NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest俵万智さん

俵万智さん

1962(昭和37)年、大阪府生まれ。
早稲田大学第一文学部在学中に短歌と出会い、1987年の第一歌集『サラダ記念日』はベストセラーとなり現代短歌ブームを巻き起こす。
以後、日々の暮らし・子育て・人との関わり・「言葉」をめぐって作品とエッセイを幅広く発表。石垣島、宮崎での自然豊かな生活から生まれる短歌も話題に。
受賞歴に現代歌人協会賞、紫式部文学賞ほか。近刊は、エッセイ集『生きる言葉』。
最近では、SNSなど新たな“ことば”との付き合い方も見据え、日常の発見を歌にし続けている。

ことばを見つめ続ける日々

2025/09/27
今週は、俵万智さんのライフストーリー、最終回でした。

◆「キャンセル界隈」に見る現代の言葉マジック
現代の若者言葉について興味深い分析をする俵万智さん。特に注目しているのが「キャンセル界隈」という表現。

「『面倒くさいから風呂に入らない』とすごくズボラな嫌な感じになるのが、『今日風呂キャン』っていうとなんか軽やかでいい感じに聞こえるという言葉のマジック」

この表現の巧妙さは、キャンセルしたい人がいる中での「私も」という前提にあると俵さんは指摘します。一人ではなく、同じような気持ちを共有するグループの存在を示唆することで、罪悪感を軽減させる効果があるのだとか。

また、短歌の指導をする際、俵さんは「も警察」と呼ばれることがあるそう。

「短歌の場合、特に『も』を使うととても曖昧な感じになって焦点がぼやけてしまうんです。でも作る側としては『も』を入れておくと含みを持たせられるからなんかお得な感じなんですね」

「あなたも好きです」と「あなたが好きです」の違いを例に、「も」がもたらす曖昧さの問題を説明してくださいましたが、限られた文字数で表現する短歌ならではの指摘に、聞いている側は脱帽でした。

◆言葉は生き物―変化を成敗するのではなく観察する

言葉の乱れを指摘されることが多く「成敗してください!」と言われたりするという俵さんですが、

「言葉って生き物だから、それこそ変化して当然だと思うんですね。間違ってるとか乱れてるっていうより、やっぱり変化してるし動いてるんですよね。動いてこそ、変化してこそ生きてる言葉だと思うので」

と肝要な姿勢。変化する言葉の背景には、それを使う人の心の変化があって、その観察こそが楽しいのだそう。

◆言葉に救われた経験―短歌と人生の並走

俵さんにとって短歌は人生そのもの!

「短歌を作ってきたっていうことがもうずっと自分の人生と並行してあったので、そのことがもう本当にまさに自分の支えになってきた」と振り返ります。

辛いことがあっても、それをもう一度じっくり味わい直して言葉にすることで乗り越えたり、ささやかな喜びも、歌を通して味わい直すのだとか。
短歌は、短い言葉だからこそ、制限があるからこそ良いのだとか。
「何もしてもいいよって言われると困っちゃうかもしれない。逆に自由すぎると。形があるとそこに納めることで見栄えが良くなるというか、一つのパッケージになってます」

立派なものを作ろうと思わなくていい、作るまでの時間こそが価値だと強調する俵さん。「心の揺れを見つけて言葉を紡ぐ過程が醍醐味」であり、そこをAIや機械には絶対に明け渡したくない、と語ります。

◆読者との協働で完成する短歌

短歌の魅力の一つは、読者の参加により作品が育っていくことなのだとか。

「短いので全部言い切ってるわけではないから、むしろ読者が参加して完成するっていう感覚があります」

若い人の短歌を読むことで、彼らが見ている世界を擬似体験できる楽しさもあると語ります。

◆韓流ドラマの台詞分析から見える言葉の技術

俵さんの言葉への関心は、趣味でもある韓流ドラマ鑑賞にも及びます。
最新著書『生きる言葉』では、「愛の不時着」の台詞についても分析。
「論点ずらしっていうのは今とても悪い形で使われがちなんですけれども、こうやって愛の言葉を論点ずらしで表現するとなんて素敵なんでしょう」

直接的ではない表現でも、ぐっと心に響く言葉の技術。作品を見ながら自然と言葉に注目してしまうのが俵さんの癖のようです。

◆作詞という新たな挑戦―託す勇気の必要性

今年新たに作詞にも挑戦した俵さん。短歌とは異なる難しさを実感したといいます。

「作詞っていうのは、その後メロディーがついてさらに歌い手さんが歌って表現してくれるっていう部分があるので、そこに託す勇気が必要なんだなあ」

全部言い切るのではなく、音楽が付いて歌われたところがゴールだという気持ちが必要だと学んだそう。

十年後の自分については、

「間違いなく、言葉を常にして歩いてると思いますね。ずっとずっと作り続けて、また色々変化をしていく日本語にも関心を持っていきたいと思います」と語る俵さん。
変化し続ける日本語を見つめながら、これからも自分自身の言葉を紡いでいかれるようです。
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子育てが生んだ新たな歌の世界

2025/09/20
今週も歌人・俵万智さんのお話を伺いました

◆言葉の誕生を見守る貴重な体験

2003年、40歳で母となった俵万智さんにとって、息子さんの誕生は、歌人としての俵さんに大きな変化をもたらしました。

「本当にまっさらな状態で生まれてきた人間が、日本語ペラペラになるまでそばで見てられるっていうのは、言葉っていう意味からもすごく貴重な経験でした」と語ります。

子育てと短歌の相性の良さを実感したという俵さん。子どもの成長を見守る日々は、歌の素材の宝庫でもありました。

「目の前で歌の種になるような素材が、生き物が、謎の生き物が蠢いております。その感動っていうのを『お刺身の状態』で捕まえるっていう感じなんです」

◆「お刺身の状態」で捕まえる子どもの歌

恋の歌と子どもの歌の違いについて、俵さんは独特の表現で説明します。

「『サラダ記念日』の恋の歌っていうのは、そのままではなかなか出せない。カレー味の唐揚げだったりするんです。いろいろ手を変え品を変え、味付けをして綺麗に盛り付けて、やっと恋の歌って出せるんですけれど、子供の歌はもう刺身で出せるって感じなんです」

生き生きとした子どもの表情や言葉を、そのまま鍵括弧でくくってポンと出す方が、むしろフレッシュで歌として面白くなる。そんな発見があったのだとか。

「どんどん作っていかないと、その感動が上書きされて忘れちゃうんです。初めて立った時とか、もう天地創造ぐらい感動しちゃうんですよ。だけどその後もスタスタ歩いたり走ったりしてると、だんだんなんとも思わなくなっちゃうから」

◆言葉の力を知る子ども

息子さんは言葉の持つ力を早くから理解していたようです。

「面白いこと言うと母は機嫌が良くなるっていうのは、子供はすごく心得てると思います。『集中は疲れるけど、夢中は疲れないんだよ』って言われた時は、小学生でこんなこと言うかって思いましたね」

大学生になった今でも、その傾向は続いているのだとか。

「『シャワー浴びなさい』って言ったら、『昨日風呂入ったっけ』っていうことを延々と考えてるラップの動画を見せてくれて。めちゃくちゃ面白いんですよ。面白い言葉を与えておくと、この母は永遠に機嫌が良いっていうのを子供心に理解してたんだと思います」

◆石垣島移住で見つけた理想の子育て環境

子育てを機に石垣島への移住を決断した俵さん。きっかけは震災後の春休みでした。

「東京や仙台といった都会で子育てをしていて、一番苦労したのが自然の中で遊ぶこと、子供同士が勝手に遊ぶ環境、地域全体で見るっていう感じが、本当に意識しないと作れない感じだったんです」

石垣島では、そんな理想とする三つの要素が無限にありました。

「小学生男子にはもう天国みたいな島でした。自然の中で本当に毎日遊びまわって、それまでゲームをする・しない問題が結構あったんですけれど、ゲームを全然しなくなっちゃって」

息子さんの「だってお母さん、俺が今マリオなんだよ」という言葉は、後に歌のタイトルにもなりました。

◆「最後」が過ぎてゆく連続と思う子育て

子育てをテーマにした作品の中でも特に共感を呼んでいるのが、この一首です。

「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て」

「最初って結構みんな意識するんですけれど、最後って意外と知らない。いつすぎて。あの絵本一緒に読んだのいつだったかな、お弁当を最後に作ったのいつだったろう。もしこれが最後って分かってれば、もうちょっと気合いを入れたり、優しい気持ちでできたかもなんて思うんです」

この歌は子育て中の方だけでなく、介護をされている方や推し活をしている方からも反響があったといいます。

「結局はその連続と思う人生なんです。もしかしたらこれが最後かもっていう気持ちで生きていくっていうのは、すごく丁寧に生きるっていうことにもつながると思います」

さらに石垣島移住では、インドア派だった俵さんも自然との付き合い方を学びました。

「本当は都会が好きでインドア派なんです。ずっと本読んでたいんですけれど、島に行ったらそういう訳にもいかず、カヤックしたりシュノーケリングしたり釣りしたりしてました」

その後、息子さんの進学で宮崎県に移り住み、そこでも新たな発見がありました。

「宮崎にいると、普通にママ友なんかが『味噌作らない?』とか『梅干しやるよ』とか声をかけてくれるんです。みんなで集まって手作りするっていうのが、ごくごく日常的なこととしてやってる。ある意味豊かだなって思いました」

色々な体験を通じて、自然の歌も、俵さんにとってはかつてなかったジャンルでしたが、石垣島にいる時はたくさん詠んだといいます。
子育てという人生の大きな変化が、歌人・俵万智さんに新たな表現の可能性をもたらした貴重な時期だったようです。
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社会現象となった「サラダ記念日」

2025/09/13
今週も歌人の俵万智さんをお迎えしました。

◆「風流なご趣味」から社会現象へ
1985年に応募した短歌の賞がきっかけで、翌年に受賞。それを見た出版社から声がかかり、生まれた歌集『サラダ記念日』は、まさに社会現象を巻き起こした歌集でした。

「私自身が短歌を作っていると言うと『風流なご趣味で』みたいな感じでしたし、最初なんか料理本のところに差さっているようなこともありました」
と当時を振り返る俵さんですが、初版8000部という当時としては異例の部数でスタート 。

「短歌ってこんなに楽しい素敵な物なのになかなか知られてないっていうのはちょっと悔しいなって思いがありましたので、図らずも自分の歌集で『意外と面白いじゃない』っていうふうに感じてもらえたのはすごくハッピーなことでした」

ベストセラーとなった後も2年半は高校教師を続け、同僚の先生や生徒たちに支えられながら、多忙な日々の中でも平常心を保つことができたのだとか。

◆時代を超えて豊かになる一首「この味がいいね」

「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」

『サラダ記念日』を代表するこの一首が生まれて38年。俵さんは「歌って短いものなので、いろんな時代にもまれ、いろんな読者に出会うことでどんどん豊かになっていく」と感じているそう。

発表当時は、評論家から松尾芭蕉やシェイクスピアの教養を踏まえた歌だと評されたこともあったそうですが、現代では「『いいね』の元祖ですね」と言われることも多いのだとか 。

「この頃SNSなんてないから夢にも思わなかったんですけれども、今は『いいね』といえばSNSですよね。でも、今の『いいね』の数を競うような風潮に対して、この歌は『たった一つのいいねで幸せになれる』っていう歌だと思うんだよね、ということをSNSに書いたらバズりました。数じゃないんだっていうふうにこの歌が38年経って読まれているっていうのが、すごく感慨深いですね」

◆実は今でも気になる「味」の濁点
多くの人に愛される一首ですが、俵さん自身は「味」の字の濁点がずっと気になっているのだとか。

「ゴジラとかギャオスとか、怪獣ってだいたい濁音ですよね。だからこの恋の歌には、濁音はふさわしくないなと思ってて。7月とサラダの"S"の音を響かせる工夫はしたんですけど、この『味』の字が…」

後から直したくなることはあるものの、「与謝野晶子も晩年に『みだれ髪』の歌を直していますが、今私たちが読むと、やっぱり荒削りでも勢いがある元の方がいいんじゃないって思ったりもしますね」と、作品が世に出てからの変化の難しさもお話くださいました。

◆海外での反響と、言葉の壁
海外でも翻訳・出版された『サラダ記念日』。俵さんは、一般の人が新聞の短歌欄に投稿するような日本の文化を海外で紹介すると、非常に驚かれると言います 。その反応を見て、改めて「本当に誇れる文化なんだな」と感じたのだとか。

一方で、翻訳の難しさも実感したと語ります 。

「英語に訳される時、翻訳者の方に『これは"my" salad anniversaryなの? "our" salad anniversaryなの?』って聞かれたりするんですよ。英語はそこがはっきりしなきゃいけない。坂道も『upですか? downですか?』とか聞かれるんですよね。言語によって、はっきりさせるところが違うっていうのはすごく面白いなと思いました」

◆スマホがなかった時代と、SNS時代の言葉
『サラダ記念日』を今読み返すと、一番時代を感じるのは「スマホがないこと」だと俵さんは言います 。

「待ち合わせとかね、来るのかな、来ないのかなって待ってるとか。今だったら多分ここでスマホ取り出して連絡するんだろうなって思いますね」

誰でも簡単に言葉を発信できる現代。俵さんは「何を言うかと同じくらい、何を言わないかを考える」という自身の著書の一節に触れ、次のように話します。

「今は言葉を伝えるインフラが整って、いくらでも言葉を発信できる素晴らしい時代。でも、私たちの日常の方がまだ追いついてないのかなと感じることがあります。LINEとかメッセージが来てもう秒で返せる時代ですけれども、だからと言って秒で返さなきゃいけないわけではない。そこで一旦落ち着いて、この言葉を本当に相手に届けていいのかなって、一呼吸でも二呼吸でも置いて考える時間が必要な気がします。人を結びつけるために発達したものですから、振り回されずにうまく使いこなせたらなと思いますね」

来週は、俵さんの子育てやその後の生活について伺います。
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「ことば」に魅せられた幼少期、そして大好きな先生との出会い

2025/09/06
今月は歌人・俵万智さんをお迎えしています。

歌集『サラダ記念日』で社会現象を巻き起こした歌人の俵万智さん。今回は、俵さんの原点ともいえる幼少期から、短歌との出会いについて伺いました。

◆ 本好きだった少女時代と物理学者の父
「子供の頃は、今とあまり変わらず、本が好きで運動が苦手な少女でした。近所にたくさんの本を持っているおばさんがいて、その家に入り浸っては毎日のように本を借りて読んでるような子供でした」と語る俵さん。
お父様は世界で(当時)一番強い磁石の発明者でもあった物理学者。「父のおかげで勉強がとても好きな子供になった」と俵さんは語ります。夜遅くまで机に向かうお父様の背中を見て育ち、「子供はいいなあ、好きなだけ勉強ができて」というお父様の一言が、勉強は素敵なことなのだと教えてくれたんだそう。

テストで100点を取ると「100点か。100点というのは自分が知ってることしかテストに出なかったっていうことだから、そんなにお父さん嬉しくないな」と言われたことも。この言葉のおかげで、90点や80点でも「自分のまだ理解できてないことがそこで見つけられるんだから」と前向きに考えられるようになったそうです。

◆ 14歳の転機、言葉への意識
俵さんにとって第一の人生の転換期は14歳の時。お父様の仕事の都合で、生まれ育った大阪から福井に転校された琴でした。そこで初めて自分が大阪弁を喋っていることに気づき、友達を作るために福井弁を話すことの大切さを感じたのだとか。

「言葉っていうのは人と人とを結びつける本当最初の一歩が言葉なんだなっていうのを感じて、言葉に対する興味とか関心が強く芽生えた」と、振り返ります。

◆ 渡邉先生との出会いと短歌クラブ
高校時代、国語の教師、渡邉先生のことが大好きだった俵さんは、先生が主催する短歌クラブに入部。ですが、当時から恋の歌など思いが溢れる歌ばかり作っていた俵さんに、先生は「向いてないんじゃないかな」と一言。

それでも、友達の短歌を読んで「これはこういう歌じゃないか」と批評するのは上手だと褒められたのが嬉しかったのだとか。

◆ 佐々木幸綱先生との出会い、そして「心の音楽」
早稲田大学に進学した俵さんは、恩師の佐々木幸綱先生と出会い、その作品に大きな影響を受けます。

「滑らかな肌だったっけ若草の妻と決めてたかもしれぬ」

佐々木先生のこの歌に出会い、「現代短歌ってこんな風にこう今を生きてる表現手段なんだ」と改めて知り、意識的に短歌を作り始めたそう。
卒業後、『サラダ記念日』が社会現象となり、少し戸惑っていた俵さんに、佐々木先生が送ってくれた「君は心の音楽を聴くことができる人だから、何があっても大丈夫」という言葉は、自分自身の内面と向き合う大切さを教え、大きな支えになったとお話しくださいました。

来週は、『サラダ記念日』出版当時のお話、伺います。
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