yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第百五十二話 胸を張って生きる -【鎌倉篇】女優 田中絹代-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第百五十二話胸を張って生きる

来年生誕110年を迎える、鎌倉にゆかりのある映画女優がいます。田中絹代。
松竹撮影所が大船に移り、田中絹代は、由比ガ浜の背後にある鎌倉山に新居を構えました。
遥か向こうには、穏やかな相模湾。
涼しい風が吹き抜け、緑が目を休ませてくれます。
鎌倉山から大船までは、当時、自動車専用道路が通っていました。
東京の蒲田から鎌倉に移ったのは、昭和11年。
彼女が27歳になったばかりの12月のことです。
コバルトブルーの海の先には、富士山が見えました。
五百坪の敷地内には母屋と別棟があり、母親や兄弟と暮らしたのです。
戦後、さらに彼女はもう一軒鎌倉山に家を持ちます。
鎌倉をたいそう気に入ったのです。
なぜそんなにも、田中絹代は鎌倉を好んだのでしょうか?
もしかしたら、そこから見える海が故郷下関の風景に似ていたからかもしれません。
下関は絹代にとって、二度と足を踏み入れたくないほど、辛い思い出が残る場所でした。
にも関わらず、大好きだった兄の記憶が下関の海と結びついていたのです。
自分の前から忽然と姿を消した、兄・慶介。
その兄に最後に連れていってもらった海岸通り。
遠く輝く海を、絹代は生涯忘れることがなかったのではないでしょうか。
晩年、絹代はもうひとりの兄、祥平の介護に多くの時間を費やします。
女優の仕事も減らし、家を売って。
それでも映画女優としての誇りと気概は、亡くなるまで鬼気迫るものがありました。
彼女の名言に、こんな言葉があります。
「寝たきりでも、演じられる役があるだろうか」
生涯、女優として生きた田中絹代が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?

女優・田中絹代は、1909年11月29日、山口県下関市に生まれた。
四男四女の末娘。
実家は、船を扱う問屋を営み、父は番頭の頭。
呉服商にまで手を拡げ、貸し家を20軒持つ、実業家だった。
しかし、絹代が3歳のとき、父が病気で亡くなる。
頼りにしていた金庫番に金を持ち逃げされ、一家に不運が押し寄せた。
羽振りのよかった生活から、一転。初めて味わう、貧しさと屈辱。
それでも母は、いつも毅然としていた。
胸を張ることを絹代に教えた。
いちばん上の兄の慶介は、末っ子の絹代をことさら可愛がった。
歳の離れた兄は、父親がわりだった。
ある日、慶介が言った。
「絹代、出かけようか」
兄に手をつないでもらい、海岸通りを歩く。
日本海に通じる響灘(ひびきなだ)は、穏やかにキラキラ光っていた。
「うなぎ、食べるか」
絹代はうなづく。
父が亡くなって以来、そんな贅沢なものなど食べたことがない。
他の家族に申し訳ないと幼心に思ったが、誘惑には勝てなかった。
初めて食べる、かば焼き。
美味しかった。
店を出ると、兄は言う。
「絹代は、ひとりで帰りなさい。オレはちょっと用事があるんだ。」
ふわっと、優しく笑った。
下関の駅に向かう兄の背中を見送る。
それが兄に逢った最後になった。
慶介は翌日、徴兵検査を受けるはずだった。
姿を消した兄の行方は、誰にもわからなかった。

女優・田中絹代の兄は、徴兵検査前日に逃げた。
当時、それは最も恥ずべき許されないことだった。
その出来事は瞬く間に噂になり、姉の結婚生活は壊れ、離縁を告げられた。
家族は顔をあげて外を歩けないほど、肩身の狭い状況に追い込まれた。
いたたまれずに、二番目の兄も姿を消してしまう。
幼い絹代は、慶介に逢える気がして、来る日も来る日も海岸に出かけた。
雨が降っても、風が強く吹いても。
でも、兄は帰ってこなかった。
海岸通りに、メガネや宝石も取り扱う時計店があった。
ディスプレーされたルビーの指輪。
その輝きを見ることで、絹代は癒された。
ショーウィンドーに張りつく絹代を、店の主は追い払う。
「欲しいなら、金を持ってこい!子どもには用がないんだ、帰れ帰れ!」
近所の子どもにいじめられても、絹代はその場から動かなかった。
可哀想に思った母が、夜店で売っているガラス玉を買い求め、絹代に差し出す。
「ほら、ルビーの指輪だよ」
そんなガラス玉でさえ、田中家には大きな出費だった。
母は絹代の喜ぶ顔を想像したが、
「ちがう!ちがう!こんなんじゃない!」
と大声で泣きながら、絹代はガラス玉を放り投げた。
いつもは穏やかで賢く、ものわかりのいい子だったのに…。
母は、絹代の激しさを初めて見た。

田中絹代が7歳のとき、一家は大阪に引っ越す。
母の兄、安太郎を頼るしかなかった。
ほとんど無一文。
母はなんとか家計を守るためにと、必死で働いた。
安太郎は、貧しくて学校に行けない子どもたちのために寺小屋を開いていた。
絹代もそれに加わる。物覚えがよく、優秀だった。
やがて絹代は、琵琶を習い始める。
大阪千日前に琵琶少女歌劇というのがあり、少しでも稼ぎたいという思いからだった。
あっという間に頭角を現し、気がつくと舞台に出られるようになっていた。
天性の才能と、たゆまぬ努力。集中力が凄かった。

勉強も習いたいと小学校に編入。
優秀だったので級長になった。
ところが、駅の裏の貧しい長屋の子どもが級長になるのをよく思わないひとがいた。
いじめられる。仲間はずれ。
孤独だったが、絹代は気にしなかった。
琵琶少女歌劇のスターであることは、学校の先生にまで激しい嫉妬を覚えさせ、ひどい仕打ちを受けた。
ある日、粘土細工を作る授業で、絹代がさっさと終わらせたあとに琵琶の教本をこっそり見ていたのを、担任の女性の先生がとがめた。
「級長のくせになんですか!校庭で立っていなさい!」
一日中、立たされる。他の生徒からはあざけりの声。
やがて絹代は、つかつかと職員室に向かった。
「まだ、許していませんよ!」
担任が言うと、絹代は毅然とこう言い放った。
「許してもらわなくて、結構です。私はあなたのような先生がいる学校にはいたくありません。では、さようなら」
絹代は、こうして二度と学校には通わなかった。
毅然としていること。
自分が自分であるために選んだことは、覚悟を持って守るということ。
女優・田中絹代は、67年間の生涯を終え、鎌倉円覚寺に眠っている。

【ON AIR LIST】
If I Ain't Got You / Alicia Keys
Sunny Afternoon / The Kinks
Creo En Ti / Ana Tijoux
愛しきあなたへ / 大貫妙子&小松亮太

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけとイカの生姜炒め

今回は、田中絹代の故郷、山口県下関市でブランド化もされている、イカを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけとイカの生姜炒め
カロリー
232kcal (1人分)
調理時間
15分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • イカ(刺身用細切り)
  • 1パック
  • いんげん
  • 50g
  • 生姜
  • 20g
  • 少々
  • 【A】塩
  • 小さじ1/4
  • 【A】ガラスープ
  • 大さじ2
  • 【A】酒
  • 大さじ2
  • 【A】こしょう
  • 少々
  • 【B】片栗粉
  • 小さじ1/2
  • 【B】水
  • 小さじ1
  • サラダ油
  • 小さじ2
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは食べやすくほぐす。
  • 2.
  • いんげんは筋をとる。
  • 3.
  • 熱湯に塩を入れた中でいんげんを茹で、水にとる。3cm長さに切る。
  • 4.
  • (3)の熱湯で、続けてイカをさっとくぐらすくらいに茹で、ザルにとる。
  • 5.
  • 生姜は千切りにする。
  • 6.
  • フライパンに油を温め、生姜とひらたけを炒め、霜降りひらたけに油がまわったらイカといんげんを加え、【A】で味をつけ、【B】の水溶き片栗粉でとじる。
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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、「ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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