2025年11月09日Flow 第三百八十回目「拓哉キャプテン × 倍賞千恵子」Part1
今月のマンスリーゲストは、11月21日に公開される映画「TOKYOタクシー」で共演させていただいた、倍賞千恵子さんです。
どんなトークセッションになるのか? お楽しみに!
木村:いや〜、何か不思議。マイクを挟んでこうやってお話をするっていうこと自体、すごい変な感じがしますね。
倍賞:ね(笑)。映画の中で、正面で芝居することもなかったけど。
木村:はい。僕はずっと(隣で)前を向いてたんで。
倍賞:変な感じ〜。
木村:山田監督もいるわけではないですし。
倍賞:そうね。
木村:「東京タクシー」の、倍賞千恵子さんと木村っていう、あのポスターの並びを見てくださった方たちの中で、たくさんの方から「あ、リアルソフィーとハウルだ」みたいな感じのリアクションをいただきましたけども。「ハウルの動く城」の時は、1日だけ共同作業させていただいただけでしたけどね。
この間の東京国際映画祭で、山田監督が仰ってましたね。「実際に僕らがキャメラの前で何かを演じて、それを撮影する、っていうことを、“実写”っていうのは変だね」って。
倍賞:そうそう、言ってたね。「あれは“映画”だよね」って。
木村:「あれは普通に映画だろう? 何で、わざわざ実写って言われなきゃいけないんだ?」っていう。どうしても“アニメ”っていう作品のカテゴリーがそうさせるらしいんですけど。監督が「実写って言うのは何か変だろう。これは映画って普通に言えばいいんだよ」って仰ってましたよね。
倍賞:そう。
木村:倍賞千恵子さん、「山田監督作品が今回で70本目」と書いてありますけど。
倍賞:まるで人のことかな〜と思って聞いてたら、自分がそうだったのね。びっくりした。えー、そんなに出てたんだ。
でも数えてみたら、やっぱり「下町の太陽」からずっと出ていて、「男はつらいよ」が50本もあるから、そのぐらいになっちゃうよね。
木村:「男はつらいよ」が50作あるっていうこと自体が、どんなペースで撮影してたんだ、ってことですよね。
倍賞:最初、1作目をやって、当たって。皆それで終わると思ってたら、終わらないで、次から次へと作っていっちゃって。最初、1年で3本撮影していた期間が結構あったの。
木村:同じシリーズを? 年間3本撮影?
倍賞:そう。それから2本になって、後半は1本になった。
木村:へ〜。じゃあもう、完全に量産しなきゃいけないっていうことですよね。
倍賞:そうね。あの頃は大変だったね。
木村:“あの頃は”って(笑)。
倍賞:若かったからできたのかな(笑)。
木村:そんな倍賞さんなんですが、どう人生をFlowしてきたのか、ちょっとお伺いしたいと思うんですけども。
1941年6月29日、東京都巣鴨の方で(生まれた)。
倍賞:はい。
木村:戦時中は茨城の方に行かれてた、っていうことなんですけども。
倍賞:疎開をしてました。
木村:“倍賞千恵子”っていうお名前は、本名?
倍賞:本名。でもね、SKD(松竹歌劇団)時代に、1回だけ芸名つけたことがあるの。SKDって、団員になる前に3年間の学校生活があって、その学校生活を卒業する時に芸名をつけなきゃいけなくて。
木村:その学校って、松竹音楽舞踊学校。
倍賞:そう。
木村:ここを首席で出てますからね。
倍賞:たまたまね。
木村:いやいや。首席の人ってそう言うんだよな(笑)。「たまたまだよ」って。すげえ!
倍賞:そんなことない(笑)。本当にたまたま。
木村:首席で出て。で、その時に芸名をつけなきゃいけない、と。
倍賞:そう。それで、私、“牧千枝”って。タップダンスが好きで、そのタップの先生に相談したら、牧場の「牧」に、「千」に、「恵む」じゃなくて「枝」って。それで提出したのね。そしたら、上級生に“牧千歳”さんって方がいらして、「似たような名前だから駄目です」って却下されちゃって。それでもう提出から間に合わなくなっちゃって、どうしようと思ってるうちに、「いいや、本名で」って、そのまま出しちゃった。だからそれからそのまんま。
木村:じゃあ、その先輩との被りを気にして、「間に合わないから、これでいいや」っていう。
倍賞:先生から言われたの。「上級生に似たような方がいらっしゃるから、それじゃまずい」って言われて、それで諦めたの。それでまた考えてたんだけど、もう期限がどんどん過ぎていくし、間に合わないし、これでいいやと思ったの。
木村:で、“倍賞千恵子”って出して。
倍賞:それがそのまんまずっと。
木村:SKD、松竹歌劇団なんですけど…。
倍賞:松竹音楽舞踊学校っていうところを卒業したの。そして、それからSKD歌劇団に入ったの。
木村:13期生ということで。
この間、ちょうど僕らが東京国際映画祭でお邪魔した会場があったじゃないですか。そこが元々日劇(日本劇場)だったよ、っていう話をして。
倍賞:そう。日劇ダンシングチームっていうのがあったの。それで、帝国ホテルの並びに宝塚があったのね。
木村:日生劇場があって、その隣ですよね。
倍賞:その一環みたいな感じで、浅草に国際劇場っていうのがあって、卒業してそこに入ると、SKDの歌劇団の団員になれるっていう。
木村:そのSKDの毎日ってどんな毎日なんですか?
倍賞:SKDは、学校生活が3年間あったんだけど、毎年毎年1年ごとに試験があって、それで落ちてったり辞めてったりして。それで卒業して、その間に中間講演というのがあるのね。村田英雄さんとか、フランク永井さんとか、クレージーキャッツみたいな人たちが、その3年間の学校時代に、1週間ぐらい舞台実習としてそこに出るの。
木村:それはどういう形で出るんですか? 歌ですか? 踊りですか?
倍賞:踊りだったり。私は白虎隊で村田英雄さんの弟をやったり(笑)。
木村:お芝居をするんですか?
倍賞:お芝居もするの。あとは、キャーキャーって逃げたりする女の子たちとか。フランク永井さんのなんかはそうだったな。クレージーキャッツの人たちは、踊りをやってる子たちみたいなので出たりして、それが舞台実習。
木村:出演じゃなくて、実習なんですね。
倍賞:そう、実習。だから、村田英雄さんがワーッと歌ってて、後ずさりしながら戻ってきて、弟に「お前、何とか頑張れ頑張れ!」
って言った時に、村田さんは後ろ見えないからいつも頭をカーンって蹴っ飛ばされて(笑)。それで抱きかかえられて「死ぬなよ!」って言われるような、でも死んでいく役をやってた(笑)。
木村:小っちゃい頃、東京巣鴨に生まれ、なぜそっちの、歌・踊り・お芝居っていう方に行ったんですか?
倍賞:私が松竹音楽舞踊学校に入ったのも、歌を歌い出したのも、自分が好きでやったんじゃなくて、「歌ってごらんよ」って言われたりとかしたから。
疎開先で、おじいちゃんおばあちゃんが集まると、「千恵子ちゃん、ちょっとおいで」、「ほら、歌ってごらん」って言われて、教えてもらった「赤城の子守唄」を歌ったのが、それが初めて(「歌って」と言われた時)。
2番目は、疎開中に、茨城の小学校で学校放送ができた時があって。その時に、誰が試しにマイクの前で歌を歌うかを挙手で決められて、それで選ばれて、すごい小さなブースの中で歌を歌ったりしたのが、それが2番目に「歌いなさい」って言われた時。
それから、東京に出てきてからは童謡を歌ってて。それも、お姉ちゃんが歌が好きで、NHKの「のど自慢」に出るって言った時、1人は嫌だから私のはがきと一緒に出しちゃって。で、しょうがないからくっついて行って、それで歌った時に、お姉ちゃんが落っこちて、私は残って、それを聴いていたポリドールの会社の人が「娘さんを立たせてみませんか」っていうことになって。親に言われて、「はい、わかりました」って言って、童謡をやって…。
木村:NHKの「のど自慢」に、付き添い感覚で行ったら…。
倍賞:そう。それでレコード会社の人に見初められて、「入りませんか?」って言われて、入って、童謡歌手になっちゃって。
それで、童謡歌手をやっている頃、変声期になったりして、「さあ、どうしましょう?」なんて言ってる時に、両親がはがきを持ってきて、「あなた、ここを受けてごらんなさい」って言われたのが、松竹音楽舞踊学校。
木村:へえ〜。両親のそのパスがなかったら、絶対に行ってないですよね。
倍賞:そう。皆、「ちょっとやってごらんなさい」、「ちょっとやってごらんなさい」って、それを「はいはい」ってやってるうちに、何かそこまで行って。
で、SKDの歌劇団に入ってから、歌ったり踊ったりして、正式な団員になった年に、松竹の映画会社の方からスカウトマンが来て、スカウトされて、映画の方に行ったのね。
木村:だから、ご自身で、「私は絶対こうなるんだ!」とか、「私はこうなりたいのよ!」っていうことではなく、「あれ? 私、スズメだと思ってたんだけど、ひょっとしてカナリア?」っていうことですよね。で、カナリアだと思ってたら、「あれ? 私、クジャクじゃない?」みたいな(笑)。
倍賞:すごいわかりやすい(笑)。そういう綺麗な風に言ってくれたら、そうかもしれないな。
木村:いや、今のお話を聞く限りでは、かなりそういう感じでしたけどね。そうなんですね。
倍賞:だから、「若い時の夢はなんですか?」って言われると、「夢って何だったんだろう?」って思うの。気がつくと、自分の前に何かがあって、「はい、ここ」って言われて、「あれ? この道はずいぶん遠いな」って思いながら、その道に行って。その道に到達した頃に、「はい、今度はこの道」って言われて、「あら、今度のこの道は短いんだな」と思いながら、みたいな。
木村:へぇ〜。
倍賞:だから、いつも自分の前に誰かが道を作ってくれていたのかな?
木村:そうなんだよな。自分でコンパスを覗き込んだり、地図を広げたり、っていうことではなく、なぜかそのタイミングでナビゲーターがいらっしゃって、「次、こっちね」って言って、「え〜、遠くない?」って言いながら歩いてたら…、ってことですよね。
倍賞:そう。そういう感じ。
木村:すげーな。
倍賞:何だかわかんないけど、そんなふうに選ばれて。疎開先でも、「ピアノを習う人〜」って言ったら選ばれて、ピアノを習う人になって。
木村:自分でやりたいっていうことじゃないんですよね。
倍賞:うん、そうなの(笑)。そうすると、先生がうちまで送ってくれたりとかして。だから昔は「えこひいき」って言われたりしたこともあった。
木村:不思議だな〜。
女優さんとしては、1961年のSKDを退団された後に、松竹の映画「斑女」でデビュー。活躍を始める。ということなんですけど。
倍賞:そうですね。昭和36年か。
木村:へぇ〜。
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