NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest中嶋朋子さん

中嶋朋子さん

国民的人気ドラマとなった『北の国から』シリーズ(原作・脚本倉本聰)で、81年の子役時代から22年の長きにわたり黒板蛍役を演じ人気を博した。その後も映画、舞台などへ活躍の場を広げ、女優として高い評価を得る。受賞作多数。20年ぶりのエッセイ集「めざめの森を めぐる言葉 Sleeping Giant」講談社から発売中。

自分の中の自分に聞いてみる

2021/12/04
ドラマ「北の国から」が2002年に完結。
中嶋朋子にとってこのドラマが終わることとは?

「何も感じなかったんです。常に蛍ちゃんっていう相棒がいた状態なので、自分であるけど自分ではないからその相手にとの戦いをずっと繰り広げていたような状態だったんです。肩の力が抜けたっていうかまぁなんとかロスとかなんか喪失感とかっていうことじゃないんですね。本当に私ができたすごい経験だなとうまく説明できないんですよね」

その経験は新しいことにもチャレンジする原動力となった。
中嶋朋子は、カナダ、モントリオールに旅に出た。
アロマオイルの世界的権威ミカエル・ザヤット氏に会いに行く。
御年76歳。

「お会いすることはできたんですよ。すごい先生だと思っていたら子供みたいなおじいちゃまのような。好きだと思うこと言ってごらん、やってごらんって。君の中の小さな女の子は何て言ってるって、聞くんですよね。その子が何て言ってるかそれはあなたの本当の声だからいっぱい聞いてあげよういっぱい一緒に遊んであげようって」

直感を信じてスペインへ渡航した中嶋朋子の決断に間違いはなかった。
さらに直感はある挑戦に誘ってくれた。

「薦められて空中ブランコをやってみました。案外人間って今にいないんだなーって、過去とか未来どうなっちゃうんだろうとか前失敗したからうまくいかないんじゃないかとか過去とか未来にばっかり生きているんですよね。今の大切さを気づかせてくれました」

リスナーへのエール。

「自分の声に忠実にと言うか意外に自分の声って聞けてないからあの耳をそばだててあげたいなと私は思ってるのでそんな毎日はいかがでしょうと思います。あなたの中の小さい女の子は何て言ってる小さい男の子は何て言ってるって、ちょっと問いかけてあげるといいんじゃないかなと思います」
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言葉は自分を目覚めさせるギフト

2021/11/27
じっくりと撮影していた北の国。
中学生になると、そのほかの仕事をするようになる。

「北の国からと舞台って長距離走と短距離走くらい違いがあるんだなって。舞台も様々ですけれども私がよくやらせていただくのは一か月お稽古して一か月本番があるって言うじっくり派なんですよね。本があって、それをゆっくり読み解いてみんなと関係性をゆっくり気づいて作っていって作品にするっていうのが性に合っている。北の国からの場合は割と舞台にちょっとだけ近かったと私は思うんですよね。大自然の中で演じるってなると空間というものと共鳴するっていうのか。空間に影響を受けて体や心が動くんですよね」

中嶋朋子が思い出深い舞台に出会ったのは16歳の時だった
坂東玉三郎演出「ロミオとジュリエット」

「これ初舞台だったんですよね。あの坂東玉三郎さんが演出でしかもシェイクスピアのロミオとジュリエットのジュリエット。すごすぎて。まさに全然違いますからね。そのテレビドラマしかもあれ割とささやき合う家族だから、大きい舞台でね。声を皆さんに届けるって至難の技と言うか大変なハードルでした。

最初は口の周りぐらいまでしか声が届かなかった。
声自体も萎縮して出なくなってしまったという。
その時、演出の玉三郎がとって行動とは。

「お稽古の日に、なんかごめんなさいねって謝ってこられたんですね。自分がね悪かったってあのあなたの場合はここを開かないとねって言って胸のあたりを指し示して心を開いた方が楽になるのが一番いいってことだと思うんですよ。だから声を出しなさい出しなさいっていう演出は自分としてはいけないことだったって、やっぱり演者としての気持ちも分かられる方だからそれをね16歳の娘にね。ごめんなさい私が悪かったわっておっしゃる。わーすごい人だと思って感動しちゃって」

中嶋朋子にとっての10代とは?

「葛藤が本当に多かったです玉三郎さんが本当に心を開いた方がいいって見抜かれたっていう、本当にそういう閉ざしていたですねこうたくさんの方に見られるし北の国からっていうものが大きかったので自分っていうものをこうなんとかな認めてもらえない感じを勝手に思ってたんですよねあの蛍ちゃん本当にあの優等生の姉双子の姉がいて彼女の事ばっかり皆が褒めてそれと比べて私が劣ってるって言う風に思われてるって、そういう風な思春期だったので戦ってはいましたけどね」

苦悩の10代を過ごした中嶋朋子。
その節々で出会った言葉はしっかりと書き留めている。

「言葉ってすごいタイミングで届くギフトだと思っていて、自分の中のすごく素敵な部分がちゃんと目覚めるように言葉は降り注いでるんじゃないかっていう思いで一冊の本にまとめさせていただいたんです」

その本こそが中嶋朋子著
『めざめの森を めぐる言葉 Sleeping Giant』 である。
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大きな嘘と小さな嘘

2021/11/20
中嶋朋子の幼少期、
それは多くの人々が知っているだろう。
ドラマ「北の国から」

「すごい長期だったんですね。第1次第2次第三次みたいな結構、大掛かりで子供達いっぱいでね。スタジオに集められて自由時間ですって言うんだけどテレビとかのスタジオって、上か見られるような部屋があるんですけど、そこで大人達が観察してたらしいんですよね。私は一人でスタジオにある台車でキックボードみたいにして一人で楽しそうに遊んでたらしいんですよ、これがね群れて遊ばないっていうのがすごく目をひいたみたいです」

中嶋朋子は田中邦衛のことを「くにさん」と呼ぶ。
その第一印象とは?

「すごい喋りやすくて子供ながらに安心してお話できたのは覚えています。撮影の時とかもう本当に過酷な撮影だったんですけど、一緒に作っている仲間っていう意識を子供も大人も関係ないみたいなのが、くにさんの中にはあって、子供じゃなく仕事仲間としてすごく敬意を払ってくださりました」

もちろん北の国からで学んだことは今でも色濃く残っている。

「最近、ようやくなんかフラットに見れるようになりました。あの時あーだったこーだったとかにすればよかったとかっていうのがどうしても先に出ちゃうやっぱ強烈な印象だったんですよね」

「大きな嘘はついていけと小さな嘘はついちゃいけないというのがドラマの鉄則だったんですね。ドラマ自体はフィクションっていう嘘だけど、重い石を運ぶ時も本物の石を運ぶ。嘘はつかない。使うシーンは玄関入ってきてお兄ちゃんとかいう一言なのに100メートルぐらい走ってってやるとかありました」

撮影以外で心に残る田中邦衛との1シーンがあるという。

「思春期を超えたぐらいの時、ロケに出発する直前、台本の切れ端に何か走り書きして渡してくれたんです。今の君の姿にこの詩を贈りますって。自分のことをすごく見ていてくださって、私の成長は痛みもあれば喜びもあっただろうねっていうそんな詩の内容だったんですけど、そうやってすくっと立ってる君が素晴らしいっていう。ギフトでした」

中嶋朋子にとって「北の国から」とは?

「まあ人生なんですけどねだってもう一人のあの優等生のお姉ちゃんがいたような人生だったんで蛍ちゃんっていうのが深いですよこんな経験できないのでありがたいなと思います」
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