2019年1月31日

犬専門木工房woodwork studio【noah】1

今朝は、犬を飼われている方におススメの情報です!

昨年、女川の駅前商店街「シーパルピア女川」に新しくオープンしたのが犬専門の木工房、woodwork studio【noah】です!
県内の木材にこだわり、わんこの体型や、障害の有無に合わせてひとつひとつハンドメイドで、木のご飯皿を作っています。

*ご飯テーブルが斜めになっているものや高さもそれぞれ違う。

woodwork studio【noah】工房長でデザイナーの新井千祐さんと、愛犬、ヨークシャテリアのカイさんがお出迎えしてくれました。

◆その犬の体験にぴったり合わせて作ります
犬専門の木工房と言うことで、1匹1匹のわんちゃんの体型だったりとか障害だったり高齢犬とかそういうネックになっているものも1つずつ手作りして、その子にぴったり合うように手作りして、全て宮城県産の木を使っています。

私の祖父が木工所を60年以上石巻市で営んでいて、家具と建具をやっていたんですけれども、震災の津波で被害に遭いまして、祖父も高齢だったので閉鎖、廃業となって。それで私自身は家具作りをやりたいと思っていたので石巻の方で続けていたんですけど、独立を考えたときに小さい頃から犬を飼っている生活をしていて、この子用にご飯テーブルやベッド、自宅に合わせたフェンスを作ったりとかもともとやっていたので、あと女川という場所自体がやっぱり新しく震災があったせいで、変わらないといけないと言う状況にもなりましたし、私がこういう工房をやりたいというお話をいろんな方にさせていただいたところすごく好意的に受け取ってもらって。ここの街の人たちと一緒にだったら、女川と言う街がペットに優しい街になるじゃないかなというのが現実的にイメージできたので、ここの場所で新しくやりたいなと思うようになりました。
   

たしかに、犬の種類によって体型は様々。「その犬が一番食べやすい姿勢で食べるのが一番健康につながる」ということで1匹1匹に合わせて高さや角度を、飼い主さんと相談をしながら作っています。

このNoahはお店の半分が工房で、簡単な作業は飼い主さん自ら作業することもできるそう。より愛着がわきそうですね。
注文はセミオーダーとフルオーダーがあり、注文からだいたい1ヶ月位で手元に届くそうです。

犬専門木工房Woodwork Studio【 Noah 】公式facebook

2019年1月30日

ベンチャー・フォー・ジャパン説明会

引き続き、東北の経営者の「右腕」として仕事をしながら、経営やベンチャーのノウハウが学べる、就活生向けのマッチング事業「ベンチャーフォージャパン」の、東京の説明会の模様です。

今回取材した説明会は、学生だけでなく社会人の方も参加していたのですが、どの方も「地方にこそチャンスがある」そんな想いを持っていました。

◆参加者の声
・イリノイ州ノックスカレッジ1年カワノさん 
起業したいとはっきりきまってないが自分の力で社会に影響をもたらすことに興味あり参加しました。「地域で経験を積んでから大企業に移るという逆流の流れ」は自分では思いつかなかったし、新しい考えだと思いました。
・新卒2年目ヨコハリさん
ITコンサルです。出身は岡山。もともと地元岡山で町おこしをやっていたので、自分が主体になって計画して、みなさんのネットワークを使ってなにか事業を起こしたいというのが興味があり、やりがいにもなっていたのでやりたかった。若手社会人のうちにできれば起業したいなと。


こういう考えを持つ人たちがいる限り、地方の未来は明るいかも!最後に、ベンチャーフォージャパンを立ち上げた女川のNPOアスヘノキボウ 小松洋介さんのお話です。

◆ローカルはチャンス!
いろいろな学生さんが来てくれてよかったと思います。対象となる4年生じゃない学生もいましたが、今回を通してベンチャーフォージャパンに参加してもらえたらありがたいですけど、改めて自分の将来やキャリアを考えてもらえたら嬉しい。ローカルって今までは「都落ち感」があったが、ローカルはチャンスだということを感じてもらえたら・・・と思うし、今回東北が初年度の募集エリアなので、震災から立ち上がる町がこんなに力強くて挑戦ができるということを感じてもらえたんじゃないかと思いますよね。


ベンチャーフォージャパン、今後は、東北以外の企業と学生のマッチングも展開していきたいということです。説明会は定期的に開催されています。詳しくはVentureForジャパンの☆VentureForJapanサイトをチェックしてみて下さい。

2019年1月29日

ベンチャー・フォー・ジャパン説明会

引き続き、東北の経営者の「右腕」を募集する就活生向けのマッチング事業「ベンチャーフォージャパン」の、東京の説明会の模様、お伝えします。

この説明会、番組が取材した日は、福島県南相馬市の「あすびと福島」という一般社団法人が参加していました。この団体は福島県の「人材育成」を目的とした団体なのですが、その一環で「南相馬トマト菜園」という、いわゆる野菜工場も経営しています。

そしてこのトマト菜園こそが、いま「右腕」を必要としている事業なのだそうです。代表の半谷栄寿さんのお話です。

◆「農業経営」の中核で働く
若い人材の育成という目的と、もう一つ私達は「農業経営者を育てたい」という目標があるんですね。農業経営者が生まれれば、農業はV字回復すると思います。耕作放棄地はは一種の資源。(南相馬では)プランテーションのようなトマト栽培をやっていて、たくさんの方がいきいき、トマト栽培をしてくれています。そして今度わたしたちが縁をたどりたいと思っているのが経営管理の中核です。トマトが700万個もできていて、
売上規模は2億〜2億5千万まできていますが、3年目でまだ黒字にできていない。残念ながら赤字です。2億円規模のマーケティングをどうするかをはじめから担当してもらいます。資金調達をどうするのか、とか。待ったなしの経営のど真ん中に入ってきてもらおうと思っていて、なかなか学生さんたちには大変かなとも思いつつ、意欲が一番大切ですから。やる気があると自分に足りないものは急速に身に着けようと学びます。知識は道具。道具の前にやる気です。熱量、志です。それがまずあれば必要な道具は身につけることができます。


ということで、「南相馬トマト農園」。成長産業である「農業経営者」の仕事に挑戦できる。期間は2年間限定ですが、代表・半谷さんは「マーケティングや経営管理を、ものすごいスピードで、ものすごく深く経験できるはず」とおっしゃってる。確かにそのとおりかも。詳しくは、ベンチャーフォージャパンのサイトをご覧ください。

あしたも、ベンチャーフォージャパンの説明会のレポートです。

VentureForJapanサイト

あすびと福島サイト

2019年1月28日

ベンチャー・フォー・ジャパン説明会

きょうは、「ベンチャーフォージャパン」の活動レポートです。

ベンチャーフォージャパンは、東北の経営者の「右腕」として仕事をしながら、
経営や、地域活性のノウハウが学べる、就活生向けのマッチング事業。東北の経営者を東京に招いて、説明会を重ねています。

番組では11月の説明会を取材。この日登壇したのは、福島県南相馬市の一般社団法人「あすびと福島」です。福島の小中学生・高校生・大学生の「人材育成」を目的に、震災後に立ち上がった団体で、すでに首都圏の大学生を「右腕」として採用した実績があり、いまも若い人材を求めています。代表の半谷栄寿さんのお話です。

◆福島の人材育成の「右腕」
南相馬を中心に、福島の復興や新しい価値を作るために、人材を育成したいと思ってすでに6年目に入っています。例えば、私の住んでいる左側の女性スタッフは神奈川県の小田原生まれで横浜市立大学を卒業して去年の4月に、あすびと福島に新卒で入社した人材です。まだ1年半しか経っていないが既に経営の右腕の1人として大活躍をしています。

わたしたちの本来の目的は福島の小中学生、高校生大学生の人材育成。無料でやっています。その原資は企業や国家公務員の社会人研修。年間40回。800人✕6万円で4800万円の研修事業をあすびと福島ではやっている。その4800万円を福島の小中学生、高校大学生の人材育成の経費にしている。

それを私が全体のファシリテートや研修の企画、講師役をやりますが、彼女は入社1年目から補佐役として立派に50歳の役員クラスの研修の場で私と共にファシリテーターとして活躍をしています。おそらくこういうい働き方は大きな組織では難しいかもしれませんね。


「あすびと福島」 代表の半谷さんは、実は、東京電力の元執行役員。あの原発事故のときは、すでに退任されていたが、
福島のために出来ることを生涯とりくもうと活動を始めたのだそうです。東電時代にはJビレッジにアイデア段階から関わるなど、「新規事業」を中心に仕事してきた方ということで、この方の「右腕」になるという経験は、ものすごく貴重なものになるはず!

明日は、「あすびと福島」が、新しく求めている「右腕」、その詳細をお伝えします

VentureForJapanサイト

あすびと福島サイト

2019年1月25日

宮城県亘理町 FMあおぞら5

今週は、宮城県亘理町のコミュニティFM「FMあおぞら」の取り組みをご紹介しています。

東日本大震災の後、臨時災害FMとしてスタートし、昨年コミュニティFMとして再出発。「亘理ショッピングセンター」にあるサテライトスタジオから、毎日生放送しています。代表の吉田圭さんは、亘理町に暮らしておよそ20年。町いちおしの特産品を紹介してもらいました。

◆ほっき飯に、わたりのいちご
いま亘理町はなんといっても「ほっき飯」がシーズンです。ほっき貝がすごく上がるので、そのほっき貝を使った炊き込みご飯。ただほっきそのものを炊きこんでしまうと、ほっきが固くなってしまうので、ほっきをさっとお湯にくぐらせただし汁でご飯を炊いて、ほっきのほうはほとんど生の感触が残ったくらいの、ふんわりした仕上がりのところをご飯の上にたっぷり乗せてあるので、楽しんでいただけます。どうぞほっき飯食べにきてください。

そして、亘理町はいちごの生産地です。最近は「わたりのいちご」という名前で打ち出している。以前は「仙台いちご」のなかに、亘理から出荷したものもあったが、震災後いちご農家さんもすごく努力して生産を復活したので、「わたりのいちご」(というオリジナルブランド名)ということで食べてほしいということで、はっきりと打ち出しています。
「わたりのいちご」で一番獲れているのは「もういっこ」という品種。甘みと酸味のバランスがとってもよくて、いっこたべるともういっこ食べたくなるという、宮城県のブランドいちご。特にいちご狩りでハウスの中で食べていただくと、たまりません!というのは、いちごって香りが強い。なので、ハウスの中に入るといちごの香りでいっぱいになる。そしてなんといっても、白い花、緑の葉っぱ、そして赤いいちごが鈴なりになっているいるのを見ると、それだけで気分が上がります。そんないちごの香りに包まれて、もういっこ食べたくなっちゃうような甘みと酸味。たぶん50個はいけると思います。ぜひ来てください!



ほっきめしやいちごは12月から5月ごろまでがシーズンです!

「FMあおぞら」は亘理町では「周波数、FM79.2」で聴けるほか、スマホアプリ「FM++(エフエム・プラプラ)」で全国から聴取可能です。
宮城県亘理町のラジオ局 FMあおぞらの公式ホームページ
FMあおぞら公式アプリ

2019年1月24日

宮城県亘理町 FMあおぞら4

今週は、宮城県亘理町のコミュニティFM「FMあおぞら」の取り組みをご紹介しています。

「FMあおぞら」は、東日本大震災の後、臨時災害FMとしてスタート、昨年11月、コミュニティFMとして再出発しました。スタッフ9名はすべて亘理町の町民。平日9時間、土日は7時間、すべて生放送で番組を届けています。

生放送にこだわるのは、臨時災害FMの経験から。代表の吉田圭さんです。

◆いざという時、不安な気持ちに寄り添いたい
わたしたちの放送の立脚点の一つは、コミュニティを暖かくするお手伝いをしたい、そしてもう一つは「いざ」というとき味方になりたい、ということ。そういう点では、なにか災害があったときには、わたしたちが一番頼りにされる存在になりたいと思っています。その「頼りにされる」というのが、「報道する」ということではなく、「いざというときに、そこにあのラジオがあるからつけてみよう」と思ってほしいんです。そしてもう一つ。真夜中に不安になったときに、わたしたちは緊急のときには夜中も放送する体制を整えたので、「大丈夫ですか、さっき揺れましたね、怖かったですね」と言い続けたい。臨時災害放送局として活動しているときに、やはり余震が何回もあったんです。その時ずっと夜中放送していたのですが、翌日電話をしてくれたリスナーがいて。「昨日夜中にラジオつけたんだ。そしたら、ラジオからいつも昼間に聴いているのと同じ声がしてきて、それでようやく眠れた。」と。そうか、防災とか災害時の対応はもちろんきちんとしなければいけないけれど、わたしたちコミュニティにできる一番大きい仕事は、不安な気持ち、揺れ動く気持ちにちょっとだけ手を添えてあげることなんだ、と思ったんです。だから緊急放送も遠隔でもできるように今回体制を整えましたがやはり緊急時の心構えとして忘れてはいけないのは、ただ客観的な情報だけを流し続けるだけじゃないと、いま自分に戒めています。


災害など、「いざ」というときにラジオを聴いてもらうためには、普段から身近な存在であることが大切。あくまで「町民に寄り添うラジオ」を目指しているそうです。

「FMあおぞら」の周波数は79.2。亘理町では通常のラジオで受信できます。
またスマホアプリ「FM++(エフエム・プラプラ)」をダウンロードすると全国どこからでも「FMあおぞら」の放送を聴くことができます。
宮城県亘理町のラジオ局 FMあおぞらの公式ホームページ
FMあおぞら公式アプリ

2019年1月23日

宮城県亘理町 FMあおぞら3

今週は、宮城県亘理町のコミュニティFM「FMあおぞら」の取り組みです。

東日本大震災の後、臨時災害FMとしてスタートし、昨年コミュニティFMとして再出発しました。スタッフ9名は、年代も性別もさまざまですがすべて亘理町の町民。自分の視点で、身の回りの出来事や感じたことをマイクの前で語ります。

代表の吉田圭さんも、一日2〜3時間パーソナリティを務めています。

◆風化や防災を呼び掛けるのではない
いまFMあおぞらは、平日は(朝9時から夕方6時までの)9時間、土日は(朝9時から午後4時までの)7時間をオール生放送で放送しています。うちはスタッフを募集するときに、条件は一つだけだったんです。それは、「とにかく亘理町が好きで、亘理町のことが大好きだからそのことを伝えたい!」ということ。これを条件にスタッフ募集をかけたら、元いちご農家や、マイクを見たこともないという方も応募してくれて、現在9人で放送をお届けしています。

いま亘理町にいる人のかなりのひとは、災害を忘れているわけではない。ただ、災害からまもなく8年。ずっと一歩一歩、もしかすると半歩ずつ進んできたひともいます。そこで「風化しないようにしましょう!」「防災の意識を高めましょう!」というのは、亘理町のコミュニティ放送のわたしたちが改めて言うのはちょっと違うのではないかと思っているんです。みんなたぶん同じように前に進もうとしているし、だけどその中で「忘れてはいけない」という気持ちもあり、「忘れたい」という気持ちもあり。そこで揺れ動きながらこの町の人はみんな暮らしている。わたしたちは同じように「迷うよね、悲しいよね、進めないときもあるよね、でも進もうね」というふうに、隣にいる人に声をかけるような気持ちで伝えたり、またそれを聴いたひとがメールでもしかすると、「わたしもそう思った」とメッセージを寄せてくれるかもしれない。いまはとにかく、いろいろと進めないこともある、それを表立っていうのではなくて、「今日もいいお天気でしたね、その中で、あのとき寒かったことをちょっと思い出しました」と言ったときに、ちょっと伝わればいいかなといまは考えています。


「震災はもう忘れたい」という気持ちと、「忘れてはいけない」という気持ち。その間で揺れる町民にとことん寄り添う姿勢が、町の人の心の支えになっているようです。亘理町の町民9人で、生放送にこだわり、毎日放送を続けています。

「FMあおぞら」は亘理町では「周波数、FM79.2」で聴けるほか、スマホアプリ「FM++(エフエム・プラプラ)」で全国から聴取可能です。
宮城県亘理町のラジオ局 FMあおぞらの公式ホームページ
FMあおぞら公式アプリ

2019年1月22日

宮城県亘理町 FMあおぞら2

昨年11月、宮城県亘理町にコミュニティFM「FMあおぞら」が開局しました。
前身は、2011年3月に開局した、亘理町の「臨時災害FM」。代表の吉田圭さんも東日本大震災の津波で自宅が浸水し、一時避難を余儀なくされました。
その避難先での出来事が、「ラジオとの出会い」に繋がりました。

◆臨時災害FMの立ち上げは偶然が重なった
2011年3月11日、わたしは逃げ遅れて、自宅の2階からいろんな大きなものが流れてくるのを見て呆然としていました。その夜はそのまま自宅で娘と母と過ごしていました。もう二人家族がいたんですが連絡はとれなかったんです。次の日外に出てみたら、道路はめちゃくちゃ、側溝のふたは外れているし、公衆電話も水浸し。どうやって情報を手に入れたらいいんだろうと。それが4日間くらい続きました。
ようやくお隣の方が「車が動くよ」と言ってくれたので、その車に乗せてもらってお隣の町、山元町の山側に住んでいる知り合い方の家を頼っていってみようと行ってみました。その人は本の読み聞かせの指導をしてもらっていた方で。もともとその方は仙台の大きな放送局にお勤めの方で、「こういうときには臨時災害放送というものを立ち上げるはずだから、ぼくそれをやってみるから」とおっしゃって。実際に山元町の役場で放送を始められたのをわたしもお手伝いしていました。それでお手伝いをしていたら、役場に町の方がいろんな届を出しにくるんですね。それで来た時に、「え、ラジオやってるの?」と言って、周波数を紙や手にメモして帰っていく姿を見て「そうか、情報がなくて困っている人は、わたしだけじゃないんだ!」と思ったんです。でも山元町はいいよね。亘理町には臨時災害FMがない。わたしは亘理町の人間だ。亘理町はどうなっちゃうんだろう。相変わらず亘理町の人は、「水はどこにいけばもらえるの?」と、自宅避難で不安に思っている人がいっぱいいるんだろうなと思ったときに、「亘理町にも臨時災害FMが欲しいよね」と思ったんです。


こうして隣町の山元町で、臨時災害FMの立ち上げをお手伝いした吉田さん、「亘理町にも臨時災害FMをつくってくれないか」と役場に相談したところ、「手がまわらないから、あなたがやってください」と言われ、それならと、自ら「臨時災害FM」を立ち上げたそう。亘理町の臨時災害FMは元町の立ち上げから、わずか2日後だったというからすごい!「命が助かり、家族も無事だった。なにか自分ができることをしなければ!」そんな必死の思いが吉田さんを動かしたとのことです。

明日も続きをお伝えします。

宮城県亘理町のラジオ局 FMあおぞらの公式ホームページ
FMあおぞら公式アプリ

2019年1月21日

宮城県亘理町 FMあおぞら1

今週は昨年11月、宮城県亘理町に開局したコミュニティFM「FMあおぞら」についてお送りします。

「FMあおぞら」は、2011年3月、宮城県亘理町の「臨時災害FM」として開局。その後、2016年にいったん閉局しましたが、スタッフの働きかけと町の人たちの後押しによって昨年11月、新たにコミュニティFMとして放送を開始しました。

お話は「FMあおぞら」の代表、吉田圭さんです。

◆市民株主で開局へ
2018年11月27日にコミュニティ放送としてスタートしました。臨時災害FMはあくまで「臨時」なのでいつかは閉局するというのはわかっていたんですが、ひとつの小さい町にラジオ局があって、とっても町の元気につながるなということが臨時災害FMをやっているときに実感できたので、こういう小さい町にこそコミュニティ放送が欲しいなという気持ちが強くなって、臨時災害FMの閉局から2年間の間、コミュニティ放送開局に向けて動いていました。
(2年かかったのは)一番大きかったのは資金の問題ですね。一方で、町のいろんな人が「ラジオもうやってないんだもんね。なんかあったら言ってね」と声をかけてくれるのを聴いて、「あれ?町の人がこんなに応援してくれるんだったら、市民株主というのはできないのかな」と発想して。大きなお金は難しいけれど「一万円お願いします」といろんな人にお願いしたら、もしかしたら集まるんじゃないかと思って、「市民株主さんお願いします」と言っているうちに、今度は町内の企業さんが、「じゃあうちもなにか少しできるかもよ」と応援してくれたりして、全部で最終的に700万円になってこれでスタートできるかなと。やってみましょう!ということで、スタジオの場所を探して、11月27日の開局の日までずっと動き続けました。


町民による「市民株主制度」で700万円の資金調達に成功。これは国内でも珍しいケースです。現在1000万円の増資を目指して、さらに「株主」を募っています。
スタジオは「亘理ショッピングセンター」の中にあります。町民による、町民のためのラジオ番組を日々、生放送しています。

「FMあおぞら」は亘理町では「周波数、FM79.2」で聴けるほか、スマホアプリ「FM++(エフエム・プラプラ)」で全国から聴取可能です。
宮城県亘理町のラジオ局 FMあおぞらの公式ホームページ
FMあおぞら公式アプリ

2019年1月18日

飯舘村で畜産を再開した山田農場の山田猛史さん2

今朝は引き続き、福島県飯舘村で畜産を再開した、山田農場、山田猛史さんのお話し。

震災のあとの原発事故によって、この飯舘村は全村避難となりましたが、2017年春に避難指示が解除され、住民の帰村が始まりました。学校なども再開をしていますが、まだまだ戻る人は少ないのが実情です。

そんななか、いち早く村に戻って、畜産を再開した山田さん。もともとブランド牛の“飯舘牛”が有名な畜産が盛んな村で、しかも牛を放牧させることで、農地を守ることにもつながるというのもあって、迷わず帰村を決めたというお話しを、昨日聞かせてくれたんですが、
本当にそこに迷いはなかったのか?あらためて聞いてみました。


◆「近い将来、畜産だけで食べていけるように」

「いや、避難する時からいずれ戻って来るっていうような考えでいましたから。困った困ったって下向いて生活したくないもんで。まあ楽天家っていえば楽天家なんですが。まあどうにかなるさっていう感じで。俺の職業は百姓だから、「きれいごと」では“農地を守るため”っていうことになりますが、“自分の生活を守るため”です。息子も震災の時も百姓してましたし引き続きヤルっていいますから、安心して牛を増やして土地を増やして行ってるんです。うちもこういう牛、29頭の親牛がいたんです。子牛を含めると40頭ぐらいいたんですが、その29頭のうちの3頭だけ置いて、あとの26頭は売りました。3頭は3日前に買ったばかりの牛と、系統の良い牛。将来柱になるなという3頭の牛を置いて、あとは全部売りました。そしてまたその時に同じ競りで他の牛を買ったんです。26頭売りながら20頭ぐらい買ったんです。系統の悪いやつ年とったやつを売って、系統のいいやつ若いやつと交換したみたいな。牛の数は少しは減ったが20頭ぐらい連れて白河のほうに避難したんです。そして向こうの牛舎を借りて、震災後もずっと休まないで牛飼いだけはしてたんです。今は54頭かな。近い将来100頭ぐらいの頭数にして、畜産だけで食べられるようにしたいなと思ってます。 」




福島県飯(いい)舘(たて)村(むら)で畜産を再開した、山田農場、山田(やまだ)猛史(たけし)さんのお話し。

年末には牛舎を建て、徐々に環境を整えている山田さん。もともとあった畜産農家100数十軒中、戻ったのは山田さんをふくめ4軒ということですが、迷いがないコメントでした。牛飼いとしての生業を成功させながら、同時に牛を放牧させることで、農地が荒れないよう守る・・・それはいずれ戻って来ると信じている農家のためでもあるということ。

かつて飯舘村は「日本で最も美しい村」にも認定されていました。その豊かな村の再生を願う気持ちが伝わってくる、この2日間の山田さんのお話しでした。

2019年1月17日

飯舘村で畜産を再開した山田農場の山田猛史さん1

今朝は福島県飯舘村で畜産を再開した、山田農場、山田猛史さんのお話しです。

震災のあとの原発事故によって飯舘村は全村避難となりましたが、2017年春に避難指示が解除。道の駅ができ、学校も再開をしましたが、まだまだ戻る人は少ない状況が続いています。

もともと飯舘村は、ブランド牛の“飯舘牛”で知られる畜産の村。山田さんも震災前は、母牛を飼って子牛を産ませ、その子牛を売る商いをしていました。村に戻った当初は、まだ放射線量などのデータを取るための“試験放牧”しかできない状況だったといいますが、それでも迷わず帰村を決めたという山田さん。

その背中を押したものとは、何だったんでしょうか?


◆牛の力を借りながら農地を守る

「前は1200〜1300頭、母牛いたんです。今は・・・4軒か。4軒村に帰って牛飼いをしているだけです。100何十戸あったんですが、そのほとんどの農家が、あの震災の時に牛飼いはやめたという感じで、牛飼いを再開してる人は少ないです。それでも牛の力を借りないと、この広い農地を守るっていうのがなかなか難しいんです。ブロッコリー作るとか大根作るっていう人がなかなか出なくて、とりあえずは草でも蒔いて牛を放して農地を荒らさないようにしようというのが俺の考えで、それが10年ぐらい経って放射能の環境もずっと少なくなって、戻る人も一人増え二人増えして、農業やろうっていうような人が出てきて、“貸しておいた農地を返してくれ”って言ってきたときには、畑として返すつもりでいますから、そのうちは俺が借りて草を蒔いたり牛を放したりして、農地を利用して金を取りながら管理するというような感じでいるんです。だから前から畜産の村・飯舘っていうような話はいっぱいあったんですが、今はもう牛がいませんから、これを再開するにはちょっと時間かかりますが、とにかく飯舘は牛の力を借りながら農地を守り、営農再開をするっていうのがいちばん近道なのかなと思ってます。」





ちなみに山田さん、紅白歌合戦の中で嵐がVTRの中で取材していた方でもあります。そんな福島県飯舘村で畜産を再開した、山田農場、山田猛史さんのお話し・・・

放っておくと農地は荒れる。放牧した牛が農地の草を食むことによって土が守られる。牛の販売が制限される“試験放牧”という環境でありながらも飯舘に帰った山田さんの土地への思いが伝わってきます。

ちなみに避難指示解除後のこの2年の試験放牧の結果、牛から放射能は検出されなかったとのこと。今はまだたったの4軒ですが、飯舘の畜産、そして農業の再生のために生きる、山田さんのお話し、明日もお届けします。

2019年1月16日

新成人の声5 福島県浪江町・横山和佳奈さん

今週は、福島県浪江町の新成人、横山和佳奈さんの声をお届けしています。

東日本大震災のとき、和佳奈さんは中学入学の直前でした。自宅を津波に流され、さらに、原発事故の影響で郡山に避難。現在は仙台の大学に通っています。

◆「将来どこかで震災があったら、今度は聴く側に回ろう」カウンセラー目指す
いまは東北福祉大学で心理学の勉強をしています。将来はカウンセラーの仕事に就きたいと中学校1年のときから思っていて、去年受験も無事成功して、心理学を勉強して二年目になります。中学のときスクールカウンセラーの先生とお話をする機会があって、いつのまにか「浪江と郡山ってこう違うんですよねー」など愚痴っぽいことをぽろぽろと話すようになって、ふっと気持ちが楽になったんです。なので、そのとき将来どこかで震災があったら、今度は聴く側に回ろう、聴く側に回って誰かの心を楽にできるような仕事がしたいと思ったのがカウンセラーを目指すようになったきっかけです。でもいざ勉強してみると、心理学って難しいと実感している。どこかしらつらい思いをしたお話を聴くお仕事なので、自分が被災したからこそ、ほかのカウンセラーの人よりも、被災した方の気持ちに寄り添えるんじゃないかという想いはあるので、そこを活かせるようなカウンセラーになりたいと思っています。


和佳奈さんは津波で、祖父母を亡くしています。

◆「祖父母に成人を報告したい」
とくにわたしのじいちゃんは周りから「このじいちゃん元気だから100歳まで生きるわ!」と言われていた。だから自分の中でも高校の制服姿だったり、成人した振袖姿を当たり前に見せられると思っていたので。それを見せることができないのがとても悲しいし、今日も式典の冒頭で黙とうの時間があったんですけど、その時は自然と頭に祖父母の姿が浮かんできた。帰ったらすぐに仏壇に行って「成人しました!」と報告したいと思います。


和佳奈さん、帰宅後振袖のまま、真っ先に仏壇に向かって祖父母の遺影に手をあわせたそう。

先週から、東北各地の新成人の声をお届けしてきましたが、復興の道のりと共に、自分自身のこれからを模索する8年だったと思います。和佳奈さんは被災経験を活かして、カウンセラーになるとおっしゃっていましたが、成人の皆さん、これからはふるさとへの思いを胸にそれぞれの道で活躍してほしいと思います。

2019年1月15日

新成人の声4 福島県浪江町・横山和佳奈さん

今週は、福島県浪江町の新成人、横山和佳奈さんの声をお届けしています。

和佳奈さんは、浪江町・請戸地区の出身。東日本大震災の津波と原発事故の影響で、ふるさとを離れ、郡山市で育ちました。
そんな和佳奈さんが大事にしているのが、地域の伝統行事「請戸・田植え踊り」です。
和佳奈さんは、踊り手の一人として、いまも活動を続けています。

◆「私は浪江じゃなくて、請戸の人間」
植え踊りは震災後ずっと続いてはいるんですけど、昨年2月に初めて請戸に戻って、苕野神社の土地で田植え踊りが無事にできて、東日本大震災から7年経って、ようやく夢がかなったというというか、本来の形に戻ったというか。ただ周りにお客さんがあまりいなくて、マスコミの方だったりとかなので、そこはちょっと複雑でした。ずっと「自分と浪江を繋いでいるのは田植え踊り」という想いがあったが、今回成人式や同窓会に参加してみると、ここが自分の故郷なんだなって改めて感じたというか、踊りがなくても繋がり続けていたんだな、と感じました。

今回成人式で改めて浪江町と自分のつながりを再認識したんですけど、もともとは浪江じゃなくて「自分は請戸の人間」という想いが強かったので、浪江が(避難解除になって)帰れるようになっても、自分は請戸に住みたいけど浪江町に住みたいわけではない。請戸の繋がりってすごく強くて、知らないおばちゃんに「どこどこの孫だべ?」と言われる。悪いことをしたらすぐに広まるような繋がりの強い地域なので、それもあって、請戸にこだわりが強いのかもしれないです。
でも踊りも仮設で踊らなくなってしまったし、同世代の請戸の子とは会えても、当時(震災前に)挨拶していたおじいちゃんおばあちゃんとは会う機会が減ってしまうのは悲しい。請戸で踊るのも大事だとは思うけど、復興公営住宅とか、避難した方が多く住んでいる地域に行って踊れる機会もあったらいいのかなと思います。


福島県浪江町の新成人、横山和佳奈さんの声をお届けしました。

「請戸の田植え踊り」は毎年2月の第三日曜日に行われる「安波祭」で披露されます。和佳奈さんは、今年も踊り手として参加する予定です。
地域の伝統行事が、和佳奈さんとふるさと請戸を繋いでいます。

明日も横山和佳奈さんの声をお届けします。

2019年1月14日

新成人の声3 福島県浪江町・横山和佳奈さん

今日は「成人の日」です。
福島県浪江町では、おととい、12日土曜日、ひとあし早く成人式が行われました。

原発事故による全町民避難が2017年一部で解除された浪江町ですが、新成人234人全員がいまも町外で暮らしています。このうち、成人式に参加したのは106人。式典で「成人の誓い」を述べたのは、請戸地区出身の、横山和佳奈さんです。

◆横山和佳奈「成人 誓いの言葉」
これまでの20年間を振り返えったとき脳裏に浮かぶものは、決して楽しいことばかりではありません。その中でも中学校進学に胸を弾ませていたわたしたちを襲った東日本大震災は、人生を変えるほどの出来事でした。
さらに命を救われたわたしたちを待ち受けていたのは、度重なる避難生活でした。突然の友人との別れ、慣れない土地での新生活に、不安と戸惑いを覚え、心のもやもやから周りに強くあたってしまうこともありました。そんなとき、厳しく叱りつつも、やさしく寄り添ってくれた両親や家族の存在はとても心強く、支えとなるものでした。今日わたしたちがこの場に立っていられるのは、決して自分ひとりだけの力ではないと、改めて感じさせられます。

浪江町を形作っているものは、土地や建物だけではありません。伝統や歴史、ひとびとの記憶といった、多くの無形のもので成り立っています。ひととひととのつながりがあってこそ、残すことのできるもの。それを受け継いでいくことこそが、わたしたちの使命なのではないかと思います。進学や就職によって浪江町の復興に直接かかわることができなくても、町のことを伝え、受け継いでいくことはできます。離れた土地に住んでいるからこそできることも、たくさんあるのではないでしょうか。

今後はわたしたちが経験した命の尊さやひとへの思いやり、ひとつひとつの出会いを大切にできる新成人を目指す決意を申し上げ、近いの言葉といたします。


福島県浪江町の成人式。横山和佳奈さんの「成人の誓い」でした。
浪江町請戸地区では、津波に原発事故の被害が重なりました。和佳奈さんも津波で自宅を流され、祖父母を亡くしています。和佳奈さんは式典の後、晴れ着姿のままで仏壇の祖父母に手を合わせたそうです。

「請戸 田植え踊り」の伝承、そして将来の夢について、明日も和佳奈さんの声をお届けします。

2019年1月11日

新成人の声3 南三陸町戸倉・須藤未帆さん

東北 「新成人たちの声」。
今朝は、宮城県の南三陸町戸倉地区から、仙台の薬科大学に通う新成人、須藤未帆さんの声をお届けします。

未帆さんが生まれ育った戸倉地区は、志津川湾に面した小さな港町。震災で20mを越す津波に襲われ、彼女が通っていた3階建ての小学校は屋上まで水没するなど壊滅的な被害にあっています。

当時小学6年生だった未帆さんは、小さい頃から体が弱く、避難時も喘息の薬が手放せなかったと言います。そして現在、「薬を学んで復興を医療の面で支えたい」と薬科大学で学んでいます。


◆「地元のために、薬剤師として何ができるか探していきたい」
今、東北医科薬科大学2年生で薬剤師になるための勉強をしています。成人を迎えることに関しては一応二十歳にはなったんですけど実感がなくて、やっぱり学生なのでまだ入学当初のような気持ちで毎日新しいことを学んでいる感じです。勉強と体調管理がなかなか大変で、ちょっと無理して頑張り過ぎてしまうと倒れてしまうことがあるので、正直大変です。でもみんな、大学へ行ってる人も働いている人もそうだしみんないろんな方面で大変なんだっていうのはたまに会って話聞いているので。私たちは震災を受けてというのがすごく大きく感じている世代だと思うので、地元のためにというのが根底にあって、それぞれの道へ行っているので、自分だけじゃないというところで毎日頑張っています。今は、南三陸が震災もあってですけど、過疎化で高齢の方が多くなって、病院に足を運んだり薬を貰いにいったりするのが大変になっているので、そんな中で私は薬剤師としてお宅に訪問したりとかいろんな形で自分にできることは何なのか探していきたいと思っています。


未帆さんは震災で、身体が弱い人にとっていかに薬が大事か、身をもって感じたそうです。
薬科大学は6年制なので、早ければあと4年で薬剤師の資格を取って、未帆さん戸倉に帰ってきます。現在、戸倉地区には病院や薬局はなく、隣町に行かなければなりません。「医療が充実していないと街が元気にならない。私がその力になれたらと思う。」と話してくれました。

『LOVE & HOPE』、来週も、東北の「新成人の声」をお届けします。

2019年1月10日

新成人の声2 コバルト―レ女川 千葉洸星くん

きのうから、東北の「新成人たちの声」をお届けしています。
今朝は、宮城県女川町出身、コバルト―レ女川のFW、背番号9番 千葉洸星くんです。


◆「サッカーで恩返しがしたい」
コバルト―レ女川の千葉洸星20歳です。小学校6年の時に震災があって、女川町は壊滅的な状態だったので最初の頃はサッカーもできず。そんな中でも日本や世界の方からの支援のおかげでサッカーできるようになって、恩返ししたい!というか、そういう人たちに絶対に返していきたいなと思うようになって、更に頑張るようになりました。


洸星くんは被災した中でもサッカー選手になる夢を追い続け、高校卒業後、地元のクラブチーム「コバルト―レ女川」に入団。

そして洸星くんはじめ、当時小学6年生だった女川の子供たちを中心に、1000年後の命を守るために「いのちの石碑」プロジェクトがスタート。現在も活動を続けています。

◆「1000年後の命を守るため、この活動はなくなることはない」
女川町の21の浜に石碑を建てる、という活動をしてきて、石碑を建てる場所は津波の到達地点で、いざとなった時にこの石碑より上に逃げて、という想いも込めて石碑を建てました。最後の1基は2020年にできる女川小中一貫校に建てます。高校卒業してみんなそれぞれ違う道に進んで、女川を離れて大学へ進学する道を選んだりアメリカに留学したり、バラバラにはなってしまったんですけど離れていても「この活動はなくなることはない」と思っていますし、僕たちが経験したあの日の津波や地震を、1000年後の命のために僕たちができることを精一杯頑張っていきたいと思います。そしてサッカーの方も、女川町にクラブチームがあることをすごく魅力に感じますし、FWをしているのでこれからももっともっとゴールを量産していってチームに貢献できるよう頑張っていきたいと思います。


女川の「いのちの石碑」、以前番組でもご紹介しましたが、彼らが中学3年生の時に1基目ができ、これまでに17基が完成!成人になった今でも活動は続き、最後の21基目は、2020年に開校する女川小・中一貫校に建てられるとのことです。

そこで役目が終わりかと思いきや、「1000年後の命を守るため、この活動が終わることはない」と話している彼ら。今後も「いのちの教科書」の改訂版、いのちの石碑のマップ作りなど続いていくそうです。

『LOVE & HOPE』、明日も新成人の「声」をお届けします。

2019年1月9日

新成人の声1 岩手県大槌町出身・岩間大くん

今日から金曜までは、東北の新成人たちの「声」をお届けしていきます。

今日一人目は、2016年春のセンバツ高校野球、21世紀枠で甲子園に出場した、釜石高校のエース・岩間大くんです。彼は、震災で大きな被害を受けた大槌町の出身。津波に流されたお母さんは今もなお行方不明のままです。

甲子園では、“どこかできっとお母さんが見ている”と腕をふりつづけ、みごと1回戦で小豆島高校に勝利。勝ち投手となって感動を呼びました。


(その当時の岩間大くん)

そんな彼は、いま中央大学の2年生。肘を痛めていたこともあって野球はそれきり、離れてしまったそうですが、今どうしているのか?震災からの月日を振り返りながら、ハタチを迎えての思いを語って頂きました。


◆いまも母は“頑張る原動力”

「まず長さだったり時が経つ速さで見ると、本当にいま思い出すと8年はあっという間だったなって感じがします。自分の成長だったりどのように変わったかって考えると、やはりこの8年間で「感謝」っていう心を覚えたり、周りへの気配りだったり、心が大きく成長できたのかなって思います。8年間ずっと変わらないのは、母がそばにいてくれるっていう気持ちは変わらないですし、中学高校と変化してきてるのが、中学高校も母が見てくれてるから頑張らなきゃって気持ちはあったんですけど、大学生になって自分で選択をして自分で何を頑張るかって決めなきゃいけない環境になったので、サボろうと思ったら何事もサボれるんですけど、そんな時に“母が見てくれてるちゃんと頑張らなきゃっ”って思うことで、やっぱり大学生活も自分のやりたいことに向かって頑張っているので、母はやっぱり自分の拠り所ですし、頑張る原動力だと思ってます。いま大学2年生から始まったゼミでマーケティングの分野を学び始めたので、卒業後は大手の企業に就職しようと考えてるんですけど、30歳後半からはそのマーケティングで学んだ分野を生かして独り立ちしたいと思って必死に取り組んでいます。今の段階では就職の時点で釜石大槌に帰るっていう選択肢は可能性としては低いんですけど、独り立ちして自分にも余裕ができて家庭を持ったら、やっぱり環境的にも釜石大槌がいいかなと思うんです。家族のためにも。やっぱり人がいいし、子供ができたらすごく穏やかでいい子に育ってくれそうなので。そしたら釜石大槌に帰って、今度は自分を育ててくれた、応援してくれた地元のために働きたいなと思っています。」




震災以降、東北各地へ取材で訪れる中、大くんのような若い世代とも交流を続けていますが、その多くが、支えてくれた周りの方への感謝や“いつか恩返しを”という言葉を口にします。ぶれることなく真っ直ぐに生きているその姿がどれほど眩いことか。きっと地元の皆さんも宝物のように彼らを見つめていることでしょう。大くんのお母さんにもぜひ聴いて頂きたい彼のハタチの言葉でした。

ちなみに大くん、野球については、仲間との草野球程度は楽しんでいるとのことです。野球に打ち込む大くんをお母さんは誰より応援していたと以前話していましたから、ぜひそれも続けて欲しいものです。

『LOVE & HOPE』、明日も新成人の「声」をお届けします。

2019年1月8日

「うつくしまふくしま未来支援センター」特任教授/天野和彦さん3

今朝は引き続き、福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」特任教授、天野和彦さんのお話しです。

福島県は、福島第一原発事故による避難者向けの応急仮設住宅の無償提供を、大熊町と双葉町を除いて、原則2020年3月に終了する方針を決めています。そのうち川内村、葛尾村、南相馬市、飯舘村、川俣町の“避難指示解除地域に住んでいた人たち”が暮らす仮設住宅については、今年3月での無償提供終了がすでに決まっています。

住民の帰還は進まず、商店や病院の少ない地域もあって生活が不便、除染されていない山や森が近くにあって不安もある・・・問題が山積する中で、避難者への支援は次々と打ち切られていくわけですが、この背景について天野さん所感です。


◆「2020までに」

「これは私の私見ですけど、2020年に開催が予定されている、東京オリンピック、パラリンピック。そこまでの間に、なんとかこの“避難者”をゼロにしたいのではないか。被災地は残ってるけど避難している人はいないですよ、と、アンダーコントロールされていますよ、と、いうふうな状況を作り出したい。だからいついつまでに帰還を決めれば支援をしますよ、と、つまり帰還政策を進めていく中で、戻らない人はそれぞれの自己決定をお願いします、というふうな中でですね、きわめて被災をされた方、あるいは避難をされている方に厳しいつらい政策が展開されていると言わざるを得ないというふうに思います。 」



あくまで天野さんの私見ではありますが、「2020年3月」という「期限」がまず先に示されていることを考えると、否定はできない意見です。期限を切るより帰還者たちが生活できる環境を整えるのがまず先なのではないでしょうか。

今年、そして来年、なかば強引に復興へ大きく舵を切りそうな福島。あらためて「課題」について、天野さんのお話しです。


◆「福島を21世紀の地域のモデルに」

「課題ということで、風化が進んでいる状況があるんだと思うんです。これはある意味しかたのないことだろうと思います。それを我々いま福島に住むものの一人として思うのは、やはりこうした状況を発信し続けていくということは非常に大事だと思いますし、これから日本が直面する課題が、福島の場合は、震災があったことで、あるいは原発事故があったことで、より顕在化していってる、つまりこれからの日本で多くの地域が抱えていくような課題、少子化や高齢化がより加速度的に福島には出ているんですね。で、我々はこれを解決していくことによって、ある意味、21世紀の地域のモデルを逆に提案していくことができるのではないかということをお示しできるようにしていきたいというふうに考えています。」



福島はまだ復興の途上にあり、私たちはその道のりを見つめ、自分の住む地域のこととして考えなければなりません。風化に抗い、これからも伝え続けていきたいと思います。


うつくしまふくしま未来支援センター

2019年1月7日

「うつくしまふくしま未来支援センター」特任教授/天野和彦さん2

今朝は金曜日に引き続き、福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」特任教授、天野和彦さんのお話しです。

福島県は、福島第一原発事故による避難者向けの応急仮設住宅の無償提供を、大熊町と双葉町を除いて、原則2020年3月に終了する方針を決めています。そのうち川内村、葛尾村、南相馬市、飯舘村、川俣町の“避難指示解除地域に住んでいた人たち”が暮らす仮設住宅については、今年3月での無償提供終了がすでに決まっています。

住民の帰還が進まない中で、仮設住宅の打ち切りは進み、そんな中で問題となっているのが、震災と原発事故に関連した自殺者の数。被災3県の中では最多。年齢別では50代以上が7割を占め、中でも働き盛りの50代が最も多いという現実がじつは福島県にはあります。

この背景について、天野さんに伺いました。


◆「指の間からこぼれていく人たち」

「なぜこういう状況が生まれているのかと考えると、分かり易く言うと、この丸7年もの間、故郷に帰れるのか帰れないのか、あるいは帰っても大丈夫なのか、そうしたことがずっと朝から晩まで、頭の中にどこかにある。こういう状況の中で心が弱っていくのは当たり前なんだろうというふうに思います。故郷に帰れないという状況、それは単に場所だけを指すのではなくて、人とのつながりであったり、あるいはそれまで地域の中にあった自分の生業、仕事ですよね。そうしたことの暮らしのすべてが奪われてしまったことによって、自らの命を絶つとか、あるいは持病が悪化して命を失ってしまうとか、そういう状況が後を絶たないと言わざるを得ないというふうに思います。そういう中でどういう方向がこれから、これまでもなんですけど、必要なのかというとこれは、コミュニティの力を強くしていくしかないだろうというふうに思います。つまりこれまでの暮らしの中で培われてきたそうしたつながりを、なんとか避難先にあっても回復するようなそうした取り組みや努力が、ますます求められている。つまり孤立化していって一人ぼっちになっていくっていうそういう状況の中で、指の間からこぼれていく方をなんとかすくい上げていくっていう、そうした取り組みが求められているんだろうっていうふうに思います。 」



震災と原発事故に伴う避難者数は、去年春の時点で県内外に約5万人。災害公営住宅の整備が進んで、仮設住宅の入居者は減りましたが、それでも約3000人が住んでいます。今なお避難生活をしている人、あるいは人のいない故郷へ帰還した人や、災害公営住宅に移った人、いずれも“コミュニティづくり”が、生きていくための重要なキーワードになるということ。そしてこれが福島の現状でもあります。

こと福島においては、今なお復興は遠い道のりなのです。


うつくしまふくしま未来支援センター

2019年1月4日

「うつくしまふくしま未来支援センター」特任教授/天野和彦さん1

今週は新しい年を迎えた東日本大震災の被災地の「声」をお届けしていますが、今朝は福島県です。

福島県は、福島第一原発事故による避難者向けの応急仮設住宅の無償提供を、全町で避難指示が出ている大熊町と双葉町を除いて、原則2020年3月に終了する方針を決めています。そのうち川内村、葛尾村、南相馬市、飯舘村、川俣町の“避難指示解除地域”に住んでいた人たちが暮らす仮設住宅については、今年3月での無償提供終了がすでに決まっています。

地域によっては商店や病院などもまだまだ少なくて不便・・・
住民の帰還も進まないから生業の再開も厳しい・・・
近くに除染していない山や森があることも不安・・・

問題はたくさんあるのですが、それでも打ち切りの動きは進んでいきます。

そんな福島の現状について、福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」特任教授の天野和彦さんに伺いました。


◆「複雑化する福島の避難者たち」

「まもなく8年なるということで『復興集中期間』が終わって、『復興創生期間』も残りあとわずかという、そういう状況の中で、問題は、避難をされている方が5万人弱いるという状況がいまだに続いているということ。その皆さんの今の状況ですけれども、端的に申し上げると、課題が、“個別化、多様化、複雑化している”という状況が言えるのだろうと思います。故郷に帰れるのか帰れないのか、それから帰っても大丈夫なのか。たとえば福島大学の私の所属している『うつくしまふくしま未来支援センター』が、双葉郡の住民の方々の実態調査を行なっているんですが、その中で、“将来の皆さん方の仕事とかあるいは生活への希望がありますか?”という問いに対して、『大いに希望がある』あるいは『希望がある』というふうに答えた人は2割に満たない状況にあって、一方『あまり希望がない』、『まったく希望がない』とおっしゃってる方は約半数近くいらっしゃるんです。あるいはそれが生きがいの喪失にも結びついてるというようなことが指摘されるというふうに思います。福島県は災害関連死、震災関連死というのが、岩手宮城と単純に比較しても、直接死と関連死の総数のうちの割合が60%を超えてる状況にあるんですね。」



福島に関する報道が減るなか、いまだ避難している人が5万人いるというこの現実。うち原発事故で避難した人が住む仮設住宅は、去年春の時点で、7348戸(1万4366人)あります。そして天野さんの言う“生きがいの喪失”。福島では震災の直接の被害で亡くなった方よりも、震災後、自ら命を絶った方の数が上回っているという現実があります。なぜそんな中でも支援打ち切りを急ぐのか?どういった対策を取るべきなのか?来週も引き続き、天野さんのお話し、お届けします。

うつくしまふくしま未来支援センター

2019年1月1日

ラグビーW杯の開催地・釜石の声

今日からの4日間は、東日本大震災の被災地で、今年大きな転機を迎える4つの地域の「声」をお届けします。まずはじめは岩手県釜石市・・・そう、今年9月に行われる「ラグビーW杯2019日本大会」、全国12の開催会場のうちの一つです。

往年の名チーム・新日鉄釜石の活躍で、“ラグビーの町”として知られていますが、津波で大きな被害を受け、とくに試合の行なわれる鵜住居町は、一時期、何も無い更地となっていました。

そこに「釜石鵜住居復興スタジアム」という立派なスタジアムが去年夏に完成。秋のW杯開催に向けて、いま準備が進められていますが、全国の各都市が試合会場として誘致活動をする中、2015年に釜石での開催が決まった時は、“奇跡”とも言われていました。

誘致に尽力したお一人で、鵜住居町の旅館、「宝来館」を営む、岩昭子さんのお話しです。


◆「生きるために“夢”が欲しかった」

「ようやくこの年が始まったなとワクワクドキドキする年明けになりました。最初の頃はワールドカップなんか夢のまた夢で、そのときは本当に出来ると思っていたのではなくて、生きるために夢が欲しいなと思ってポロッと出た思いだったんですね。それがスポーツの凄さっていうか、いろんな方が“やろうよ”って動いてくださって、で、2015年、「宝来館」がパブリックビューイングの場所だったんですけど、決まった瞬間、喜んだあの瞬間は忘れられなくてですね、そのときに思ったのは、“あ、大人の私たちがラグビーの強かった釜石をもう一度って思う気持ちより、“子供たちに未来を見せてあげたいな、盛り上がった釜石を見せてあげたいな”って思った瞬間がありましたですね。で、この間日曜日に私達の村でですね、フィジーとウルグアイとナミビアとカナダの国旗を広げて見てたんですよね。で来週から英語教室も私たちの村では始まって、釜石でやる試合のこの4か国の旗を、いろんなところでみんなで立てて歩こうということが始まったんですけど、みんなでラグビーで一つになりつつなってるなってのが、すごく嬉しく思うこの頃です



津波で384人の死者・行方不明者が出た鵜住居。岩さんも津波にのまれた一人。1963年創業の「宝来館」も2階まで津波で被災したが、翌年に再建。以来、岩さんは2016年の岩手国体のトライアスロンでも応援に奔走。宿の裏には車いすでも逃げられる避難路を作り、そしてラグビーW杯の開催会場誘致にも尽力されました。“生きるために夢が欲しかった”という言葉が胸に響きます。「釜石鵜住居復興スタジアム」では、9月25日にフィジーvsウルグアイ、10月13日にナミビアvsカナダ戦が行われます。

『LOVE & HOPE』、明日はこの春で復興計画が終了する、宮城県女川町の「声」をお届けします。

「宝来館」ホームページ

パーソナリティ 鈴村健一

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