日本大震災から今月11日で10年を迎えました。
そんな中、先月も福島県沖で最大震度6強の地震が発生し、
先週20日にも宮城県沖で震度5弱の地震が起こるなど
ここにきて東日本大震災の余震とみられる地震が立て続けに起こっています。

いつ、首都圏を震源とした地震が起きてもおかしくありません。
改めて防災グッズの準備や、避難経路を確認して、
いざというときに備えておきましょう。

今朝は、「東日本大震災から10年、被災地の思い」と題して、
大きな被害を受けた宮城県・気仙沼市の方の声・思いをお伝えしていきます。

震災当時の状況について、当時小学4年生の10歳。
いまは東北学院大学2年生、20歳の鈴木勇汰さん、
そして民宿「沖見屋」を営む、
畠山勝弘さん、お二人の声を、お聴きください。

鈴木さん
ちょうど学校の帰りで、立ってられないくらいの地震があって、
地震いったん落ち着いたら、
避難訓練のことを思い出してみたいな。
まだ家に帰るより学校のほうが近かったんで、
自分は学校のほうに戻りました。
自分の家は海から歩いて5秒くらいで
海の目の前だったので、もう全部なくなっちゃいましたね。
大きな経験ではあると思います。
これ以上のつらい思いっていうのはなかなかないと思う。

畠山さん
避難所生活が1000人くらい。
寝る布団も何もないようなところに雑魚寝みたいな感じで、
その避難所生活を半年やりました。
私は消防団だったので、団員の15人中13人が家ない。
子供亡くした子が2人いて、
次の日から行けるところまで軽トラックで行って、
あとは担架で遺体を小学校の体育館に運ぶ仕事を1か月ぐらいやりました。


地震や津波が起きたとき、
いかに早く、身を守るための判断ができるかが
とても大切だとお二人のお話から感じます。
そして、
災害が起きたあとも、避難所などでの生活が待っています。
自分の命を守ること、そしてその後の心のケアも必要です。

気仙沼市にある東日本大震災遺構・伝承館。
津波の被害を受けた旧気仙沼向洋高校が当時の状況のまま残されています。
この遺構・伝承館の館長、佐藤克美さんにもお話を伺い、
私たちが災害に直面したとき、これが大事だと話してくれました。

佐藤館長
やはり避難、避難ですね。
ここで大丈夫っていうことは考えないほうがいいと思います。
必ず地震が来たら次は津波っていうことを
私たちはいつも肝に銘じてますので、まずは遠くへ避難しよう。
それでもだめだった場合は
一番高いところに避難しようっていう備えを
皆さんは持っていてほしいなと思います。
3月11日の東日本大震災を、
私たちは伝えなきゃいけないというふうに思っています。
つらいっていう思いを持っている人もいます。
だけど、私たちはつらいっていう思いを持っていても、
伝えないことには、今後の災害の備えにはならないと考えていますので、
伝えなくてはいけないというふうに思っています。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館では、
HPから遺構の中をVRで見ることができます。
日本で実際に起こった災害をきちんと学び、
もしものときに備えていきましょう。



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