NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guestはなさん

はなさん

神奈川県横浜市生まれ、2歳から横浜のインターナショナルスクールに通い、17歳でモデルとしてデビュー。上智大学比較文化学部卒業後も、モデルとしてファッション誌で活躍するかたわら、テレビ番組の司会、ラジオパーソナリティ、ナレーター、エッセイストとして幅広く活躍中。英語・フランス語に堪能で、趣味はお菓子作りや茶道、仏像鑑賞。2017年9月国宝応援大使、2019年4月奈良国立博物館評議員に就任。著書に、『はな、茶の湯に出会う』(淡交社)、『ちいさいぶつぞう おおきいぶつぞう』(幻冬舎文庫)、『おくるおかし』(集英社)ほか多数。

50代で見つけた、新しい挑戦

2026/09/26
なさんをお迎えする最終週。50代でスタートさせたアパレルブランド「POOKA」、お茶のフルコース「茶事」への挑戦、そして日々を支える二つの座右の銘まで・・・好奇心の針をぶらさず走り続ける、はなさんのこれからを伺いました。

◆着る側から作る側へ・・・アパレルブランド「POOKA」
今年4月、はなさんが手がけたアパレルブランド「POOKA」がスタート。コンセプトは、40代・50代・60代の「何を着たらいいのかわからない時期に差し掛かった」女性たちへの提案。「自分も変化していくし時代も変化していく。でもその時にきっと似合うものはあるはず」と、チームでアイデアを出し合っているのだとか。たくさんの服を着てきたからこそ、「おしゃべりの仕事の日はきつめの服だと呼吸が浅くなる」など、その日の行動に合わせたデザインへのこだわりも生まれたそう。
ブランド名「POOKA」の由来は、自宅にいるクマのプーさんとカバのぬいぐるみ。両方を可愛がりすぎて、「プー」と「カバのカ」を合わせて名付けたそう。後から北欧にいたずら好きの妖精「プーカ」がいると知り、「ぜひ使わせてもらいたい」と決めたといいます。「ゼロから服を作るのは初めて。いろんな方の顔や体型、行動パターンを想像しながらデザインするのはやりがいがあります」と、着る側から作る側への転身を楽しんでいます。

◆洋服と着物、二つの視点・・・広がる楽しみ
YouTubeチャンネル「はなランド」では和装も取り上げるはなさん。洋服ではシンプルな色を選びがちですが、着物では皆さんより鮮やかで華やかな柄や色を選ぶことに気づいたといいます。「茶室が明るくなる。着物をまとう皆さんの姿を見るのが好きで、気持ちが高まります」と話します。その気づきから、「洋服ももっと色や柄を楽しむのもありなのかな、と思うようになりました」と、二つの世界を行き来しながら新たな視点を得ています。

◆フルコースの「茶事」に挑む・・・だから書道教室へ
お茶の世界にのめり込むはなさんは、「茶事」というお茶のフルコースで亭主を務めることになりました。炭手前から濃茶、薄茶まで、お湯を沸かすところから始まる4時間のおもてなしを、先生とともに作り上げるといいます。そのためにお客様へ手紙を書く必要があり・・・「私の字で手紙を書いたら誰も来てくれない」と、近所の書道教室に通い始めたそう。「名前が『はな』でごまかしようがきかない。筆ペンで書くとひどいことになって」と、小筆で必死に練習中なのだとか。
さらに11月23日には、大橋茶寮で開かれる「武陽茶会」で薄茶席を受け持つことに。はなさんをお茶の世界に導いた研究家・筒井紘一先生からの誘いで実現したもので、「こんなすごいことをやらせていただくのかい」と少し慄いているのだとか。テーマを決め、道具や掛け軸を自ら考えて茶席を作り上げるといいます。「シャンシャン茶会やベースボール茶会は開いてきたけれど、こんな重みのあるリアル茶会は初めて。すごいチャレンジです」と気を引き締めます。

◆一日一番、そして「はなははな」・・・日々を支える言葉
ジムでのウォーキング(アニメを見ながら5キロ)、15年続けるピラティスと、健康づくりも欠かさないはなさん。好奇心を保つ秘訣は「好きなことをその日その日に楽しむこと」。巨人の試合は録画し、勝った翌朝には朝食を食べながら見直すほど。負けて落ち込んだ時は「寝る」!「一回寝てリセットして、頭が鮮明になった時に答えを模索します」。
座右の銘は二つ。ひとつは力士の言葉「一日一番」。「生放送で反省点が降りかかってきても、終わったことは割り切って、次に同じミスを繰り返さないのが大事」と、この一言に学びをもらっているといいます。もうひとつは、モデルを始めた頃に先輩からかけられた「はなははな」。周りの美しさにコンプレックスの塊になっていた時期を支えてくれた言葉を、今も胸に刻んでいます。「10年後も健康に、好きなことを追いかけていたい」・・・キラキラした好奇心の眼差しで、はなさんの挑戦は続きます。
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作ることと、想うこと・・・パンダ愛とお菓子の日々

2026/09/19
今月は、モデルのはなさんのライフストーリーをお届けしています。
今週のはなさんは、二つの「作る喜び」と、深い「パンダ愛」について。
奇跡のパンダ・シャンシャンとの出会いと別れ、誰かを想って作るお菓子、そして東京ドームのマウンドに立った忘れられない一日まで、たっぷり伺いました。

◆シャンシャンは、私にとって奇跡のパンダ
2003年、NHK「中国語会話」への出演をきっかけに日本パンダ保護協会のパンダ大使となったはなさん。当初は「パンダはみんな好きですよね」という程度だったといいますが、本格的にパンダ沼にはまったきっかけは、2017年に上野動物園で誕生したシャンシャンでした。生後7か月、抽選観覧の時期に友人の誘いで初めて会って以来「メロメロ」に。気がつけば毎週上野に通い、自ら「毎週シャンシャン」と名乗るほどだったといいます。
「どのパンダも可愛いけれど、シャンシャンは私にとって奇跡のパンダ」とはなさん。アイパッチ(目の周りの黒い部分)の形、耳の形、顔や体のフォルムまで一頭ずつすべて違うのだといい、「みんなにパンダの写真を見せると『どこが違うの』と言われるんですが、ちゃんと個性があって違うんです」と力づよくお話くださいました。

◆朝日に消えていくトラックを、号泣しながら見送った
2023年2月、シャンシャンが中国へ旅立つ日。はなさんは朝6時に上野動物園で「毎日パンダ」こと高氏貴博さんと待ち合わせ、出発を見送りました。「シャンシャンはこの日ちょっと寝坊しちゃって」、7時過ぎにトラックで動物園を出発。ちょうど朝日が昇る時間で、「シャンシャンを乗せたトラックが朝日にフワーッと消えていく瞬間を、『またね』とみんな号泣しながら見送りました」。
その足で成田空港へ向かうと、展望デッキが暴風のため閉鎖中。開くのを待ってデッキに上がり、姿は1ミリも見えないながらも飛行機に手を振って再びお見送り。すると、シャンシャンを乗せた飛行機が大きく旋回し、頭上をもう一度飛んでいったといいます。8か月後、はなさんはシャンシャンに再会するため中国に。この経験から生まれたのが著書「はなと学ぶ パンダに会いに行くための中国語」。ガラスの水滴を拭いてもらう頼み方や、「シャンシャンは人参が苦手なんですが、食べられるようになりましたか」と飼育員さんに尋ねる一文など、『パンダに会いに行くための中国語しか登場しない』ユニークな一冊です。

◆夜な夜な作ったアメリカンスイーツから、贈るお菓子へ
もう一つの「作る喜び」がお菓子作り。始まりは小学生の頃、インターナショナルスクールのベイクセール(手作りお菓子を売って売上を学校に寄付する行事)で出会った、当時は珍しいカラフルなアメリカンスイーツでした。「これ家で作れるんだ」と発見し、夜な夜な作っては家族に食べてもらう日々。やがて雑誌でオリジナルレシピの連載を持つようになります。モデルの仕事は長丁場で、差し入れのお菓子が尽きると自分で作って現場に持参していたところ、それを見た編集者から声がかかったのだそうです。
著書「贈るお菓子」のコンセプトは、その名の通り『誰かに贈るお菓子』。NHK「トップランナー」の司会をしていた頃、毎週ゲストを思い描いてお菓子を作っていたことが原点です。「誰かを思い浮かべながら作るレシピには、また違う思いが込められます」と語ります。料理も作り続けており、バルサミコと黒糖で味付けする酢豚や、花山椒を効かせた中華風の春雨鍋がお気に入りだそう。

◆東京ドームのマウンドで——巨人ファンの夢が叶った日
パンダやお菓子のほかにも、愛犬、読売ジャイアンツ、相撲観戦と好きなものは尽きないはなさん。子供の頃からの巨人ファンであるはなさんは、昨年8月7日「はなの日」に東京ドームで始球式のマウンドに立ちました。「まさか自分が東京ドームで投げるとは夢にも思っていなかった」と、3か月前から毎日投げ込み、体も鍛えて猛練習で臨んだそう。本番はまったく緊張せず「こんな幸せな時があるんだ」と一球を投げ込み、ワンバウンドになったものの本人は「大満足」。「絶対にラインを踏まないようにしよう」と心がけ、マウンドで観客にお辞儀をし、退く際にはベンチの選手や監督とも目を合わせて挨拶できたそうです。「大ファンなんだもん。思い出すだけでもドキドキする、いい時間でした」と、感謝の気持ちいっぱいの表情で振り返ってくれました。

来週もはなさんのライフストーリー、たっぷり伺います。
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好きになると、知りたくなる・・・仏像とお茶に見つけた世界

2026/09/12
今月はモデルのはなさんのライフストーリーを伺っています。
今週は、二つの「好き」の世界について。仏像愛の原点から、10年通い続けるお茶の稽古まで・・・知れば知るほど深まっていく、はなさんの探究の日々を伺いました。

◆真逆の仏像に出会って、沼にはまった
仏像好きとして知られるはなさん。2017年に国宝応援大使、2019年には奈良国立博物館の評議員にも就任し、著書「小さい仏像 大きい仏像」も執筆しています。きっかけは大学1年生のとき、仏教美術の授業でスライドに映ったアフガニスタン・ハッダの仏像でした。日本人に馴染みのあるパンチパーマのような髪型ではなく、ウェービーで美しい髪、妖艶で女性らしい表情――「自分が知っている仏像とは真逆。こんなに仏像の世界は広いんだ、奥深いんだと思って、沼にはまってしまいました」。
仏像は、その国の人々の顔に似せて作られるのだといいます。「世界中の仏像を見ていくと、その国の人たちの顔に似ている。そこも比較する面白さ」。みうらじゅんさん・いとうせいこうさんの「見仏記」との出会いも大きく、「仏像の見方ってこんなに自由でいいんだ、とOKをもらった気がした」と振り返ります。みうらさんは今や「仏像フレンド」であり師匠だそうです。

◆4回会えば友達——30年追い続ける「推し」の仏像
好きな仏像には何度も会いに行くというはなさん。「4回お会いすれば友達になれると勝手に思っているから、好きな仏像には4回以上会っています」。角度や時間帯で見え方が変わるのも魅力で、「朝の光を浴びる仏像は、割とキリリと厳しいお顔をされています」。30年間追いかけ続ける「推し」は、東寺の帝釈天。空海が構想した立体曼荼羅の中で、明王をはじめ憤怒の像がある密教の世界にありながら、帝釈天は自分の内側を見つめるようなクールで賢い表情を浮かべている——「そこにやられました」。「友達に紹介するとみんな恋して帰ってくるので、ライバルが多くなってしまった」と笑います。初の著書「小さい仏像 大きい仏像」は京都・奈良へ2度取材旅行に出かけ1年以上かけて書き上げた一冊で、表紙のイラストも自ら手がけています。

◆祖母の着物が、お茶の世界への入り口だった
仏像に続き、10年前から本格的に打ち込んでいるのがお茶の世界。きっかけは、ともに暮らした祖母だったそう。子供の頃、祖母は自宅を稽古場にしてお茶を教えており、はなさんはその横でお菓子を食べていたんだとか。祖母が亡くなった際、たくさんの着物を受け継いだものの「着ていく場がない」と思い悩んだ末、「祖母も習っていたし、自分もずっと横で見ていたから」とお茶を始めることにしたといいます。
「日本のことは仏像を通してでしか知らないなと思って、自分が住んでいる国をもっと知りたい」・・・40代で始めたお茶は、まさにドンピシャだったといいます。着物を自分で着て、夏場は汗だくになりながら茶室に到着すると、「フワッと気持ちがリセットされる」。四季の移ろいを告げる景色が広がり、「秋が深まったんだ、と普段は目にしないことを立ち止まって見ることができる世界」だと語ります。

◆お茶は筋トレでもある・・・モデルの仕事にも通じて
お茶の稽古は「筋トレにも脳トレにもなる」とはなさん。道具を持って正座から立ち上がる所作には内転筋がしっかり使われ、「大木を抱くように姿勢を良くして、自分が美しく見えるように」という意識は、おもてなしの心にもつながっていきます。「着物を着ていた方が理にかなっている。佇まいも意識するので、モデルの仕事にも通じるものがあります」。
建築家・藤森照信さんとともに全国の茶室を巡った「日本茶室ジャーニー」も出版。空中に浮いていたり地中にあったりする藤森さんの茶室は「私の茶室ワールドをグイッと広げてくれた」と話します。仏像もお茶も、「気がついたら深みにはまっている。好きになると知りたくなる、それが続くからこそ深まるのかな」・・・はなさんの探究は、これからも続きます。
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母の一言が、いつも人生を動かしてきた!国際的な学校生活とモデルの日々

2026/09/05
今月のゲストは、モデルのはなさん。神奈川県横浜市生まれ、2歳からインターナショナルスクールに通い、17歳でモデルデビュー。司会、ラジオ、ナレーター、エッセイストと幅広く活躍するはなさんに、今週は、その原点を伺いました。

◆トレードマークの前髪は、実は「失敗作」!
「元祖・前髪パッツン」とも言われる印象的な前髪。実は「自分の失敗作なんです」と言うはなさん。当時、自分で前髪を切っていたらどんどん短くなり、あの長さに落ち着いたのだそう。アメリカ在住の同級生が現地の美容師さんから「元祖・前髪パッチン!」として見せられた雑誌がはなさんだった、という国境を越えたエピソードも。ちなみに土曜の朝9時は、10年通うお茶の稽古場に到着する頃。着物を自分で着て向かうのがルールで、「着ない時期があると忘れてしまうので、必ず着物を着ていく」という強い意志で臨んでいるといいます。

◆できなかったことを、全部娘に託してくれた母
2歳から高校卒業まで横浜のインターナショナルスクールに通ったはなさん。「まだ女性がバリバリ働ける時代ではなく、母は専業主婦として自分ができなかったことを全部私に託してくれた」といいます。娘の自立を願う気持ちのひとつが「英語を話せればどうにかなる」という考え。高校時代のフランス短期留学を経て英語とフランス語を習得。個性を大切にする学校の環境を「人と違う良さを大事にしてくれた」と振り返ります。トレードマークの前髪も、この頃に始まったものなのだとか。

◆「家事かバイトかどっちかしなさい」17歳、モデルデビュー
モデルデビューのきっかけも「母の一言」だったそう。16歳の夏、長い夏休みに家でゴロゴロしていたところ、母から「家事をするかバイトするか、どっちかしなさい」と言われ、バイトを探していたところ、いとこの知り合いのモデル事務所に顔見せに行くと、その日のうちに次々と仕事が決まり、ティーン雑誌「McSister」の専属モデルに。ファッション好きだったお母様にとって、モデルもまた娘に託した夢のひとつだったのかもしれません。

◆仏像に夢中になった大学時代
モデルを続けながら上智大学へ進学。比較文化学部で美術史、なかでも仏教美術・仏像の研究に夢中になったはなさん。「まだネットがない時代で、図書館で資料をコピーして、それを持ったままスタジオに入る。待ち時間はずっと仏像の勉強をしていました」。撮影隊に「何を勉強しているの?」と聞かれ「仏像」と答えると、みんな不思議そうな顔をしたのだとか。「一つ興味が湧くとガッといくタイプ」というはなさんらしい学生時代だったようです。

◆そのままでいい!初代MTVジャパンVJに
人生の分岐点のひとつが、1992年から務めた初代MTVジャパンのVJ。20歳のとき、知り合いの声がけで応募し、マーク・パンサーさんとともに初代VJに選ばれました。視力が弱くプロンプターが見えづらいため、1週間分の長い台本を前夜に丸暗記して収録に臨んだと言うはなさんですが、おしゃべりの仕事は初めてで「たどたどしくて、かなり自信をなくした」そう。それでもディレクターだけは「そのままでいい」と言い続けてくれたそうです。「そういう人が一人いると、下手でも好きなことを続けていれば伝わると思えた」・・・このディレクターの一言から、はなさんのおしゃべりの仕事が広がっていったようです。

来週は、はなさんの特技!「好きを仕事にする技」たっぷり伺います!
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