人間臭い出会い方

佐藤浩市(俳優)×三島有紀子(映画監督)

2022

02.18

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1980年に俳優デビューし、翌年、映画『青春の門』でブルーリボン賞新人賞を受賞。日本を代表する俳優として活躍中の佐藤さん。昨年末には、歌手として初のアルバム『役者唄 60 ALIVE』もリリースしました。一方、三島さんは、18歳からインディーズ映画を撮り始め、大学卒業後、NHKに入局。市井の人々を追う人間ドキュメンタリーを数多く企画・監督されます。その後、映画を撮るため独立、数々の作品を発表し、『幼な子われらに生まれ』で第41回モントリオール世界映画祭審査員特別大賞を受賞されています。

初対面は、原田芳雄邸



佐藤
どうも、こんにちは。

三島
こんにちは、お久しぶりです。

佐藤
三島さんと会ったのは、3年前?4年前?

三島
3年ぐらい前かな。原田芳雄さんのお宅でですよね。

佐藤
餅つきと称して、年末、芳雄さんの家で集まる会がずっとありまして、芳雄さんが亡くなった後もその会だけは存続したいというみんなの気持ちがあって、ずっと集まっていて、そこでお会いしたのが初めてで、「今度、何かご一緒に」なんて話をしていたとは思うんだけど、酒の上での話が、本当になるとは、40年前の新宿みたい。僕らの映画の世界だと、飲み屋で会って、今度、なんかやろうよと話がそのまま形になるのがあったわけで、そういう映画界の慣習は、最近はもうないじゃないですか。まさか、今回、具体化するとは思いもよらなかったので、昔っぽい懐かしい、そういう流れの中で映画が作られたと思うし、映画自体も三島さんに失礼かもしれないけど、昭和な匂いがする。悪い意味じゃなくてね。すごく詩的な部分で客が付いてこられたら、付いてこいみたいな、映画が客をうまく先導する昭和っぽさがあったと思うんですけど。

三島
出会い自体が人間臭いと思うんですけど、元々、芳雄さんのファンで、芳雄さんの家に連れて行っていただいて、まさかそこで、佐藤浩市さんとお話しすることができるなんて、という感じだったんですよ。『青春の門』や『魚影の群れ』など子供の頃からずっと作品を観てきて、その方が目の前にいて、緊張して何も話せない中、私はちびちびと酒を飲んでいたわけですよ。そうすると浩市さんが声をかけてきてくれて、『幼な子われらに生まれ』を観たよと、まず、そのことに驚いて、そこから瀬々監督の『楽園』に浩市さんが出られていて、その時のお芝居に私が感銘を受けたシーンがありまして、その話をひたすらして、最後には、浩市さんが、「またな、何か一緒に映画をやろうな」と言ってくださったことを自分はずっと覚えていて、映画を作る中で浩市さんにやって頂ける役ができたら、これは恥も外聞もなく、お願いに行きたいなとあの時から自分の中にずっとあったというのがありますね。

佐藤
申し訳ないというか、酒の席での話は、ほとんど覚えていない人間なので。

三島
再会した時、最初にそう言われましたよね。

佐藤
『楽園』や『ヘヴンズ ストーリー』とか、瀬々監督作品の話をしたのと、当たり前だけど映画人だなという嬉しさの中で話が弾んでいく、そんな感じだったのは覚えていますけどね。

三島
嬉しいですね。


執念が詰まった作品



2月18日から公開になる短編映画制作プロジェクト「MIRRORLIAR FILMS」Season2は、変化についての物語をテーマに9人の監督が参加しています。三島さん監督作品『IMPERIAL大阪堂島出入橋』は、監督自身の思い出の店である大阪・堂島の洋食レストランの店をきっかけに、在りし日の店を記録として残そうとした私小説的なストーリー。その中で、佐藤さんは、35年間、店と共に歴史を積み重ねてきたシェフを演じています。この作品は、圧巻のワンカット長回しで、撮影されました。

三島
『IMPERIAL大阪堂島出入橋』の脚本を書いた時に、浩市さんに出てもらいたいと思ったんですね。この世にはいない一人の人間を産むわけですから、その作業をきちんと向き合ってやってくださる方で、しかも、今回、長いワンカットを一緒に挑んでくださる方で、一緒になって、映画全体のことを考えてくれる仲間になってくださる人でないと乗り越えられないと思った時にやっぱり芳雄邸で話した浩市さんの顔が浮かんで、あの言葉が耳にふわっと降りてきて、浩市さんにお願いに行ったという経緯ですね。

佐藤
本を読んで、まず、監督の中で出来上がっているものなので、これくらい説明が少ないのも久々に読んだなという。主人公が、どういう風な思いの中で昨日と明日とどう向き合おうとしているのか、そこら辺が非常に難しいというか、逆にその事を監督と話をしても、つまらないと思った。その部分はワンカットの中で生まれてくるものになるのかなという期待感があるのと、その反面、約800 メールを走る11分のワンカットは無理だよと最初に、三島さんに言った。やる中できっと何かそこで見つけるものもあるし、見落とすものもあるかもしれないし、ここら辺は、なんとも言えないと思ったけど、改めて見てみると、三島さんの執念だよね。

三島
みんなの執念です。

佐藤
実は初日、朝の4時からの一発撮りで、何月でしたっけ?

三島
7月です。

佐藤
もう白むか、白まないかくらい、そこで、ワンカットをやったけど、正直あまり全てが上手くいったとは言い切れない。まだ明け切ってはいないし、今の時代、光の加減は後で何とでもなるわけだから、もう一発勝負できると思ったわけよ。でも三島さんは頑なに「明日やりましょう」と。

三島
そうですね。即答していましたよね。

佐藤
結局、2日目をやってよかった。主役の彼が40代だったら、もう1回あの明かりでいけたんだよ。多分、夏の朝4時過ぎの明けるか、明けないか、だけど、その時間帯しかない何かというのが多分この男の明日なんですよ。

三島
そうですね。

佐藤
それに拘った部分の狙い、それをどうしてもやりたかった、完成したかったという三島有紀子の執念は感じましたけどね。


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