NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest坂本冬美さん

坂本冬美さん

1986年にNHK「勝ち抜き歌謡天国」和歌山大会で名人に選ばれ上京。猪俣公章の内弟子としてレッスンを続け、1987年19歳のときにシングル「あばれ太鼓」でデビュー。翌1988年末には「祝い酒」でNHK紅白歌合戦へ初出場を果たす。その後RCサクセションのアルバムへの参加、SMIとしての活動などを経て、1991年には忌野清志郎、細野晴臣とともにロックユニットHISを結成。活動の幅を大きく広げる。現在も日本を代表する歌手として、幅広い年代から熱い支持を受け続けている。

明日は明日の風が吹く

2021/01/23
坂本冬美の歌手人生は
人との出会いが数多くの可能性を広げてきた。
そして、今、大切な出会いの真っ只中だという。

「桑田佳祐さんですね。本当に演歌しか知らなかった私が中学頃、初恋の方の影響でサザンオールスターズと出会うんですね。サザンオールスターズのファンになって自分がデビューしてから、いつか桑田佳祐さんに曲を書いて頂きたいって夢を持っていたんですね。ただレコード会社もジャンルも違う桑田さんには、ずっとお会いすることができなかったんです。初めてお目にかかったのが、2018年3年前の紅白なんですよ」

坂本冬美は思い続けていた想いを手紙にした。

私の初恋の思い出
紅白で感動した話。
最後にかなうならば曲を作っていただきたい。

「数ヶ月後にスタッフの方からお返事が来まして、桑田さんのスタジオの方に来てくださいということでいきましたら、お忙しい中わざわざ来て下さってありがとうございますって、桑田さんがですよ」

坂本冬美の熱烈なアプローチ。
その想いは桑田佳祐に届いた。

迎えたレコーディング。
そこは坂本冬美にとって夢のような空間だった。

「桑田さんが、ここは美空ひばりさんとか、ちあきなおみさん風に、ここは一番演歌っぽいから都はるみさん風にそんなイメージでちょっと歌ってみてくださいと、アドバイスをしてくださって。一年以上前の話なんですけど、今でも思い出しただけで興奮が蘇ってきますね」

自分から動いて未来を切り開いてきた坂本冬美。
その気持はこれからも続けるという。

「正直言って35周年と言うとね、守りに入ってもいいと思うんですね。でも、やはり何かこのまま守りに入って先細りするよりは、悔いのないように、自分が思うことは、まず自分が動いてみて、もう明日は明日の風が吹くって思えば、また新たなそれを今日中に、反省もして、明日に残さない。明日はまた新たな1日なんだっていう思いで生きていけば、なんか常に前向きになれるかなと思っています」
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準備から全力で

2021/01/16
デビューから第一線で活躍し続けた坂本冬美。
15周年終え、体の疲れと心の疲れで
バランスを崩し休業することになった

「アメリカに旅行して。戻ってきてからも結構あちこちで温泉巡りとかしたんですけど、それはもう数ヶ月の間で、あとはもう実家の方に降りまして。1年お休みさしていただいたんですけど、戻って来るつもりはなかったんです」

そんな中、たまたま見た二葉百合子がう歌う
「岸壁の母」の力強い歌声が心に突き刺さった。

「もう一度歌えるかもしれない」、門を叩いたのであった。

「先生がまず一言”あなたも歌の壁にぶつかったのね”とおっしゃったんです。”その壁に気付くってことあなた成長なのよ”っておっしゃられたんですよ。とにかくお稽古をしっかりして、失敗しても今日はこれだけの力しか出せなかったけど、まぁ一生懸命お稽古したんだから今日はこれだけの歌しか歌えなくってもしょうがないって、もう明日に引きずらないってそれからちょっと楽になりましたね」

1から歌に向き合った坂本冬美。
そして、ファンが待ち望んだ瞬間がやってきた

「NHKの生放送だったんですね。そこで夜桜お七を歌わせていただいたんですけど、でもこれもまたあの自分の中では、これを克服しないと次のステップと言いますかね?次には進めないんだっていう思いで臨みました」

坂本は二葉百合子の凄さについてこうも語る

「1曲歌うのも29曲歌うのも同じやって。準備をするのも同じ、今日一曲だからこれぐらいでいいかじゃなくって、完璧に準備をして、誠心誠意その歌を届けるって、この気持ちを忘れちゃダメよっていつも教えられますね」
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忌野清志郎との出会い

2021/01/09
猪俣公章さんと出会い
演歌歌手とデビューした坂本冬美。
デビュー2年目には、新たな道を切り開く出会いがあった。

「演歌歌手として2年目を迎えて所属レコード会社で歌を披露していた際に思わぬ方が歌声を聞いてくださったんです。忌野清志郎さんが私の歌を聞いてくださっていて、 Covers というアルバムがあるんですがそのアルバムにまずコーラスで参加してくれないかって言ってくださってね」

そして、忌野清志郎、三宅伸治とSIMを結成することになる。
さらに、縁は続く。
忌野清志郎と細野晴臣さんでHISを結成。

「細野さんが坂本冬美さんとやりたいんだよと言ってくださったみたいで、そこでSIMがHISに変わりました。清志郎さんと細野さんは、学園祭とか学生のノリで曲作りをしてらしたみたいなんですね。学園祭のノリっていうことで男性は学生服で私はセーラー服というスタイルでやらせていただいたんですが、本当にこうちょっと遊び心でなんかそんな感じでこれはもう別物っていう感じはありましたね。本当に楽しくやらせていただけたかなと思っています」
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想い続けた歌手への夢

2021/01/02
2021年がデビュー35周年の節目となる坂本冬美。

歌手になろうと思ったきっかけは
小学5年生のころに遡る。

「自分の意思でレコードを買って歌うようになったのは石川さゆりさんがきっかけなんですが、津軽海峡冬景色を初めて聴いて、その衝撃で私も石川さりりさんのような演歌歌手になりたいって思ってましたね」

小さな頃から抱いていた歌手への夢。
それはある人物の出会いで現実になる。

「 NHK の番組だったんですけども作曲家と出場者がペア組んで勝ち抜いて行くという番組で、猪俣公章先生とペアを組んで優勝したんです。それがきっかけで内弟子になるんです。実力が8割あとは俺にに任せろと、歌詞を大切にしなさいっていうことは最初に教えていただきました。その次に教わった事がこんにゃくの切り方なんですよ。自分の所に弟子入りしたらいつでも嫁に行けるんだそれぐらい教えてやるからと言われました」

厳しい内弟子時代を過ごし、
デビュー曲が「あばれ太鼓」に決まる

「実は石川さゆりさんに憧れてましたからさゆりさんのようなしっとりした歌を歌いたかったんですけど、男歌で19歳の女の子にはとても理解なかなかが難しい歌でした。今思えば10 キロ 太っていてさゆりさんのようなしっとりとした歌よりあばれ太鼓がちょうどよかったんですね」
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