監督)1回目の時ですよね。監督に就任されて巨人が最下位だったんですね。それで「来年頼むぞ」という若手メンバー中心に、「地獄の伊東キャンプ」と言われる厳しい合宿をしたと。いまだにそのメンバーで集まって長嶋さんの話をしていますし、中畑さんとかもよく「親父(長嶋さん)はきつかった」と言っていましたね。
そういえば、藤木さんも(長嶋さんと同じ)佐倉出身ですよね。

──僕は長嶋さんの高校の後輩(当時の佐倉一高、現在の佐倉高校)なんですよ。

今日は何かの縁ですね。
その佐倉で、伊東キャンプのメンバーが少年野球の野球教室を行っていたんです。当時は長嶋さんも出席して(子供たちに)話をしたり、中畑さんとか篠塚さんとか河埜さんとかも教えに行ったりしていたんですが、だんだん年齢も高くなって、長嶋さんも体調を崩されてビデオメッセージとかで参加するようになって、他の先輩方もやっぱり年齢を重ねていってますから、(実際に行って指導をする)人数が少なくなってきた時に、長嶋さんが「大介を呼べよ。あいつ暇だろう」って(笑)。“暇じゃないのに”と思いながら…(笑)。

──でも、長嶋さんから直々に指名されたらね(笑)。

それで中畑さんから連絡が来て、「お前、暇か?ミスターが暇だって言ってたぞ」と言うから、「長嶋さんの野球教室に出られるんだったら出させてください」ということで、参加させてもらうようになりました。
だから、そうやって長嶋さんはずっと地域にも貢献、恩返しをしてきているんです。

僕が現役の時、開幕前に僕と清原さんが監督室に呼ばれて、「今シーズン頼むぞ、お前ら2人で盛り上げてくれよ」と言われたんです。“普通、そういうことは松井とか由伸とかのレギュラーでしょ?なんで俺だったんだろう”と思って、監督付きのマネージャーとかによくよく聞いてみると、「やっぱりベンチが盛り上げて明るくやらなきゃいけないんだ」「あの2人がチームを盛り上げてくれる」ということで呼んでくれたみたいで。本当にそうやってかわいがってもらったなと。監督を辞めて体調を崩されて車椅子で来られても、挨拶に行くとニコッとしてくれるんですよね。「元気か、頑張ってるか」という言葉をいつもかけてくれて、本当に自分だけの勝手な思いで人には言ったことはないんですけど、“第2の親父”じゃないかなと思うぐらい、かわいがってもらいました。
本当に野球以外でもすごくお世話になったなという思いがあって、今日連絡が入った時にすごくショックで…。でも、長嶋さんのリハビリ姿を見ていると、やっぱり辛いだろうなと思うところもあったので、本当に残念ですけど、ゆっくり休んでほしいなと思いますね。

──元木さんは、現役時代には長嶋監督や原監督などの監督に師事。そして対戦相手にも星野監督や野村監督など、いろんな監督がいらっしゃいましたけれども。

やっぱり昭和の時代の野球でしたよね。監督をされていた方も(現役時代)すごいプレイヤーだった人が多かったので、やっていて楽しかったです。“うわ、野村さんだ、ぼやいてるぼやいてる”とか(笑)。当然、僕らは一緒にプレーしていない、もうスターの人たちばかりだったので、野球は楽しかったと思いますね。

──2018年にU12の少年野球の世界大会の監督に就任されたというニュースを聞いて、びっくりしました。やっぱりタレントとして活躍されてるイメージがあったので、指導者になるということが意外だなと思ったんですけれども。

僕、引退してからユニフォームを着たのがその時が初めてだったんです。星野さんから(監督になれと)言われて、「やらせてください」ということで話をしていたら、その星野さんが亡くなられたので、この話はなくなったなと思っていたら、来たんです。

──そのまま、話は引き継ぎであったと。

はい。それでジャパンのユニフォームを着させてもらったんですが、当然、「背番号は77番にしてください」「星野さんの番号で」と。それを付けて世界一になって、次の年にジャイアンツに入ったので、“これは何か縁があるし、ユニフォームを着させてくれたんだな”と思ったので、ジャイアンツの方にも「77番を着させてください」ということで、77番にさせてもらったんですよね。

──そして現在、巨人は阿部監督。元木さんも阿部監督とは選手時代、そしてコーチなどいろんな立場で接してこられたと思うんですけれども、監督としての阿部さんはどう見ていらっしゃいますか?

やっぱりしっかりしているなと思いますね。考えをよく持っている。厳しい監督なので、選手は“なあなあ”にならない。いくら辛くても締まるところは締まってくるので、監督としては良い監督なんじゃないかなと思います。

──厳しすぎると逆に萎縮してしまう選手もいたりするのかなと。特にこの年代はあまり(強く)言われ慣れていないと思うので。

我々の時代とはやっぱり大違いですから。昔は、怒られて“何くそ、このやろう。黙らせてやろう”という気持ちでやっていたのが、今(あまり厳しく)言うと“うるさい”となって近寄ってこないです。話してこないので、だからうまく話をしてあげないと難しいですね。
だって今、下手したら「YouTuberの人がこうやって打てって言ってたんですよ」という選手が出てきているみたいですから(笑)。参りましたよ。
でも、YouTuberが間違っているということではないです。僕らコーチでも正解というものはないですから。野球は本人が結果を出したらそれが正解なので、ヒントになるなら別にYouTuberが言うことも取り入れていいと思うんですけど、まず現場にいて現場で見た我々が感じたことを伝えているので、まずはそれを試してくれないかと(笑)。


──一番身近にいてちゃんと見ているこちらの言葉の方が大事だぞ、というところはありますよね。

ただ、僕は人間関係は昔の方がいいと思います。やっぱり直接人と話をするので。携帯がまだなかった時代だったので、LINEとかじゃなく、目と目を合わせて話ができるじゃないですか。そうやって“人と話す”ということが今の子は少ないだろうなと。人と話せるというのは、やっぱり昔の人の方ができるんだろうなと思いますね。

──そこだけは昭和の良さを残していきたいですね。

僕もコーチもやりましたけど、やっぱり選手ってすごく敏感なんですよ。選手に思いが伝わらないと、やっぱりチームって強くならないんです。
よく「1つにならないと」って言うじゃないですか。本当に1つにならないと勝てません。

──言葉としては、「みんな1つになろう」と言いがちですけど、本当に1つになるのって大変なことですよね。

大変です。だから、僕が現役の時は、長嶋さんの時もそうですし、原さんの時もそうですし、“何とか優勝してこの人を胴上げしたい。俺たちも良い思いをしたい”という気持ちが強かったので、選手がまず1つになって、コーチ陣もその後ろでぐっと1つになってくれていたので、やっぱり強かったですよね。
駄目な時というのは、チームがバラバラになってます。僕も5年間コーチをやっていましたけど、Bクラスだった時、やっぱり駄目だったです。だから、選手たちがいろんな方向を向いているなと、まとめられなかった僕の責任でもあると思って「辞めさせてください」と言ったんですけれども。
──やっぱり戦力だけじゃなく、雰囲気もそうですし、チームとして戦術的に1つになる、正しい方向を向いているかどうかというのが重要なんですね。

一番大事ですね。みんなプロですから、技術は持っているんですよ。その気持ちが出てくるか出てこないかですから。僕らもやめてから気づくんです。選手の時って、“え?俺、クビ?”って、クビになるまでわからないんですよ。クビになってから慌てても遅いんです。だから僕も、コーチの時に、選手に「辞めたら大変だね」「今だけだね、好きなことをやって、お金をもらえる。やればやるほどお金がもらえるんでしょ?」と言っていました。

──好きな野球がね。そこに熱中すればするほど結果がついてきて、それが給料として、年俸として返ってくるわけですから。その時代って実はほんの一瞬ですよね。

この年齢になってわかる(笑)。“もうちょっとやっとけばな”って(笑)。
──さあ、この番組は毎回ゲストの方にCheer up songを伺っています。元木大介さんの心の支えになっている曲を教えてください。

DREAMS COME TRUEの「何度でも」。
高校の時ぐらいから聴いているんですけれども、僕は歌詞がすごく気になるんです。野球って、ほとんど駄目な時ばっかりじゃないですか。

──3割打てれば素晴らしいと言われていますもんね。

はい。その失敗ばかりしていた時に、落ち込んでいてもしょうがないなと思って。ドリカムさんのこの曲を1人でぼーっと聴いていたら、“いいな、これ”と思って、そこからはまっちゃったんです。何か、“立ち上がっていかなきゃいけないんだな”という。
この曲は、何かあるたびにぼーっと聴いて、ふと現役の時のことを思い出します。


来週も元木大介さんにお話を伺っていきます。お楽しみに!



今回お話を伺った元木大介さんのサイン入り色紙を、抽選で1名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、番組公式X(旧ツイッター)をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。

そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。
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