NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest今井美樹さん

今井美樹さん

宮崎県出身。モデル、女優としての活動をスタートさせた後、86年に「黄昏のモノローグ」で歌手デビュー。数々の連続ドラマに主演する一方で、「瞳がほほえむから」、「PIECE OF MY WISH」、「PRI DE 」などの大ヒット曲を生み出した。2012年8月、家族とともに来英。昨年、「Classic Ivory 35th Anniversary ORCHESTRAL BEST」をリリース。

みんなの力で前に進む

2021/09/04
現在、ロンドンで生活している今井美樹、
およそ10年前のことをこう振り返る。

「大変な毎日だけですよ。生活者となって住むっていうのと、旅人としているのと暮らしは違いますからね。ただ友人たちが我が家の事をサポートしてくれて、、何とか行こうって」

「娘も10歳のころだったんですけど、全然わからないけど、文句も言わずに学校に行ってくれていて、私はもう、胸が張り裂ける想いでね。だけど、やっぱり子供の吸収力とやっぱり彼女がつくった頑張ってくれたおかげで、あたしたちがあの後もロンドンで、暮らせているのは彼女のおかげですから。彼女が頑張ってくれているから、私達も頑張ろうと思えるというか」

移住してからの10年。
ロンドンでの暮らしで音楽は特別だった。

「80年代の音楽って、限っているわけじゃないんですけど、80年代の音楽ってやっぱり自分が意識してすごい聴いた音楽だったりするから、何かえいって頑張らなきゃいけない時にあの頃の聞いて、お茶碗洗っちゃったり、なんだりとかそういう意味ではやっぱり自分にとってその音楽っていうのが、自分を気持ちを沸き立たせてくれるって言うか、体もたというか、そういう音楽と出会えたことがすごい幸せだなって思うし、今でもね」

ロンドンでの生活を過ごす中で
今井美樹さんが思ってもみなかった
プレゼントが届くこともあった。
松任谷由美のカヴァーアルバムの話だ」

「当時のレコード会社の社長さんと布袋が東京で打ち合わせして来て、すごい話があるよって、お父さんが酔っぱらってお寿司を持って帰ってくる感じでロンドンに帰ってきたの。君本当にいい話だよって。この話をしたときに即答で嫌だって言ったんですね。だってさわっちゃいけないもん。そんなことは絶対してはいけない、さわっちゃいけないっていう感じだった。大好き過ぎて。50歳になった時だったかな?その布袋がこのタイミングだからきっとやる意味があるんだと思う。これ来年再来年とかそんな中途半端な時だった多分できないよって。それで本当に意を決しました」
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私は今、、、

2021/08/28
モデル、女優、歌手と次々に決まっていくお仕事を全うし、
前に前にと突き進む今井美樹。
29歳の時には運命を変える音楽との出会いがあった。

「仲良しだった音楽仲間から GUITARHYTHM II を聞いて、初めてその作品を聞いて、なんでなんだこれって感じで、すっごくハマって聞くようになり、コンサート見に行くようになり、武道館で見た時にも本当にこれ日本人のアーティストのコンサートなんだろうかとおもって、もう衝撃でした」

その距離はずっと変わらないまま月日は過ぎた。
そして、ある日の打ち上げ会場でのことだった。

「布袋さんが打ち上げの時に自分で曲をピックアップしながらこうかけていた作品の中で、スティーナ・ノルデンスタムっていう北欧のアーティストがいて、彼女のアルバムの2曲目。CDの一曲目からかけているんじゃなくて、2曲目をかけてたんですね。そのスティーナの2曲目の曲を聞いた時に本当に衝撃で、アコースティックの声の大事さ、楽器の少なさだけどそこにそのエレクトロニックの電気的な音楽の作り方。でもすごく奥行きがあったり声をすごく手前だったり、本当にその空間がものすごく気持ちよくって、何しろ彼女の声がリアリティがあって…」

そして、今井は直接こう言った。

「こういうことがやりたかったんです」。

「なにか、僕ができるんだったら喜んんで」

今井美樹にとって新たな音楽のストーリーが始まった。

「今までの自分をどういう風にバランスをとっていくのかっていうのにトライし始めて、自分で自分の色を作り出そうとして、スムーズに歩き始めたという言い方もできるけど、新たなもがきが始まったという言い方もあるかもしれません」

GUITARHYTHM IIというCDに出会い、
新しい道を歩み始めた今井美樹。
その結果、日本を代表する楽曲にも出会うことになる。

PRIDEだ。

「お話を頂いたのはドクっていうドラマの主題歌だったんですけど。ウチのディレクターが僕はこれは布袋さんにお願いをするべきなんじゃないかなって言ってくれって、布袋さんに単独で打ち合わせに行ったんですね。あんまりこちらからすごくリクエストっていうのは出さず、彼に任せようと思って帰ってきたらしいんですけど。それで出来上がったのがこの曲だったんですよ」

デモテープができあがった報告を受け、
スタジオに向かった今井美樹。

「スタジオのドア恐る恐る開けて入ったら、うちのディレクターと布袋さんがソファに座ってたんですね。ハッと顔をみたらディレクターが何も言わず、うなずいて、ここで聴きなよって言ってもらって、ドキドキしながら音が流れ始めたら曲が流れて、本当にいろんな感情が渦巻いたんですけど。当時33歳だったかな?ものすごく自分の中で、ぎゅっと世界の中で一人ぼっちみたいな気持ちになって、誰も私の本当のことわかってくれないっても、誰も知らないって思い込んでた時だったので、ぼろぼろぼろぼろ号泣しました」

私は今…

その歌詞から始まる曲は
おそろしいほど今井美樹の気持ちが投影されていたという。
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期待に応えることで続く道

2021/08/21
宮崎から東京に上京へ。
知人のつてから始まったモデルの仕事が
継続的に依頼されるようになった。

「最初の頃はアルバイトみたいな感じですよね。それが続くんだったらこれやっぱりちゃんとプロダクションとかに面倒見てもらっていいと思うよって知人が言ってくれて、信頼できる人がいるということで、ある一人の女性に会いに行ったんです。その方はコマーシャルのキャスティングをやってる人だったんですね。慣れな中でも色々活動して行って、タレントみたいな色んなことやったと思います。今、思うと、あの頃の自分をぶっ飛ばしたいと思うぐらい、もう仕事仕事なんだからちゃんとやれよっていうぐらい。なんて言うんですか?すごい甘く見ていたと思います。全然記憶に残ってないですね」

その中、今井美樹は、マネジメントの存在と
80年代という時代がポイントだったのではないかと振り返る。

「色々なキャラクターがそこで花を開いた時代のような気がするんですよね。綺麗なこういう正統派のこれって言うだけじゃなくてなんかわからないけどすごい面白そうだねとか、とにかくそのクリエイターの人たちとかがもうなんかどっかでこう今までにない面白いその種を見つけてくるみたいな時代だったから。そういう人達と出会えたんだと思います」

マネジメントの女性が駆けまわり、
「今井美樹」という商品を売ってくれた。
その期待に答えると、そこには思ってもみなかった道が開けていたともいう。

「私がドラマに出演することになったり、歌を歌うようになったりしたのも全然自分の意思じゃないんですよ。意思じゃなくってやっぱりずるずると始まってしまうんですよ。ただ、私は本当にラッキーなことに、出会う人たちが本当に力がある、そしてすばらしいクリエイターだったり、人たちだったんだと思います」

モデルから女優へ。
期待に応え活躍の場を広げた今井美樹。
そして、今も語り継がれる名作ドラマや名曲に出会うことになる。
歌手デビューは1986年にリリースの「黄昏のモノローグ」

「大々的に歌手としてデビューするっていう風には自分では思ってなかったので、レコードで自分の名前が出て、世の中レコード屋さんに並ぶってことが本当にプレッシャーだったんですよね。軽くてでも音楽をすることになるんだったら、やっぱり音楽好きとしては自分の音楽好きのところから始まれたらやっぱりいいなってどこかであったと思うので、やっぱりわからない間にいろんなことに自分がポンと身を置いたっていうのは1回始まっちゃうとその道ってなかなか修正って聞かなくなるじゃないですか。それがね、あのやっぱり最初のうちは戸惑いが大きかったですね」

「ずっと自信がないまま仕事をしていたので、なかなかやっぱり音楽が好きだったはずなのになっていう。それとも趣味って言うか自分で聞く音楽はもうどんどん乖離していくし。だから、そこをどうやって埋めていけばいいのかっていうのはやっぱりあのいろいろ自分なりに悩んだりしましたけど。でも、出会った人たちが特にレコーディングのディレクターがね、非常にそういうことを受け止めてくれれる人で、それで自分の思いを汲んでくれた作品を作れるような形にしてくれたのが3枚目のアルバム「Bewith」だったんです。

モデル、歌手、そして女優へ。
ドラマ「想い出にかわるまで」で主演に抜擢された。

「ものすごく厳しいディレクターさんだったんですね。物語もすごくヘビーな話で、本当に大変だったんです。だけど、やっぱりここで責任を背負う、プレッシャーじゃなくて、頑張りたいって言うか。現場できちんとそれを認めていただけるとそれが一つ一つの喜びにつながっていくってゆうか、やっぱずっと自信がない人だったのであれは一つの大きな、次にグンと行ける、ステップアップできる作品になったのかなと思いますね」
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道は憧れが作るもの

2021/08/14
宮崎県で生まれた今井美樹。
どのよな少女時代を過ごしていたのか?

「宮崎の高鍋町というのんびりした街だったんですね。そこで父が家電でも置いてる電気屋さんだったんですけど、私が物心ついた時にはもうオーディオを専門にした電気屋になっていて、だからあの小さい街だったんですけど、もうちょっとなんだろう言い方はアレですけど、ちょっとハイカラだったのかも。だから、いつもお店の中でもそれから、家の中でも、車の中でも、あのジャズがかかっていたり。そういうミュージカル音楽がかかっていたり、そういう家でしたね」

高校では陸上で短距離走を専門とするスポーツウーマン。
その時も音楽には触れていたという。

「もう私の青春時代は全てユーミンの音楽から学んだんじゃないかなと思うぐらい、ユーミンは私の細胞に染み込んでいるっていう感じですね。その後、山下達郎さんとか、矢野顕子さんとか日本のポップスの代表の人たちにはまっていくんですけど。やっぱりその入り口はユーミンだったかな?ユーミンの奥にも洋楽感じだし、きっと無意識のうちにちっちゃいときから家に流れてて。様々なそういう父の影響で流れていた、あの外国のやっぱり豊かな本物の音楽があったからあのバックグラウンドの上にユーミンの音楽とかにもあの出会ったんだと私は思っています」

小さな頃から自然と音楽が耳に入ってきた今井美樹。
高校卒業後の進路は、、、
歌手ではなく、人気の職業を目指す学校だった。

「小学校1年生の時にね、アテンションプリーズっていうドラマがあったんですよ。それは今で言うCAさんですね。キャビンアテンダント。飛行機に乗っていろいろ働いてる姿があったんですけど。あの飛行機の中なのに制服から着物に着替えてたりするんです、着物に着替えたり、どこで着替えるの?であの中で、あの食事が出てきたりするから。もうなんかどういうこと?すごい!という感じで」

そんなCAへの夢を後押ししたのは母親だった。

「母がね小さい時から言ってたんですけど、これからの女性はね、手に職をつけて。本当に女の人でも海外とかにもどんどん出ていけるようなそんな仕事をするべきだって、彼女はよく話をしてくれていたんです」


東京へ行き、航空会社の試験を受けて、合格するために勉強するための学校へ進学。
しかし、気持ちは乗らなかったという。

「甘い考えだったんでしょうね。だからこれなのかな自分がその憧れていたっていうか、キラキラした大人になりたかっただけなんでしょうね。だから結局私は何になりたいのか、何をしたいのかが全然わからないまんま。東京でその学校に行ってたんですけど。これこのままでも違うなと思って、、、」

そんな迷いが生じた時に、
運命を変える出来事が起こった。

「父がお世話したことがあるって言う人がカメラマンをやっていて、遠巻きに娘を頼むよとかって言われたこともあったんでしょう。あの雑誌の広告を取るのに人が足りないから手伝ってよって言われて」

そんな仕事が増えてゆき、モデルの道へ進んでいったのである。
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