今月ご乗船いただくのは、日本を代表する雅楽師の東儀秀樹さんです。
篳篥(ひちりき)を中心に様々な楽器を演奏されますが、海外での音楽活動もさかんで、旅の経験も豊富でいらっしゃいます。

伝承文化である雅楽の奏者にして、国際人である東儀さんに色々な旅のお話をおうかがいしていきます。


ー 自分が日本人という意識が強かったですね ー


干場「篳篥(ひちりき)、笙(しょう)の音色を聴かせていただきましたけど、素晴らしい音色ですね。ご両親も楽器をされていたのですか?」

東儀「この音を、昔の人は天から降り注ぐ光を表したんですよ。東儀家は1400年前から、この楽器をやるための家として存在していたんだけど、やらなければいけないわけでは無かったので、僕は自由だったんですよ。でも、小さい頃から音楽が好きだったんです。祖父は演奏家でしたが、父は商社マンで海外勤務が多かった為、僕はずっと海外に住んでいたんですよ。雅楽とはほど遠い環境でしたね」

干場「それが何故、そういう道に進んだんですか?」

東儀「ロックやジャズに興味があったので、バンドでギターを弾いたりしてて、そっちの方で身をたてようと高校の頃思っていました。でも、どうせ音楽の道なら、東儀家として雅楽に目を向けてもいいんじゃないかと言われて。それに海外に住んでいた分、自分が日本人という意識が強かったですね。日本人が日本の文化を背負えるというのは、誇りの部分、責任の部分ですごくいいんじゃないかと思ったんですよ」

干場「その思いが出来たのはいつぐらいですか?」

東儀「高2くらいですね。日本人だというアイデンティティを気にするようになったのは、中学生くらいの頃でした」

干場「住んでいたのは、どちらの国だったんですか?」

東儀「1歳から7歳までがタイのバンコクで、中1、中2をメキシコシティで過ごしました。外国人の方が日本を間違って認識をしていたり、誤解してる部分はきちんと知ってもらいたいと、小さい頃から思っていたんですよ」

干場「国際色が豊ですね(笑)」

東儀「雅楽という日本文化をやるようになったのは、仕向けられているような縁を感じたんですよね。ピアノ、ギター、ベース、ドラム、どれも人のを見ていて、出来るようになったんですよ」

干場「習った事はなくて出来るようになったんですか。すごいですね」

東儀「雅楽をやるのに全然関係のない楽器、西洋ポップスとかをやって来た事が、篳篥の良さを引き出すのにものすごく良かったですね」

干場「一番最初に手にした楽器は何だったんですか?」

東儀「楽器ではないんですけど、僕は幼稚園の時にビートルズにすごくハマりました。ビートルズになりたいと思って、段ボールをギターの形に切って、そこに糸を張って、音もしないんだけど、それを抱えているのが、自分ではそれを楽器だと思っていました」

干場「東儀さんのルーツを探っていくと、ビートルズにぶち当たると、それは意外ですね(笑)」



「船には約1000人のお客様に対して、約700人のお世話係が乗船してるという事ですが、皆さんは船内でどのように過ごされているのでしょうか?」

クルーズ船というのは、一つの街。
街がそのまま動いているので、水道屋さん、ペンキ屋さん、電気屋さん、お医者さんと、あらゆる職種の方が乗船しています。
船が動きながらペンキも塗る、水道が詰まれば修理もします。

レストランで言えば、朝は朝ご飯のユニフォームを着て働き、昼になると洋服に着替え、違うお店へ。
夜になれば、夜のウェイターとなり働く。
1人のウェイターさんは5着〜6着のユニフォームを持ち、朝から晩まで、時間帯によって違うユニフォーム、お店で働いているんです。

クルーズ船には、見えない所にも働いている人がたくさんいるんです。
そういう人達を見て過ごすのも、また面白いですね。