角田夏実選手は、1992年8月6日生まれ、千葉県のご出身。
小学2年生の頃からお父様の影響で柔道を始め、八千代高を経て東京学芸大に進学。
大学で寝技の技術に磨きをかけると、2013年の学生体重別選手権で自身初の全国優勝を果たします。
了徳寺大学(現・SBC湘南美容クリニック)に進み、2016年のグランドスラム東京大会で優勝。
2019年に52キロ級から48キロ級に階級を変更。
2021年の世界選手権から日本の女子選手として史上3人目となる3連覇を達成。
2024年、パリオリンピックで金メダルを獲得していらっしゃいます。
──角田選手はパリオリンピックの女子柔道48キロ級で金メダルを獲得されました。この番組でもオリンピック開幕直前に柔道日本女子では歴代最年長のオリンピックデビュー選手としてご紹介しましたけれども、やっぱりオリンピックまでの道のりというのは長かったですか?
そうですね。やっぱり何度も諦めようと思っていたので、本当に長い道のりでしたね。
──あまり年齢のことにこだわって紹介されるのは気持ちの良いものではないのかなとも思いますけれども…。
でも、いくつになっても“やろう”と思って目指していたら、頑張っていたら叶うんだなということは感じたので、逆に年齢を言われるのは嫌ではなくて、諦めないで皆さんにいろいろ挑戦してほしいなという気持ちになりました。
──やっぱり、角田選手の中で大きかったのはカテゴリーの変更なのかなと思うんですけれども、かなり大きな決断だったのではないですか?
そうですね。柔道だと、階級変更というのは本当にかなり勇気のいることなんです。52キロ級から48キロ級というところだったので、それこそあの年齢で階級を下げる、減量をこれからしなきゃいけないということで、自分の中で本当に挑戦していいのかなという気持ちはありました。
──階級を変えようと思った時に、上げようではなくやっぱり下げようと思った?
そうですね。52キロ級の時は、普段の体重、いつもの体重と同じぐらいだったのであまり減量がなかったんですが、上げるとなるとやっぱり体重を増やさなきゃいけないというところで、それだったらちょっと絞ってみようかな、という気持ちになったので。
──とはいえ、52キロと48キロでは4キロも違うわけですよね。やっぱりそこに合わせていくというのは簡単なことではなかったんじゃないですか?
そうですね。私の中で“50キロの壁”というものがあって、50キロを切るのが本当にきつくて、“あと最後の2キロ”というところが、もうちょっと“体に悪いな”と感じていました。
──転向した時はやっぱりきついと思いますけれども、経験がなせる技で、だんだん48キロへの落とし方というのがわかってくるんですか?それとも、何回やっても50キロの壁というのはあるんだなと感じるものなんでしょうか。
何回やっても、どういう減量の仕方が正解かということはいつもわからなくて、“これで試合ができるのかな”と思いながら試合に臨むんですけど、でもやればやるほど、だんだん“毎回こんな感じだから、多分、計量後は復活できるな”とか、ちょっとずつ安心感は感じながら挑んでいますね。
──50キロの壁があるのに、そこからあと2キロはどうやって落とすんですか?
最後の方は水抜きもしながらやっていくので、もう本当に耐える、忍耐ですね。
──52キロ級で戦っていた時と48キロで戦っていた時とでは、やっぱり体の状態や動きが違ったりするものなんですか?
そうですね。やっぱり相手も小さくなるので、その辺で少し柔道勘が変わったり、自分自身も体が軽くなってしまうので、ちょっとパワーが落ちたりということがあるので、できるだけ減量の期間を短くして、試合の日にはいつもの体重に戻した状態で臨めるようにしていくんです。だからめちゃくちゃパワー選手と言われていましたね(笑)。
──計量は前日計量ではないということですか?
前日に計量するので、1日で5キロぐらい戻っています(笑)。
──5キロも!そうなってくると、48キロ級ではメリットもある。
はい、そうですね。しっかりパワーのある選手として戦えるのでメリットはあるんですけど、それを失敗してしまうと体調を崩したりする選手もいるので、本当に賭けですね。
──48キロ級ならではの相手のスピードやすばしっこさみたいなものも感じたりはしましたか?
最初は慣れなかったです。やっぱり(相手は)動きも速いですし身長も低いので、技に入りづらかったりということもあって、そこに合わせるのに時間はかかりました。
──でも48キロ級に転向されてからも順調に快進撃を続けて、そしてパリオリンピックでも圧倒的な強さで金メダルでしたよね。
ありがとうございます。本当に1つ1つの試合を、“これが引退試合になるかもしれない”という覚悟を持って、“負けたら私の柔道人生はここで終わりだ”という気持ちで挑んでいました。
──パリオリンピックで角田選手が獲得された金メダルは、日本の夏季オリンピック通算500個目のメダルというメモリアルな金メダルとなりました。
試合前とかにけっこう言われたんですけど、それで緊張しちゃうので、試合前は聞かないふりをして聞き流していましたね(笑)。
──でも、いざ獲ってみたら、やっぱり500個目というのは嬉しいものなんじゃないですか?
嬉しかったですね。本当にすごく良いタイミングで獲らせていただいたなと思っています。前はそれが少しプレッシャーになっていたんですけど、終わってから考えてみると、そのことで逆に頑張れたのかなというところもあったので、良かったです。
──柔道は軽量級から1人ずつ競技が始まるということで、初日を戦うわけじゃないですか。団体戦ではないですけれども、やっぱり日の丸を背負ったチームとしてプレッシャーもあったのではないですか?
そうですね。やっぱり初日にこけちゃうと後ろに響くということは言われていたので、“何としても勝ちたい”という気持ちはありました。
──長年夢見てきたオリンピックの舞台にいざ立ってみて、どうですか?
やっぱり他の大会とは全く違って、1人で戦っているという感じではなく、本当に“皆さんに支えられてみんなで戦いに行く”という感じで試合ができましたね。
──どのあたりで優勝は見えてきたんですか?
いやもう、決勝が終わった後にやっと“あれ?これで試合が終わりなのかな、優勝したのかな”という感じでしたね。
──逆に、あまりすぐ実感があったわけじゃなく、1試合1試合負けられない試合、緊張感の中戦い続けていった結果、という感じだった。
はい。決勝が終わった後に、“あれ、もう試合をしなくていいのかな”という感じでしたね(笑)。
──この48キロ級の金メダルが、2004年のアテネオリンピック、谷亮子さん以来20年ぶり。柔道は日本のお家芸ですし、軽量級はやっぱり強いというイメージがあったんですが、48キロ級では久しく金メダルは獲れていなかったんですね。
そうですね。意外と獲れていなかったんだなと。今まで強い選手、先輩方をずっと見ていて、練習をさせていただいた時とかもすごく強いなという印象があったので、その選手でも勝てなかったんだ、ということを感じました。
──実際に世界の選手と戦う時と日本国内で戦う時というのは、手応えというか厳しさは違うんですか?
日本で戦う時の柔道スタイルと海外で戦う時の柔道スタイルは、私の中でちょっと変えているんです。研究の仕方も違うんですけど、日本の選手が相手の場合、本当にお互いを知り尽くしているので、“どこで自分のカードを出すか”という駆け引きがあったりするんですが、海外の選手はまず最初から全力で戦いに来るので、出だしで足元をすくわれないようにしなきゃいけないとか、本当にパワーも全然違ったりするので、その辺の戦い方は変えていきますね。
──角田選手といえば、代名詞といいますか、巴投げもすごいじゃないですか。ある意味、自分を捨て身にして投げる。相手も角田選手が巴投げが得意だとわかっている中で投げるコツというのは何かあるんですか?
私は引き込みの寝技が元々得意なんです。それが、大学の時に出会った柔術から関節技などを鍛えることができて、引き込みに対しての、捨て身に対しての不安がなくなったので、思いっ切り巴投げに入れるというところはあります。あと、巴投げを失敗しても寝技で勝てばいいというところがあったので、組み合わせがすごく良くて、どちらも成長していったというのはあります。
──そして角田選手は今年4月、皇后杯全日本女子柔道選手権大会に無差別級で出場し、1回戦では90キロ級の選手に判定勝ち。2回戦では、76キロ級の選手に巴投げで有効を取り優勢勝ち。そして3回戦で70キロ級の選手に敗れています。なぜ無差別級に挑戦しようと思われたんでしょうか?
海外では無差別級の大会はないんですね。この大会は、日本だけの、本当に日本一を決める大会だなと思っていたところに、私自身、オリンピックで金メダルを獲った後に、何かもうちょっと挑戦したいな、自分の強さがどこまで通用できるのかなという気持ちもあって、挑戦してみたくなりました。
──ただ、体重別でカテゴライズしているということは、体重差というものがかなり大きなウエイトを占めるわけじゃないですか。実際に挑戦されて、重さ、体重というものを感じたんじゃないですか?
めちゃくちゃ感じて、“なぜ体重で階級が別になっているのか”ということがよくわかった気がしましたね(笑)。
──でも、普段練習をする時は、同じ体重じゃなくいろんな体重の方と練習する機会はあるんですよね。
ありますね。あるんですけど、向こうも試合じゃないのでちょっと気を使ってくれたり、あとは3階級ぐらいまで上の方とやることが多くて、70キロぐらいの人とやることはあまりなかったですね。
──戦ってみてどうでしたか?
練習でやっていた時と全然違って、向こうも本当に勝負しに来ているので、持った手を振り払われた時とかは、“腕が取れる!”みたいな(笑)、それぐらいパワーの差を感じちゃいました。
──そんなにパワーが違うんですね。これから柔道で挑戦してみたいことはありますか?
やっぱり、柔道をこれだけやってきて、今の環境に感謝しているので、できるだけいろんな人に柔道してもらいたいと思っています。そこまで競技を続けて欲しいわけではなくて、やっぱり柔道をすることで体を守ることができたり精神が成長したりするので、最初に柔道というものを取り入れて、子供のうちからマット運動の感覚で柔道をしてもらって、受身というのはいつになっても身に付いたら忘れないですし、そういった部分で広めていきたいなという気持ちはあります。
──競技としての柔道じゃなく、より人生を豊かに安全に過ごすために柔道を習う人が増えるといいなと。
そうですね。本当にそう思っていて、そこから“もっと極めたい”とか“強くなりたい”という方はもうどっぷり柔道をやってもらって、と思いますね。
──でも、角田選手はいろんな発信をされていますから、角田選手を通じて柔道を好きになる、知るという人は多いんじゃないでしょうか。
それが今私にできることかなと思って頑張っています。
──さあ、この番組は毎回ゲストの方にcheer up songを伺っています。角田選手の心の支えになっている曲を教えてください。
私はサンボマスターさんの「できっこないを やらなくちゃ」です。
怪我をして“もう駄目かもしれない”と思った時に、本当にたまたまこの曲がちょうど流れてきたんですね。何か、“やらなきゃ駄目なんだな、諦めていたらそこで終わりか、それをやって先に進めるんだな”ということを感じて、怪我をしてめちゃくちゃ落ち込んでいる時に涙が出てきたというか…そこから辛い時はこれを聴いて自分を奮い立たせていました。
来週も角田夏実選手にお話を伺っていきます。お楽しみに!
今回お話を伺った角田夏実選手のサイン入り色紙を、抽選で1名の方にプレゼントします。ご希望の方は、番組公式X(旧ツイッター)をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。放送できなかったトークが盛りだくさん! ぜひお聴きください!