人生を変えた挑戦
1987年、レ・ミゼラブル。
「これお話し頂いたのではなくて、オーディション。スター誕生以来のオーディションかな。でも、このレ・ミゼラブル、私にとっては三つ目だったんですね。一番初めがロックミュージカルハムレットと言って、桑名正博さんと一緒に中野サンプラザで行いました。その時に、自宅は江東区にあるのに中野サンプラザに行くともう一つ家族ができたみたいに、なんかすごいあったかいものがあると思って。歌い手っていつも一人だから、なんかこう仲間がいる。ュージカルやりたいって」
岩崎宏美はミュージカルのために人生をかけた。
「私の事務所は舞台はダメって言う所だったので、25歳の頃に独立して自分の事務所を作って、で、屋根の上のバイオリン弾き、森繁久彌さんがおやりになった時の最後の三カ月、ホーデルという役で帝劇に通ってました。その時も嬉しくて、定期持ってね。地下鉄の。で、照明の人が“私定期買ったんだ”って言ったら、定期入れ買ってくれて。その時に大きいポスターがあって、レミゼラブルオーディションって出てたんですよ。私はもう東宝の作品に出てたので、第1オーディションの書類はオッケーで、第2で東宝の方の前で歌うのもオッケー。第三からのオーディションだったんですね。第三からのオーディションが外国のスタッフの前で英語の曲一曲、とレミゼラブルの曲を歌うって言う。すごい、もう怖気づいちゃって。もうねピアノの横に印のついてるところに立たなければいけないんですけど。緊張してそこまであと一歩が出なくて、それでここで歌ってもいいですかって言ったの覚えてるんですよね」
この作品がきっかけで、運命的な出会いもする。
ミュージカル俳優の今 拓哉と結婚。
「出会った印象は、劇団四季出身の真面目の男の子だったんですよ。それで、なんかずいぶん真面目だなっていうのは印象に残っていて。終わってもすぐに帰るし。あの飲み会だけは来るんですけど、なんか終わるとすぐいないっていう印象があったんですね」
そんな彼と舞台での接点とは?
「会話する機会はありましたよ。あのファンティーヌっていう役は、ファンティーヌって前半のもう20分ぐらいで亡くなってしまう役なんですね、その後は顔を汚して、しまのズボン履いてピエールっていう少年でバリケードとかで走り回ってんですよ。その時に、彼は途中からアンジョルラスっていう革命家のリーダーになったので。あのアイコンタクトもしてましたし、頑張ってるの今ちゃんと思ってやってましたから」
やがて2人は惹かれ結婚に至る。
岩崎宏美にとって、今 拓哉の人生は刺激的なものだった。
「とにかく本が好きでねで6畳ちょっとキッチンが付いているぐらいのところから、引っ越してきた割に信じられないぐらい荷物がいっぱいあって、本棚いっぱいになるから本があったんですよ。そのために私が本棚買ったぐらい。でこれどうやってその狭いお部屋に置いといたのって言ったら、段ボールで天井まで積み上げてたって言ってました。図書館とかそういうとこ行けばいいのにと思いましたね」
では岩崎宏美は10年後はどんな自分を想像しているのか
「姿形はちょっと変わっても、気持ちとしてはあまり変わってないと思うんですよね。ただ、60代になって考えることも多くなってきたし、自分の体調も少しずつ変わってきているので。あの元気でいなきゃいけないなっていうのと、でも10年先輩にあの由紀さおりさんとか、あと学校の先輩の森山良子さんとかいらっしゃるので、皆さん見てるとすごい元気だから、そこを目指して頑張ります」