2013年8月29日

8月29日 復興グルメ旅(4)福島県伊達市 トラットリア・ラ・ワサビ

今週は、日経BP社のグルメガイド本、『復興グルメ旅』に掲載されている、震災を乗り越えた、東北の美味しいお店を 毎日ご紹介しています。

今日は、福島県伊達市(だてし)の「トラットリア・ラ・ワサビ」。
地元出身のシェフ、末永俊一朗さんが10年前にオープン。地元に根づいた、こだわり食材のイタリア料理店です。



◆地元食材の安全をアピール
オープン当時から一貫して地産地消、地元でとれた食材をなるべく多く取り入れてイタリア料理で提供するお店。原発事故が起きてから、地産地消でやっていた営業スタイルが180度かわり、地元の野菜果物を使えない状況が半年続いた。それ以降は、地元の直売所では食材を全て数値を測り、安全なものだけを出荷するというやり方が安定してきた。それ以降はなるべく地元の農家さんから朝に収穫した季節の野菜を朝に届けて頂くスタイルはできるようにはなった。
農家さんが一番、やる気を削がれた。何のために今までやってきたのか、ゼロからのレベルでない、マイナスからのスタート。自分として何ができるかを考えた時に、地元の食材は今こうして元気で旬なものが栽培されており、それが安全で美味しいということを食べてわかって頂けるようにアピールすることに務めている。

地元の旬の食材にこだわるイタリアン。この時期は、どんな料理が楽しめるのでしょうか。

◆晩夏のオススメは、かぼちゃのパスタ、ピッツァ
夏も終わりに近づいている今は、とうもろこし、ズッキーニ、かぼちゃ。収穫して1ヶ月くらい経過したかぼちゃは、追熟によって水分がある程度抜けて、ホクホクした食感と甘みがある。そんなかぼちゃ自体のコクが楽しめるパスタを提供している。薄切りにしたものをグリルパンで香ばしく焼いて、チーズとトマトソースと合わせる直径30センチの薄生地タイプのピッツァもある。
いまは地元の農家さんはじめ生産者、商売を営んでいるみなさんも、復興に向けて一歩ずつ歩んでいます。お店に立ち寄っていただいて、何か声をかけて頂ければ元気もたくさんもらえて、自分たちもさらに前向きに上を向いて歩んでいけるのではないかと思います。ぜひ足を運んで頂ければと思います。
  
ちなみに、お店「ワサビ」という名前は、末永さんが元々、お寿司屋さんで修行をしていて、その時から、決めていた名前です。「ワサビという言葉は世界共通語。だれにでも覚えてもらえる」ということで、寿司職人だった頃の初心忘るべからずということで、名づけた名前だそうです。




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明日は、『復興グルメ旅』の中から、宮城県気仙沼市の、マグロの漁師料理のお店『大漁丸』をご紹介します。

2013年8月29日

8月28日 復興グルメ旅(3)岩手県釜石市 新華園本店

今週は、日経BP社のグルメガイド本、『復興グルメ旅』に掲載されている、
震災を乗り越えた、東北の美味しいお店を 毎日ご紹介しています。

今日は、岩手県釜石市の「新華園本店」。釜石のご当地ラーメン「釜石ラーメン」の元祖として知られるお店です。お店のご主人、西条優度さんは、鉄鋼と漁業の町 釜石で働く人たちに愛されるラーメンを作り続けています。



◆鉄鋼マンに愛されたラーメン
オヤジの代から60年以上続くラーメン店。主に鉄鋼場に愛されていて、釜石ラーメンの元祖だとみなさんに言って頂いている。麺が極細。1ミリあるか無いかくらいのソバ。すごく喉ごしが良い。琥珀色のスープで醤油味。トッピングはシンプルにメンマにチャーシュー2枚、ネギ。
細いラーメンはオヤジが開発。ゆで時間が25秒くらい。鉄鋼マンの方々には、パッと来てパッと食べてパッと変えるラーメンなのでそれが受けたのかなと思う。


現在64歳の西条さん、若い頃は東京で働いていたのですが、釜石ラーメンを産んだ父親のお店を継ぎ、試行錯誤しながら、その味を受け継いだと言います。そして震災後は、8か月でお店を再開。再開にあたって迷いは無かったそうです。


◆絶対オレの代でつぶしたくない
1階は全滅。1階の心臓部がやられたので壊滅状態だった。そういう痛手を負いながら、さあどこから手をかけて行こうかと言うことしかなかった。やる、やらないじゃない。やるんだという気持ちだった。なんで・・・みなさんに愛されていたお店だから、絶対に俺の代ではつぶしたくないという気持ちが
あったのかも知れません。道行く方々に声をかけられたんです。「やるの?いつ?」って。
その言葉が耳に残って、いそがなきゃなんないなと。それで、みなさんのために頑張ろうという感じだった。
12月1日に再開した時に、しょっちゅう来てくれていたおばあちゃんが来てくれて、「再開したんだ、良かったね」と来店して、ラーメンを食べて泣いていた。それを見た時は、やってよかった、絶対に間違いじゃなかったという気持ちになりましたね。原点に戻った気持ちがしています。


              
「復興グルメ旅」の新華園のラーメン解説によれば、
〈スープは、鶏がらベースととんこつベースをブレンドした醤油味。さっぱりとした中にもコクがあり、ちぢれ麺によく絡む・・・とあります。朝から食べたくなります。〉



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明日は、『復興グルメ旅』の中から、福島県伊達市のイタリアン「トラットリア・ラ・ワサビ」を
ご紹介します。

2013年8月27日

8月27日 復興グルメ旅(2)宮城県石巻市 割烹滝川

今週は、『復興グルメ旅』(日経BP社)に掲載されている、震災から立ち上がった東北の美味しいお店を、1週間かけてご紹介します。

今日は、宮城県石巻市の「割烹 滝川」。今年の初夏、川沿いの元の場所でお店を再開した、石巻の老舗割烹です。板場を取り仕切るのは、料理長・阿部司さん。4代目の料理長です。

◆創業100年の老舗
創業は大正3年、来年100周年を迎えるんですが、創業当時から北上川に上るウナギを調理してかば焼きにして出していました。それとともに、元祖石巻の鶏の釜めし。南部鉄の釜で炊き上げたものをお出ししていました。一昨年の震災の時は日和山に歩いて避難して、上から店を見ることができたのですが、津波が押し寄せてきてクルマや建物が流れるのを見るしかなかったですね。

津波を見た阿部さんは、「店は流されてしまっただろう」と覚悟したと言います。でもお店は、1階部分の被害はあったものの、建物自体は無事で昔からの看板も残っていたんです。阿部さんは、津波に耐えた建物を見て、お店の再開を決意。ウナギ料理の命ともいえる、代々伝わる「味」が無事だったことも、その決意を後押ししました。

◆奇跡的に残ったウナギのタレ
ウナギのタレは創業時から継ぎ足し継ぎ足してきた。震災当日はタレをもって逃げる暇もなくあわてて逃げたのだが、2階にお客さんの部屋に小出しにするための瓶があり、そこにウナギのタレが残っていた。なんとか昔からのDNA、味は受け継げたのかなと思う。元あった場所で再開したのは今年6月。二年経って、またここで始められるというのも信じられない。でもやるからには、前よりも良い店にしようと、スタッフと一緒に頑張って今日まで来ましたね。これからも色々、これからこの地域がどうなるか住んでいる我々にも分からないのですが、飲食店が元気になることが地域の復興に繋がっていくんだなと言うのをちょっとずつ感じているので、これからもがんばっていきたいと思っています。当店の人気メニュー、鶏釜飯膳、お米は石巻の契約農家さんからこだわったお米を使い、材料のタケノコやシイタケも県内産。主に石巻のものを使っています。全部が全部こだわりのものを使っています。南部鉄の鉄釜で炊くことで甘みがまろやかになり、香りのよい釜飯だと思っています。
               
現在、北上川はウナギが取れなくなっていますが、割烹滝川では、現在も国産の養殖ウナギにこだわり、創業時からのタレで、美味しいウナギを焼き続けています。



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明日は、『復興グルメ旅』の中から、岩手県釜石市のご当地ラーメン「釜石ラーメン」の名店をご紹介します。

2013年8月26日

8月26日 復興グルメ旅(1)

今週は、夏休み最後のお出かけや、秋の行楽に向けた情報です。
『復興グルメ旅』というグルメガイドと、そこに掲載されている、東北の美味しいお店を、1週間かけてご紹介します。

いざ、食べ歩いて、復興支援! 震災から立ち上がった東北のおいしい店50
『復興グルメ旅』(日経BP社)

『復興グルメ旅』日経BP社出版局の竹内靖朗さんに伺いました。

◆口コミで聞いた地域の名店、50店
被災した飲食店が、津波で流されてしまったが仮設店舗で復活した、新たに営業を始めてたくさんのファンがまた訪れている。そういうお店ばかりを取材して、一冊の本にまとめたのが復興グルメ旅。地域の名店の美味しいものを食べに訪れるだけでも被災地の方々はすごく嬉しいんじゃないか、これだけでも復興支援じゃないかということを提案している、ちょっと変わったグルメガイド。取材したのは何ヶ月、半年と営業できなかったが復活した美味しいお店がないかと、地元出身者、在住者の口コミで探しだして取材をした。再開できたお店と出来なかったお店は紙一重。先祖代々使っていたタレがたまたまお店の2階においてあって助かって、それを見た時に「神さまがもう一回お店をやれといっているんじゃないかと思った」とか、ずっと使っていた居酒屋の白木の一枚板のカウンターが瓦礫の中から見つかり、お店は流れたがそれだけがあるという時に、「やっぱりもう一度やろう」と思ったとか、そういうことが後押ししてお店を再開できた人もいる。こういう話を色んな人に知ってもらいたいなと思った。


この『復興グルメ旅』には、東北15の地域から、50店舗が紹介されています。竹内さんご自身も、現地へ何度も足を運び、取材を重ねたそうです。その中で、竹内さんが個人的に「また行きたい」と思うお店をいくつか教えていただきました。

◆地域のソウルフードに出会える旅
本当にたくさんあるのだが、個人的には石巻の割烹滝川さんの「鶏釜飯」。やっぱり食べたい。石巻に行ったら必ず行きたい。気仙沼はお魚のイメージが多いのだが、とんかつ「かつ子」。とんかつは本当に美味しくて、かつ子さんの人柄も優しい。また行きたいなと思う。もう一つ上げるなら、宮古の「福」というラーメン屋さん。ここはワンタンが特徴的、つるっと麺をすするように食べれてしまう。宮古に行ったらまた行きたいと思う。紹介しているお店の中には、「この町の子どもたちはみんなうちの焼き肉を食べて大きくなる」とおっしゃる方や、「この町のソウルフードだから」というお店もある。単なる飲食店以上の存在。遠くに住んでいる我々としても、近所の人、仲間という感じで暖かく迎えてくれるお店が多かった。どうせいくなら美味しいものを食べたい。ぜひこういう本で美味しいお店をチェックして、新しい出会い、楽しい旅行をしていただけたらすごく嬉しいなと思いますね。


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2013年8月23日

8月23日 サポートアワーキッズinカナダ 子どもたちの声3

引き続き、「サポートアワーキッズ」の、カナダホームステイのレポートです。

およそ2週間の語学留学を終えた10人の子どもたちは、海外の文化に刺激を受け、それぞれの生活に戻り、新たな目標へ向け進み始めています。

10人のメンバーのリーダー的存在だったのが仙台市の高校3年生・南館里香さん。彼女がカナダから持ち帰ったものは、“復興後の街”のイメージでした。

◆カナダの文化を復興に生かしたい
カナダでバラエティビレッジというところに行ったんです。障害者の方々と健常者の方々が一緒にスポーツする施設で、素晴らしいと思った。カナダは人種や身体の障害を超えて、みんなが一緒でみんなが平等。日本も新しい街づくりをしていかなきゃいけない中で、カナダのみんな平等で一緒に暮らしていけるという考え方を取り入れて、復興・街づくりをしていけばいいなと思います。


仙台市内出身の南館さんは、震災による被害は、「それほど大きくなかった」と話し、そんな自分たちにも、支援があったことに心を動かされたといいます。

◆今度は自分たちが支援する立場に
震災があって、海外へ行って、色んなインスピレーションを受けて帰ってきた。これは日本にとどまらないこと。中国の洪水や、海外で戦争を体験した子どもたちも私達と同じようにちゃんとした未来がある。逆に日本に来てもらいたい。サポートアワーキッズが世界中に支局を持って、私達が日本から色んなところに行ったように、自分たちが逆の立場で支援する取組があったらもっと世界が明るくなると思います。これから自分の中でも何か一つ、新しく変えて行って将来わたしが大人になって、逆に支援する側になって、私達のような人を増やしたい。そういう考え方がどんどん広がって良くなっていく。それが支援してくださった方の目的だと思う。


南館さんを始めとした今回の10人は、「コネクト・カナダ2013」というプロジェクトを、 自分たちの力で立ち上げようとしています。2015年は、トロントに日系人が移住を始めて50周年の節目の年。その式典で、東北の郷土芸能を紹介する計画を立てています。2年後、10人はコネクトカナダ2013のメンバーとして、再びトロントに集まり、カナダと日本の交流や、復興への貢献を続けると言います。そしてその活動を年下の子どもたちへ伝えていく…そんな目標へ向かって進み始めています。



サポートアワーキッズサイト
フェイスブックページ

高橋 来週は、東北の美味しいものをめぐる『復興グルメ旅』ということで、
震災から立ち上がった、東北の美味しいお店を1週間かけて、いっぱいご紹介します!

2013年8月22日

8月22日 サポートアワーキッズinカナダ 子どもたちの声2

引き続き、「サポートアワーキッズ」の、カナダホームステイのレポートです。

今回、およそ2週間のカナダ・語学留学に参加したのは、岩手、宮城、福島をはじめ、千葉、栃木で被災した10人の子どもたちです。

現地では、ホストファミリーやカナダの子どもたち、日系人支援者の前で、
それぞれの被災体験を、英語でスピーチする機会もありました。

参加したメンバーの一人、福島県双葉郡出身の中学3年生、犬塚友佳子さんは、震災直後の3月12日に、福島第一原発の事故で避難を余儀なくされた経験を、この日のために練習した英語で伝えました。

2011年3月11日、当時、小学校6年生だった犬塚さんは、卒業式の練習をしている最中に被災。故郷・双葉郡を離れ、避難先をなんども点々とし現在はいわき市の仮設住宅で生活をしています。スピーチで伝えた想いについて、帰国後直後に伺いました。

◆自立するということ
震災というと地震、津波もそうだが、私が伝えたかったのは原発のこと。私のふるさとの街は帰れるようになったんですけど、みんな帰ってないんですね。なんでかというとお店もないし放射能も心配で人が集まってこないから。そういうことをスピーチでは話しました。
この2週間は自立心を育てていくということが目的にあったので、これからもっと自立していって、町の人達が帰れるように日本の政治を変えていきたいと思っています。今の政治って原発を促進しようと思っているじゃないですか。それが本当に許せなくって。でも街の人達が遠慮しちゃってるから。誰かが、誰かが立ち上がらないと・・・と思って、私ができればいいかなと思いました。
自立って色んな形があると思うんですけど、一匹狼でどんどん進んでいくことじゃなくて、みんなを引っ張っていく存在になることだと思う。立ち止まっていては何も起きないし、行動しないと何も始まらないから、とにかく勇気を出して行動を起こすことが大事です。



中学3年生、来年の春には高校受験を控えた犬塚さんは、震災・原発事故・避難生活という経験を経て、いま、「政治に関心がある」と将来の目標を語っています。  

明日も、サポートアワーキッズのレポートをお届けします。

2013年8月21日

8月21日 サポートアワーキッズinカナダ 子どもたちの声1

今朝も引き続き、「サポートアワーキッズ」による、カナダホームステイのレポートです。

各国の大使館と連携して、被災地の子どもたちに言葉や文化の違う海外でホームステイをしてもらい、自立心を養うサポートアワーキッズ。カナダへ旅立った10人の子どもたちは、およそ2週間の滞在を終え、19日(月)に帰国しました。

語学の勉強、日系人の支援団体やカナダ人の子どもたちとの交流、カナダ流のサマーキャンプ・・・カナダでたくさんの人やものに触れ、子どもたちは色んなものを持ち帰ってきたようです。

◆「苦労からしか学べない」ことを学びました
後藤雅陽くん(中学2年生・石巻市)
行く前の目標は外国に行って友だちを作ることが目標でしたが、見事に(笑)たくさんの友達ができました。外国人とのコミュニケーションは上手くできたと思っていますが、もっと英語を勉強しておけばよかったなと後悔もあります。いままで中学校だけの視野で見ていましたが、今はどちらかというと世界的に見るようになりました。

庄子灯さん(高校1年生・宮城県仙台市)
私は震災の地震の揺れの大きさと、自分がお父さんを亡くしたということで感じたことを伝えてきました。英語が通じるかなという不安は大きかったんですけど、自分たちが発表したあとに泣きながら話しかけてくれた人や、カナダの人たちが感じたことを話してくれたので、自分たちの英語でもちゃんと通じたんだなと思いました。日系人の方が多かったんですけど、カナダに来た時にバッグひとつで、6万5千円だけもって移住したと言う話を聞き、日系人の方もすごく苦労してきたんだと思いました。私もこれから簡単な道を選ぶのではなくて、苦労をして、自分が求めている自分になりたいなと思いました。

片平優香さん(高校3年生・福島県伊達市)
ホームステイのホストファミリーの方とずっとお話をしていて、一番心に残っていることがあります。その方も日系人だったんですけど、日系人の方々もゼロからはじめたことが何度もあるんです。戦後の何もない時代の話とか。それと震災もちょっと似ているところがあると思う。苦労して学ぶというか、人間は苦労からしか学べないということを学びました。



今回のカナダ滞在で、子どもたちを受けいれた日系人の方々は、150年前にカナダへ渡った何世代も前からの移住者、そして1965年以降の移住者がいるといいます。戦中戦後にカナダの日系人たちが受けた辛い体験や、文字通り「身一つで」移住し苦労した経験を聞く機会も多かったそうです。

カナダの日系人の方々が、大変な思いをして切り開いた未来。子どもたちはそこに、自分たちの境遇と似たものを感じて、大きな刺激を受け、帰国した様子でした。


明日も、サポートアワーキッズのレポートをお届けします。


2013年8月21日

8月20日 サポートアワーキッズinカナダ トロントの日系人による支援2

きのうに引き続き、「サポートアワーキッズ」の、カナダホームステイを支援したトロント在住日系人の方のインタビューです。

海外ホームステイを通じて、被災地の子どもたちの自立心を養うサポートアワーキッズ。カナダ・トロントの日系人支援団体は、その取り組みに共感し、10人の子どもたちを受け入れました。

子どもたちは、カナダではポピュラーな、地元のカウンセラーとともに過ごすサマーキャンプなどを経験。
2週間のステイを終え、きのう、無事に帰国しました。

トロントの支援団体で実行委員長を務めるチャコ瀬戸山さんは、子どもたちを受け入れる直前、こんな思いを口にしていました。

◆優しさを受けることで、優しさをあたえられる
辛い体験をしてきた子どもたちですよね。人間というのは、辛い体験は悪いことばかりではない。辛い体験だからこそ、人の優しさ、人にこうしてあげたいという気持ち、いろんなことを吸収する力が作られる。私はカナダにカウンセラーとしてキャンプに参加したことがあって、そこで折り紙を教えたのだが、ボランティアで働くカウンセラーたちの気持ちが本当に優しいのを感じた。自分が将来なにか出来ることがあったら、人に何かしてあげられる人間になりたいと思った。子どもたちもいい思い、楽しい思い思い、人のやさしい想いで包んでもらえれば、それを与えることができる人間になれるんじゃないかなと、本当に思っている。

そして、瀬戸山さんは、カナダ移民という立場から、カナダ・トロントの文化・考え方に触れることの意味を、こう説明します。

◆私は私。一人一人が輝けばいい
カナダ、トロントで思ったのは色んな人種がいるということ。例えば明日トロントの町に降り立ったら、街角でみんなが道を聞きに来る。「あなたはもう異邦人じゃない」ということ。ニューヨークは人種のるつぼと呼ばれるが、カナダ・トロントは人種のモザイクと呼ばれている。モザイクは一つ一つのかけらはバラバラだが、綺麗に並んでいくと絵になる。カナダでは「一つになりなさい」とは言わない。文化を吸収してもいいし、自分の宗教を持っていてもいい。一人一人が輝いて下さい。そしてみんなが合わさって一つの絵になればいい、という考え方カナダと、政府の特色。モザイク文化、多様文化主義。私は私でよい、私で輝いたらいいんだという雰囲気の中で過ごして頂けたらいいなと思っています。
               

瀬戸山さんは、ご主人の松本ジェームズ・シンイチロウさんとともに、今回のカナダステイを支援。国際感覚やマナー、日本を外から見ることの大事さを、伝えたいとも話しています。

カナダ2週間のホームステイを終えた子どもたちは、きのう無事に帰国! 子どもたちの声は、「あした」のこの時間にご紹介します。

2013年8月19日

8月19日 サポートアワーキッズinカナダ トロントの日系人による支援

今朝は、将来、復興を担う被災地の子どもたちの自立支援に取り組む団体、「サポートアワーキッズ」の活動を紹介します。

サポートアワーキッズは、各国の大使館と連携して、子どもたちに 言葉や文化の違う海外でホームステイをしてもらい、自立心を養うプログラムです。今年は、以前紹介したフランスをはじめ、ニュージーランド、アイルランド、カナダで実施しています。

カナダのホームステイで、子どもたちを受け入れたのが、カナダ・トロント在住日系人の経営者による集まり「新企会」などによる支援団体です。実は東日本大震災のあと、トロントの日系人の方々は、独自に様々な支援活動を続けています。実行委員長のチャコ瀬戸山さんに伺いました。

◆祖国のために
550万人都市のトロントで日系人は2万人と少数。
今回の震災でトロントの日系人たちは、津波という祖国の災害に対して、様々な分野の垣根を超え一つになり支援活動を始めた。子どもたちは、お母さんたちが一所懸命握ったおにぎりを町で売り、1個1ドルで買う人、100ドルで買う人もいたが、そうしたお金をみんなで集めた。私達の新企会では、風評被害を受け客も来なくなり、バンクーバーで日本食の荷物も差し止められた日本食レストランを支援。「日本食祭り」を実施、600万円くらいの収益を挙げた。
そういう活動を続ける中、去年、サポートアワーキッズの活動を知り、これは良い活動だと感じた。子どもにモノを与えても壊れてしまうかも知れない。でも心に良いモノを受け止めれば絶対に成長する。子どもたちにとっても貴重な体験になると考えた。


瀬戸山さんたちは、カナダを訪れた10人の子どもたちの受け入れ、現地での様々な活動を、支援をしています。

◆生活を体験してほしい
子どもたちには、英語学校にあさ9時から12時まで行ってもらう。
12時から4時までは学校が主催したアクティビティがあって、トロントの市内の地下鉄乗って生活体験をしたり、美術館を見学したり、ブルージェイズの本拠地での試合観戦したり・・・という課外授業も実施。そのあとはサマーキャンプがあります。カナダの子どもたちは夏にサマーキャンプをするのが定番。
そのサマーキャンプを体験してもらう。
現地の子供達と寝泊まりして様々なカリキュラムを用意。英語を学ぶだけじゃなく生活を体験するというのをさせてあげたいなという願いがある。キャンプ地にはリスもアライグマもたぶん鹿にも遭遇します(笑)。自然はいっぱいあります。               


カナダでのサマーキャンプは、トロントから2時間半ほどの自然いっぱいの場所で行われ、子どもたちは山小屋に寝泊まりし、様々な自然体験をしたということです。
カナダ2週間のホームステイを終えた子どもたちは、今日帰国します。子どもたちの声は、また追ってご紹介します。

明日もサポートアワーキッズの話題。トロントの日系人支援団体の実行委員長・瀬戸山さんのお話をお届けします。

2013年8月16日

8月16日 三陸鉄道で楽しむ「あまちゃん」の世界

今日は、「あまちゃん」の故郷、三陸鉄道の話題です。

岩手県の三陸海岸を走る三陸鉄道、通称「三鉄」。
震災後、徐々に復旧と運転再開を続け、現在は、北リアス線が、「宮古−小本間」と「田野畑−久慈間」、そして、今年4月南リアス線も部分的に運転再開、「盛−吉浜間」で、運行しています。来年には、全線の再開を目指しています。

また、夏休みは特別列車も登場。三陸鉄道の冨手淳さんに詳しく伺いました。

◆三鉄、夏の特別列車
北リアス線のほうは「お座敷列車北三陸号」ということで、久慈から田野畑までお座敷列車が走っている。車内には海女の恰好をしたアテンダントが乗車して、うにあわび弁当など、特製弁当を予約販売している。(お客さんは)それらを楽しみに乗ってこられています。かなり人気があって、予約したほうが確実だと思う。
あとは、「かいけつゾロリ列車」ということで、こちらは行先が内緒のミステリートレイン。「かいけつゾロリ」という、子供さんの間で大変人気のゾロリのキャラクターをラッピングした列車。原作者の原先生とポプラ社さんがこの企画用のDVDをつくってくれたので、それに合わせて「ゾロリの冒険」のように進んでいく。
南リアス線のほうでは、スイーツ列車とランチ列車というのをやっている。


海を臨む抜群の景色が「三陸鉄道」の最大の特徴。でもそれは、運行区間のほとんどが、津波の被害を受けたことを意味します。

震災後、乗客の減少や、不通区間の収入減が経営を圧迫。一時は事業の継続が危ぶまれた時期もありましたが、社員が一丸となって、復旧復興に取り組みました。そんな中でやってきたのが、「あまちゃんブーム」です。

◆あまちゃんブームと三鉄オススメビューポイント
今年の夏は「あまちゃん」のおかげで、特に久慈のほうにたくさん(お客さんが)来ていただいて、忙しい日々が続いている。
南リアス線のほうにも、今年運転を再開をしたということで、観光のお客さんが来ているという状況で、皆さんに乗って頂いて感謝している。
列車からのおすすめのビューポイントとしては、震災の状況がわかるというところでは、陸中野田と野田玉川の間は、去年の4月に復旧した。昔は海が見えなかったが、松林が津波で流されて、海が見えるようになった。(震災前後で)車窓の風景が大きく変わったところ。あとは南リアス線で三陸付近で、ここも津波で築堤が壊れたところもあったが、すっかり復旧して、この辺がオススメかと思います。


※北リアス線の「お座敷列車北三陸号」は9/23までの土日祝日に運行。空いていれば当日乗車も可能ですが、かなり人気があるので予約したほうが確実です。また、社内で販売する弁当は前日までに予約が必要です。「かいけつゾロリ列車」も乗車の3日前までに予約が必要になります。

※また、三陸鉄道では「震災学習列車」も運行しています。列車で移動しながら、三鉄や周辺地域の震災被害と復興について学べるというもの。団体での貸切予約が基本となりmさう。

詳しくは三陸鉄道のオフィシャルサイトでチェックしてください。

2013年8月15日

8月15日 牡鹿半島・残された土地を活かす計画

今朝は宮城県石巻市・牡鹿半島から、街の復興・再生へ向けた 動きをお伝えします。

牡鹿半島では、津波の被害を受けた建物の取り壊しが進み、残された土地を街の復興にどう活かすかが課題になっています。震災直後から牡鹿半島で復興支援を続けているpikari支援プロジェクトの代表 遠藤太一さんは、今そうした土地を活用する計画が動き出していると言います。

◆残された土地をどう活かすか
牡鹿半島・鮎川浜を活動拠点としているが、この地域でいま必要なのは、石巻市内、市街地と違い建築制限区域が設定されている低平地の多い土地の利用方法を考えること。
復興計画を決めるにあたり、ようやく住民のあいだで話し合いが少し前に進み始めたが、まだ、何年もかかる。その期間、低平地をほっておくとただの荒れ地になってしまうので、復興計画が進むまでのあいだにどう利用していくかが重要。
そこで今、市が管理している土地を公共で利用できるように整備を急いでいる。多目的広場や子どもたちが遊ぶ公園、秘密基地を作るといった企画を色々と市に提案して、ちょっとずつ前進しているところ。

この計画で活用するのは、津波の被害を受けた公民館、体育館、市営住宅を取り壊した跡地です。すでに石巻市に申請を提出しており、順調に進めば8月末にも様々な施設が作られ始めます。

◆子どもたちと一緒に考える
自分たちがやっていたストリートスポーツなどが新しく半島に入ってきても面白いのではないかということで、早ければ今年のお盆にはBMXなどを楽しめる施設や、土で作ったモトクロスのコースが完成。みんなでどろんこになって乗って遊ぶといった場所になれば面白いのではないかと思っている。
子どもには遊具が必要だという固定観念で、どこに遊具を置くかという支援ではなく、鮎川小学校の総合授業の中で、どんな街づくりをしたら面白いのかというアンケートを実施、自分たちの楽しい遊び場を自分たちで作っていくために4歳から15歳の子ども、そのお父さんお母さんを対象に聞き取り調査をした。
子どもたちからは「動物とふれあえる場所が欲しい」といった声があった。自転車やスケートで遊んだら面白いとか、ランプで遊びたいという子どもは何人かにとどまっているので、新しいカルチャーとして取り入れていけたら面白いんじゃないかと思っている。
自分たちの思ったことがちゃんと形になるような、子どもたちと一緒に考えて一緒に作っていく街づくりができればいいなと思っています。

お伝えした計画にあった「秘密基地」ですが、鮎川浜では、人が住んでいない廃屋に、子どもたちが勝手に「秘密基地」を作って遊ぶため、大人から「危険だからやめさせたい」という意見があったそうです。一方、子どもたちからは「でも秘密基地が欲しい!」という声が。そこで、更地になった場所に「大人公認の秘密基地(笑)」を作ろうというアイデアが生まれたということです。
その他、動物とふれあえる場所がほしいという声を受けた、ドッグランの設置も計画の中に盛り込まれています。です。

詳しくは、pikari支援プロジェクトのフェイスブックページで確認できます。

2013年8月14日

8月14日 石巻のスケートボードランプ2

きのうに引き続き、宮城県石巻市の街なかに、スケーターが集える場所を作った、石巻のスケーターブランドの代表・松川聖彦さんのインタビューです。

松川さんが石巻市街地に作ったのは、子どもから大人まで楽しめるスケートボードのランプです。「ここがコミュニケーションの場になって、街に人が戻って来る一助になれば」と、松川さんは語り、このランプの管理・運営を、無償で行っています。また、松川さん自身も現役のスケーターとして、いまもスケートボードを楽しみ続けています。

◆そんなおっさんがいてもいい。
楽しんでいるということをとにかく徹底したかった。不謹慎かも知れないけどずっと笑っている、というだけ。笑って楽しんでいないと、他人も面白くないと思う。それが伝わる人が集まってくれれば、大人でも子どもでも、一人でもスケーターが増えればいいかなって。100人も増えるわけねえと思っている。10人集まればいい。10人が上手くなって、例えば海外に行って優勝したりすればそうなればやっていてよかったと。それが夢というか目標。もちろん自分もレベルアップする。自分も滑りたいから。一生現役でやりたい。90歳まで仕事をしながらスケボーをしたい。やっていると意外に出来なかった技が出来るようになる。年齢じゃなくて、いかに集中したり色んなことを出来るか。だから通すしかない。そんなおっさんがいてもいいのかなって。

自分の行動を見て伝わるものって必ずあるんですよ。「このおっさんって馬鹿じゃねえの」と思われるくらいのめりこんでやっていると、見ている人がそれなりについてきてくれて、また人を呼んでくれる。もちろん100人に同じことを言っても、みんなが共通理解はしない。俺の言うことなんか5人くらいわかってくれればいい。5人が集まってくれたらそれはとてつもなく大切なこと。それは被災したあとに気づいた。一人一人が接点を持って繋がって行った時にどれだけの力になってくれるか。逆に自分も、何かあったらすぐに行ってあげて協力してあげなきゃなという体制でいるのが大切なことかなと思う。その上で、もう50歳なんですが、ああやってアホなことをやってっからね。

バックテールっていって、バックサイドでテールをあててスライドさせるんです。滑っていく。それをやりたい。バックサイドの技ってすごくカッコいいんです。そっちのあえてカッコいい方をやりたい。どうせ見せるんなら。(できそう?)もうちょっとかな(笑)

好きなものは貫き通す。それが自分のモチベーションを高める。もちろん間違ってたり失敗することも含めそれが自分を伸ばしていくわけじゃないですか。


詳しくは、『ザ・ファン・スケートボードコミュニケーション』のフェイスブックページでご覧ください。

2013年8月13日

8月13日 石巻のスケートボードランプ

今朝は、宮城県石巻市から、スケートボードで繋がる人々のコミュニケーションの場作りをご紹介します。

石巻で番組が実施したフットサルイベント『リ・フッチボリスタ』で設置したフットサルコートの隣には、スケートボードの施設がありました。いわゆる「ランプ」と呼ばれる、スケートボードで色んな技を決めるための
小さなハーフパイプ状の台です。




このランプは震災後、石巻のスケーターたち数人が協力して作ったもの。これを作った石巻在住の松川聖彦さんにお話を伺いました。

◆スケートボードを通じてできること
シルク印刷、シルクプリントを使ってスケートボードをキーワードにしたブランドを作り、石巻をベースにずっと仕事をしてきた。スケートボードが好きだったから、それをベースにした仕事をしていたが、被災して全く何もなくなってしまった。会社も何もなくなった後、元々のメンバーやプロのスケーター、地元でやっていた人間たちが協力してくれてアトリエが復活した。でもマイナスからのスタート。その時に思ったのが、子どもたちに何も還元ができていなかったということ。被災前から思っていたが、被災して何もなくなり、「何を選んで生きたらいいのか」と考えた。

人生を楽しんで、その楽しみをほんのちょっとでもみんなに与えられたら何か面白くなるのかな、でも、俺には何が出来るのかと考えたらスケボーしかなかった。

(ランプ設置にあたっては)市や色んなところにお願いしてもすぐにはできない。石巻はでっかすぎて色んな問題がある。勝手に作っちゃダメというのもある。個人で動くのが一番早い。この場所もたまたま縁があって、商店街の会長さんに、地元でスケートボードをやっていたが、このままでは結局街なかに何もなくなっていく。みなさんの敷地をちょっと貸して」と頼んだところ、「いいよ」と何にも言わずに貸してくれた。再開発がはじまるまで1年かかるか半年かかるか、5年後なのかは分からないが、「お金はいらないから使いな」と土地をぽんと出してくれた。だからありがとうと言って、スケートボードを滑るためのミニランプ、1m50cmくらいの誰でも滑れるような高さのものを作った。まずは自分が滑りたいから作る。自分のポケットマネーでやる。ストリートカルチャーのようなものを根付かせるために。

ただ、一人でやっているのでやれる範囲内で、手におえる範囲内で、あせらずにコツコツやろうと。2年かかったけど、今年ようやくそれが実行できた。徐々に徐々にという感じですかね。



このランプは、地元のスケートボードを愛好する有志の方々が、それぞれ持ち出しで管理・運営を続けています。松川さんは、「ここがコミュニケーションの場となり、街に人が戻って来る一助になれば」と、目的を語っています。
ちなみに、ランプの名前は「マニラランプ」。すぐそばに「スナック・マニラ」というお店があったことから命名したということです。

詳しくは、『ザ・ファン・スケートボードコミュニケーション』のフェイスブックページでご覧ください。

明日も、松川さんのインタビューをお届けします。


2013年8月12日

8月12日 Light Up Nippon in 宮城県亘理町

東北では、東日本大震災から3回目の夏を迎えています。昨日8月11日は、震災から2年5カ月の、節目の日。全国から集められた「花火募金」を元に、被災地に追悼の花火を上げる「ライトアップニッポン」も開催されました。

高橋万里恵も宮城県亘理町の会場で「ライトアップニッポン」の花火を、リスナーの皆さん24人と一緒に観てきました。

花火の前に、まずは地元の方にお話を伺いました。被害の大きかった「荒浜地区」を案内してくださったのは、亘理町「震災語りべの会・ワッタリ」の、安藤美恵子さんと一宮喜輝さんです。
 
◆亘理町荒浜地区
(一宮さん)北のほうが阿武隈川と岩沼市になります。東は太平洋。松の木一本ありません
(安藤さん)いまはこういうふうに雑草が生い茂っていて、津波の傷跡や痕跡があまり感じられないが、この荒浜地区は昔お米や紅花を積んで貞山堀を通って仙台石巻のほうに運んだ港町。(この地区には震災前は)2500世帯くらいの家があった。今現在はなにも見えないが、よくみると基礎だけが残っている。その他のものは全部流されたり、壊したりしてしまった。


亘理町では、津波で町のおよそ半分が浸水し、306名の方が犠牲になりました。「子供たちの夏の想い出づくりのために」「震災で故郷を離れて暮らす人たちの里帰りのきっかけになれば」。そんな亘理町では今年はじめて「ライトアップニッポン」の花火が打ち上げられました。夕闇が広がる午後7時。打ち上げの時刻です。

◆リスナー参加者の声
「感慨深いものがあった。ニュースでは亘理町のことなどいろいろ聞いていたが、皆さんあきあらめないでここまで頑張ってくれてありがとうと言いたい。今後も東北の復興に目を向けていきたい。」
「すごくきれいなんだけど、すごくはかなくて。でも高く見上げていると皆前を向いていけると思うし。感動しました、ほんとに。」
「震災のときちょうど仙台にいたんですが、すごく思い出しながら観ていて。犠牲者の方の命が光になって表れているなと思いました。すごいきれいでした、ありがとうございます。」

◆地元の参加者の声
「いままでは亘理の花火はうちからも見えたが、震災後はずっとなくって寂しいなと思っていたので、今回来れてよかったなと思っています。」
「いままでは海で花火を見るものだというのがあって。でも震災で海には行けないというか。でもここでやるということで、懐かしさもあり、楽しさもあって。いいですね。」

亘理町では、震災前毎年8月15日に漁港の近くで花火大会が行われていましたが、震災以来中止となってしまったということ。「早く地元の花火大会が開催できる日が来ることを願っている」という声も聴かれました。

また今年の「ライトアップニッポン」は、全国から3000万円を超える「花火基金」が寄せられ、亘理町以外にも、岩手宮城福島を中心に全国15カ所で一斉に花火が打ち上げられました。

被災地に寄せるたくさん想いが、東北の夏の夜空を照らしました。


2013年8月9日

8月9日 石巻フットサルイベント&GAKU-MC LIVE!(4)

今朝は、番組とISHINOMAKI2.0のコラボイベント
【リ・フッチボリスタ&GAKU-MC LIVE】 Supported by 白元・アイスノン から、GAKU-MCのライブをお届けします!

震災直後に、石巻でボランティア活動を続けてきたラッパー、GAKUさん。“音楽で、明日の活力となるようなメッセージを届けたい” そんな想いで去年に引き続き今年もイベントに参加してくださいました!






お送りした曲はこちら。
♪「昨日のNo、 明日のYes」/GAKU-MC
♪「ALL for Plus」/GAKU-MC
♪「夢の叶え方」/GAKU-MC

また今回は石巻の小学6年生、ゆづきくんとれんくんのボーイズユニット、ゆれゆれBOYSとのセッションも実現しました!

今回【リ・フッチボリスタ&GAKU-MC LIVE】を共同企画したISHINOMAKI2.0の古山隆幸さんです。


◆世界で一番面白い街をつくろう
今年のSTAND UP WEEKの目標は「世界で一番面白い街をつくろう」・・面白い街になってきてると思う。でもそれは自分達が作っているわけではなくて、たくさんの人が石巻に思いを寄せて創ってくれているんだと思う。街が動いているというか、人が動けば街が動く。そういうことを感じた今回のSTAND UP WEEKだった。まだまだ先だと思うが、10年後、20年後、100年後、絶対、「面白い街になったね」ってみんなが言う街、石巻になるんじゃないかな、と思っています。


★☆【クロノス×Ishinomaki2.0 presents リ・フッチボリスタ&GAKU-MC LIVE】に参加いただいたみなさん、ありがとうございました!☆★









2013年8月8日

8月8日 いしのまき学校

今週は、番組とISHINOMAKI2.0のコラボイベント、【リ・フッチボリスタ&GAKU-MC LIVE】upported by 白元・アイスノンの模様をお届けしています。今日は、そのISHINOMAKI2.0の、新たな取り組みを、お伝えします。

宮城県石巻の若い世代、県外から集うクリエイターによる街作り団体・ISHINOMAKI2.0。「世界で一番面白い街を作ろう。」をキャッチコピーにしたこの夏のスタンドアップウィークをはじめ、様々なアプローチで街を変え続けています。

そんな彼らが世界一面白い街を目指して、新たに作ろうとしているのが、地元・高校生のための、学びの場です。石巻2.0 代表理事 松村豪太さんに伺いました。

◆夢を形にする“がっこう”
ISHINOMAKI2.0で、学びをテーマにしたものとして「いしのまき学校」というプロジェクトがスタートする。この街は学びの町、たくさんの素材であふれている。今学ぶべきは教室や教科書の中ではなく、外にある。この街にこそたくさんの学びの素材がある。震災復興はおそらく5年、10年かかるが、5年後10年後に主役になっているのは今の中学生や高校生、大学生。だからこそ今、訪れる様々な大人たちとふれあって、様々なクリエイター、トップランナーと対等な立場で意見を交換する。

先日、第0回が行われた。テーマはそれぞれの「夢を語り合いましょう」というもの。ふわふわした非現実的な夢ではなく、高校生たちは非常に現実的な、狭いところに留まらない夢を語ってくれた。「日本から外へ出て、医療活動をしたい」「政治家になりたい」と本当に真っ直ぐに言った高校生もいた。

その第1回が8月8日に開催。彼らから“夢のプレゼンテーション”を行ってもらう。そこで集められた夢の提案を公開の場でプレゼンテーションしてもらい、選挙をする。つまり“夢選挙”。夢は考え付くだけではもったいない。そこでみんなの支持を集めた夢を現実化する、実現するスキルが必要。その選挙で選ばれた夢を素材にして、みんなでその夢の実現の仕方を学び、実際に実現していきましょうといったことを、石巻学校 第1回の場でみんなと一緒に考えたいなと思っている。

今回の夢ゼミは、apbank代表の小林武史さんも来るので本当に楽しみ。間違いなく面白い、すごいアイデアがたくさん出てくるはず。この街の期待が、この学校にはあると思う。


第1回の「いしのまき学校」は、8月8日午前10時からスタートします。
場所は、石巻中心市街地にある「IRORI石巻」。参加は無料。当日参加も歓迎しているということです。

いしのまき学校

2013年8月7日

8月7日 石巻フットサルイベント&GAKU-MC LIVE!(3)

今年も7/31〜8/1の「石巻川開き祭り」に合わせて【クロノス×Ishinomaki2.0 presents リ・フッチボリスタ&GAKU-MC LIVE】Supported by 白元・アイスノンが行われました。

今回のフットサルコート、実は段ボールで出来ています!!
段ボールと言っても普通の段ボールではなく、“トライウォール”と言う、3層の構造でできている強化段ボール。ボールが当たってもビクともしません!

さらに今回は、地元の子供たちや、東京のアンテナショップ「石巻マルシェ」で書かれたみんなの「夢」を、段ボールに貼り、「夢」いっぱいの世界にたった一つのフットサルコートが出来上がりました!





段ボールを提供いただいた、石巻の梱包業者「今野梱包」代表、今野英樹さんです。

◆今回、モノづくりの原点を再認識できた
もともと重量物梱包材なので丈夫さがウリ。少々のことでは壊れない。
(その段ボールで子どもたちサッカーしてるの見てどうですか?)
普段われわれが仕事で使っている資材が遊びで使われているのは非常にうれしい!これだけ大人と子供が溶け込むんだなと改めて思った。感動しました。童心に返るというか、やってよかったなと思えるので、それがモノづくりの際たる楽しみなのかなと思います。
(震災後この段ボールでいろんなものを作られたと?)
避難所のプライバシーを守るパーテーションや、仮設校舎の家具、ロッカーや下駄箱など作らせていただきました。
(石巻に住んでいて、震災から3年目の石巻をどう見ているか?)
変わる部分もあれば変わらない部分もある。今後は変えていかなきゃいけない部分も多い。例えば段ボールにしても、こういう使い方じゃなきゃダメという固定概念を取り払えば、こんな楽しいことに使える。震災で仕事もほとんどなくなったが、自分の社員にも言っているが、今自分たちがやれることを精いっぱいやろうよ、と呼びかけて今までやってきた。それが日常に溶け込んでいって新たなイノベーションになるんじゃないかと思います。


今野梱包

★☆東京のアンテナショップ「石巻マルシェ」からもたくさんの「夢」が届きました!☆★


2013年8月6日

8月6日 石巻フットサルイベント&GAKU-MC LIVE!(2)

今年も7/31〜8/1の「石巻川開き祭り」に合わせて、【クロノス×Ishinomaki2.0 presents リ・フッチボリスタ&GAKU-MC LIVE】Supported by 白元・アイスノンが行われました。

そして今年は新たな試みとして、試合のブレイクタイムに、福島のパフォーマンス集団『ロメオパラディッソ』が登場!HIPHOPダンスや、フリースタイル・フットボールなどのパフォーマンスで会場を盛り上げてくれました!!


お話は、ロメオパラディッソのSHIGEさん 25歳です。

◆福島で100年続く文化を作りたい!
それぞれの特技を持った者が集まって、複合的なエンターテインメントのステージを目指しています。(きっかけは?)今福島には遊ぶところがない。見せ場がないんです。だから名物となるものを作りたい。震災から3年目で福島=放射能というイメージを払しょくしたい。支援される立場でなくて、復興という意味で自立していくべきだ、その足掛かりに何か文化を作りたいということで、福島の市民が参加できる劇団を考えた。将来的には常設のシアターを作って毎日公演を行い、震災のメモリアル館も併設し、福島市の目玉となるようなものを作りたいと考えている。
(今回石巻2.0とコラボしてみてどう?)正直こんなに人が集まるとは。こうして住民の方が活気あふれてお祭りを行っていくのはいいことだと思うし、受け売りだがそういった新しいものをつくるには、「若者・ばか者・よそ者」が必要と言われている。「若者とバカ者」の2つは僕らが役割を担えると思うので、もっとバカになって、待ってるのではなく、なんでも足を1歩踏みだすことが重要なのでは。僕ら100年後も残っていくスゴイ文化をこのロメオパラディッソで実現したいと思います!


ロメオパラディッソ

2013年8月5日

8月5日 石巻フットサルイベント&GAKU-MC LIVE!(1)

今週は7/31〜8/1の2日間にわたり「石巻川開き祭り」に合わせて行われた
【クロノス×Ishinomaki2.0 presents リ・フッチボリスタ&GAKU-MC LIVE】Supported by 白元・アイスノンの模様をお伝えします。

この「川開き祭り」は川港を中心に栄えた石巻で、およそ100年前から続くお祭り。地元の小・中学生の吹奏楽団によるパレードや、お神輿、踊りの奉納、花火大会、また供養祭として、灯篭流しなども行われました。


そして、このお祭りに合わせて行われたのが、ISHINOMAKI2.0のイベント「STAND UP WEEK」。番組もそれにジョイントさせていただく形で、「リ・フッチボリスタ」は開催されました。



 
また、今回も去年に引き続き、フットサル会場では企画にご協力いただいた
白元の提供で、「どこでもアイスノン氷スプレー」が配られました。


ハンカチにシューっとスプレーするとミストが氷状に変化してほてったカラダに気持ちいい!白元さんご協力、ありがとうございました!

パーソナリティ 鈴村健一

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