NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest戸田菜穂さん

戸田菜穂さん

1974年生まれ。広島県出身。1990年、「第15回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを獲得し、翌年芸能界デビュー。17歳でドラマ「葡萄が目にしみる」でドラマ初主演を飾り、1993年、連続テレビ小説『ええにょぼ』のヒロインに抜擢される。その後、フジテレビ「ショムニ」、映画「スカイハイ」、「GANTZ」「少女たちの羅針盤」など、数々のドラマや映画に出演。

女優としての幅広い役作り、そして、妻、母としての奮闘の日々

2024/04/27
可憐なヒロインから、理想の妻、そして悪役、コミカルな役まで、幅広い演技で観る者を魅了する女優・戸田菜穂さん。
役作りはあくまでも自己流だそうで、その役の経歴、背景、心の動き方などを想像・確立し、肉付けしていくというすることからスタート。
演技学校などへ通った経験がないことから、「今でも自分のことを「女優」と言って良いのか戸惑」という控え目な言葉にも驚きでした。

そんな戸田さんですが、2010年に結婚。現在、2児の母としても奮闘中の日々を過ごされています。

「結婚してから、常に安心感があるので、ますます何か挑戦してみたいって思うようになるというか、帰るところがあるっていうか・・・ありがたいです。」と語る戸田さん、娘さんたちに「ママ、いい演技してきてね!」と励まされることもあるのだとか。
もともと、ご実家も仲が良く、皆で一致団結!というご家庭で育った戸田さんが、更に家族の輪を広げ、素敵なファミリー
を作られているようです。

妻、母、女優と多忙な日々を過ごされている戸田さんですが、更に多趣味なことでも有名!
俳句、書道、インテリア、そして、南部ソーラン節??
お子さんの卒業式の会で、お母様方と踊ったというその踊りのパワフルさには、スタッフ一同脱帽でした。

今年50歳となり、ますますパワフルに活動されている戸田菜穂さん、
最近大好きだった祖母二人を亡くされたそうですが、97歳、105歳とお二人とも大往生!
その生き様に学ぶところもたくさんあったのだとか。悲しさとともに、何かを心に刻みながら生きる、今を大切に生きるということを真剣に考える機会になったといいます。

常に新人のときのような緊張感を忘れず、今後も様々な役に挑戦したり、パリや京都にも暮らしてみたいと夢広がる戸田菜穂さん。晴れやかで素敵な笑顔で、今回もたっぷりお話いただきました。
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朝ドラ大抜擢、そして夢だった向田作品

2024/04/20
先週は戸田さんのデビューのきっかけとなったホリプロタレントスカウトキャラバンの話、そして初めての初主演作について伺いましたが、今日は、戸田さんの人気がさらに全国区となった1993年のNHKの朝の連続ドラマ小説「ええにょぼ」のお話。

当時、18歳だった戸田さんですが、「ええにょぼ」で演じられたのは、25歳の研修医で、遠距離夫婦の妻役。オーディションで決まった時にも、発表まで家族以外の誰にも言ってはいけないと言われ、でも、とにかく嬉しくて、住んでいた駅のホームのから見る景色が違って見えたほどだったとか。

共演された方々も柴田恭平さん、和田アキ子さん、香山美子さんなどなど大先輩方ばかりだったという現場ですが、撮影に入る前に、草笛光子さんがアドバイスをくださったそう。

『「まだ演技みたいなものは何もできないだろうから、みんなにかわいがられて、挨拶をしっかりして。いつ行ってもすぐに本番に入れるように体操して整えて、よろしくお願いしますって気持ちで毎日行きなさい」って言ってくださって、今になったらそれがすごい大事だなっていうのがよくわかって。いい言葉をもらったなと思ってます。』

その後も、草笛さんは、大阪での撮影の際にも見に来てくださったり、数年前にもNHKでお会いした時には、「いい女優さんになったわね」と抱きしめてくださったり・・・戸田さんにとって本当に大きな存在となっているようです。

そして、このあたりから演技に欲が出てきたという戸田さん。もっと演技が上手になりたいと思っていたところにオファーがあったのが、相米慎二監督作品「夏の庭」でした。
なかなかOKを出さない監督として有名な相米慎二監督。実際に現場でもNGの連続で
毎日、逃げたくなるような、初めて追い込まれた経験だったと振り返ります。

「駄目。駄目。タコ!って言われて、ロールチェンジって・・・フィルム1本無駄にするわけですよ。なんか申し訳ないって思いでした。
今でも台本を持っていて、この間見てみたら、足の親指に力を入れて立って!って書いてあって・・・
監督に言われたことを書いてたんですよね。
なんか芯が揺れたら駄目っていうか。いろんな意味でおっしゃったんでしょうけどね。
心の意味も込めて、うん堂々とやりなさいということかなと思って」

立ち方、仕草、演技、目線、と全てにダメ出しされるような日々を乗り越えた戸田さん。
この作品は今でも思い出深い作品となっているようです。
そして、その翌年には、以前から夢だった向田邦子さん原作ドラマへの出演が決まります。

向田邦子終戦特別企画「いつか見た青い空」・・・
小学生の頃から、向田邦子さんのエッセイを読んでいたという戸田さん、ドラマもよく見ていたことから、憧れの作品となっていました。

「もうこんなにすぐに夢が叶っちゃったっていう感じでした。でも、ものすごい鍛えられました。
演出家の久世光彦さんは、厳しいことで有名な監督さんで。リハーサル室の隅っこで泣いちゃったりも・・・
でも何本も呼んでいただいたので、もしかして期待してくださってるから厳しく指導してくださってるんだなと思って、嬉しくもありました。」

名演出家に大御所俳優さんばかりの現場でも歯を食いしばって取り組んだという戸田さん、
今では、宝物のような時間だったと当時を振り返ります。

戸田菜穂さんのお話、来週は、ご家族やプライベートについてたっぷり伺います。
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広島から180度違う芸能の世界へ

2024/04/13
先週は、中学受験で味わった挫折、
そこから勉強に真剣に励むようになった戸田さんの幼少期のお話を伺いましたが、
戸田さんのデビューのきっかけとなったのが、1990年のホリプロタレントスカウトキャラバン。
偶然見かけた雑誌「デビュー」を手に取ったことがまさに運命の瞬間でした。

「本屋さんの前を通りかかって、その表紙とぱっと目があった」と
今でも当時の記憶がはっきりと残っているそうで、
ご両親を、「絶対多分受からないから記念にはんこ押して!」と説き伏せ、応募、
すると予選、本戦と勝ち抜いて行きました。

「チャンスの神様を信じているタイプなんで絶対駄目っていう感じではないんですけど、
まさか受かるわけないっていう・・・、
通知が来て、広島の予選があるし、行ける場所だったので、
水着とかもあるけど恥ずかしいなと思いながら高2の夏休みの思い出です。」

そして、見事グランプリを受賞!
その際には、千葉真一さんが思わぬ一言をくださったとか・・・

「いよいよ最後のグランプリ発表です!っていう時に後ろに控えているんですけど、
そこで、千葉真一さんが「いつか共演しましょうね」ってこそっと言ってくださって、
どういうこと?って思いました。でも、あれ?もしかして?みたいな。
でも、その後、1回もお会いしてないし、共演できなかったので、残念でした」

残念ながら千葉さんとは共演が叶いませんでしたが、
息子さんの眞栄田郷敦さんのお母さん役をこの春演じることになった戸田さん。
これも何かの縁なのかもしれません。

グランプリ受賞後は、急に大人の世界に入った感覚で、広島から飛行機で仕事に通う日々。
そして、ドラマ「5月の風」でデビューとなりました。

「(鈴木)保奈美さんが主役の、スペシャルドラマだったんですけど。
私は、高校生喫茶店のウェイトレスの役で。喫茶店で撮影すると思ってたら、
喫茶店が半分に割れたようなスタジオで、え?ここでやるの?みたいな感じでした。
自分のセリフが終わったら何していいかわからなくて・・・」
まさに、広島の高校生にとってカルチャーショックな瞬間でした。

演技の勉強も何もないところからのスタートながら、翌年には、ドラマ「葡萄が目にしみる」で初主演。
「林真理子さんの小説で、山梨の新学校に通う女の子。等身大の役で、
でも林真理子さんの自伝的な小説なんですけど、すごい思い出深い作品、私の原点です。
リハーサルも時間をかけてやっていただいて、毎日が戦いというか、よく泣いたりしてましたね」

方言の修正、わからない演技・・・
大変な試練ながら、クランクアップの際には、「終わりたくない」と泣いたことも。
「綺麗で楽しそうな世界だと漠然と思っていたのが、こんなにも精神的にも、肉体的にも、
大変な世界なんだと学んで・・・でも好き!って思ったんです。」と当時を振り返る戸田さん。
基礎を築いてもらった作品とお話しされていました。

女優としての厳しい道のりを歩み始めた戸田さん。来週は、大抜擢となった朝ドラについてお話し伺います。
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幼少期、そして初めての挫折

2024/04/06
唐橋さんとは同年代の戸田菜穂さん。
クールビューティーなイメージを覆し、表情豊かに、
大きめの身振り手振りでよく笑われる姿は、とてもチャーミング。
現在は二児の母であり、女優業も精力的にこなし、この春は2本のドラマに出演中。

そんな戸田さんの土曜日の朝は?

「朝が大好きで、もう5時とかに起きたりして・・・
早起きしてコーヒーを飲んで、すぐに動き出すタイプです。家事をしたり、仕事だったり。
時には、郊外にある海が見える家で朝から庭の手入れをしたり・・・」

お子さんは12歳と9歳。
全く性格も違が違う二人についつい厳しくしてしまうこともあるという戸田さん。
ご自身は、3人兄弟の長女で、怒られたことがあまりなかったと幼少期を振り返ります。
現在は、母親役も多く、4月8日スタートの月9ドラマ「366日」では
眞栄田郷敦さん演じる遙斗の母親役を演じられ、
こちらは、お好み焼き屋さんの女将さんで、チャキチャキした明るい役なんだとか。

そんな戸田さんの幼少期は・・・

「夢見る子供で、現実の大人の世界がちょっと怖いって思ってました。
だから家の屋上に上がって、流れ星を見つけてお姫様になりますように、って
お願いしちゃったり。
おとなしい子供で。でも、意思をはっきり言えないタイプだったので、
小学校の担任の先生が心配してくださって、バレーボールを始めて、
少し活発になって友達と馴染めるようになっていったんです」

幼少期からの少し渋めのテイスト・・・
「母親が岸恵子さんや吉永小百合さんなどの作品が好きで、
綺麗だなぁと思ってはいたんですが、自分がなりたいとは思っていませんでした。
素敵なお仕事があるんだなあっていう程度。
岸さんと言えば、向田邦子さんのドラマも好きでみてました。」

当時はアイドル全盛期。そんな中でも戸田さんが憧れたのは、
中森明菜さん、後藤久美子さん、宮沢りえさん、「マドンナたちのララバイ」を歌うというちょっとおませなテイスト。
そして、趣味も国語の授業で読むようになった俳句。
こちらは今でも月一回、俳句会に参加するほど一生の趣味になっているそうです。

そんな感性を養ってくれた母の影響・・・
「母はフランスが好きだったり異国の風を私の家に入れてくれた人。
好奇心が強くて、存在感もすごくて、小さい町の参観日なのに、
コムデギャルソンみたいなのを着て、真っ赤な口紅でやってきて・・・
当時はすごく刺激的でしたね」

感性が一番!というお母様は、人形浄瑠璃、クラシック、美術館など
数々の文化施設に子供たちを連れて行き、
「なんでこんなに色々行かなきゃならないの?」と思うほど、情操教育をされたそう。
今思うと本当に良い環境だったと、当時を振り返ります。

そんな戸田さんの初めての挫折は中学受験・・・
両親の勧めで中学受験をすることになり、ちゃんと勉強もせず受験をしたため結果は不合格。
ですが小学校の先生からかけられた、「これから見返せばいいんだから」の一言で一念発起。
中学時代は猛勉強の日々を過ごし、どんどん成績もアップ!

「悔しい思いがあったからこそ勉強に目覚めたし、色々な運命が変わりました。
この時期鍛えられた負けず嫌いな精神も女優業に役立ちましたし、
そもそも中学で合格していたら、この道に入っていなかったかも」

そんなポジティブな戸田菜穂さん。
来週は、芸能界デビューのお話を伺います。
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