髙木美帆さんは1994年、北海道のご出身。
5歳からスケートを始め、2010年冬のオリンピック・バンクーバー大会でスピードスケート史上最年少の15歳で日本代表に初選出。
2014年ソチ大会では代表権を逃しますが、2018年平昌大会では、女子団体パシュートで金メダル、1500mで銀メダル、1,000mで銅メダルを獲得。
2022年北京大会では主将を務め、個人種目では初となる1000mの金メダルを含む、4つのメダルを獲得。
ミラノ・コルティナ大会まで、金メダルをはじめ、通算10個のメダルを獲得し、2026年3月に現役を引退されています。
そして、髙木美帆さんの誕生日5月22日、政府は国民栄誉書を授与する方向で検討に入ったことを発表しました。
──26年の競技人生、お疲れ様でした。振り返ってみてどうでしたか?
今、改めて振り返ってみて、本当にいろんなことがあったなとは思うんですけれど、間違いなくたくさんの方々に支えられて、いろんな助言や道しるべを示していただけたからこそここまで来れたんだなと感じています。
──振り返ってみるととてつもない長い道のりだったと思いますが、でも終わってみるとあっという間という感じもあるのかもしれませんね。
そうですね、あっという間でしたね。確かに大変なことはたくさんあったんですけれど、それでも今は一瞬のことのように感じます。
──そして集大成となったミラノ・コルティナオリンピック。美帆さんにとってどのような位置づけで臨んだ大会でしたか?
私の中では“このオリンピックを最後にしよう”みたいなことは全然考えていなかったんです。というのも、毎回、毎オリンピック、“私はここでスケートを辞めるんだ”という気持ちで挑まなければいけないと思っていたので。
──むしろ、毎回毎回、最後だと思って挑んでいた?
はい。ミラノだけが特別とか集大成ということではなく、ある意味“いつもと変わらないオリンピック”みたいな気持ちで挑んでいたところはありますね。
──そのミラノ・コルティナオリンピックでメダルを3つ獲得されました。同じメダルでしたけれども、それぞれのメダルの意味は変わってきているのではないですか?
そうですね。同じ色のメダルを複数獲るのは北京の時にも経験しているんですけど、やっぱりそれぞれの種目で自分の感じる気持ちは違うなと思いましたし、今回も同じように感じましたね。
──パシュートとかは団体ということもありますし、個人種目ではないということで、チームとしての悔しさも当然あったでしょうし。
チームパシュートの方は、個人種目とは違ってトーナメント戦で対相手に勝たないといけないという中で、今まで過去2大会好成績を残してきたメンバーではない選手たちと初めて挑むオリンピックということで、また違った緊張感や責任感みたいなものはありましたね。
──パシュートのルールというか、もう選手交代はなくなったんですね。
トレンドとしてはそうですね。1回のレースで先頭交代をしない方が速く滑れるというトレンドは強く出てきましたね。
北京オリンピックあたりから出てはいたんですけど。
──ずっと美帆さんが引っ張るということで、ぶっちゃけ辛いんじゃないかと(笑)。交代していた時と比べて負担は違いますか?
そうですね。交代していた時より負担は大きいなと感じることは多かったです。
でも、チームパシュートは6周滑るんですけど、自分の中で、その6周を先頭で引っ張り続ける中で変えていかなければいけないポイントがあったんですが、なかなかそこに到達することができなかったので、結構苦戦していたところはありました。
それでも、最後の方、それこそオリンピックの準決勝ですね。近差でオランダに負けてしまったんですけど、それでも、多分、過去のチームパシュートのレースの中では一番良いスケーティングができたんじゃないかなと思っています。
──ご自身のポイントがあるということですね。
でも、技術というより自分のメンタリティの部分も大きくて。“6周先頭を引っ張るのだから、自分が頑張らなきゃ”と強く思っていたんですけれど、実はそうではなくて、“私にできることは限られているから、後ろを押してくれる人たちを信じる、任せるところは任せて自分のやるべきことだけに集中する”ということができた時に、ラップタイムがフラットになったりしたんです。
“自分がやらなきゃ、全部私がやらなきゃ”と思っていると、最初スピードは出るけれど、だんだん落ちていってしまう。最後はもうどうしようもなくなってしまうというレースも何本かあったので、そういうところはありますね。
──そして、最後の舞台、オリンピックの舞台は1500mでした。スタートラインにはどんな気持ちで立たれていましたか。
“あとは行くだけだ”みたいな、すっきりした気持ちで立てていたとは思います。
──観ていて、“守りじゃなく攻めの滑りだな”とすごく感動したんですけれども。
ありがとうございます(笑)。
難しいところですね。その1500mは、私の中では“攻めれば良いというわけではない”と思っていたんです。“自分が最速のタイムで1500mのゴールラインを切るために、どこまで攻めたらベストなのか”というところを見定めて、作戦を組み立てて実行していくのがスペシャリストだと思っていたので、攻めたことに後悔はないんですけれど、自分の実力不足だったと感じるところもあるレースではありました。
でも、過去2大会は攻めきれずに終わってしまっていたことに対してすごく後悔の思いを抱いていたので、そこだけは超えていけたのかなとは思っています。
──やっぱり1000mと500m、そしてパシュートで先頭で引っ張った疲労の蓄積みたいなものもありましたか?
私が効率の良いスケーティングや本来武器にしているものを実行できていれば逆に疲労がプラスに働くことも多いので、“1500mの前に3本のレースに出たからあの結果になった”というよりは、“私の実力が届かなかった”というところに尽きるのかなと思っています。
なので、“レースに出なければよかったのかな”とか“あんなに自分が先頭を引っ張ると言わなければよかったのかな”ということは思っていないんです。逆に、あの3種目に出たことで、スタートライン立つ時に“どうしよう、このままじゃ行けない”という不安ではなく、“あとは行くだけだ”と思えたので。
──最後のオリンピックの競技を終えた瞬間は、率直にどんなお気持ちだったんですか?
1500mを終えた後は、“自分のオリンピックはこれで終わったんだ”というよりは、“この6位という結果、金メダルが獲れなかったという結果が自分の今の実力なんだな”ということを考えた記憶はありますね。うまく言語化できていないんですけど…。
──ちょっと悔しさも残るような?
そうですね。ただ、その悔しさを振り返った時に、悔しさを直視できなかった部分もあったんです。
それまではどのレースが終わっても次のレースがあったので、3位だった1000mに対して、あまり深く自分の中で反省点を挙げたり自分を責めたりしていると気持ちが持たないということもありますし、次に切り替えて改善できるところはどこかを考えてやっていったんですけど、1500mが終わった後は、オリンピックが終わってそれをする必要もなかったというところも含め、自分の溢れ出そうな感情にいったん蓋をしたところがあったんです。
なので、“当時どういう気持ちを感じたか”という話になると、蓋をした分あまり出てきているものがないので、思い出すのが難しかったりもするんですよね。
──レースが終わった後にリンクに向かって一礼されていましたけれども、その時は何を考えていらっしゃいましたか?
何か言葉にできるような想いではなかったというところはあります。
あの日は家族も会場まで応援に来てくれていたんですけど、ここまで来てくれた人や、画面越しで応援してくださった方々、あとはコーチ、スタッフ、仲間たちと共に滑るオリンピックが最後だったので、もしこの先私の気持ちが変わってスケートを続けたいと思ったとしても、このミラノのリンクで滑ることは(オリンピックのための特設リンクということもあり)ないので、“この場所での私のオリンピックは終わったんだ”という気持ちがあって、それに対する一礼という感じでしたね。
──本当にいろんな想い、感情が入り混じった中での一礼だったわけですね。そして、オリンピックの前に、お姉さまの菜那さんがこの番組に出演してくださいまして、美帆さんのオリンピックへの応援のお話などもお聞きしました。解説者としてオリンピックに携わるということで、その話を大会前に聞かれた時はどう思いましたか?
何も思わなかったんです(笑)。
それまでの国内の大会でも解説していたので、私の中では(オリンピックでも解説を)するものだと思っていて、そこに対して疑いもしていなかったので、“そうだよね、オリンピックの解説をするってすごいことだよね”と時差で感じたところはあるんですけど、でも姉自身から“オリンピックやスピードスケートを盛り上げたい”という気持ちをずっと感じていたので、“スケーターとして”というよりは妹として“頑張れ!”という気持ちでいたことは覚えています。
ただ、アスリートとしては、やっぱり姉の解説を聞くのはやや気恥ずかしいところがあるので、今まであまりちゃんと聞いたことがないんですよ(笑)。“何言われてるのかあんまり聞きたくないな”みたいな(笑)。
──(笑)。でも、実際に会場にお姉さまがいらっしゃるというのはちょっと心強い部分もあったのではないですか?
そうですね。やっぱり姉の存在というのは、私の中ですごく当たり前として在る、ずっと身内、家族として居る存在なんです。なので、そこに居ることに対して強く安心感を感じることはあまりないんですけど、言われてみたら、確かに(無意識に)安心感を持っているところはあるなとは思います。
それとはまた別に、姉が後から(ミラノに)入るということで、私がもしオリンピック会場やオリンピック選手村に入るのに必要なもの、オリンピックを過ごす上で必要なものを国内から忘れていったとしても、どうにか持ってきてもらえるぞ、利用できるぞ、という(笑)。
でもこれには特別な理由があって、オリンピックのことを熟知していて、私の数少ない情報の中で必要なものをピックアップして持ってきてもらえるのは、家族でも姉にしかできないことなので。そして私たち選手はちょっと早めにヨーロッパに入っていたので、準備期間とかも少ない中で、そういうところで頼りにしていた部分はありましたね(笑)。
──さあ、この番組では毎回ゲストの方にCheer up songを伺っています。髙木美帆さんの心の支えになっている曲を教えてください。
フロー・ライダーさんの「Whistle」です。
──こちらの曲はどういうきっかけで知ったんですか?
私は昔ダンスをやっていたんですけど、その頃に兄がよくCDを借りてきていて、その中の1曲だったんです。
ずっと私の耳に残っている1曲で、そんなにしょっちゅう聴いているわけではなかったんですけど、ふとオリンピック期間中にこの曲が流れてきて、何か気持ちが上がるなと思ったので、その期間に聴いていることが多かったんです。
──昔踊っていた曲だったら、ついつい踊りだしちゃうんじゃないですか?
さすがに恥ずかしいところもあったので、もしかしたらちょっと首だけ動かしちゃうぐらいは動いていたかもしれないですね(笑)。
来週も髙木美帆さんにお話を伺っていきます。お楽しみに!
今回お話を伺った髙木美帆さんのサイン色紙を1名のリスナーにプレゼントします。ご希望の方は、番組公式Xをフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。また、新たにポッドキャストのコンテンツとして始まった『SPORTS BEAT supported by TOYOTA Mixed Zone』。こちらは、radikoなどの各種ポッドキャストサービスでお楽しみいただけます。聴き方など詳しくはTOKYO FMのトップページをチェックして、そちらも是非、お聴きください!