2015年5月29日

5月29日 JR仙石線全線復旧5 矢本駅「まちんど」

いよいよ明日、仙台・石巻を繋ぐJR仙石線が全線復旧します!
今朝もその再開区間、宮城県東松島市からのレポートです。

東松島市のアンテナショップ「まちんど」。
こちらは、仙石線矢本駅そばの1号店と、矢本駅からクルマで5分ほどの大曲店の2店舗があります。お店のスタッフ千葉ゆきさんに伺いました。



◆やっぱり大曲の海苔が一番人気!
やっぱり東松島は海苔が特産品なので、大曲浜の海苔で一番質の良い、一番積み・二番積みの焼き海苔や、味海苔、そして東北食べる通信で紹介した相澤太さんの「厳選」という海苔、相澤さんの「海苔の佃煮」も人気。相澤さんの海苔を使った「海苔うどん」もお客さんがさきほど買っていったばかり。黒くて茹でるとまっ黒になっちゃってお蕎麦に見えるんだけどうどん。歯ごたえも良くて海苔の香りもしてすごく美味しい。うちでも海苔うどんが入荷すると1週間も経たずに完売しちゃう感じ。ノリが一番売れているが、あとは、松島基地があるので「ブルーインパルスグッズ」も置いているし、あとは東松島でたった一人で作っている「かぐや姫」というお米もご紹介したい。


取材したのは、大曲にある2号店『ふれ愛いちば まちんど』。こちらは被災地バスツアーで訪れる方のために、たくさん商品を置けるお店としてオープン。

東松島は、アクロバット飛行で知られる航空自衛隊・ブルーインパルスの拠点でもあり、航空ファンもたくさんやってくるそうです。

そして、待ち臨んだ“市民の足”が明日復活。まちんどスタッフ 千葉さんもこの日を心待ちにしていたと話します。

◆仙石線の再開は、町が元に戻る第一歩になる
5月30日に仙石線が開通。東松島までのアクセスは、松嶋まで代行バスで矢本駅まで来ていたが、こちら「まちんど」に足を運んで下さるお客さんにもアクセスが楽になるのではないかと思うし、東松島をいろいろ探索して頂けたらいいなと思う。うちのお店でも色々と東松島の特産品を扱っているので、お店に来て頂いてお話をして知り合いになれたらいいなと私も思う。私たちもイベントで県外に行くし、お隣の仙台や松島にクルマでもいいがやっぱり電車でゆっくりいける。仙石線の開通は今まですごく不自由に思っていたのが元に戻る一歩だなと思う。イベントで友達になったと遠くの人たちも楽しみにしていて、私も行けるしあちらからも来て頂けて便利になるので楽しみ。海のものも野菜もすごく美味しいものがたくさんあって、隣の松島も観光名所だが東松島もたくさん良いものがあってとても良い自然もあるのでぜひ東松島にいらしていただきたいと思います。


ちなみに「まちんど」には、今週ご紹介したオイタミートの商品も扱っています。

そして、JR仙石線の全線復旧と同時に、東北本線と仙石線がつながる「仙石東北ライン」も開業。こちらは仙台―石巻間が最速で1時間を切るので、東北の港町、より近くなるということです。


★仙石線、全線開通イベント 30日(土)開催!!★

30日、仙石線の開通にあわせ、野蒜駅では運転再開イベントが開催されます。旧野蒜小学校前の「野蒜市民センター」にて、9時〜14時までまちんども出店します!そして会場の振る舞いでは、「東松島食べる通信」で好評の牡蠣も300個限定で振る舞いされます。また震災以降多くのご支援をちょうだいしている、東松山市からは「書道ガールズ」のパフォーマンスや、東松山高校の応援団など、イベントも多数準備されています!今週末、お時間ある方はぜひ出かけてみてはいかがでしょうか!

日時:5月30日㈯ 9:00〜14:00
会場:野蒜市民センター(旧野蒜小学校)


東松島アンテナショップ まちんど
まちんど facebookページ

2015年5月28日

5月28日 JR仙石線全線復旧4 矢本駅「オイタミート」

震災以降、一部運休が続いていた仙台・石巻を繋ぐJR仙石線が30日に全線復旧! 今週はその再開区間にある、宮城県東松島市からのレポートです。

取材したのは東松島市、矢本駅近くに本社と工場を構える、「オイタミート」。東北産の素材を厳選して、丹精込めたハムやソーセージなどを製造販売している会社です。

4年前の震災で工場もダメージを受けましたが、高台の工業団地に移転していたおかげで津波の被害は免れました。従業員も全員無事でしたが、家族や親族を亡くした方も少なくなかったといいます。それでも震災直後から、各避難所へ炊き出し用の材料を配ってまわり、以降も自社ブランド製品を精力的に開発し、可能な限り雇用を増やすなど地域のために尽力を続けています。

仙石線の矢本駅はこれまで石巻方面へは通じていましたが、今回、仙台までのルートが復活します。二代目社長の及田賢治さんも、その日を誰より心待ちにしているお一人です。

◆仙石線の再開、人が動く
やはり仕事にしても娯楽にしても仙台。に便利に行ける方法は電車が一番。三陸道も鳴瀬奥松島まで2車線になって、仙台東あたりは30分くらいで行くけど、そこから仙台駅までは距離はないけど3〜40分かかる。行ったら行ったで駐車場探しが大変。やはり買い物や商談は電車が便利。あと電車が通ってるという事によって、私的にも公的にも人が動くので経済効果も望まれると期待している。新しい駅の方はまだ地元の人も見に行けないので、その後どのくらいの速さで進むのか、期待するしかない。


全線開通がもたらす経済効果に期待を寄せながらも、これまでより約500メートル内陸に造られる野蒜や東名などの駅とその周辺の新しい住宅地に関しては、まだ先行きが見えないとのこと。

それでもこの仙石線の全線開通で、一人でも多くの方に東松島を訪ねてもらいたいと願う及田さんに、この地域の魅力について伺いました。

◆生きた食べ物、生きた人間、生きた交流がある
自然ですね。今は奥松島に行くのも地元の人たちだけ。まだまだ不便でふだん奥松島に行くっていう人が少ない。それも野蒜から奥松島に行く、で奥松島で泊る人が元通り来るようになれば、かなり期待が出来る。まあ合併なる前は矢本町の場合は観光っていうと松島基地のブルーインパルスしか思い浮かばない。合併なったことによって旧鳴瀬町の奥松島、宮戸方面。今までは米と海苔が主でしたが、魚介類は奥松島。自然が調和取れて、人もいい。私も若い時4年間東京にいましたが、都会には無い、生きた食べ物、生きた人間、生きた交流が出来るっていうのがいいところかなと思います。


豊かな自然と美味しい海の幸、運が良ければ松島基地のブルーインパルスも見られるかもしれない東松島。是非30日開通の仙石線で、訪ねて欲しいと思います。



そして東北産の素材を厳選して、丹精込めた製品づくりをしている「オイタミート」は、加水していない「東松島ハム」と、「ベーコン」が秀逸!レトルトの「牛タンカレー」は牛タンがゴロっと入ってて味も濃厚です!

「オイタミート」の商品は、ヤフーのショッピングサイトでも購入できます。
ぜひ一度、味わってみて下さい❤

2015年5月27日

5月27日 JR仙石線全線復旧3 野蒜駅「海鮮堂」(2)

震災以降、一部運休が続いていた仙台―石巻を繋ぐ、JR仙石線が30日に全線復旧! 今週はその再開区間にある、宮城県東松島市からのレポートです。

取材したのは奥松島の玄関口、仙石線の野蒜駅に近い、牡蠣小屋と海鮮料理のお店「海鮮堂」。野蒜で牡蠣養殖や白魚漁をしている漁師、門馬喜三さんが2011年1月に開いたお店です。
開店から2カ月後に起きた東日本大震災で、真新しいお店も大きな被害を受けましたが、建物が残ったことから再開を決意。ボランティアの力を借りながら少しずつ修復を進めて、翌年の2012年春に「海鮮堂」を再開しました。

まだまだ震災前のように人出は戻っていない、仙石線の開通に期待をしている、という事でしたがあらためて、今の野蒜の海、そして町の状況について伺いました。

◆海は回復。町はまだまだ
海の方はずいぶん元に戻った。船だってちゃんとした船を用意して、90%かな。漁場もガレキを一年間、錨を引っ張っていろんなものを揚げたから、ずいぶん良くなったし。海的には津波は悪くはなかったのかもしれない。チリ津波から何十年か・・・かなり海底は汚れていた。それを一掃したから、牡蠣の育ちはいい、海老、シャコ海老、ワタリガニが凄く増えた。家族亡くした人はいるけど、切り離して考えると、人間が海に捨てたものを丘に返してよこした。
町、こっちは大変。店を手伝ってもらってる人も高台に移転していくけど、あと2年かかるとか。その間仮設で過ごすのは大変だ。だけどそこの高台が出来あがって、野蒜の海水浴場が出来上がれば、津波前に戻っていくのでは。



町の復興はまだまだ、という事でしたが・・・
新しい野蒜駅は、震災前の野蒜駅より500メートル内陸に出来上がる。そのさらに北側に新しい住宅地が造られるが、スタッフが先週末訪ねた時は、まだ造成中で、柱一つ建ってはいませんでした。
また年に3万人以上が訪れていた野蒜海水浴場も、まだ堤防の建設中で、2016年の完成を目指しているということ。

この野蒜海岸の海から上がってくる朝陽が何よりも大好きという門馬さん。あらためて野蒜、そして宮戸の魅力について、伺いました。

◆大高森の景色は素晴らしい
住んでいる人たちは「いい」っていうのが普通だから、素晴しいって思ってない(笑)。最高の場所にいるから。海のものから山のものから、ワラビも獲れる魚も獲れる、景色は良いし。朝に漁に行くと、まいにち日の出が見える。日の出は毎日違う。あと大高森から船形山に沈んでいく夕陽は最高。最高の日の出と最高の夕陽が見られる場所。民宿もだいぶ再開してるから、また津波前みたいにいっぱい来てもらいたい。



野蒜から車で5分ほど南に下れば、奥松島の宮戸。
お話しに有った「大高森」は、登山路700メートルほどの小さな山を登ると奥松島の島々が見渡せる、絶景ポイント!ここで日の出・日の入りを眺めて欲しい。

また、奥松島をめぐる観光船「奥松島遊覧船」の乗船者が運航再開以降、1万人を超えたというニュースがきのう入ってきましたが、再開してからおよそ1年半で1万人・・・客足が戻ってきたとは言えません。山の上から、そして船から、どちらからも楽しめる奥松島、ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか


海鮮堂

2015年5月26日

5月26日 JR仙石線全線復旧2 野蒜駅「海鮮堂」

震災以降、一部運休が続いていた仙台・石巻を繋ぐJR仙石線が 30日に全線復旧!
今週はその再開区間にある、宮城県東松島市からのレポートです。

取材したのは仙石線の野蒜駅に近い、牡蠣小屋と海鮮料理のお店「海鮮堂」。
野蒜で牡蠣養殖や白魚漁をしている漁師、門馬喜三さんが、2011年1月に開いたお店です。開店から2カ月後に起きた東日本大震災で、真新しいお店も大きな被害を受けました。

◆開店から2か月後に襲ってきた津波
地震の時は家にいて、まず船やフォークリフトを片付けようと店に。網やフォークリフトを移動。時間は有った。でラジオを聞いていたら「鮎川港で50センチ」と聞いて、“見ていくか”と海へ。するとその後の報道で「6メートル観測」と。で、海を見ていたら舫い綱の切れた自分の船が真っ先に流れてきた。するとおっ母が“道路かぶってきた!”というので軽トラで逃げた。家は高いとこだが家の下まで流れてきた。もう終わりと思った。種牡蠣は全滅、定置網も流された。店も扉がぜんぶぶち抜かれ、中のものも無くなった。外観だけが残った。それを見た時、“せっかく借金して建てたんだから壊さないでやっぺ”と思ったね。


ボランティアの力を借りながら、ガレキの片付けや店の修復を少しずつ進め、翌年2012年の春に「海鮮堂」を再開しました。

町には〔野蒜海水浴場〕という、遠浅の素晴しい海水浴場があるんですが、まだ堤防の建設が続いていて再開に至っていません。そして昨日ご紹介した宮戸の観光船など、野蒜は奥松島観光の玄関口でもあるんですが、集客という面では、まだまだ厳しい状況が続いているといいます。

そんな中、仙石線が開通。運休区間だった野蒜への貴重なアクセスが再開となります。いまどんなお気持ちで、開通の日を待っているんでしょうか。

◆「野蒜駅」再開は復興の大きな一歩
やっぱりんだね、仙石線が無かったってのが、震災のいちばんの影響だかんね。だからこいつが再開なるとなんのは復興の大きな一歩だな。じっさい自分はあんまり乗んないけど。毎日塩釜・仙台方面、石巻とか、働いてる人は代行バスつかってる。
助かるでしょう。こんど野蒜駅から通勤できっからね。関東方面から来る人たちも、野蒜駅があるとなれば、観光客だって来ると思う。環境としては最高の場所。海も近いし静かだし。最高の場所だよ。


奥松島と、その玄関口である野蒜。足を運ぶ観光客の数はまだまだ少なくて、仙石線の開通で少しでもそれが増えて欲しいと話してくれた門馬さんの「海鮮堂」。
「海鮮堂」では、獲れたての旬のお魚を味わえる。今なら「穴子」や「ワタリガニ」など。ほか甘く煮つけたニシンが乗った「にしんうどん」もお店のオススメだそう。


LOVE&HOPE。明日も、仙石線全線復旧を控えた、宮城県東松島からのレポートです。

2015年5月25日

5月25日 JR仙石線全線復旧1 奥松島の遊覧船

震災以降、一部運休が続いていた仙台・石巻を繋ぐJR仙石線が、30日に全線復旧!



今週はその再開区間にある、宮城県東松島市からのレポートです。
取材したのは東松島市の「奥松島」。松島湾の入口、宮戸島と太平洋に臨む野蒜海岸一帯のことで、お隣「松島」に負けず劣らず、リアス海岸と点在する島々の絶景が有名です。

お話を伺ったのは、奥松島をめぐる遊覧船の船長、小野孝一さん。震災を経て、遊覧船の船長になったという方です。

◆漁師から遊覧船船長へ
奥松島遊覧船の会社に入ったのは震災後。震災前はみやとで釣り船と海苔の養殖業をやっていたが、震災で全滅。6つ船を持っていたが全滅。養殖業はあきらめた。漁師は好きだからやっている。


小野さんは現在、「趣味程度」に漁師を続けながら、海の経験を生かし、遊覧船でお客さんを楽しませています。そんな小野さんの案内で巡る「奥松島」、どんな魅力があるのでしょうか。

◆日本三大渓は朝がおすすめ!
ここのうたい文句で、「ここは嵯峨渓といって、岩手の猊鼻渓、大分県のの耶馬渓と並ぶ三大渓の一つです」と説明している。「白い岩肌、男性的景観、奇岩奇島の数々、これよりご案内して参ります」とはじまる。それから説明してずーっと行くが、お客さんから「来て損した」「がっかりした」という言葉は一言も聞いたことが無い。個人的には朝がいい。白い岩肌だから朝日が映える。白いのに朝日があたるとまた一段と白くなる。女島・男島もあるが、女島なんかは本当に素晴らしい。波の浸食でなんちゅうかな、キレイな岩肌。化粧がいらないのに、朝日でもって化粧するみたいだ。そして一日保っている。一見の価値はあるっちゅうこと。




ここでいう「渓」とは、島の岩肌が波で浸食され、断崖絶壁が連なる景色のこと。遊覧船の朝イチの便は8時30分ですが、もっと早い時間も相談に応じるそうです。

そしてこの遊覧船、JR仙石線が全線復旧すれば、乗り場へのアクセスもぐんと楽になります。

◆真っ赤な夕日が落ちてくる♪
電車が来た、駅が出来たということでお客さんがくる確立が高くなった。今だったらタクシーで松島やらあっちの方から来ている。そういう人らがもっと安く来て遊覧船に乗ることが出来るようになる。最寄り駅は野蒜駅。松島を見るなら、あそこの大高森へ登れば良い。島々が点々と、きれいに360度見える。そっちが石巻、太平洋。こっちが富山と松島。震災前は朝日、日の出、ご来光には行っていた。簡単に見られる。夕日は山に落ちて行く。真っ赤な夕日が落ちてくる〜♪ だから(笑)


この遊覧船乗り場のすぐそばにあるのが、、「大高森」という20分ほどで登れる山の登り口。大高森の頂上からは松島湾・太平洋・奥松島の絶景が見渡せます。こちらもかなりおすすめ!

・奥松島遊覧船
・宮戸島 大高森

2015年5月22日

5月22日 石巻市「第22回サン・ファン祭り」

明日あさって、宮城県石巻市の「サン・ファン館」で行なわれる、「サン・ファン祭り」についてお伝えします。

宮城県石巻市の「慶長使節船ミュージアム サン・ファン館」は、江戸時代、慶長使節団を乗せて石巻の月浦を旅立った船、「サン・ファン・バウティスタ号」の復元船を係留・展示している博物館です。東日本大震災の津波とその後の強風の影響でマストが折れるなど大きな被害を受け、長く休館していましたが慶長使節出帆400周年の2013年秋に再開館。

今年で22回目を迎える「サン・ファン祭り」。いったいどんなお祭りなのか?「慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」企画広報課の吉本裕香里さんに伺いました。

◆サン・ファン祭り
サン・ファン館では国内最大のガレオン船「サンファンバウティスタ復元船」を経営展示していて、この浸水日が平成5年の5月22日。この日を復元船の誕生日として、そのお祝いとサンファン館とサンファンパークをより知ってもらうために開催しているのが、サンファン祭りです。市民の皆さんがつくる石巻市の春の最大のイベントとして親しまれている。震災で一度開催中止となったが、多くの方の熱い想いにより、翌年復活した復興する石巻市とともに歩むお祭りです。23日の前夜祭では、サンファンミュージックナイトという野外音楽イベントがある。また日没から復元船のライトアップイベントも行われる。夜の海にうかぶサンファンバウティスタは幻想的で毎年好評。24日はサンファン館の入館が無料になる。そして、サンファンパークでは、伝統芸能や鼓笛隊、チアリーディングやバンドの演奏を見ることが出来る。また館内では、復元船と海を見渡せるステージで、歌謡、ダンスなど音楽イベントを見ることが出来る。他にも館内を巡るクイズラリーもある。会場では、無料ヨットクルーズも予定している。昨年も好評で、整理券がすぐになくなってしまうので、希望の方はお早めに!石巻やきそば、いわしのつみれ汁、焼き牡蠣、海老焼きなど、地元の食材をつかった出店などたくさんある。


石巻焼きそばに、イワシのつみれ汁、牡蠣や海老などの浜焼きもあるということです。
そんな「サン・ファン館」ですが、再開館から約1年半。まだまだ元の賑わいを取り戻すには、至っていないということです。ここまでの歩みについても、吉本さんに伺いました。

◆復元船を復興のシンボルとして体感してほしい
いまは震災の影響で交通アクセスが元に戻っていないので、震災前のような来場者には満たない。ただ、先日、石巻線が全線開通し、今月末には、仙台市と石巻市を結ぶ、仙石線も全線復旧するので、これを機に、入館者を取り戻したいと考えている。当館では、被災地域の文化と観光の拠点としての役割を担うことを課題としていて、地域と共に進むことが、復興につながると考えている。もともと、この地域は400年前にも同じような大津波を受けている。この慶長使節団はその2年後に出帆したとわかっている。その慶長使節団の姿と、このサンファン館の姿を重ね合わせ、復元船を復興のシンボルとして、地域と共に前に進んでいきたい。私たち、サンファン館のスタッフもその想いを胸に、日々お客様を迎えていきたい。宮城県にいらした際には、ぜひ石巻市まで足をのばし400年の歴史を復元船に乗船して体感してほしい。サンファン祭りは石巻市の春の最大のお祭りなので、この機会にこの復元船の誕生日をお祝いして頂ければ嬉しいです。


サン・ファン・バウティスタ号の雄姿を見に、明日あさって、足を運んでください。

「サン・ファン祭り」

2015年5月20日

5月20日 「よそもの」が未来を作る アスヘノキボウ 代表理事 小松洋介さん?

引き続き、宮城県女川町で町づくりに力を注ぐ、若き 「よそもの」の力について、お伝えします。

リクルートを退社し、女川町の町づくりのキーパーソンとして活動を続ける、NPO法人アスヘノキボウ 代表の小松洋介さん。その活動は、Uターン・Iターンした若者の起業サポートなど多岐にわたります。例えば、「よそもの」と町の人たちが新しいものを生み出すため「場づくり」も、その一つです。

◆よそものも地元も「まざりあう」場所
今年2015年3月28日に女川フューチャーセンター・Camass(カマス)という場所を作らせて頂いた。僕自身そうだが、震災を機に町外の方と町内の方の交流で色んなものが生み出されている。ただ、今まで場所が無くて商店街の通り道で立ち話で打ち合わせをしたりということがあったが、町内外の交流を誘発できるような場所を作ろうと、町の人が集まりやすい集会所の機能と、コワーキングスペースの機能を作り町内の方々が日常的に出入りして打ち合わせができる場所にした。最近頻繁なのが東京の企業の方と女川の方が、一緒に何かできないかという会議をするのが凄く増えた。もうすぐすると新しいことができるのではないかと思っている。


ちなみにカマス(Camass)、という言葉は、女川弁の「かます=かき混ぜる」と、英単語の「Mass=たくさんの・大勢で」を合わせた造語。中と外の人がたくさん混ざり合って、新しいものを生み出すということ。

そして。Camassは早くも女川の未来を担う若い世代が、素晴らしいメッセージを発信し始めているんです!

◆女川のリーダーとは
フューチャーセンターで一番大事にしたいのは、町内外の日常的なつながりもそうだが、一緒に未来志向で考える場を作ることを大事にしたいと思っている。フューチャーセンターのオープニングの日も、町外のゲストと町内の町づくりに関わる若手によるパネルディスカッションが行われた。女川の町の未来、水産業の未来、女川で生まれる新しい地域リーダーと言う3つのテーマで。テーマごとのディスカッションは面白かったが最後のパートが一番印象的。一番年齢の高い日産自動車氏が副会長、町内の高校一年生最年少がリーダーってなにという話をする中で、高校生が「リーダーはトップリーダーとしてぐいぐい引っ張る人は必要だし素晴らしい姿だと思うが、女川でのリーダーシップはそうではなく、誰かがリーダーをやってプロジェクトが進んでいる時はその下支えをするのだが、その下支えをしている人が今度違うプロジェクトのリーダーになった時は、今までリーダーをやっていた人が下支えをする。リーダーシップと言うのは特定の人がやるものではなくて変動して動くもの」だと。その話を高校一年生の子がしゃべる。会場が湧いた。日産副会長は「実は3日前にアメリカでオバマ大統領が出席するような会議でプレゼンをしてきたが、きょう女川に来て、女川は面白いと思った。世の中は今ダイバーシティ(多様性)ということを言うが、企業でもなかなか多様性はできていない。その中で女川のリーダーシップの考え方・あり方は起業できるかというとなかなか難しい。女川は多様性を生み出している。こういうところから学ぶことがたくさんある。研究対象になってもおかしくない」という話をされていた。


女川では、小学生はじめ子どもたちも、本当に町のことを真剣に考え、大人が驚くようなアイデアをたくさん生み出しています。小松さんは、「震災後、外の人との交流をたくさん経験したことで、自分の町を外から見る意識が育ったのでは」と話しています。また、「若い世代に町づくりを任せる」方針を打ち出した女川の大人たちの背中を、子どもきっとしっかり見ていたはず。それが成長につながったのかも知れません。

あしたも「アスヘノキボウ」小松洋介さんのお話をお届けします。

2015年5月19日

5月19日 「よそもの」が未来を作る アスヘノキボウ 代表理事 小松洋介さん?

引き続き、宮城県女川町から、復興に力を注ぐ、若き 「よそもの」の力について、お伝えします。

NPO法人アスヘノキボウ 代表の小松洋介さん、32歳。仙台出身・元リクルート社員の小松さんは、震災後に会社を辞め、被災地へ通い詰める中、女川町の復興支援に大きくかかわることになったと言います。2012年には、女川に出入りする人のための宿泊施設「エルファロ」を完成させ、女川の人々による復興連絡協議会に、唯一の「よそ者」として参加。現在も町づくりのキーパーソンとして、女川で活動を続けています。

◆女川で何かをしたい若者を支援
NPO法人を立ち上げたのは2013年4月。エルファロができてすぐ。アスヘノキボウとして次に手がけたプロジェクトは創業支援。町を作る中で必要な事業があり、若い人でも自分で関わりたい人がたくさんいたのでそういう方々が創業する時の事業計画を作ったり、今まで女川に無かった新しい事業を作るような仕事をした。例えばUターンをしたい30代の男の子がいて、彼はクラフトビール(地ビール)のお店を女川に作りたいという。なぜビールかというと「ビールの店は居酒屋と違って距離を近づけやすい。日本酒を飲んでしまうとみんなべろんべろんに酔っ払うので距離が近づかないが、ビールはとなりにいる見ず知らずの人と近くなりやすい」という。ああ面白いなと。彼はそういう夢を持っていて、帰って来たんだけどどうしていいか分からない。そこで僕らが創業支援をして資金も国の制度を活用して調達して地ビール屋の店主として活動している。店名は「ガル屋」女川町の希望の鐘商店街の中にある。彼が言う言葉で印象的なのは、「自分がこの町に戻ってたが、もっと同世代がたくさんいるので帰ってこられる場所にしたい」。そして彼がハブになって、僕にも同級生を紹介してくれる。彼が若者のUターンの象徴になっているのかなと思う。今は町づくりに関わるキーマンも集まっていて、その店に行けば町のキーマンに会える場所になっている。


このクラフトビールのお店「ガル屋」は、女川市長もお気に入りのお店だそう。そして現在、NPO法人アスヘノキボウは、小松さんのリクルート時代の先輩・後輩など現在 4人のメンバーで、新たな企画に乗り出しています。

◆外のノウハウを女川に
創業支援に加えて、町の中で事業をやるにあたって町の視点だけでなく外の視点が必要。そこで東京の経済同友会の会員・社長たちが経営している企業に、女川の若手人材を留学させ1週間勉強してもらって帰ってくるというプログラムをやっている。去年は14名、今年は女川町の職員も含め25名が留学。丸紅や全日空、キッコーマンなどそうそうたる企業で1週間もまれて帰ってくる。戻ってくると芽がキラキラしている。「すごい勉強になった」「こうやってモチベーションを作りたい」「ビジョンが大事。作らなきゃ」とか。一度外の目線をもつことで客観的に女川や自分の会社を見ることで新しいものが生まれるんじゃないかなと思っている。嬉しかったのは、受け入れ企業が喜んでくれて、「私たちも被災地支援をやっているがそこでは分からないことがいろいろ知ることができる。」そういった方々の話を聞きながら、受け入れるということは準備をしなければいけないので色々と学びになる、という話を頂いた。すごく良かったなと思っている。


ちなみに、女川町は40代前後、若い世代が町づくりの中心的役割を果たしている、ということを以前お伝えしましたが、アスヘノキボウのメンバーも20代から40代。女川ではこの世代が、町を次の世代へ受け渡す価値のあるものに育てようとしています。

2015年5月18日

5月18日 「よそもの」が未来を作る アスヘノキボウ 代表理事 小松洋介さん?

震災以降、「よそもの」という言葉を、復興のキーワードとしてよく聞くようになりました。よそもの・・・つまり県外から東北へやってきた人間のこと。今週は、宮城県女川町で、復興に力を注ぐ、若き 「よそもの」 の方のインタビューをお届けします。

お話を伺ったのは、NPOアスヘノキボウ 代表の小松洋介さん。いま、全国から注目される女川町で、町づくりに関わるキーパーソンの一人です。東日本大震災当時は28歳。当時はリクルートの社員として札幌に務めており、ボランティアで、東北へ足を運んでいたと言います。

◆新人時代を過ごした東北への想い
東北とは元々つながりがあった。出身が仙台ということと、リクルートの新人時代は宮城県沿岸部の担当をやっていた。範囲は気仙沼から松嶋までは地図を見なくても歩けるくらい詳しくなっていた。震災時は札幌でチームリーダーという立場で仕事をしていた。札幌は停電にもならずテレビを見ることが出来たが、衝撃だったのが新人時代担当していた沿岸部、町、クライアントの結婚式場が津波で流れる映像。ショックを受けてすぐに戻りたいとスーツケースに札幌で変えるだけの食料を入れて半年間は毎週必ず週末に仙台へ戻り、沿岸部へ行っていました。


こうして小松さんは、かつての取引先や知人を訪ね、ボランティアを続けたのですが、ただ、毎週末のボランティアで出来ることは限られます。悩んだ末、小松さんは2011年9月にリクルートを退社。まさに「よそもの」として、被災地で自分の役割を模索したと言います。

◆「よそもの」が受け入れられた瞬間
行けば行くほどほど気持ちは強くなった。すぐにでも行きたい、でも何が自分に出来るのか。でも行きたいという状態だった。特に何をするのかというのは決めておらず、リクルートで教えてもらったのが「課題は現場に落ちている」。とにかく現場に行けと言われていた。とにかく現場で課題を拾おうと思った。そしてリクルート時代の先輩でトレーラーハウスを使って商店街をやろうと動いている人がいて、それを商店街ではなく「宿」にできないかという話に、被災地を回る中で話をしていたのでその企画書を持って、課題をヒアリングしながらトレーラーハウスのアイデアを提案するという形で回っていた。トレーラーハウスの企画自体は、宮城県沿岸部は全て回って出していたので「面白い」と言ってくれる地域はあったが、その中で女川町はいち早く動いてくれた。話を聞くと、町の八割が無くなってしまったという圧倒的な被災率の高さがあり、とにかく自分たちで町をなんとかしなければ行けないという意識が高かった。誰かがアイデアを出したときに、それがすごく良いアイデアであればみんなで支え、協力して皆で作ろうと考える町の雰囲気があった。今回のトレーラーハウスの企画も私がどうしたというより、企画自体が良いからみんなで協力して作ようということで、気がついたらオール女川で立ち上げに動いていたプロジェクトだった。2012年12月にオープン。町の方から頂いた言葉で嬉しかったのは、よそもので企業に勤めているわけでも団体に属しているわけでも、スポンサーがいるわけでもない人間が関わっているのでみんな心配したはず。「彼は何者だ」と。でも町にトレーラーハウスが完成した時に、町の人たちが「小松君、良い仕事するね」と行ってくれたのが嬉しかったし、「次はこれをよろしく」と仕事を頂けたのが嬉しかったですね。




お話に出てきたトレーラーハウスの宿泊施設。これが以前番組で取材した女川の「エルファロ」です。現在も観光客、復興に関わる人の宿泊場所として人気を集めています。


あしたも「アスヘノキボウ」小松さんのお話をお届けします。

2015年5月14日

5月14日 相馬市松川浦・漁業のいま?

引き続き、福島県相馬市 松川浦で漁業再生に取り組む若き漁師、菊地基文さんのインタビューです。



震災前は、漁師一本でやっていた菊地さん。試験操業で水揚げがままならない中、現在は、漁協の青壮年部の若きリーダーとして、様々なことに取り組んでいます。

その一つが、漁師のまかない飯「どんこつみれ汁」の商品化。これが本当に美味しい! さらに松葉ガニを使った、漁師のお酒のつまみ「ガニミソ」も商品化を目指しています。

漁業の再生へ向け、菊地さんが考える、松川浦の魅力を教えてもらいました。

◆福島のフロリダです
色んな浜ごとに地域文化があって、それを一番重要視している。この土地に昔からあった良いものを、ただただ繋いでいきたくて。「福島県のフロリダ」と呼んでいる(笑) ここら辺の人たちはとにかく明るい。港町で市場のスタイルが全国探してもここだけじゃないか、という変わったセリのスタイルをしていて、男の人が市場にあまりいなくて女の人が300人くらい毎朝集まる。自分たちが獲って来た魚をお母さん、嫁さんたちがセリまでの一切を仕切る。選別して測りに乗っけて籠を片付けて・・・全部お母さんや女性の仕事。自分ら漁師は魚を上げたら船をつけて、寝て遊ぶだけ。だからすごくお母さんたちにすげえパワーがあって。相馬あるあるなんですが、ここのお母さんたちはみんな自分のことを「俺」って呼ぶ(笑) 「それ、俺んだ!」とか。俺も高校の時に寝坊したら母ちゃんが怒って、26インチのでっけえブラウン管のテレビを2階から投げられて壊されましたね。いやな思い出を思い出しました(笑)「いつまで寝てんだ!」って。セリから帰ってきてダダダって上がってきて。それくらいお母さんがた、浜の女性はパワフルなんですよね。言葉も汚いんですよ。外から来た人が市場の風景を見ると「喧嘩しているみたいだね」っていう。今はそれが無い。市場もないし。従来のセリのスタイルじゃないんですよね。だから活気もなくて。そういう良いところがあって、その中で育ってきたから残したいなと思うし、見たら面白いと思いますよ。どこの浜を探してもこんな風景無いですもん。今年の9月には組合の建屋が完成する予定で、完成したらそこで働くお母さんたちと仲良くなるというのも面白いと思う。外から来た人が浜のおかあちゃんたちと仲良くなって、旬の魚を送ってもらったり、向こうからお返しをもらったりというツナガリが震災前からあって。俺だったら浜の母ちゃんと友達になりますね。おせっかいじゃないけど、お客さんが来ると食いきれねえくらい魚を出すのが好きで。そういう御母さんも地域資源だし、そういう人達と外から来た人たちが関わったら面白いと思うんですよね。

2015年5月13日

5月13日 相馬市松川浦・漁業のいま?

引き続き、福島県相馬市 松川浦で漁業再生に取り組む若き漁師、菊地基文さんのインタビューです。

菊地さんは震災後、この港の再生を目指して、新たなご当地グルメを開発。放射線の影響で水揚げ量が限られる中、そのPRも積極的に行っています。

それが『どんこボール』! 元々、この地域の漁師さんの「まかない」だったものです。


こちらはどんこボールを使った、相馬市内の料理店のメニュー。こうして卵でとじて食べるの。旨いよ〜!!

◆漁師のまかない「どんこボール」!
どんこは、エゾイソアイナメというタラ科の魚。タラより柔らかくて上品な白身で肝が美味しい。東北や北海道の港町では食べられている。その魚を使って、身と肝をたたいてつみれにする。出荷制限がかかっているため北海道や青森、岩手から仕入れて作っている。最近、重点魚種に揚がったのでもうちょっとデータを重ねれば水揚げして良いということになりそう。ここのどんこが使えれば製造コストも下げられて安く提供できる。


ということでどんこボールの材料・エゾイソアイナメは、放射線のサンプリング調査が順調に進んでおり、「重点魚種」…つまり、水揚げに向けさらに詳しく調べる段階に。

さらにもう一つ、どんこボールをめぐる明るいニュースがあるんです!

◆復興グルメのナンバー1に!
おかげさまで、F1復興グルメ大会で初優勝できた。これもひとえに食べに来てくれた人たち、中西さんはじめ外から来てくれた人のおかげだと思っています。


復興グルメF1グランプリ去年の秋の大会で、どんこボールは見事優勝!こうなると どんこボールに続く新たなご当地グルメが気になるところ。これも教えてもらいました。

◆次なる相馬名物も構想中!
構想はいっぱいある。次はなにだそうか。ガニミソとか。ここのソウルフード。松葉ガニ(ズワイガニ)がこのあたりはいっぱい揚がるのだが、カニミソって指でペロッと舐めるペーストだがここのガニミソは、本当の味噌とガニミソと内子と半分にした甲羅を一緒に弱火で炒る。それをバリバリチューチューとむさぼる。それがまた酒が止まらなくなる。だから浜の人は酒飲みが多い。つまみが美味しいから。自分たちが商品に関わりたいというのが漁業者の中にあって、今度組合の建屋ができるのだが、そこに簡易加工施設も作ってもらうように協議している。そこで自分たちが獲って来た魚を、女性部のお母さんたちが製造して販売する。色々繋がってやりたい。加工はこれからの福島の魚にとってとても重要。加工品をPRしていきたい。地域全体で浜に携わる生産者から仲買さんから、お母さんまでみんなが関わって一つのものを作りたい。


松川浦では現在、水揚げした魚を加工する施設が不足しており、これも水揚げ量が制限される原因なのですが、この秋、新たな施設が完成する予定です。

どんこボールは・・・相馬市内の復興商店街にある報徳庵、東京日本橋「遠忠商店」、 で小売販売をしているほか、市内4店舗でお料理が食べられます。また、東京 板橋駅そばの「しめちこちゃん」というお店でも頂けます。

明日も、松川浦の漁師・菊地基文さんのインタビューをお伝えします。

2015年5月12日

5月12日 相馬市松川浦・漁業のいま?

引き続き、福島県相馬市から、漁業の現状をお伝えします。お話を伺ったのは、松川浦漁港の漁師、菊地基文さんです。

松川浦はじめ福島の漁業は、安全が確認された魚種に限り、小規模な「試験操業」として水揚げができる、という状況がいまも続いています。
少しずつ、水揚げ可能な魚は増えているとはいえ、菊地さんは、水揚げ金額は震災前の10分の1程度だと話します。

海に出られる回数も、震災前に比べごく限られる中、38歳・若き漁師 菊地さんは、どんな日々を送っているのでしょうか。

◆全てが無くなったからこそ
週1度の試験操業と、それとは別にサンプリング調査をして魚を獲り、網に入った魚をすべて放射線検査するために県に提出している。検査は毎週行われ数万検体に及ぶ。それでずっと放射線物質が出なければ漁獲対象になる。それ以外に漁獲調査というのがある。浮体式洋上風力の周りで環境に及ぼす影響を調べるため、魚を獲って調べるというのがたまにある。あとは原発20キロ圏内の魚を獲ってきて調べるというのがある。船が出るのは月当たり6〜7回。それ以外に毎週毎週、仲買さんと漁業者と組合で会議を重ねていて、福島第一原発の地下水やサブドレンの問題を受けて話し合いを続けている。商品開発も行っている。今漁協の青壮年部という若い組織があるが、その会長と言う立場にたって企画を立てている。漁師兼何でも屋さん。一度何もなくなったのが良かった。自分たちがやるしかないという状況に置かれたらやるしかない。それも若い人たちのやりたい、面白いやり方でやるのが一番だと思う。年輩の人たちが再び一から作り上げるのは難しい。若い人が前に立ってやっていく。それに外の人間がいっぱい入ってきて支援してくれるのを若い人たちが上手に掴んでいる。マーケティングが得意な人だったらそういう講座を開き、福島の特産品を作るためにマーケティング能力を伝えてくれたり、知的財産のような支援もある。そういうことを勉強する時間にも充てられるし、全てがマイナスではないなと思っている。それをどう生かすかは個人次第。流された分そういうので取り返せばいいし、それを一番重要視している。そうじゃないと続かないし。基本楽しいことしかしようと思わないので、何やっても楽しいですね(笑)




明日も、松川浦の漁師・菊地基文さんのインタビューをお伝えします。

2015年5月11日

5月11日 相馬市松川浦・漁業のいま?

今朝は福島県相馬市から、漁業再生へ向けた取り組みをお伝えします。お話を伺ったのは、僕も去年 お会いした、松川浦漁港の漁師、菊地基文さんです。



現在、福島県の各漁協では、週に一度のサンプリング調査で数万を超える魚の調査が行われ、放射線が検出されないものをさらに調査。安全が確認された魚種に限り、小規模な試験操業が行われています。これは、国の基準値・1キログラムあたり100ベクレルではなく、1キロあたり50ベクレルという、さらに厳しい基準に基づいたものです。

試験操業がはじまったのが2012年6月。当時はまだ、本来水揚げできる魚種の10分の1程度でした。いま、松川浦の漁業はどうなっているのでしょうか。菊地さんに伺いました。

◆少しずつ魚種が増えてきたが・・・
松川浦漁港の操業形態は変わらず、週1回の試験操業。ただ、漁をしてよい魚種がじわじわ増えてきている。5月1日時点で64魚種。去年31くらいだったが最近タラも解禁となった。ただ、震災前に水揚げしていた魚種は200以上だったのでそれに比べると4分の1くらい、ここの浜は底引きによる漁なのだが、底引きは本当に魚種が豊富に水揚げできる。海の底のものを全部引いてくるので。それも120mより深い沖の海域。小さい小型船は近海操業dが、浅い海の魚種が比較的数値が出るため浅瀬がダメ。小型船は操業する機会がない。自分たちは沖合底引き網といって普段は沖を漁場にしており、毎週試験操業がある。ただ小型船は漁法によっては全く漁に出られない船もある。ホッキガイが全国屈指の水揚げだったがそれこそ浅瀬で撮るのだが、その漁をしていた人たちは全く漁に出られていない(どうするのか)サンプリングを持ち回りでやる。また福島沖ではウィンドファームと言う浮体式洋上風力の実証事業をやっており、その監視船を請け負ったりしている。自分たちの実際の仕事はできていない。今までの仕事ができていない小型船がたくさんある。それも去年までは全くなく、小女子とシラスの漁しか試験操業は無かったが、最近になって刺し網がOKとなり、刺し網漁をする小型船は週に1度漁に出られるようになった。ただそれも漁場を制限された中でやる。すぐその目の前で宮城県の船は操業していて、水揚げしてる。毎日。でも俺らが言うと足を引っ張っちゃうことになるのでもどかしいっちゃもどかしい。本当は表立って言いたがっている人は多いと思う。


今朝は、福島県相馬市 松川浦の漁師、菊地基文さんのインタビューをお伝えしました。

このインタビューは、数か月前に行われたものです。120mより手前の海での操業については現在魚種によって試験操業ができるものもあるそうです。また、宮城県の船が水揚げしていると言っていたホッキガイについてもすでに試験操業の対象。いわき市の漁協では水揚げが行われています。ただ、松川浦では漁師の高齢化もあり、水揚げは無いということです。

安全性について厳しい基準を設けて積み重ねているのが分かるお話ですが、それでも本来の水揚げには及ばない現状が続いています。
明日も松川浦の漁師・菊地基文さんのインタビューをお伝えします。

2015年5月10日

ネパール大地震 JFNアースコンシャス募金のお知らせ

JFN加盟38のFM局では、4月25日におこったネパール大地震の被災者を支援する為の「JFNアースコンシャス募金」を受け付けています。

あなたから寄せられた募金は、深刻な状況となっている生活物資をいち早く現地に届けるため、ネパール大使館を通じて被害者の方の救済、支援活動に役立てられます。

JFNアースコンシャス募金は銀行振り込みと郵便振替で受け付けています。

銀行での振り込みは、
みずほ銀行麹町支店 普通預金 1199423
口座名は「JFNアースコンシャス募金」です。
みずほ銀行の本支店のATM、窓口で受け付けられた募金の振込手数料は無料となります。

郵便振替口座は 00130−6−537599
口座名は「JFNアースコンシャス募金」です。
手数料は有料となります。


詳しくは、こちらまでアクセスして下さい。

ネパール大地震の被害を受けている方が1日でも早く、安全で安心な日常生活に戻れますように。
あなたからのご支援をお願いいたします。

2015年5月8日

5月8日 福島市の屋内パーク『チャンネルスクエア』2

引き続き、福島市内に3月オープンした、屋内スポーツ施設「チャンネルスクエア」についてお伝えします。

チャンネルスクエアは、スケートボード、ボルダリング、スラックラインというスポーツ綱渡り、さらにカフェなど、様々なことを楽しめる屋内施設です。



原発事故以降、外で遊ぶことに抵抗を持つ子どもたちのために作られたこの施設は実は、住民が放射線と向き合うための器材も導入しているんです。施設を運営するF-WORLD代表の平学さんに伺いました。

◆放射線への不安の「答え合わせ」を
施設には体の中の放射線を測るホールボディカウンターが設置している。さらに食材(の放射線)を測る機械、水や野菜や土を測ることができる。住んでいる人生活している方たちが測りに来ることもできるし、そこで向き合って「答え合わせ」を気軽にすることができる。日常生活の不安なこと、イエスかノーかが分からず生活するのではなく、自分事として考えて自分を守るための答え合わせ。福島第一原発から65キロ〜70キロ離れているが高線量地域もあり、除染作業も行われている。ただなかなか取り除けないことは事実。でも実際に高線量地域・低線量地域に住んでいる方々は病院に行かないとみてもらえない。そうではなく楽しいスポーツ施設の中でも気軽に測れる場所として連携して設置している。正直な話、若い人たちの間では風化が始まり、福島県民も放射線量がどうなっているのか答えが分からず疲れ切ってしまっている。放射線と言うキーワードを忘れた方が身も心も楽にあるという声もある。でも心配している人たち、利用する人は今は少ないが徐々に増えている。




このホールボディーカウンターは、19歳以下の方は無料で使用可能。
また、地域のNPOと連携して、放射線に関する健康相談・セミナーも実施しています。

そのほかチャンネルスクエアは、子どもから大人まで楽しめるよう、様々なクリエイター・アーティストの協力も、取り付けています。

◆ツリーハウスにライブハウスも!
小林崇さんというツリーハウスクリエイターによるツリーハウスがある。子どもたちが上ったり下りたりする遊具になっている。屋内屋外のディレクションをして頂いている。毎日ではないが月に一度のワークショップやイベントも繰り広げている。ロックバンドのMAN WITH A MISSIONや、サーフミュージックを歌ってもらえるライブハウスステージも用意している。チャンネルスクエアはみなさまから集めた寄付・募金で、福島の今を象徴する施設になっている。今の福島をもっとこの施設で発信して楽しめる場所にしたい。注目して頂ければと思っています。


チャンネルスクエアは年会費2000円。
利用料は、小学生以下だと無料。それ以外は年齢ごとに200円から1000円。また、小学生以下の料金を無料にするためのサポーター制度もあり、
こちらも年会費2000円となっています。詳しくはチャンネルスクエアのウェブサイトをご覧ください。

来週は、福島県相馬市松川浦から、試験操業の現状についてお伝えします。

2015年5月7日

5月7日 福島市の屋内パーク『チャンネルスクエア』

今朝も、東北で、「思いっきり遊ぶ」ための情報をお伝えします。

福島県福島市内に、3月末にオープンしたばかりの屋内施設「インドアパーク・チャンネルスクエア」です。こちらは、スケートボードやボルダリング(つまり壁登り)などが、外ではなく、屋内で楽しめる施設です。お話を伺ったのは、施設を運営するF-WORLD代表の平学さんです。

◆子どもたちが遊べる場所を!
作るきっかけは2011年3月の東日本大震災と原発事故。福島市内でも放射能がまきちらされ、屋外で子どもが遊ぶ施設が無くなってしまったことがきっかけ。放射能を気にせず自然をモチーフにした遊び場を作ろうということで4年間取り組んできた。23年前からスノーボード、スケートボード、サーフィンを経営していて、雪が降ればスノーボード、波が立てばサーフィンと言う仕事をしてきて、放射線によって海に入れない、山に行っていいのか、公園へ行っていいのかということがあった中、得意な横海苔カルチャーをモチーフにしたものが屋内にあれば、若い子たち子どもたちに環境を与えられるのではないかと考えた。2011年5月に構想を描き、我々だけでなく県外の方々やアーティストが福島に必要なモノを考え、募金・寄付があって完成した。行政も、この土地は「市街地化調整区域」なのだが、施設の用途を変えてもらい取り組んでもらった。復興庁もインドアパークをシンボルとして手助けしてくれた。




チャンネルスクエアは建物の広さが266坪(バスケットのコート2面強)。その中に、スラックラインというスポーツ綱渡りを楽しむスペース、ヨガやダンスのワークショップ、ライブもできるフリースペース、さらに子どもが入って遊べる「ツリーハウス」もあります。


(ツリーハウスは世界的ツリーハウスクリエイター 小林崇さんの作品)

横ノリ系スポーツ好きな大人から、子どもまで楽しめるほか、こちらは、お食事もできるようになっています。


◆福島産ごはんも楽しめる
福島の食材を使ったフードコーナー、カフェ、ショップも設置している。福島のコメや野菜、肉を使ったフードメニューを福島メニューとして提供。小麦粉に「ゆきちから」という福島の白河で作られている小麦粉を使った生パスタにトマトソースをかけて提供している。

今朝は、福島市に3月にオープンした屋内スポーツ施設「チャンネルスクエア」についてご紹介しました。

ちなみにフリースペースでは、今後 音楽ライブも行われる。施設の建設を支援した、MAN WITH THE MISSIONなどのライブも今後予定しているそう。5月11日にはキャンドルジュンさんのワークショップもあります。

★チャンネルスクエアHP

明日も、チャンネルスクエアについてご紹介します。

2015年5月6日

5月6日 気仙沼・唐桑半島「もまれ牡蠣」が今年も旬を迎えています!


気仙沼市・唐桑半島にある、「カキ小屋・唐桑番屋」からのレポートです!この時季、“ぷっくり”と身を大きくした牡蠣を、海を目の前にしていただくことが出来ちゃうんです!

今朝は、牡蠣漁師、「戸羽平」の畠山政也さんに電話で話を伺いました!

●唐桑の牡蠣は、この時季いちばんおいしい時季を迎えているんですよね。今年も大きく育っていますか?

「今年も見入りがいい。豊作。春にプランクトンをたくさん吸収して大きく育っています
 身の大きさだけで、10センチくらい。ぷっくり!」

●戸羽平さんでは、牡蠣を大きく育てるために、「温湯処理」というのをしているんですよね。改めて教えていただけますか?

「夏に、65℃のお湯に牡蠣をつけて、成長を妨げる牡蠣以外の海草やムール貝などをとりのぞいている。65℃のお湯で周りの生き物ははがれ落ち、牡蠣は殻をぎゅっと閉じることでかえって強くなって、大粒の牡蠣に育つ!

●大きく育った唐桑の「もまれ牡蠣」は、いつまで食べることができますか?

「5月いっぱいまで。土日祝日やってます! ぜひ美味しい牡蠣を食べに来てください!」



「かき小屋、唐桑番屋」、海から上がったばかりの牡蠣やホタテの、蒸し焼きが頂けるお店です。
*土日祝日の営業。
*お値段は、1人前・牡蠣・15個で、1500円!
*もまれ牡蠣は5月末まで。
詳しくは、コチラをご覧ください。

2015年5月4日

5月4日 マリンピア松島水族館 ラストウィーク!


日本三景のひとつ、宮城県松島町のランドマーク、「マリンピア松島水族館」。
5月10日日曜日、88年の歴史に幕を閉じます。

「初デートがこのマリンピア水族館。後ろで若干声が聞こえているが、アシカのアンディくんが全くゆうことを聞かない。最初のデートは緊張していたのが一気にげらげら笑って大成功に終わったうれしい思い出がある。ちょっと思い出の場所が減るなと寂しいなと思う。」(来館者の男性)

昭和2年に開業した「マリンピア松島水族館」。最盛期には80万人以上年間入館者を数え、松島の名所として親しまれてきました。建物の老朽化などの理由から、リニューアルや移転の計画がこれまで話し合われてきましたが、閉館が決定し、5月10日日曜日、ついに閉館の日を迎えます。

飼育動物たちは、仙台港に新設される水族館へ移されますが、経営母体が変わることも有り、いま従事しているスタッフの大部分は、失業、転職、或いは、跡地に計画されている、〔海をテーマにした社会教育施設〕の建設へむけて、関わっていく・・・という事ですが、まだその計画は決まっていません。

閉館まで1週間。いま「マリンピア松島水族館」では、どういった態勢で、来館者を迎えているんでしょうか?広報担当の、西條博也さんに伺いました。

「5月1日から10日までは営業時間を拡大して、8時半から19時まで。開館時間を30分早めて、閉館時間を2時間、後ろに延ばしました。なるべくたくさんのお客様をお迎えしたい、水族館を記憶に留めて欲しいと思っています。ファイナルイヤーグッズという最後の商品を作成して売店で販売しています。昔、スター動物というか目玉の動物、イルカとかラッコなどが入るたびに、ステッカーを作ってお客様に配っていたが、それの復刻版を作ったんです。6種類の動物が入ったステッカー。これがとくだん売れ行きがいいですね。メッセージを書いて頂くイベントも開催しました。“三世代、四世代で水族館に来ました”とか、“自分が子供の頃に来て、今度は子供を連れて来ました”とか、そういうメッセージを頂いて非常に感激しています。スタッフとしても、自分が子供の頃に松島水族館に来て、大人になって水族館に働いて、最後の時を迎えるということで、頑張ってくれています。私もその一人です・・・
個人としては生き物よりも、併設されている遊園地の方が魅力的に見えて、中でも40年くらい稼働しているモノレールがあって、それに乗るのが大好きでした。淋しいの一言に尽きますね。」


震災当時、津波で水族館も大きな被害を受けましたが、翌月4月23日には営業を再開。町の皆さんの大きな希望の象徴ともなりました。それだけに、跡地の計画に町民も注目していますが、現状について、西條さんはこうお話ししてくださいました。

「正直、まだ進展はしていません。案は作っているんですが、土地が公園の一部という事があり、しかも津波をかぶっているので、高くしたりだとか、全体的な公園の整備計画の一部という事で、すぐにはOK出せないというか、“はいどうぞ”とはいかないという風に聞いています。震災の時は高いところで1.8メートルくらいの津波の痕跡がありました。ビーバーが6頭いるうちの3頭が死んで、あと水槽の管理が出来なくなってしまって、マンボウとかコマッコウが死んでしまいました。で、そこから4月の23日に再開したんですが、当時は傷跡がたくさん残っていましたし、正直なところ、そういう状況下で水族館を再開していいんだろうか?という心配はあったんですけど、実際4月23日に再開したところ、たくさんのお客さんに来て頂いて、「水族館に来られて孫の笑顔が見られて嬉しかった」というおばあちゃんがいたり、そういう意味では非常に喜んで頂けたのかなと思っています。
88年の歴史に幕を閉じてしまう訳ですけれども、一人でも多くのお客様に、「松島水族館」を、記憶に留めて頂ければなと思っています。」


来館者の男性がお話ししていた、「アンディくん」が登場する、マリンピア名物のアシカショーも、営業最終日まで行なわれます。松島の名所、「マリンピア松島水族館」の最後の1週間、よかったら訪ねて下さいね。

マリンピア松島水族館

パーソナリティ 鈴村健一

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