「三万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の後日談。きょうでラストとなります。
今週も、3万年前の人類が切り開いたルートをたどる大冒険を終えた、国立科学博物館の海部陽介さん、そして丸木舟キャプテン・原康司さんをスタジオにお迎えしています。

台湾から与那国島まで、およそ225キロ。かかった時間、45時間10分。
3万年前の私たちの祖先と、同じルート、同じ方法で、与那国島にたどり着いた原さん、それを見守った海部さんは、あの瞬間、どんなことを感じたのでしょうか。
そして、準備期間などもいれると、6年間にわたる実験を終え、「謎」はすべて解き明かせたのでしょうか。

〜ついに到着されたときは何を感じましたか?)
原:お尻が痛い(笑)もう座らんでいいんだなと思いました。ようやく立ち上がれたなと。

海部:僕が一番感動したのは島が見えた瞬間ですね。与那国島は海の上から見るというのは何度かあるんですが、あんなに感動した事はないですよやっぱり。自分たちの力でやってきて、その末に、島が見えたというのはもうたまらなかったですね。今までは黒潮にずっと跳ね返されてきましたから、乗り越えたことがなかったんですね。それを今回、黒潮を超え、次に島を探すということを初めてやったんですよね。これはとっても難しかったんですけれども、それがあって最後に島を見せてもらって。本当に感動だったですね。
 ただひとつだけ僕らと30,000年前の違いというのがあります。結局僕たちは地図を見ちゃっているし、海流の流れのパターンも知識としてちょっとあるんですね。それが全くない昔の人たちは地図を持っていない人たちなので、多分見方が違うんだと思うんですね。それをどうやってやったのかというのはちょっとわからない部分があります。そこは僕の頭の中ではまだ謎なんです。30,000年前の人たちがあの状況をどうやって解決したのか。ただ、それはそうなんだけど、海の上でああいう風にしないと渡れないということが見えた。ある意味これがプロジェクトの目的だったんです。漕ぎ手たちが誰が何番目に座るのかとか、休憩をどういう風にするのか、トイレをどうするのか、そういうことを考えるのも全部プロジェクトの目的だったんです。だから、をやったことがある人にはやって欲しくなかったんです。祖先たちは初めて行くので、「初めて行く」というのはどういうことなのかが知りたかった。そのすべての思考錯誤に意味がありました。


〜原さんは海に入るときは、見えない島を目指した30,000年前の人の気持ちは分かりましたか?
原:それは僕もずっと謎だったんだけど、僕なりの謎は解けたんです。それは何かというと、今回プレッシャーの中で地図もコンパスもなしで到達したんですが、到達した瞬間に今までに感じたことのない喜びが爆発したんですね。それが、僕がまた行きたいと思ってるのはそういう理由で、この喜びをまた体験したい、経験したい。人間の持っている、人類の持っている幸福感というのはこんなにすごいものなんだというのは、初めてわかったんです。今回のように何も持たない状況で海、空、そういったものに集中して、一体化している状態の中で何かを成し遂げるという事は、そんなにも幸福感が出てくる。だから人間は自然の中に入ろうとするし、自然が好きなんだと思います。だから人間は海を渡ろうとしたんだし、渡り続けているんだろうなと僕は思います。


〜その感覚って本当に渡った人じゃないとわからないですよね。
海部:わからないですね。そもそもこんなこと、漕いで海を渡れないでしょうとたくさん言われてたんです。だけど僕らは祖先たちがやっているのはわかっているので、やれないわけはないと思っている。では何が違うのかというと、技術が原始的で、船は当時の最先端といっても原始的な船です。でもなんでそこにいけるかというと、人間がカバーしているんだと思うんですね。僕らは道具に依存しようとしている。道具が解決してくれるだろうと。だけど道具が大したことがなくても、人間がそこまでできてしまうというのが、この30,000年前の世界の面白さだと思っています。まさに原さんはそれを体験したんだと思うんですね。

原:もうね、最高の喜びですよ。だからこの先に行きたいです。謎はこの先ですから。与那国でしょ、次が西表、石垣、その先に宮古島、そこからなんですよ。宮古島から沖縄本島の230キロ。見えません。今回は黒潮をうまく利用したんですが、沖縄本島へは漕がないといけない。これは面白いですよ。

海部:与那国島は台湾の山から発見できるんですよ。だけど宮古島から沖縄というのは、山を登っても見えない。向こうに島があるというのがわからないんです。でも両方に人がいるんです。これはある意味最大の謎なんですね。



国立科学博物館の海部陽介さん、そして丸木舟キャプテン・原康司さんのインタビュー、いかがだったでしょうか。ポッドキャストでもお二人のインタビュー詳しくご紹介していますので、こちらもぜひお聞きください!

海部さんは講談社から、本を出すことになったそうです。2月12日発売「サピエンス日本上陸 〜3万年前の大航海」興味のある方、ぜひチェックしてみてください!

【今週の番組内でのオンエア曲】
・Juice / Lizzo
・春の歌 / ウカスカジー

今週も、「三万年前の航海 徹底再現プロジェクト」で実験を成功させた当事者お2人のインタビューです。国立科学博物館の海部陽介さん、そして船の漕ぎ手キャプテン 原康司さん。
およそ3万年前の私たちの祖先がやったのと同じように台湾から、3万年前の技術だけで船を作り、与那国島まで渡りきるという壮大な実験を、お2人それぞれの視点で語っていただきます。
プロジェクトの総仕上げが行われたのは、去年7月。5人のメンバーを乗せた丸木舟は、台湾を出港し、3万年前に私たちの先祖がたどったルートで、与那国島を目指しました。
ただ・・・初日から強い北風にあおられ、しかも曇り空のせいで目印になる島や夜の星が見えない! 出だしから、そんな試練が襲ったといいます。
メンバーはみな、経験豊富なカヤック乗り。といえど、コンパスもGPSも無い丸木舟の航海は、たいへん厳しいものでした。漕ぎ手キャプテン原さんはこう振り返ります。


原: 本当は2日目の日没までに島を見つけたかったんです。明るいうちに見つけて、大体の方向を確かめて、夜に入りたいというのがあったんですけども、残念ながら見つけられなかったんですね。というのも、その日、黒潮がそんなにスピードが速くなかったんですよ。それで北に流された距離が予想より短く、予想よりはまだ南にとどまっていた。それで目視で探しても見えない位置にいて、のまま夜に突入してしまった。


海部:与那国島の場合は半径50キロ圏内に入らないと見えないんですね。島が小さくて低くて、地球が丸いので近づかないと見えないわけですよ。それが50キロですね。でもそれは天候が良ければの話です。視界の悪い日だったので50キロ圏内に入っても見えないような状況だったのですが、その時は2日目の夕方、まだ50キロ圏内にも入っていなかった。ただし漕ぎ手たちにそのことはわからないわけです。海の上で自分たちがどこにいるか、伴走船のほうは知っているんですが、僕らはそれを絶対に言わないルールですから、漕ぎ手たちは自分たちで島を見つけなければいけない。そういう航海なんですよね。その中で何をどう判断するかというところにキャプテンに重圧がかかってくるわけですね。

原:闇雲に漕いでいるわけではなくて、常に頭の中に地図があるわけですよ。それで自分の船の位置が地図の上でどこのあたりにいるかはずっと自分の中で想像しているんです。北にちょっとブレはあるけれども、自分の中ではその方向に必ず島があるはずだという確信はあるわけです。少なくともこの方向から島が出てくる、絶対この方向にあるという確信はあるんです。いずれ見えてくると。それで2日目の夜に、北北東のほうに行きたい、島があるはずだから進もうと言ったんだけれども、とうとう漕ぎ手の限界が来た。出発から30時間くらいして「もう漕げない」という意見が出てきたんですよね。

海部:この日海が荒れたのでその時に休めなかったんですよね。海がずっと穏やかだったらもうちょっと休みを入れながら体力をセーブできたはずなんです。それが叶わない中で、みんな体力も使い果たしてしまった場面だったんですね。でも海の上でそういうことが起こることはあるので、そういう時にどうするか。星が見えないのもそうですが、僕も伴奏船の上に手いて、困ったなと思いました。だけどそうなってしまうこともあるので、そこに対応できないとあんな航海はできないんだろうなと見て思っていましたね。

原:1日目にすごいがんばって、100%の力で乗り切って、2日目も非常に暑かった。熱中症の症状がすごく出てきてですね、体力も奪われていたので、これは本当に限界だろうなと。もう24時間以上は漕いで沖に充分出てきているんですよ。島の方向もある程度自分の中ではわかってきている。そこにいれば、黒潮がゆっくりと押してくれるはずだという予想をしていたんです。なので、わかったと。休むぞと言って、船を全員で止めて休みました。一瞬で寝ましたよみんな。一瞬でいびきをかいて。相当疲れていました。

海部:その時は星も見えなかったですからね。雲も出ちゃってて全く星が見えない夜で、初日の状況よりも悪かったんです。2日目の夜も出だしのところは、疲れてる中でそれはある意味適切な判断なのかなと思っていました。ここでジタバタするよりも休むという判断だったんだと思いますね。


(どのくらい休まれたんですか?)
原:僕たちは時間は分かっていないのですが、8時間位ですかね。夜明けまで休みましたね。でも僕はほぼ起きていました。完全には寝られないですよね。だから1人ずつ見張りをして、風や波が来たときに対応できるような体制で交代で休んだんです。

海部:他の4人は船の底に寝そべって仰向けになって寝て、そこで原さんは最初やっぱり見張り役ということで体を起こして1人で起きていました。その後もう1人の人と交代するんですね。

原:実はですね、僕が鈴木君と交代してた時に、何時でしょうね。2時位ですかね。「灯台の火が見える」と言い出したんです。起きたら確かに回る光が見えて。確かにあれは光だと、30,000年前にはないんですけど、ただ僕がそこから島が見えてくるだろうという方向から出てきた。僕はびっくりして、本当に出てきたよみたいな感じで。それは僕も出来過ぎだなみたいな感じで思ったんですね。

海部:ちょうどその時、黒潮の本流は超えていたんですけれども、潮の流れがまさに与那国島に向かうような流れができていたんです。いつもあるわけじゃないんですけど、それにうまく乗っていたんですね。みんな寝ているんですが、じわじわと島に流されていたんですね。最後は運も手伝って島に連れて行ってもらった。

原:みんな疲れ果てていたみたいで、見えたときに顔を上げてみたのは僕と鈴木君だけだったんですね。あとはその声を聞いて、「よかった、見えたんだ」とそのまま寝ていたらしいんですけど。でも北北東の方向に本当に見えたんでこれはもう大丈夫だってまっすぐ行っていると。ということでとりあえず朝まで休んで体力を蓄えてまた出航しようという判断をしたんです。

海部:伴走船のほうは、なんで動かないんだろうと思っていましたね。それだけ本当に疲れていたんですね。

原:それから朝になって動き始めて行ったんですよね。だんだん灯台の光が見えなくなって、島はすぐそこにあるだろうと思っていたんですけれども島が見えないんですよね。雲がちょっと出ていて。視界が悪かった。

海部:でもその後、島の上にできる独特の雲が現れるんです。周りの雲と違うんですよ。その島のところで気流が乱れるので、上空に尾を引くようなすごい雲が現れて、そこが島という感じだったんですね。

原:近づいていったら、やがてその雲が晴れて、島が見えてきたんです。

海部:その時はちょうど島までの距離が20キロだったんです。見えたのが20キロ位。200キロ以上公開して本当に最後の1割。でも本当にそこの方向に向かっていたので、見事だったですね。



国立科学博物館の海部陽介さん、そして船の漕ぎ手キャプテン 原康司さんのインタビュー、いかがだったでしょうか。来週はエピローグ。大冒険を終えて何を思うか、そして次の冒険のお話なども伺います。
海部さんは講談社から、本を出すことになったそうです。2月12日発売「サピエンス日本上陸 〜3万年前の大航海」興味のある方、ぜひチェックしてみてください!

【今週の番組内でのオンエア曲】
・Dreams / BECK
・かりゆしの夜 / BEGIN

今週も3万年前の航海 徹底再現プロジェクトの実験を見事成功させたお二人、国立科学博物館の人類学者 海部陽介さん、そして丸木舟キャプテンの原康司さんのインタビューです。
3万年前、私達の祖先の一部は、大陸から海を渡って、沖縄へやってきて、そして日本人となったということを実験で証明するプロジェクトなんですが、当時の技術、石の斧でつくった丸木舟が完成し、原さんが率いる漕ぎてチームはトレーニングを重ね、いよいよ丸木舟は旅立ったわけなんですが、原さんは、台湾から与那国へ行くときには黒潮という世界最大級の海流があって、それは経験したことがないので、どうかなと思ってたとおっしゃいましたが、実際に黒潮ってどういうものだったんでしょうか。
原:普通の川の流れは目で見てわかります。たとえば瀬戸内海の潮流なんかは目で見ればわかるのですが、黒潮は、広いときは幅が100kmあり、それが舟と一緒に流れていすわけです。ですから見た目で流れているというのは全くわかりません。漕いでいて、入ったということがわかるのも非常に難しい。出たときもわからないです。まあ入ったときは後ろに陸が見えるので、だんだん陸が北に向かっていって、舟が流れていっているのはわかります。あと、海水温が若干温かいので、注意していれば、なんか生ぬるいなと思ったときが黒潮に入ったサインです。
海部:南の方から熱を運んでくる暖流ですからね。
原:あと、深いところを一気に5000mくらい海底が深くなるんですけれども、海水がものすごく深いところにあると美しいブルーになるんですよ。黒いと言われるんですけれども、実は青いんですよ。
海部:台湾の沖と日本の沖では色が違うんだと思うんですよね。黒潮じゃなかったですよね(笑)
原:黒潮じゃない、青潮でしたよね。美しいです。深くてどこまでいってもブルーというか、透き通っていて、この色は表現のしようがない。
海部:写真に撮ってもあの色は出なかった。もう目にしか残ってないですね。実際に見ないとわからないと思います。写真撮ったけど全然使えない。
原:だから、ぬるくなったとか、色が綺麗になったら(黒潮に)入ったとか、そういう指標はあるんですけどね。そうやって美しい海に浮かんでいるというのは幸せなんですよ。でも実際はすごい勢いで北に流されている。


〜黒潮の幅は100kmくらいとおっしゃっていましたが、そのときは全員で抜けるまで漕ぐのでしょうか。
原:そうですね。だからとりあえず、出発地点から北東の方向に与那国はあるんですが、北東に向かっていくんじゃなくて、とりあえず横断する。だから東に向かっていっています。もしくはちょっと南寄りに。で、先に沖合100kmまで出る。それが最初の課題でした。黒潮を超えるということです。それまではなかなか休憩できないんです。僕たちは24時間という時間を自分たちの中で設定していました。
 出発して最初に、結構曇ってきて、普通だったら出発して5〜6時間は台湾が背中になって、東に間違えずに行けるんですが、このへんも1〜2時間すると陸が見えなくなってしまってで太陽で東に行ったんです。で、太陽を頼りに進んでいって、で夕方くらいになると、今度は北風が吹いてきます。黒潮が南から流れてるんで、、北風が吹くと三角波という波形します。で、その波というのは丸木舟のなかに入りやすいんですよね。丸木舟の最大の弱点は水が入ってきたら抜けないことです。自分たちで掻き出さいないといけない。大きい波がドーンと一気に入ってくると舟が転覆してしまいます。だから、最初の草と竹に比べて早いんだけれども、荒れた海に弱い。そういう弱点があります。舟足を止めることはできないので、4人、もしくは3人が漕いで、残りが描きだしているという状態です。
1日目の夜は、風が止むのが夜半すぎだったんですけれども、それまでは舟を止めることができないんです。流されてしまうし、舟を止めてしまうと波に対して舟が横向きになってしまうんです。横向きになると横から波がドーンと入ってくるんです。大きい波が来たら舟を立てて乗り越えて、また東に向かって、波が来たら舟を立て乗り越える。そういうコントロールをしています。舟は動かしていかないと舵がきかないんです。最初に休憩に入ったのは夜中過ぎた頃です。
海部:出発したのが日本時間で2時38分です。それから風が落ちたのが夜半ですね。
原:だから9〜10時間くらい漕ぎ続けて、でもまだ黒潮を超えていないですから、休憩も15分くらいで一人ずつ交代しながら進めているっていう形ですね。で、また星が見えないんですよ。月はぼんやり出ていたんですけど、月が沈んだ後、星が1つ、2つしか出なくて、その星を見て、周りの星はなんだろうかというのを想像して、方向を決めていました。


〜その方向を決める役割は原さんだったわけですが、ほかの漕ぎてと意見が割れてしまうようなことはなかったですか?
原:ないですね。間違ってたときは修正しますけど、こっちだ、こっちだっていうのはないです。島を見つけるときはあっちに見えるとか、こっちに行ってみようとかありましたが、基本的にナビゲーションに関して言えば信頼してくれていたんだろうと思います。
海部:それは他の漕ぎてたちもそう言っていました。やっぱり自分たちの役割は推進力だから、ナビゲーションは原さんと後ろの田中さんに任せて、自分たちはそれを一生懸命やるんだと。
原:よく喧嘩しなかったんですかと言われますけど、「喧嘩したら舟進まないでしょう」と先頭に立っていた人が言ってましたね。本当そうなんですよ。小さい舟のなかで水や食料も分け合わないといけないし、喧嘩してたら進まないですよね。したいときもありますよ。なんだ!と思うときもありますが、それをぐっと抑えて協力する。またはそういったことを笑いに変えるということはとても大事なことですね。
海部:原さんはそういうのがうまいんですよ。タイミングをよく見てやってると思いました。後で5人に聞きましたが、漕ぎての一人村松さんという方がとても印象的なことを言っていました。二日目の午後、島が見えなくてみんなが不安になるんです。そのときに「一人だったら辛かっただろう。だけど仲間がいるからやれた」と言っていました。そうじゃないとやれないんでしょうな。3万年前も当然そうしてたんでしょうね。そのへんが想像できるのがやってみることの面白さだと思います。



今回のお話、いかがだったでしょうか。今回お話を伺っている「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の成果をまとめた本『サピエンス日本上陸 〜3万年前の大航海』が2月12日に講談社より出版されるそうです。こちらもぜひチェックしてくださいね。

【番組内でのオンエア曲】
・Viva la Vida / Coldplay
・春の歌 / スピッツ

去年2019年7月。「三万年前の航海 徹底再現プロジェクト」がついに実験を成功させたのを覚えていますでしょうか。
私達の祖先はどのように日本へやってきたのかという大きな謎に迫るこの実験。番組ではいくども取り上げてきましたが、きょうのゲストは、その当事者お2人!国立科学博物館の海部陽介さん、そして船の漕ぎ手キャプテン 原康司さんです。2ヶ月経ったいまどんなことを感じていますか?

海部:到着して良かったというのが大きいですよね。着いた瞬間、僕は伴走船の上で安全なところから皆さんの奮闘を見ていたんですが、鮮明にいまだに覚えています

原:お尻の皮も剥けたんですけど、無事に皮も再生しました(笑)海部さんと一緒で到着したときにすごい喜びが爆発したんですけれども、その喜びもまだふんわりと残ってるような感覚ですね」


〜およそ3万年前、わたしたちの祖先であるクロマニヨン人は、アフリカからヨーロッパを経て、海を渡ってこの日本へやってきたと考えられていますが、そのルートの一つが、当時は大陸と地続きだった台湾から海を渡り沖縄にたどり着いたルートだったのではないか・・・ということが考えられました。ただ、そうだとするなら疑問が山ほど出てくるわけですよね?

海部:そもそも38,000年前位に日本列島に遺跡が急にたくさん現れ始めるんです。当時は、沖縄だけではなく、日本の本州や九州も含めて大陸から離れているので、海を越えなければならないわけです。じゃあ彼らはどうやって海を渡ったのか。特に気になるのは沖縄です。何故かといえば沖縄島は遠い。所々隣の島がみえないくらい遠いところがあるその海をどうやって渡ったのか。当時の遺跡から船は出ていないので、どんな船を使ったのかわからないんです。どうやって渡ったのかわからないということで、それを徹底的に探求して、わかるところまで追求したいなという事でこのプロジェクトを始めました。

〜どんな船で渡ったのかわからないところから、どうして丸木舟になったのでしょうか。

海部:わからないんですが消去法を使って選択肢は絞られます。縄文時代には丸木舟があるので、船の選定には丸木舟を超えてはいけないと言う条件を課したわけです。それから地元に材料がないとダメですから、地元の材料しか使えない。そして当時の道具で作れないとダメ。ということで候補になったのが草の船、竹を束ねたイカダ。そして丸木舟が候補にあがってそれを調べてみました。自分たちで山に行って材料をとって、当時の道具で切れるかどうかを確認して一通り作って海に出して、ということをやっていきました。準備期間を入れると6年かかったプロジェクトなんですけれども、与那国島で草の船を使って実験したのが最初だったんです。草の船は沈まないんです。波の上でもひっくり返らないんですね。ものすごく安定しているんです。だから乗っている人たちはとてもそこは安心を感じていましたね。ただ問題は、遅いということ。結局黒潮にやられてテスト航海は、西表島に着くことができなくて失敗するんですけれども、流れに弱いんですね。
 次に竹の船を試しました。これは台湾の竹を使って作ってみたんですけれども、結構スピードが出るんじゃないかとみんな期待していたんです。でもスピードが出ないんですね。そうすると流れのある海を越えるのは非常に難しい。とうことで、最後は丸木舟をテストすることになりました。丸木舟の疑問点は、30000年の人が巨木を切り倒すことができるのかということでした。大体直径1メートル位の木を使い使いますけど、それを切り倒してくりぬくんですよね。でもそんな技術が30,000年前にあるのかというのが一番の疑問でした。ところが日本列島から出ている不思議な石器がありまして、端の部分だけを磨いてある斧なんです。これを試してみたら切れたんですよね。時間はかかったんですけど、1メートルの杉の木が見事に切れました。それから切りたおして、水分を含んでいる状態のやつを乾燥させて、おいたりしなければいけない。いろんな処置や時間なんかもあるんです。僕らの場合は1年以上かけて作っています。ただ、結局浮かべるとなんかうまくいかないんですよ。

原:ただくりぬいただけでは船にならないんですよね。人間が乗れるように安定してまっすぐ進む船にしなければいけないので、丸木舟をそうやってデザインした人が現代にいないので、本当に年輪を1枚1枚はぎながら海に出して戻して、また剥いでという繰り返しを何回も何回もやりました。

海部:これはとても面白い経験だったですね。僕は研究者なので、縄文時代の丸木舟なんかを参照して、こういうデザインじゃないとおかしいみたいな事は理論的なことを言う。作る職人さんは石の斧だとこういう風にしかできないと作り手の立場でものを言う。最後は原さん達が来きて、使う人の立場で海の上ではこうじゃなきゃ困ると。みんなで意見をぶつけ合いながら、喧嘩をしないですけれども、いろいろぶつかりあいながら面白かったですね。


〜原さんは普段から丸木舟を使っていらっしゃったわけではないですよね。

原:丸木舟も竹のいかだも今回が初めてです。普段はシーカヤックのツアーガイドをしたり子供たちの自然学校を開催したりしています。最初は一回断ったんですよね。黒潮を経験したことがなかった、南西諸島の海を経験したことがなかったので、力になれるかどうかがわからなかったんです。でも非常に興味はあるし、やりがいのあることだということで、最終的には引き受けて、何度も何度も練習で黒潮の中に漕ぎ出していて経験値を高めていきました。

〜不安ではありませんでしたか?
原:不安は当然ありますよ。丸木舟で30時間、40時間経験ある人はいません。重たくてなおかつ長時間、持久力+パワーがいる。後はナビゲーションですね。コンパスも地図も何も持たないで出る航海だったので、それが一番の課題だったですね。でも、残念ながら本番では一緒に漕ぐことができなかったんですが、ニュージーランドで星の航海術を学んでいる漕ぎ手のメンバーがいて、彼らから僕たちも教えてもらいながら自分でも国内でも星が出れば夜じゅうずっと星の運行を覚えて、そういうトレーニングを続けて本番を迎えるんですけどね。

海部陽介さん、原康司さんのお話、いかがだったでしょうか。来週も引き続きインタビューの続きをお届けします。
今回お話を伺っている「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の成果をまとめた本が、2月12日に講談社より出版されるそうです。こちらもぜひチェックしてくださいね。
【番組内でのオンエア曲】
・Baby You Can Cry / AI
・「In the Blood / John Mayer
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高橋万里恵
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