東大大学院からフランスへ・・・ 文化の違いに驚いた日々
2024/05/18
メディア出演に執筆にと大活躍の脳科学者、中野信子さん。
今回は、大学院卒業後に渡られたフランスでのお話。
中野さんが感じられた文化の違い、
そして、その後の人生を変える大きな出会いについて伺いました。
もともとコミュニケーションをとるのが苦手で、
幼少期には苦労された中野さんですが、
大学・大学院時代では、かなりのびのびと過ごされたよう。
研究だけでなく、アートの話や音楽の話をしたり、
様々な議論をする中で色々な様子を身につけることができたと振り返ります。
そんな中野さんが博士号取得後に渡ったのがフランス。
ニューロスピンで研究員としての仕事が始まります。
「ここは面白かったですね。
研究所がパリからちょっと離れてるんですが、
朝、9時、10時前にはバスは研究所に着く。
そこからちょっとコーヒーを飲んで10時半頃からぼちぼち仕事をし、
12時には食堂に行き、2時間ランチをとって、少し仕事をして3時にはコーヒータイム。
1時間ぐらい喋って、4時からゆるゆる仕事をし。6時にはもう誰もいない。
いつ仕事してんのって感じでしょ?でもね、このお喋りの時間とかにディスカッションしてるんです、
そのディスカッションの時間にアイディアを効率よく研究にまとめて、
必要なところだけをピンポイントで実験し、ちゃんとプロダクティビティ高い状態に持ってってるんですよね。
これは日本のやり方と全然違うなと思いました。」
日本とは全く違う働き方ながら、充実した日々を送られた中野さん、
さらにこの時期にはご自身の能力にも変化が訪れたと言います。
「本当に記憶力に自信が持てるっていう状態では全くなくなり、
昔だったらもっと単語を覚えられたのが本当に抜けるようになって。
だから書いて覚えるっていうことをすごくやるようになったし、
なるべく喋って覚えるようになりました。」
以前とは違う記憶法・・・
その一方で、高まっていったのが文章作成能力だったと言います。
それまで作文が苦手だったという中野さんですが、
この頃から文章を書くのが楽になって行ったそう。
現在のお仕事にもつながる転換期だったようです。
さらにフランスで魅了されたのが、現代アートの世界。
パリのポンピドゥセンターで出会ったサイ・トゥオンブリーの絵に衝撃をうけ、
現在も森美術館の理事をされているほど。
「ちょっと見る人が見たら、本当に黒板に落書きしたみたいな絵だったり、
ただのグレーの絵の具が、一面に流されているだけのように見えるものなんですけど、
でも、そこには描かれているものがちゃんとあるんです。
こういう表現する人もいるんだと思って、かっこいいなって。
すっかり現代アートファンになったんですよね。」
そんな様々な出会いがあったフランス、
当時は就職先の内定も出ていたという中野さんですが、
帰国を決意されるきっかけとなったのは、
ご主人、中野圭さんとの出会いでした。
「私も大概おかしいですけど、本当に面白いんですよね。
何か言っても正面から帰ってこない。こっちにボール投げたのに、
あれっというところから入ってくるっていうのがあって。
これはいいなって・・・
こんな事で決めていいのかなと思いましたけど、でもいいなと思ったから、もういいんです。」
帰国をきっかけに、新たなキャリアへと進まれる中野信子さん。
来週は、現在のお仕事、そして、多才な趣味についても
伺っていきます。
今回は、大学院卒業後に渡られたフランスでのお話。
中野さんが感じられた文化の違い、
そして、その後の人生を変える大きな出会いについて伺いました。
もともとコミュニケーションをとるのが苦手で、
幼少期には苦労された中野さんですが、
大学・大学院時代では、かなりのびのびと過ごされたよう。
研究だけでなく、アートの話や音楽の話をしたり、
様々な議論をする中で色々な様子を身につけることができたと振り返ります。
そんな中野さんが博士号取得後に渡ったのがフランス。
ニューロスピンで研究員としての仕事が始まります。
「ここは面白かったですね。
研究所がパリからちょっと離れてるんですが、
朝、9時、10時前にはバスは研究所に着く。
そこからちょっとコーヒーを飲んで10時半頃からぼちぼち仕事をし、
12時には食堂に行き、2時間ランチをとって、少し仕事をして3時にはコーヒータイム。
1時間ぐらい喋って、4時からゆるゆる仕事をし。6時にはもう誰もいない。
いつ仕事してんのって感じでしょ?でもね、このお喋りの時間とかにディスカッションしてるんです、
そのディスカッションの時間にアイディアを効率よく研究にまとめて、
必要なところだけをピンポイントで実験し、ちゃんとプロダクティビティ高い状態に持ってってるんですよね。
これは日本のやり方と全然違うなと思いました。」
日本とは全く違う働き方ながら、充実した日々を送られた中野さん、
さらにこの時期にはご自身の能力にも変化が訪れたと言います。
「本当に記憶力に自信が持てるっていう状態では全くなくなり、
昔だったらもっと単語を覚えられたのが本当に抜けるようになって。
だから書いて覚えるっていうことをすごくやるようになったし、
なるべく喋って覚えるようになりました。」
以前とは違う記憶法・・・
その一方で、高まっていったのが文章作成能力だったと言います。
それまで作文が苦手だったという中野さんですが、
この頃から文章を書くのが楽になって行ったそう。
現在のお仕事にもつながる転換期だったようです。
さらにフランスで魅了されたのが、現代アートの世界。
パリのポンピドゥセンターで出会ったサイ・トゥオンブリーの絵に衝撃をうけ、
現在も森美術館の理事をされているほど。
「ちょっと見る人が見たら、本当に黒板に落書きしたみたいな絵だったり、
ただのグレーの絵の具が、一面に流されているだけのように見えるものなんですけど、
でも、そこには描かれているものがちゃんとあるんです。
こういう表現する人もいるんだと思って、かっこいいなって。
すっかり現代アートファンになったんですよね。」
そんな様々な出会いがあったフランス、
当時は就職先の内定も出ていたという中野さんですが、
帰国を決意されるきっかけとなったのは、
ご主人、中野圭さんとの出会いでした。
「私も大概おかしいですけど、本当に面白いんですよね。
何か言っても正面から帰ってこない。こっちにボール投げたのに、
あれっというところから入ってくるっていうのがあって。
これはいいなって・・・
こんな事で決めていいのかなと思いましたけど、でもいいなと思ったから、もういいんです。」
帰国をきっかけに、新たなキャリアへと進まれる中野信子さん。
来週は、現在のお仕事、そして、多才な趣味についても
伺っていきます。