NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest安藤桃子さん

安藤桃子さん

1982 年、東京都生まれ。 高校時代よりイギリスに留学し、ロンドン大学芸術学部を卒業。 その後、ニューヨークで映画作りを学び、助監督を経て 2010 年『カケラ』で脚本・監督デビュー。2011年初の長編小説『0.5ミリ』を出版、2014 年監督・脚本し映画化。同作で第39回報知映画賞作品賞、第69回毎日映画コンクール脚本賞、第18回上海国際映画祭最優秀監督賞などその他多数の賞を受賞し、国内外で高い評価を得る。

『0.5 ミリ』の撮影を機に2014年、高知県へ移住。その後、監督・脚本した映画「ウタモノガタリ CINEMA FIGHTERS project『アエイオウ』」は2018年に公開。

初のエッセイ集「ぜんぶ 愛。」を2021年11月5日に発売。

明るいほうへ

2021/12/25
映画監督デビューの翌年2011年には、長編小説『0.5ミリ』で作家デビュー。
2014年には『0.5ミリ』が映画化された。
その撮影地であった高知県が安藤桃子の人生を変えた。

「人生のターニングポイントになりました。東京で生まれてイギリスに行って、9年弱の海外生活をして、日本に戻り映画の仕事を始めて。そこから、またどこかに行くとしたら海外だろうと思ってはいたのですが、まさか高知県に移住するとは全く思っていませんでした。『0.5ミリ』という映画のロケをきっかけに移住して、気づいたらあっという間の7年で人生の凝縮をそのタイミングで経験しました」

安藤桃子にとっての高知県とは?

「いいところ以上に自分にとって生きやすい場所。高知県は私にとってどんな場所ですかって聞かれることがあるんですけど、“魂の故郷”ってよく言っています。きっと、その魂の故郷って観点で見たら色んな方にとってそれぞれの場所があると思うんですけど、初めてそのまま生きやすい場所というのに出会ったなって感じです」

高知県への移住を3秒で決めたという安藤桃子にとっての「直感」とは?

「すごい直感型だと思います。自分自身ではそう思っていなくても色んな人に言われます。でも考える場所って言ったらいいのかな、考える場所って頭だけじゃないと思っていて、感じる場所っていうのも実はあって、皆さん最初に心が動いているはずなんです。だから、なるべくたくさん自分の感性、感覚で心が動いた方向にまず、フォーカスする。それを逃さずにつかむということを意識して生きているのかもしれないです」

安藤桃子の10年後のビジョンとは?

「10年後のビジョン。10年後にはできたら全ての命に優しい世界があって、そこを目撃したという願いがあります。10年ってあっという間だなとも思いますけど、高知県に住んでいると物事が5倍速、10倍速ぐらいで、ミラクルスタンダードなことが次々と起きていくような感覚がある。全ての人だけじゃなくて全ての命に優しいっていうことは私たち皆にとって幸せな世界だと思うので。そこに至ります」

最後にリスナーへのエールをこう語った。

「私は、しっちゃかめっちゃかになりがらも、自分が自分にエールを送って生きています。あの明るいほうへ明るいほうへ向かいたいというのが、私たちの本能だと思います。高知県で畑作業をしていても、植物ってお日様の方に必ず伸びていく。命って本当に明るく輝かしい方に向いていくものだと思う。苦しいことや嫌だなって思うことも、日常で沢山あるかもしれないけど、だからこそ明るいところを皆が思い描いていけば、出口が必ずあると信じております」
  • この記事をツイートする

アイデンティティ

2021/12/18
安藤桃子は中学を卒業後、ロンドンに留学した。

「ロンドンに留学したかった理由は、両親が芸能界にいたので、小学校の時に何か良いことをしても、芸能人の娘だから特殊なお稽古とかして勉強しているからできるのよってマイナスに見られて、みんなと一緒にいたずらしても、芸能人の子だからそういう風に育っちゃうのねって言われたりとか、他人の評価とか他人が自分を見る目がすごく耳に入ってくるんです。それで自分って一体何なんだろうって疑問に思って、アイデンティティと言うんですかね?そのアイデンティティを意識したのがすごく早かったので、誰も自分のことを知らない場所に行ってみたい、その中で自分がどんな人間なのかを純粋に知りたいという思いがありました」

強い意志が背中を押したイギリスでの生活とは。

「もともと絵を描く人になりたい、美術を学びたいっていう志があって、そこからブレることはなかったのですが、イギリスにいる間に結構いろんなことがあって。父が『少女』という映画で初監督をして大借金をして、制作費が全部ないけど撮っちゃった、じゃあどうする!学費が払えない!という連絡が来て、その時は大学生でロンドン大学に通っていたのですが、ロンドン大学って結構いろんな環境で育った人が来ていて、人生のいろんなジェットコースターのドラマを聞いていたら、そんな大したことじゃないような気がして、その時珍しくイギリスが曇っていなくて晴れていて、大学のキャンパスの芝生の上で友人たちといる時にその事を聞いたからなのか、なんか大丈夫な気もするぞ。今日もあるしお日様は照っているぞって。ちょっと強気だった」

ロンドンでの生活の中、転機が訪れる。

「話は前後するんですけど、その『少女』という映画を父が監督することになって、現場に美大生がいっぱい美術部で入ったんです。私も美大生で、お前もちょうど夏休みだし良かったら参加したらどうだっていうことを言ってもらって、その時はなんか面白そうだなと思ったぐらいだったんです。でもそれが、その自分の思っていたテンションを何百倍も超えた本気っていうのはこういうことなんだと、命がけで映画を撮っている大人の姿を目の当たりにして、映画の神様に出会ってしまった!という衝撃がありました」

イギリス留学から帰国後に飛び込んだ映画の世界。
そこは忍耐、覚悟の居る場所だった。
     
「日活撮影所は日常的ではない環境でした。どのくらいの落差かって想像がしにくいかもしれないですけど、外国にいたら好きなものは好きとか、自分の意見とか表現を主張していきましょうっていうことを教えられてきた人が、今度は真逆のことを言われる。上司が言ったことはたとえ、違うと思っていてもイエス。自分がやらかしていないことも連帯責任。助監督システムというものすごく古い体制が残っている環境でした」

「画作りのためなら身を投げ出してまでっていう精神。でも嫌じゃなかったです。自分が社会で生きてく上で、どういう自分であるべきか、みたいなのを無意識にも気にして生きている人はたくさんいると思うんですよ。でも助監督時代は女であることも年齢も、もはや人であることですら全てを脱ぎ捨てて、ただひたすら映画に向けて、芸術に向けて突っ走れる潔さと気持ち良さがありました」
  • この記事をツイートする

興味を持つこと

2021/12/11
父親は俳優で映画監督の奥田瑛二。
母親はエッセイストでコメンテーターの安藤和津。
安藤桃子は幼少期の思い出をこう語った。

「私の父は自分が10歳の時に将来を決めたので、私が10歳になる時には将来のことを宣言しなさい、という父独特の決まり事があって、子供心ながらにも自分は一体なんだろうとか、そのアイデンティティですね。あんまりちっちゃい時は考えなくて済むようなことも、結構早い段階で意識して育ちました」

では、安藤桃子が10歳の時に見つけた答えとは?

「絵を描く人になりたいっていうのを、その時は言いました。絵を描いている時はものすごく没頭して、声も聞こえなくなるぐらい大好きだったので、その時はそういう風に言ったのを今でも覚えています」

父親が好きだった写真にも興味を抱き、1カットの大切さを知った。

「すごいテレビっ子だったのでテレビの前に正座して自分の好きなアニメ漫画の好きなシーンを撮るということをしていました。現像して父が見た時にシャッターは無駄に切ればいいってもんじゃない、自分の心が動いた瞬間ここだというところで切るんだ。その一枚一枚を大事にしろと。今思えば本当にそれは映画的教育だったなと」

父親が自宅に招く映画関係者の言葉にも耳を傾けた。

「毎日誰かが来て、寝る時は知らない大人たちに埋もれながら、時にはねテーブルの下で寝るような、現代の感じで聞いたら、なんて駄目な家庭環境なんだろうと思いますけど、直接の知り合いじゃない人とか老若男女が集って、映画談義をするので、意味が分からないなりにも聞きかじって世の中には色んな考えの大人がいるんだな、多様性というか、いろんな大人がいる世の中って面白いなっていう風に社会勉強をさせてもらっていたのかもしれません」

父親と同じ映画監督の道を行くプレッシャーは計り知れない。
そのプレッシャーを凌駕する出来事が18歳の夏に訪れる。
  • この記事をツイートする
Page Top
|| 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 ||