NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest神野三鈴さん

神野三鈴さん

神奈川県鎌倉市生まれ。1991年、大河ドラマ『太平記』で女優としてのキャリアをスタートさせ、
その後、舞台を中心に多数の話題作に出演。
井上ひさしや三谷幸喜ら著名な演出家の作品で高い評価を受け、紀伊國屋演劇賞個人賞など、多数受賞。
映画やテレビドラマでも活躍し、NHK連続テレビ小説『あんぱん』などの話題作に出演。
井上ひさしや三谷幸喜ら著名な演出家の作品で高い評価を受け、

転校続きだった幼少期、15歳での自立

2025/12/06
今月は、俳優の神野三鈴さんのライフストーリーをお届けします。

素敵な笑顔に透き通る声・・・まさに「チャーミング」という言葉がぴったりな神野さん。
土曜日の朝の過ごし方を伺うと、
「私、もう本当に猫が大好きで、猫4匹飼ってるんですけど、猫と一緒にできるだけグダグダとベッドで過ごしてます」
とのこと。

猫が「起きないで!」というように、ぎゅっと腕を抱きしめたりしてくるのだとか。
「うちは猫が上に乗っかってる人間は何もしなくていいというルールがあるので、それをいいことにずっと寝てます」

元々、鎌倉生まれという神野さん。
「割とちっちゃい時に出たんですが、今から12年前かな、戻ってきました。山の上なんですけど、鳥の鳴き声とかすごいいっぱい聞こえて」

◆転校を繰り返した幼少期
幼少期を振り返ると、「もう変な子だったと思いますね」と笑う神野さん。

父親の事業の浮き沈みが激しく、小学校入学は北海道の札幌で、卒業時には沖縄にいたといいます。
「転々としてたので、いつもアウトロー的にいろんな学校の規則とか生活とか眺めてたような、そういう子供だったような気がします」

転校は小学校で5回、中学で3回。
「最初の頃は本当に泣いたりっていうあれだったんですけど、母がとっても前向きすぎるような人で、どの土地に行っても開拓者のようにいろいろ冒険して楽しむんですね」

そんな前向きなお母様からの影響について、神野さんは印象的なエピソードを語ります。

「最初、父がすごく事業成功してものすごい贅沢な暮らしを鎌倉でしてたんですね。運転手さんがついて幼稚園・保育園行くみたいな感じの生活をしていたんですけど、(会社が)潰れまして・・・
その後、運転手さんのご実家の小さな一部屋に暮らすことになったんですが、
普通だったらこれからどうなるんだろうって不安のような気持ちになると思うんですけど、母が毎日のように『一部屋しかないとみんながいつも一緒にいられて最高ね』って言ってたんですよ。だからすごい楽観的になったと思います」

◆演劇・文学との出会い
転校を繰り返す中で、演劇と文学に出会った神野さん。

「自分では前向きにいろんな場所を経験してたつもりなんでしょうけど、どこかでやっぱり心が引き裂かれたんだと思うんですね。親もそういうふうにしてるのであまり言えない気持ちもあり、その時に文学の世界の中に身を投影することが一つの避難所になってたような気がします」

自分が表現できない、表すこともできないいろんな感情を、本の中の主人公に投影していたといいます。

特に影響を受けたのが、アメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズ。
「自分の言葉を選べなくなってしまって、これは黒だって思っても、もしかしたらグレーに見える、白かもしれないと、一つのことに絞れなくなってきた時期があって。今の私からは誰も信じてくださらないと思うんですけど、非常にしゃべるのが難しい時期が十代あったんですね」

「その時に自分の中でまるで代弁してくれてるように心情を言葉にして描かれていたのがテネシー・ウィリアムズという作家で、彼の描く女性の言葉にものすごく心打たれて、自分の中でそれを演じて、読むだけじゃなくてなっていたのが、お芝居に向かっていったきっかけかなと思います」

それは15、16歳の頃。ちょうど自立を選んだ時期でもありました。
「やっぱり親の破天荒な庇護下にいたら、これは逃れられない運命だと思って、ならば自分一人で生きた方が親も助けられると思って」

◆芸能界、そして舞台の世界へ
一人暮らしをしながら、芸能の道へ進んだ神野さん。
「最初はスカウトで、それで学校ちゃんと行っていいからって言うんで、ドラマのオーディションとかモデルさんやらせていただいて」

しかし、ドラマのゲスト出演をした時に「芸能界合わないなあ」と感じたといいます。

転機となったのは、舞台のオーディションでした。
「オーディション自体が『なぜこのセリフをこの人が言うんだ』とか、非常に中に入った質問たくさんされて、ちょっと稽古みたいなこともあったんですね」

「自分が喋る言葉をなぜ喋るのかを練習できる、探っていく——その逆のことをすることが非常にリハビリに近い、自分にとっては面白い経験で」

言葉を見つけられなくなって迷子になっていた神野さんにとって、セリフが決まっていて「なぜこのセリフを選んだのか」を探っていく作業が救いになったのだとか。

「演劇のプロに失礼なんですけど、リハビリのようにやらせてもらって。そしたらそのオーディションに受かって、そこからです」

舞台の仕事は「トントントンと決まっていたような」と振り返ります。

◆山田洋次監督作品に初出演
現在公開中の映画『TOKYOタクシー』で、山田洋次監督作品に初出演された神野さん。

蒼井優さん演じる主人公すみれの母親・敦子を演じました。

山田監督とは以前から交流があったそうで、
「何回かお声掛けていただいたり、舞台をよく見に来てくださってたんです。1回はステージの上からカーテンコールの時に、立ち上がって拍手してくださっている姿が目に入って、もうそっちの方がみんな恐縮して嬉しくて」

千秋楽には吉永小百合さんと2人で立ち上がって拍手してくださったのだとか。

現場での山田監督は94歳とは思えないエネルギーに満ちていたそうで、
「現場ではもう本当にお元気で、もう情熱はもう燃えたぎるようなまま演出してくださって」

しかし、神野さんを見るなり「違う!」と言われたのだとか。
「『シワが欲しいんだ』『金歯つけて』とかって、普段言われないようなことばかり言われました。
『若い若い』って。戦後すぐの40代は『もっとすごい老けてたんだ』って言われて。姿勢とか歩き方とか動き始めとか、すごいいろいろ演出してくださいました。とても楽しかった、勉強になりました」

共演の蒼井優さんとは18、19歳の頃からの仲良しで、家族ぐるみの付き合いをしているほど。
「でも初めてだったんですよ、親子役をやったの。なんか感慨深くて。
優ちゃんやっぱり素晴らしいですよね。映画女優として山田組の作品もいっぱい出てますし、改めて映画女優・蒼井優っていうのをそばで見せてもらった気がして、すごい女優さんだなって」

転校を繰り返し、言葉を失いかけた少女時代。演劇との出会いが人生を変え、今では数々の名作に出演する俳優として活躍する神野三鈴さん。母親から受け継いだ前向きさと、4匹の猫たちとの穏やかな日々に支えられているようです。

映画『TOKYOタクシー』は現在公開中です。
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