NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest中野信子さん

中野信子さん

1975年東京生まれ。2008年から2010年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に博士研究員として勤務。著書に『脳内麻薬』『脳はどこまでコントロールできるか?』『サイコパス』『空気を読む脳』『ペルソナ』等。脳や心理学をテーマに研究を精力的に行っている。脳科学の視点から人間社会で起こる現象や人物を読み解く力に定評がある。

運命的とも言える結婚、新たなる発見の日々

2024/05/25
今週も脳科学者の中野信子さんのお話を伺っています。

東京大学、大学院と進まれ、フランスで研究を行う日々だった中野さん、
まさに運命的とも言える出会いで結婚を決め、フランスでの就職も決まっていたにもかかわらず、帰国。

帰国後は、研究の道ではなくアルバイト的に物書きをすることに。

「本当に勝手がわからなくて。何でわからないかっていうと、説明する対象が設定できないんですよね。
要するに大学院時代は説明する相手はある程度、その分野のことを知っている人であったり、
理系の相手なので、文章も自然とそうなっちゃう。
でも、そうやって書かれた文章ってのは非常に読みにくいんですよ。
こういうふうに書いちゃいけないんだなっていうのを編集者さんなどから、学んで・・・
トレーニングの過程というのは、すごく楽しかったな」

そして執筆された一冊の本がきっかけで、テレビ番組のコメンテーターとしての道が開けます。
ですがメディアは初めてだったという中野さんにとって、
テレビ出演は大きなチャレンジだったようです。

「これも最初苦労して、コメンテーターって、専門家というわけでもなく、
でも一般的な視聴者でもなく。
テレビに向かって一言言いたい人たちの代弁者という役割もあるし、
その人たちの言うことを受け止める役でもある。
そういう潤滑剤のクッションの役割を果たしていて、
その人がそういう役割を担いながら言う言葉っていうのを発しないといけない。
でもありきたりの言葉はダメで・・・
それが最初はわからなかった。学会発表みたいに喋っちって、絶対それが届かないの。」

何事も研究を重ね、学んでいく中野さん、
趣味も多才で、
スキューバダイビングにピアノに・・・
最近は、自分の中の女性性を受け入れようという気持ちになっているそうで、
ファッションにも変化が生まれているとか。

そんな中野さんの10年後は??

「10年後もやっぱり海に潜りたいし、何かもっとできることも増やしたいし。
今、今一生懸命やらなきゃできないようなことを、もっとスムーズにきっとできてるように
なるんだろうな。あと多分今思いもよらないような課題があって。
それに右往左往してるんだと思うんですよね。
でも、なんか、今よりもっと大きな課題をクリアしたい。」

今後も中野さんにとって、更なる挑戦、成長は続くようです。




されたということで。
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東大大学院からフランスへ・・・ 文化の違いに驚いた日々

2024/05/18
メディア出演に執筆にと大活躍の脳科学者、中野信子さん。
今回は、大学院卒業後に渡られたフランスでのお話。
中野さんが感じられた文化の違い、
そして、その後の人生を変える大きな出会いについて伺いました。

もともとコミュニケーションをとるのが苦手で、
幼少期には苦労された中野さんですが、
大学・大学院時代では、かなりのびのびと過ごされたよう。
研究だけでなく、アートの話や音楽の話をしたり、
様々な議論をする中で色々な様子を身につけることができたと振り返ります。

そんな中野さんが博士号取得後に渡ったのがフランス。
ニューロスピンで研究員としての仕事が始まります。

「ここは面白かったですね。
研究所がパリからちょっと離れてるんですが、
朝、9時、10時前にはバスは研究所に着く。
そこからちょっとコーヒーを飲んで10時半頃からぼちぼち仕事をし、
12時には食堂に行き、2時間ランチをとって、少し仕事をして3時にはコーヒータイム。
1時間ぐらい喋って、4時からゆるゆる仕事をし。6時にはもう誰もいない。
いつ仕事してんのって感じでしょ?でもね、このお喋りの時間とかにディスカッションしてるんです、
そのディスカッションの時間にアイディアを効率よく研究にまとめて、
必要なところだけをピンポイントで実験し、ちゃんとプロダクティビティ高い状態に持ってってるんですよね。
これは日本のやり方と全然違うなと思いました。」

日本とは全く違う働き方ながら、充実した日々を送られた中野さん、
さらにこの時期にはご自身の能力にも変化が訪れたと言います。

「本当に記憶力に自信が持てるっていう状態では全くなくなり、
昔だったらもっと単語を覚えられたのが本当に抜けるようになって。
だから書いて覚えるっていうことをすごくやるようになったし、
なるべく喋って覚えるようになりました。」

以前とは違う記憶法・・・
その一方で、高まっていったのが文章作成能力だったと言います。
それまで作文が苦手だったという中野さんですが、
この頃から文章を書くのが楽になって行ったそう。
現在のお仕事にもつながる転換期だったようです。

さらにフランスで魅了されたのが、現代アートの世界。
パリのポンピドゥセンターで出会ったサイ・トゥオンブリーの絵に衝撃をうけ、
現在も森美術館の理事をされているほど。
「ちょっと見る人が見たら、本当に黒板に落書きしたみたいな絵だったり、
ただのグレーの絵の具が、一面に流されているだけのように見えるものなんですけど、
でも、そこには描かれているものがちゃんとあるんです。
こういう表現する人もいるんだと思って、かっこいいなって。
すっかり現代アートファンになったんですよね。」

そんな様々な出会いがあったフランス、
当時は就職先の内定も出ていたという中野さんですが、
帰国を決意されるきっかけとなったのは、
ご主人、中野圭さんとの出会いでした。

「私も大概おかしいですけど、本当に面白いんですよね。
何か言っても正面から帰ってこない。こっちにボール投げたのに、
あれっというところから入ってくるっていうのがあって。
これはいいなって・・・
こんな事で決めていいのかなと思いましたけど、でもいいなと思ったから、もういいんです。」

帰国をきっかけに、新たなキャリアへと進まれる中野信子さん。
来週は、現在のお仕事、そして、多才な趣味についても
伺っていきます。
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独学で進んだ脳科学への道、意外な大学生活

2024/05/11
脳科学者として、メディアでも大活躍の中野信子さん、
脳科学に興味を持ったきっかけは、自分が他の子と「違う」と感じたところから。
クラスメイトや同年代の子供達とうまくコミュニケーションを取るためには、
自分の脳の中の問題を発見しなければ、と思ったと言います。

中学時代から、脳や心理学にまつわる本を読み、
基本的な知識を得た中野さんが、進んだのは、東大工学部。
臨床を行う医学部ではなく、脳を測定する分野を選ぶことで、
より、現実的に、脳を解明することに集中したかったというもの。

独学で東大合格、男性ばかりの工学部では、
個性豊かな学生たちが多く、自分の「変」な部分が目立たないほど。
そんな環境で、麻雀と研究に明け暮れた大学生活。
更に、大学院に進んだ中野さんですが、その頃、
人生の分岐点とも言える変化を味わいます。

「私にとっては、脳が変わった時期という感じなんですが、
大体見たものは覚えていて、忘れないはずだと思っていたのが、他人は覚えてて私は覚えてないっていう現象が起きて。
私に忘れるっていうことが起きるんだ!と結構ショックで。脳が変わったんだなって思いました」

これまで簡単だった勉強にも変化が生まれ、
一方で、苦手だった作文が得意になったりと、変化を味わった中野さん。
ショックであると同時に、「普通」になっていく感覚も味わったと言います。

そんな中野さんが教えてくださった頭脳と成功の関係は・・・
「能力があると自負している人の成功は、その能力とほぼ関係ない」というもの。
成功の鍵となる偶然をつかめるかどうかは、その人の性格や行動パターンなども大きく関係し、
努力ももちろん大きな要因。多くの人にチャンスがあることを教えてくださいました。

中野さんにとって生きづらかったという20代の日々でしたが、
大学院時代は研究に没頭する日々が楽しかったという中野さん。
「私は全然順風満帆じゃない。エリートの王道を進んでないし、
はみ出しっ子がなんとかしがみついて生きてる感じ。
自分がすごいと思えるタイミングなんてない。」という言葉も印象的でした。

来週は、中野さんのフランスでの研究の日々について伺います。
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人とは違う自分、「変わった子」と言われた幼少時代

2024/05/04
脳科学者で、医学博士、元メンサ会員という中野信子さん、
クールで、美しい才女のイメージですが・・・

3日休みができたら速攻で海に行っちゃう!という中野さん、
スキューバダイビングがお好きで、朝9時には、1本目を潜る時間なんだとか。
体力がある時には、午前、午後と潜り、ナイトスキューバを楽しむことも。
スキューバダイビングというと、イルカと泳ぎたい、魚に遭遇したい、という目的がある方が多い中、中野さんは、海の自然を楽しむ派。浮遊感を楽しんだり、光の感じや風景を見に行かれるそう。

そんな中野さんの幼少期とは?

東京から茨城へ移り住み、自然豊かな環境で育ったという中野さんですが、
子供の頃から何か他の子とは「違う」と感じ、悩んでいたそう。

「普通のつもりなんですけど、周りの人が「変」というので、何が変なんだろうと思ってその辺の理由を考えていると、ああ確かに皆ができることを私はできてない!っていうのがしばしばありました。妹は周りから変な顔されないのに、私にはみんな変な顔する率が高い・・・なんかおかしいぞ、と」

テストはいつも満点。反対に、なぜ授業で習ったことが答えられないのかわからなかったという中野さんにとって、どうしても上手くできなかったのが、コミュニケーション。
職員室に呼ばれるほどで、自分では気が付かない中、大変だと思わなければいけないのかも・・・と感じ始めます。

「コミュニケーションは雛形もないし、皆ができるのに私が出来てないってことは、人体のどこかがおかしい・・・多分、それは脳がおかしいはずだから脳の勉強をしないといけないのかなって思って」

学校では教えてくれない、脳の知識。それを求めて本屋さんに行ったことをよく覚えているという中野さん。ですが、当時は、まだ脳とコミュニケーションの研究がそれほど進んでいなかった時代。大人に相談しても理解してもらえない日々が続きます。

来週は、そんな中野信子さんの大学時代のお話。
東大に入学した中野さん、どんな大学生活だったのでしょうか?
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