NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest上原ひろみさん

上原ひろみさん

6歳よりピアノを始め、同時にヤマハ音楽教室で作曲を学ぶ。17歳の時にチック・コリアと共演。1999年にボストンのバークリー音楽院に入学。在学中にジャズの名門テラークと契約し、2003年にアルバム『Another Mind』で世界デビュー。コロナ渦となった2020年からは、苦境にあるライブ業界の救済を目的にブルーノート東京にてシリーズ企画「SAVE LIVE MUSIC」を展開。「上原ひろみザ・ピアノ・クインテット」はその際に初披露されたプログラムの一つであり、2021年にアルバム『Silver Lining Suite』を全世界リリース。

負けない気持ち

2021/10/30
国境を越え、世界で活躍する上原ひろみ。
この1年の生活はどう変わったのか?

「いろんな場所を転々とする生活だったのが、本当にも家が中心という生活に。こんなに一箇所にいたのは本当学生のとき以来でしたから。最初はどうしたものかなという気持ちがありましたね」

1年前の3月。
上原ひろみは日本に戻り、
そして考えた。

動画のワンミニッツ・ポートレート。

「仲間のミュージシャンと困ったことになったねって言うので、みんなそのパフォーマンスをする場所を失って、エネルギーの行き場がないと言うか、どうしたらいいだろう?今何ができるだろう?っていうのみんな模索している中は、Instagram というあの SNS のフォーマットの動画をあげられる上限が1分だったので、1分の曲を書いて色んなアーティストの人とコラボレーションしてみようというのを8回ですかね?に渡って行ってというのが一つ取り組みとしてありました」

さらに、考えた。
今の自分にできること。

「ブルーノート東京という箱が、ずっとお世話になっているクラブで、ブッキングの多数が海外のミュージシャンなんですね。クラブの営業がとても難しい状況になっているなっていうのをずっとそのブルーノートの仲間と話す中で、最初は、来日できなくなったミュージシャンの日程を代打で出るというところから始まった企画で。ライブ音楽業界を何とか助けたいという気持ちで始めました」

音楽業界のために何かアクションをしたい。
さらに思い浮かんだのはジャズと弦楽四重奏の共演だった。

「ジャンルにはこだわらず、自分も書いててこれは何のジャンルなのかと言うと、とても答えづらいんですけど、クラシックが好きな人にもジャズが好きな人にも何か色んな音楽を聴く方に聞いてもらえるんじゃないかなと思います」

負けないぞという気持ちが上原ひろみを前に進ませた。
音楽が作り出す底知れぬ力。
上原ひろみは言う。

「10年後?ピアノを弾いていると思います。
ずっとピアノを世界中で弾けたらなと思いますね」
  • この記事をツイートする

走り続けた20代

2021/10/23
バークリー音楽学院に通う中で、
進路のことを考えはじめた上原ひろみ、
将来をどのように描いていたのか?

「通う前から自分で曲を書いてそれをパフォーマーしたいという強い気持ちは持っていたので、それをどういう風に職業につなげていくかということを考えてました」

そう考えている中で2003年にアメリカデビューが決まった。

「私が作編曲家で習っていた先生が私のその書いた作品をすごく気に入ってくださって、他の作品とかも聞かせて欲しいって言われたので、自分の作品集みたいなものを持ってった時に、ピアノは誰が弾いているの?て言われて、私ですって言ったら、アーマッド・ジャマルというピアニストを紹介されたんです。彼がレコード会社だったり、マネージメントだったりを紹介してくれたというのがそのデビューの直接のきっかけにはなってます」

アメリカでのデビューに不安はなかったのか?

「不安っていうのは全く無くて。これから始まることへのなんか興奮と痛いしかなかったです。その最初の10年っていうのはもちろんツアーはやっていてもすごく大変な事っていうのはもちろん多いんですけど、それも含めてもやっぱり20代の頃って体力もありますし、自分でどんな大変なこともトラブルも楽しんで乗り越えてきたと言うか。なので、不安に思ってる暇もないぐらい走ってましたね」


プロデビューし、不安と思う暇さえなく走り続けてきた上原ひろみ。
その手ごたえを感じたのはライブだった。

「本当にライブをやって、そこでどういう反応があるのかっていうことが全てだったので、それでアルバムを買ってってくれるみたいな、直接的な反応っていうのがやっぱライブだと分かるので、すごく面白かったですしそれで世界のいろんなところに、とても嬉しかったですね。現地のお客さんとかがいらっしゃったのとても嬉しかったですし、ツアーをすること自体がまだ自分が出会ってない音楽ファンの人に出会うきっかけになったりするので、その意味では本当にありがたかったですね」

上原ひろみにとってライブとは

「生きてると思う場所ですね。本当に最高に楽しい場所です」

バークリーでの学生時代。
吸収できるだけのものを吸収して、ハングリーに勉強をした。
世界のミュージシャンを肌で感じられた。
上原ひろみにとって音楽人生の大きな転換期となったのであった。
  • この記事をツイートする

アメリカで見つけた目標

2021/10/16
ピアノが大好きになった上原ひろみ。
大学は、音大、もしくは留学でもなく法政大学へと進学した。

「自分が本当に海外に行って何をしたいのかという目標がはっきりしないで行っても、何か吸収できないのではないかと思って。自分でまだこれからやりたいから私はここに行きたいっていうのがまだなかったので、とりあえず日本に留まることにしました」

すると18歳の時にアメリカに旅に出たことがきっかけで目標が出来たという。

「どこへ行きたいのか?というのを探す旅でニューヨークとボストンといくつか音楽大学なんかを見ながら、現地の音楽シーンに触れて私はどこで何をしたいのかなというのを模索する旅でした。音楽というのが日常に紐付いていると言うか、日本だとそんなに生演奏してるレストランとかないんですけど。アメリカだと本当にそれが高級で肩肘張ったところでなくてもミュージシャンが演奏をしてたりとか、そういうのが本当は音楽ってのがすごく日常生活に近いんだなーっていうのはすごい感じましたね」

その結果、バークリー音楽大学の編入を決めたのであった。

「道を歩いていれば楽器を持ってる人にあたるぐらい。逆に言えば楽器を持ってない人がそのストリートにはほとんどいないぐらいみんな、ほぼミュージシャンっていう学校の近くの街だったので。なんか世界に音楽をやってる人は星の数ほどいるって言うけれど、本当に星の数ほどいるんだなっていう現実を見ましたね。話してるよりは音を鳴らしてるほうが友達と多かったです」

そして、学生時代にセッションをした友達とは今もつながっているという。

「世界中いろいろな国だったり町に行くと、当時クラスメートだった子とかセッションした子ってのは必ずいるので、その度にやっぱりあってお互いの近況報告をしたり、思い出話をしたりするのは、本当にその瞬間にボストンに戻るねっていつもみんなで話しますね」
  • この記事をツイートする

好きなものにふれて没頭する

2021/10/09
世界を舞台に活躍するピアニスト 上原ひろみ
音楽との出会いとは?

「家族は誰も音楽をやっていなくて母はとてもの音楽が好きでピアノをやらせたいということで兄にも私にもやらせてくれました。6歳からでした」

YAMAHAのレッスンに通い、
さらには地元のピアノの先生に習った。
その地元のレッスンに上原ひろみの原点が伺える。

「すごく楽しくてそのピアノの先生の影響はとても大きいんですが、その先生がもうなんか全身で音楽を楽しむような形でその新しい曲に取り込むときも何て言うのかなほんと楽しそうなんですね。その曲に対するパッションがすごくて、私が人生で出会った人のエネルギーレベル高い人の五本の指に入るぐらい。こんなに楽しいんだよピアノってこんなに面白いんだよっていうのをなんかずっとこう教えてくれているような方でしたね」

その先生からは大切な言葉ももらったという。

「あのいつも新しい楽譜を買うと楽譜の1ページ目って真っ白な表紙の裏側があるんですけどそこに夢ある人生をって書いてくれて、彼女のなんかも一番大切にしている言葉なんですけど、なのでそれはずっと自分の心の中にあります」

幼少時にピアノの楽しさ、面白さを知った上原ひろみ。
小学6年生の時には「すごさ」を知ることになる。

「子どものためのコンサートで台湾に伺った時に全く現地の言葉も話せないんですけど、肩をポンポンと叩かれてステージに入って、演奏をして帰るっていう段取りだけで、何曲ぐらい引いただけなんですけど一曲目を弾いた時にお客さんがものすごい笑顔で拍手してくださってなんか音楽は国境を越えるっていう言葉を小さい時から聞いてきたことは聞いてきたんですけどこれがそういうことなんだな言葉がいらないんだなっていう音楽の力っていうのはすごい感じました」

高校では軽音楽部に所属

「友達と耳コピーをして皆に楽譜を配ってたみたいなことをやって、自分たちでやりたい曲を見つけてはやってましたね」

上原ひろみにとっての10代とは?

「好奇心の赴くままに突き進んできたという感じです。本当に素晴らしいものに触れてそれを見つけるとそこに没頭してという毎日だった気がします」
  • この記事をツイートする
Page Top
|| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 ||