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2022.09.17

パラリンピックはずっと戦い続けたい最高の場所

今週の「SPORTS BEAT」は、日本人初のプロ車いすランナー、廣道純選手をゲストにお迎えしました。
廣道純(ひろみち・じゅん)選手は、大阪府出身の48歳。
高校1年生の時に、バイクの事故で半身不随に。
その後、車いすレースの世界に進むと、陸上800メートルでは、2000年シドニーパラリンピックで銀メダル、アテネパラリンピックでは銅メダル、北京パラリンピックでは8位入賞、ロンドンパラリンピックでは6位入賞と、4大会連続入賞の偉業を達成。
日本人初のプロ車いすランナーとして、レース以外にも、競技の普及活動など、幅広く活躍されています。

今回は、高見さんによるインタビューをお届けしていきました。


──廣道選手は、現在「スポーツ・オブ・ハート」という団体の名誉理事をされているそうですが、どのような取り組みなんでしょうか?

僕自身パラリンピアンとしてずっと活動してきているんですけれども、それまで「パラリンピアン」という存在の認知度が低くて、パラリンピックそのものもまだそこまで知られていなかったんです。それで、2012年のロンドンパラリンピックの前、東京パラリンピックが決まるかどうかという時に、「もっとパラリンピックを知ってほしい、パラリンピアンのことも知ってほしい」「パラスポーツをみんなに見てもらえるイベントを作ろう」ということで立ち上がったのが最初ですね。

──今年も10月22日にイベントが開催決定ということで。

はい。大分と東京で。東京は、東京タワーで開催する予定となっております。大分では、シドニーオリンピックのマラソンの金メダリスト・高橋尚子さんが来てくれます。
高橋さんは第1回目からずっと応援団長として来てくれていて、みんなと一緒に陸上教室で走ってくれたり、あと、車いすとか視覚障害者のランナーに子供や一般の大人も混じり、そこに芸能人や現役アスリート、元オリンピック選手などが加わって、1つのチームとしてタスキをつないでいく「ノーマライズ駅伝」というメインイベントがあるんですが、そのMCを、高橋尚子さんがやってくれます。

──豪華ですね!

そうですね。パラスポーツのイベントをパラスポーツの選手たちだけで行っても、正直言うと、人は集まらない。誰も見てくれない。だから、いろんな有名な人たち、力のある人たちに来てもらって、一緒に盛り上げよう!という感じですね。

──実際に、パラスポーツの体験などもできる。

そうですね。いろんな体験をしてもらって、“特殊なスポーツ”ということではなく、みんなが身近に感じられる、「俺もできれば出来るやん」って思ってくれるような、そんなパラスポーツになってほしいなと思いますね。

──そして、プロ車いすランナーの廣道選手ですが、過去には、選手としてステップアップするために、当時の車いすマラソン世界記録保持者であったジム・クナーブさんの元に、アポなしで弟子入り志願をしたと。

行きました。陸上をやりだして、(その頃には)だいぶ、日本の中では上位に入るようにはなってきていたんですよ。でもずっとトップの選手には勝てなくて、“この強い選手に勝つためにどうしたらいいんやろう?”ということを考えた時に、“日本のトップ選手よりもさらに強い世界チャンピオンと一緒に練習すれば、日本チャンピオンを追い越せるかも”という安易な考えで(笑)。まあ、普通は行かないですよね(笑)。
でも、“人生は1回しかないし、バイク事故で死んでいたはずの人間が命拾いして、今、こんなに楽しい陸上競技と出会えて、楽しんでいる。せっかく1回しかない人生で助かったんやから、これは行かなあかんぞ”と思って、アメリカまで(ジム・クナーブさんに会いに)行って、「弟子にしてくれ!」と言わんばかりに、「プリーズティーチミー!」 って言ったんです(笑)。英語なんか出来へんから、もうそれだけですよ。「は?」っていう顔をされながら…でも、本心はわからないですけど、名刺をくれて、「日本に帰ったら電話してこい」と。電話番号を指差しながら「Call me in English」って言ってるんですよ。それだけ聞き取れて、“英語で電話してこいと言うてる。これは行かな!”と思って、帰国後すぐに英会話の学校へ行って、英語の勉強をして、ちょっとずつ覚えたての英語を使って国際電話をかけていました。そこからFAXで練習内容が届いたり、家に招待してもらったり、ホームステイもさせてもらいました。

──では、ジムさんに出会って、プロというものを目指そうというお気持ちになったんですか?

そこで初めてプロの車いすランナーという存在を知り、最初、“アメリカに行けばプロになれる”と安易に思ったわけですよ。「俺もアメリカに住みたい、プロになりたい」と言ったら、「違う」と。「俺たちアメリカ人も、10年前はプロの世界はなかった。俺たちが作ったんだ。お前もプロになりたいんだったら、日本に帰って作ればいい」「自分がレースで結果を出して、スポンサーに売り込みに行け。それでアプローチをして、賞金が出るレースを作れ」と。そんなことは誰かがやってくれて、プロの組織があるから頑張ってプロになろうって考えるのが普通なのに、「ないものは自分で作れ」って言われたんですよね。

──営業もお1人で?

そうです。もう全部売り込みに行って、門前払いが当たり前でした。「障害者スポーツ=スポーツじゃない」みたいな、リハビリとしてしか見られていなかった時代でもありましたし。だからアスリートとして扱ってくれないところがほとんどだった中で、ちょっとずつ応援してくれるようになっていって、気づいたら「もうこれでやっていける」という感じになりましたね。

──それで、2004年に、日本人初の車いすランナーになったと。そこまでおよそ10年、色々苦労された点もあったと思いますけれども、ジムさんに言われた言葉はやっぱり大きかったですか?

アトランタパラリンピックに落選した時に、めちゃくちゃ落ち込んで、くよくよくよくよして、(ジムさんに)「せっかく色々教えてくれたのに落ちてしまった」という連絡をしたら、「終わったことは気にするな。次を狙えばいいじゃないか」と言われたんです。
自分が教えて「頑張れよ」って言っていた選手が結果を出せんかったら、「お前何やってんねん」って言うのが普通やのに、それを言わずに「次狙えばいいじゃないか。頑張れよ」って言ってくれたことで、“シドニーは絶対に行こう!”と強く誓ったし、“シドニーに行って恩返ししよう。ジムのおかげでシドニーに出れたということをみんなに伝えよう!”と思い続けたら、4年後シドニーのパラリンピックにちゃんと出れたという。それも大きかったですね。

──そして、そのシドニーでは銀メダル。この結果については廣道選手はどう感じられましたか?

“アトランタで落選しているから、絶対に文句なしで選ばれる。選ばれて金メダルを獲ってやる”っていう強い思いがあったけども、結果、銀で終わった。その時はめちゃくちゃ悔しくて、ガッツポーズが出ずに、メダルを獲ったのに「くそ!」って言ってゴールしてるんですよ。
でも、後々、そこからずっと今まで辞めずに走り続けているのって、結局、あの時の銀メダルがずっと影響していて、もしあそこで金メダルを獲れていたらもっと早くに辞めてしまっていた可能性があったなと。
(金メダルを獲るつもりでいたのに)銀メダルやった。それもレース中に、“メダルが獲れる”って確信して走っていたのに、ポジション取りの中で抜かれて4番手に落ちたところがあったんですよ。その4番手に落ちた瞬間、金メダルを狙っていたのに“銅メダルでいいや”って一瞬頭によぎったんです。その後、まだ(金メダルに)手が届きそうやったから、もういっぺん抜きに行って、銀メダルという形になった。
“最初から(最後までずっと)金を狙い続けてたら(金メダルを)獲れたかもわからんのに、俺は何で途中で銅メダルでいいって目標を変えてしまったんやろう”と。その後悔と反省がずっとあって、“どんなことも諦めずに、最後まで、ゴールまで絶対に諦めずにいかなあかん”と強く思ったんです。
だから、今48歳ですが、まだ死んでいないので、走り続けなあかんな、というのが続いているのかなと思いますね。

──改めて、4大会連続でパラリンピック出場を果たされていますけれども、パラリンピックはどういった舞台なんでしょうか。

多い時は年間30試合とか、今でも15試合とかずっと走り続けて、いろんな所で大会をやってるんですけど、やっぱり、「4年に1回しかない」という大会。「ここでミスしたらリベンジは4年後にしかできない」という重み。観客がいるとかいないとか関係なく、そこに世界のトップ選手が合わせてきた時のその“迫力”というか、その中で一緒に自分が戦える“達成感”というか…あの心地は本当に最高の気分ですね。
だからやっぱり、できることならずっとそこの場にいたい。出れるものならずっとあの場で戦い続けたいと思わせてくれるような、そんな最高の場所。他の大会では味わえない場所ですね。

──そして、この番組ではゲストの方にcheer up songを伺っています。廣道選手の心の支えになっている曲を教えてください。

朝からこんな熱い話をさせていただきましたが、なぜこんなに熱いのかと言うと、長渕剛さんの大ファンなんですね(笑)。

──廣道選手の趣味のところに「長渕さんの曲を聴いたり弾いたり歌ったり」と書いてありますね(笑)。

そうですね。ギターもやったりしてますし、ずっと追いかけ続けている大師匠でもありますね。
小学校3年からドラマを見て好きになり、怪我をした時もずっとベッドで聴いていましたし、その後、レースである程度結果が出るようになって、実際に剛さんにお会いして、コンサートの時に楽屋挨拶とかも行かせてもらって、交流を持たせてもらっているので、もう本当にパワーをもらってます。

──そんな長渕さんの曲ですが、たくさんある中で、cheer up songはどの曲でしょうか?

「明日へ向かって」です。これはライブでもほぼ毎回やる曲なんですけれども、パワーが湧いてきて、前へ前へ突き進む、そんな曲です。



今回お話を伺った廣道純選手のサイン入り色紙を、抽選で1名の方にプレゼントします。 ご希望の方は、番組公式ツイッターをフォローして指定のツイートをリツイートしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。

そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。
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