NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest大橋純子さん

大橋純子さん

北海道夕張市生まれ、小学生の頃からポップスに興味を持ち、短期大学在学中には北海道大学軽音楽サークルでバンド活動をする傍らラジオで深夜放送のDJを務める。1974年6月デビュー、1977年『大橋純子と美乃家セントラルステイション』として「シンプル・ラブ」のヒットで日本人離れした歌唱力と音楽性が認められ、その存在を世に示し た。その後「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」「愛は時を越えて」等、ソロシンガーとしての不動の地位を築いている。

人との出会いが「音楽を連れてくる」

2020/10/03
北海道夕張市で生まれ育った大橋純子。
人生初のステージは夕張炭鉱が最盛期の頃だった

「幼稚園のステージで町内会の敬老会ってのがありまして、私が小学校四年ぐらいのだと思います。花笠音頭と王将を歌いました」

歌ということに関して多大なる影響を与えたのは3人の兄だという。

「三人三様で一番上の兄はラジオを弄ったりするのが好きだったんで FENを聴いていました。だから洋楽物を覚えましたね。2番目の兄はなぜかインストルメンタルのが好きでした。3番目すぐ上の兄はモータウン系でシュープリームスとかプラターズとかを聞いてたんで。そういうのを私は襖越しに盗み聴いていました」

自分が初めて見つけたジャンルスはボサノバ。
高校生活3年間はボサノバ一色だったという。
色々なジャンルに触れてきた大橋純子。
大学時代に出会ったのは「ロック」であった。

「東京の大学行きたかったですでもさすがに親はそこまで出してくれない。唯一家の近所に母の実家があったんですが、母の弟のお嫁さん、血はつながってないけど私のおばさんです私に応援してくれてたのみんながいないところでね、そんなに大学行きたいんだったら聞きなさいおばさんは、もし受験料ないんだったら出してあげるから進学とにかく受験しなさいでも応援してくれたんです」

家族一同の反対を押し切り札幌へと出た大橋純子。
北海道大学の軽音楽クラブに加入した。

「そこに行って歌うのが楽しくてもう本当に週に何回も通っておりました。軽音楽クラブで渡されたアルバムがジャニスジョプリン。見たことも聞いたこと。いきなりハードロックの洗礼を受けそっからのほぼ一年弱ですかねクラブ活動時代ロックにはまっておりました」

大学時代にはラジオDJにもチャレンジ。

「自分の好きな音楽かけていいよって言われたんでロックをかけました」

のちに北海道初のロック番組と呼ばれたのであった。
  • この記事をTwitterでフォローする
Page Top