2019年3月29日

速水さんが最後にお伝えするのは、ラグビーW杯で復興が加速する釜石のトピック

今朝は三陸鉄道リアス線開通に湧く岩手県、おもに釜石市の復興トピックの幾つかをお伝えします。今年秋に開催されるラグビーW杯、そのうち2試合が釜石で行われることもあって、じつはいまこの地域では復興事業が加速しているんす。

まず三陸鉄道リアス線の開通は皆さんご存知の通り。震災以来、不通だったJR山田線の〔釜石〜宮古〕間が復旧して、三陸鉄道に移管され運行を開始。宮古から北の「北リアス線」、釜石から南の「南リアス線」ともつながって、総延長163キロ、日本一長い第三セクターとして3月23日に運行を開始。ちなみに163キロを一気に走る列車も一日何便か運行。4時間半くらいかかりますが、三陸の風景を見ながらのんびり鉄旅をしたい人にはオススメです。



そして鉄路だけでなく、道路も便利になりました。東北道の「花巻ジャンクション」と、吉浜釜石道路の「釜石ジャンクション」を結ぶ「釜石道」が、3月9日に残りの工事区間が開通したことでついに全線開通。内陸と沿岸を結ぶ自動車道の全線が開通したことになり、横断道路の開通は岩手県内では初めて。これで花巻空港や東北新幹線の新花巻からのアクセスが格段に良くなりました。物流や人の往来の向上に期待の声は大きいといいます。

さらに釜石市内でも“魚のまち釜石”を発信する施設がオープンします。公募で決まったその名前は「魚河岸テラス」。釜石港の魚河岸地区で4月13日に開業します。“鉄とラグビーの町・釜石”は、全国有数の水揚げを誇る“美味しい魚”の町でもあります。そんな“魚のまち釜石”を発信する拠点施設がここ。お寿司やイタリアンなど海産物を使った飲食店のほか、海に関する展示スペースや、イベントステージ、オープンキッチン、広場などが整備されています。じつは今まで、釜石港エリアにこうした賑わい創出施設はありませんでした。観光拠点としても地元の期待は大きいといいます。

秋にはラグビーW杯2試合がこの釜石で行われますが、町の復興と共に、一大イベントを控えて期待に湧く雰囲気が、いま釜石の町には溢れています。そんな空気を味わいに、ぜひ釜石へも足を運んでください!



2019年3月28日

中西さん最後の晩餐は、歌津小太郎の「めかぶ漬け」!!

中西哲生さんが最後にお届けする「LOVE&HOPE ヒューマンケア・プロジェクト」。最後はこの方にお電話を繋ぎました。

*****
中西:東日本大震災以降、被災したエリア、いろんな所にお邪魔させていただきました。中でもこの番組をきっかけに、よく通わせていただいたのが宮城県南三陸町。きれいな海。山。美味しい食事。そしてあたたかい人々…。想い出をあげればきりがありません。

今朝は、代表をしてこの方にお礼を言わせてください。「今のぼくのカラダを作っている」と言っても過言ではない!歌津小太郎の2代目、千葉孝浩さんです。おはようございます!

千葉さん:中西さん、10年間お疲れ様でした!

中西:ありがとうございます!去年、お店にお邪魔して以来。工場で「結びこんぶ」を作らせていただいて、その節はありがとうございました!

千葉さん:中西さんなかなか筋が良かったですよ!

中西:めかぶ漬けの新物、ぼくも先日注文して、もう届いています!リスナーの方に声を大にして言いたいんですけど、歌津小太郎さんのめかぶ漬けは本当に美味しくて、お母さんの味付けなんですよね。

千葉:創業当時からの変わらぬ味付けでやらせてもらっています。

中西:ぼくはいつも10個ぐらいまとめて買って、冷凍しているんですけど、炊き立てご飯の上にきれいな緑のめかぶをかけて食べるんですけど、人生で食べてきた中で一番オイシイと思う食べ物で、もし僕が明日死ぬとしたら、人生で最後に食べたいのがこの歌津小太郎のめかぶ漬けなんですよ!

千葉:嬉しいですね。

中西:三陸道が気仙沼まで開通してから、目の前の国道の車がかなり減ってしまったそう?

千葉:そうなんです。交通量はここ1ヶ月で半分ぐらいになってしまいました。

中西:じゃこの放送聞いて、ぜひ歌津小太郎の商品気になるという方は、ネットショップの方でお買い上げいただきたいですね。今後も頑張ってください。また機会があったら足を運びますので。

千葉:ぜひ三陸の方へ来たら、南三陸・歌津へお立ち寄りください。お待ちしていますので。中西さん、本当にお疲れ様でした!



歌津小太郎のオンラインショップ

2019年3月27日

4月7日開通 気仙沼大島大橋(3)

今朝も4月7日に開通する、気仙沼の本土と大島をつなぐ「気仙沼大島大橋」に関する話題をお届けします。

海と山の自然に恵まれた大島。春には椿の花が。そして5月の連休あたりは「緑の花をつける桜」が楽しめます。そんな大島に「橋を架ける」というのは、およそ50年以上前からの島民の悲願でした。この春ようやく繋がるこの橋によって観光客は車で15分と来やすくなります。では、橋を活かすための観光客の受け入れ態勢は進んでいるのでしょうか。大島で旅館「黒潮」を営む、堺 健さんに伺いました。

◆気仙沼大島への観光客減少
とくにこの3〜4年、観光客、宿泊客が減り続けています。とくに大島はひどいんですけど、沿岸部全体的に減っていますからこの傾向はしばらく続くんじゃないかと思っています。その代わりインバウンドで外国のお客様がカバーしてくれているんですけど、気仙沼には行ったことがあってもわざわざ船に乗って大島まで来るのは大変だよね、ってことでお客様の足が伸びなかったことがあるかもしれません。これからは橋が架かるのでそうしたことはないので、ちゃんと魅力があれば当然お客様は来られるわけです。そういった素地があるのでちゃんと受け入れ態勢をとっていればいいだけなんです。ただそれを一人二人じゃできないのでみんなでやろうね、という雰囲気がもう少し足りない気がしますけど。


大島みらい創り協議会の会長でもある堺さん、架橋を機に老朽化した宿のリニューアルを呼び掛けましたが、なかなか賛同は得られなかったようです。しかし、堺さんが営む旅館「黒潮」はリニューアルをしたばかり!冬には薪ストーブを囲むロビー、そして夏には、海を見ながらのバーベキューが楽しめます。

◆黒潮旅館リニューアル
これからは野外料理でいこうと思っているんですね。うちで去年ここに30名雨が降っても使えるBBQ会場を作ったのでホタテや魚、イカなどを焼いて、肉料理やマグロ料理を出して。あとはピザ釜などもありますのでお好きな方はピザも用意できますから、海を見ながら開放的な雰囲気の中で皆さんに楽しんでいただけるんじゃないかと思っています。


大島の旅館「黒潮」 公式サイト

大島では、海水浴場「100選」にも選ばれている浜辺が復活し、きれいな砂浜とエメラルドグリーンの透き通った海を見ることができます。またリアス式海岸が望める亀山展望台からの絶景もおススメ!ぜひ連休、そして夏には橋を渡って大島へ出かけてみてはいかがでしょうか。

2019年3月26日

4月7日開通 気仙沼大島大橋(2)

今朝も4月7日に開通する、気仙沼の大島と本土をつなぐ「気仙沼大島大橋」に関する話題をお届けします。

島民にとって長年の悲願だったこの橋。これまで交通手段は船しかなかったため、島民の日常生活の利便性はもちろん、観光面や、緊急時の交通手段としても期待されています。

一方、橋の開通にともない、100年以上にわたって本土と島を結んでいた定期船が終了することになります。切符売り場で「かっぱえびせん」を買ってウミネコと戯れる船旅も残り僅かとなります。

また「定期船の廃止で、島民の交通弱者に対する足の確保が課題」と話すのは大島みらい創り協議会、堺健さんです。

◆交通弱者への対策
今気仙沼の港まで大島から船で渡ると25分で着くんですけど、橋の場合は15分ぐらいで行ってしまうということで時間的には短縮されますね。しかしこれからは定期船がなくなります、今までは日中16往復ありました。大量輸送できる船便が1時間に1本出ていたのは大変便利なことだったんです。ところがバスになると、朝6時〜夜7時まで8往復しか出せませんという現状です。ちょうど半分に減ってしまうということですね。車を持っている人はすごく便利なんですが車を持たない高齢者にとってはかえってこの大島に住むのがハンデになってしまい不便で割高だねってことで人口が減っていく可能性もあるわけです。それに対して住民の力で、地域の高齢者や高校生の通学者を自分たちで安全に移動させようとかそこは地域の自治能力が試されているんだと思う。なんでもかんでも行政に頼んだりバス会社さんにお願いするんじゃダメなんで、自分たちで自分たちの交通網はつくって守る。その為に小さな運行会社を作ろうかと今働きかけています。大きなバスじゃなくてワゴン車タイプの車で人も物も積めるようなものを公共バスの8往復以外に8往復ぐらい最低欲しい。それからなぜ小型かというと、お年寄りの中ではバス通りまで歩くのが大変だという方もいらっしゃるので、直接ご自宅までお迎えに行って病院までお連れする、そういう公共交通を想定しています。


大島では高齢化率が50%を超え、自家用車がない交通弱者が増えているそうです。そんな中、地域の自治組織主動で、夏までには1日8往復の公共交通を実現させたい、と話してくださいました。

2019年3月25日

4月7日開通 気仙沼大島大橋(1)

宮城県気仙沼市の離島、人口3000人ほどの気仙沼大島と本土をつなぐ「気仙沼大島大橋」がいよいよ4月7日に開通します!

島民にとって長年の悲願だったこの橋。これまで交通手段は船しかなかったため、島民の日常生活の利便性はもちろん、観光面や、緊急時・災害時の交通手段としても期待されています。しかし、震災で被災した大島の玄関口「浦の浜港」の嵩上げ工事は道半ば。観光客を受け入れるウェルカムターミナルの工事も遅れています。
番組で何度も取材を続ける、気仙沼大島で旅館「黒潮」を営む、堺 健さんに伺いました。

◆気仙沼大島 浦の浜港工事の遅れ
4月7日に50年待った橋が架かる。島民はおおいに期待しています。私は観光もやっていて観光客も来やすくなるのは大変良いことだと思っています。しかし、観光客にしろ島民にしろ島を再生する「拠点」が必要だよねってことで、大島の浦の浜港はすでに工事が終わってないといけないんですけど、まだまだ半ばのような感じで工事が大変遅れているわけです。これは宮城県や気仙沼市の仕事がどんどん遅れてしまっているので私たちもキツくは言っているんですけど「予定通りいかないんだ」という返事しか返ってきません。ですから4月7日に橋が架かっても大島に来られた方がそこへ一旦来て、大島のどこを観ようとか、何を食べようとか買おうとか案内所を作らないといけないんですね。大きなイベントをするにしても多くのトイレがあったり大型駐車場がないとどこにも行けないということになるわけですから、そういったことは仮でもいいから作らなくちゃいけない、混乱とかは最小限にしたいなと思っています。
でも、うちの旅館の予約状況は5月の10連休は結構予約が入ってきています。やはり橋を渡ってみたいとか、新聞で見たので古い友達が連休に来るよ、という良いムードにはなっています。


大島の橋が開通するのは、4月7日。しかし工事の遅れで、開通した時点では観光の拠点となる浦の浜港はまだ工事中‥という状況のようです。

そして、橋の開通と共に、定期船が同じく4月7日で終了とのこと。“船旅”を味わいたい人は、この機会に船で大島へ渡ってみてはいかがでしょうか。

大島の旅館「黒潮」

2019年3月22日

三陸鉄道リアス線開通

今朝は23日に開通を迎える「三陸鉄道リアス線」についてお伝えします。



東日本大震災による津波で大きな被害を受け、運行が止まったままだった、「JR山田線」の宮古〜釜石間。この区間が、「JR東日本」から「三陸鉄道」に移管され、3月23日、運行を再開します。これによって、すでに運行を再開している「北リアス線」、「南リアス線」ともつながって、総延長163キロ、日本一長い第三セクター、「三陸鉄道リアス線」が開通するんです。

JFN15局で放送中の旅番組、「KIKI-TABI 2 Thousand Miles」では、8年ぶりに列車が通る沿線の町を取材。23日に一番列車が出発する釜石駅の山蔭康明駅長にもお話を伺いました。聞き手はJFNパーソナリティ、井門宗之さんです。


(「KIKI-TABI 2 Thousand Miles」より)
井門)いよいよですね。
山蔭)そうですね。新たに山田線区間リアス線として繋がるわけですけど、地元の人たちすごく期待しているんですね。もう8年になりますから。
井門)駅長はもう実際に電車に乗って走ったりはしてみたんですか?
山蔭)この間いっかい訓練運転に乗ってみたんですけど、線路沿いの職場の方々、住民の方々、下校中の小学生とかですね、みんな手を振ってくれるんですね。なんかそれ見てると本当にこう・・・感じるものありましたね。
井門)ぐっときますよね。ちなみに一気に行く電車みたいなものも運行するんですか?
山蔭)ええ。1日に数本ですけど、大船渡の盛から久慈まで、トータルすると4時間半ぐらいかかりますけども、一応ありますのでぜひご利用頂きたいなと思いますね。
井門)わかる範囲で結構なんですけど、そもそも路線自体も赤字路線と言われていた場所ですし、三陸鉄道が再開に手をあげた理由ってのは何なんですか?
山蔭)やっぱり東日本大震災。あの時にも震災のすぐ2日後に社長はじめ社員が線路の点検とかしたんですけど、その時にすぐ地元の方々が、“さんてつはいつから走るんだ?”って言われたんですね。その時に本当に、“待ってるな”ということですぐ決断して、徐々に徐々に区間を伸ばしながら運転再開したってのがありますので、この新しい区間についてもそのつもりで走っていく、いうことにあるのかなと思います。
井門)もうそこに住まれる方の気持ちにまず立ってみて、我々が手をあげなきゃダメだっていうことにところだったんでしょうねきっとね。
山蔭)しかないと思います。
井門)そうかあ・・・






試運転の時に手を振ってくれた住民の皆さん、8年ぶりに走る列車を見てどんな気持ちだったことか。8年といえば手を振っていた小学生の中には列車が町を走る風景を初めて見た子供もいたことでしょう。

23日は再開記念の特別列車が運行され、24日から通常の営業運転がスタートします。

もともと旧山田線は赤字だった路線、三陸鉄道も厳しい経営状況は続いています。観光での乗客を増やしていくことは喫緊の課題でもあります。三陸の美しい風景を縫うように走る列車。4時間半かけて旅するのもいいし、途中下車の旅もいい。季節ごとのイベント列車も企画しているということなので、ぜひ新生のさんてつに乗りに行きましょう!

三陸鉄道

2019年3月21日

相馬市原釜漁港の漁師、菊地基文さんに聞く

今週は先週に続き、福島県相馬市からのレポートをお届けします。

2011年、震災の年から中西さんが欠かさず訪ねている相馬市。今回は、相馬の基幹産業でもある漁業にフォーカス。原釜港の漁師、菊地基文さんにお話を伺いました。



今なお原発事故の影響による「試験操業」を余儀なくされながらも、操業対象の魚種は主要魚種すべてにまで広がり、価格も概ね回復してきているという相馬の漁業。

震災前には原釜港にも「直売センター」があって、新鮮な魚を求める多くの人で賑わっていたといいますが、じつは、そんな賑わいを再び!という計画もあるんだそうです。


◆海の幸が楽しめる拠点の計画

「菊)これから漁協の向かいに直売センターって出来るんですね。震災前にはあったんですけど、それが半分民間出資で半分行政で、第三セクターでやるんですけど、そこで魚とかを陳列したり飲食店もそこに併設するんでそこで提供したりってうような・・・
哲)じゃあここに来れば食べられるんですか?
菊)はいだからもう見たこともないような魚も丼に乗ってきたり、あると思いますよ。そういう魚・・・」



これじつはまだオフレコだったそうなんですが一足先に聞いてしまいました。“常磐もの”と言われる質のいい魚の話はさんざん聴いていますが、いまはそういった魚が食べたり買ったりできる拠点が市内に無いので、これは待ち遠しいかぎり!でもいつ開業予定なのかはまだ秘密だそうです。

少しずつ前に進んできた相馬の漁業。課題はまだまだ多いですが、菊地さん自身のこれからについて聞くと、こんな答えが返ってきました。


◆「息子のためにいい海の環境を残す」

「菊)いややっぱり基本的にはやりたいことを楽しい形でやりたいし、やっぱ息子にお父ちゃん面白いことやってるな〜っていうふうに見られたいし、お父ちゃんすげえな〜っていう目で見られたいし、だからそういう意味でもまわりの人に少しでもちょっと影響を及ぼして小さな渦でも作れればいいかなと思ってるんですけどね。息子もやっぱ漁師になりたいって言ったら嬉しいし、そのためには自分たちが浜を良くしなきゃなんないし、だからもう息子が漁師をするであろう時のための環境づくりとかしてきたいなと思いますね。俺の活力ってのもやっぱ親父すげー尊敬してっから、だから目指すところは自分の親父みたいなオヤジになりたいですよね。」



菊地さんは漁師一家の4代目。先代のお父さんは、腕利きの漁師であり、性格は明るく豪快。人前で決して弱音を吐かない男だったそうです。(菊地さんもだいぶ受け継いでいる気がしますが・・・)

いま菊地さんは42歳で息子さんが3歳。まだちょっと先ではありますが、息子さんが漁師をやりたい!という頃に、相馬の海をいい環境で手渡すために、菊地さんの役割はまだまだ続きます。



2019年3月20日

相馬市原釜漁港の漁師、菊地基文さんに聞く

今週は先週に続き、福島県相馬市からのレポートをお届けします。

2011年、震災の年から中西さんが欠かさず訪ねている相馬市。今回は、相馬の基幹産業でもある漁業にフォーカス。原釜港の漁師、菊地基文さんにお話を伺いました。



今なお原発事故の影響による「試験操業」を余儀なくされながらも、操業対象の魚種は主要魚種すべてにまで広がり、価格も概ね回復してきているという相馬の漁業。お話を伺った原釜港のあたりも、蔵のデザインの真新しい建物が並び、
去年再開した海水浴場など、海辺の風景はきれいに一変しています。

そんな中で、今日は菊地さんが一漁師として感じている“課題”について聞いてみました。


◆信頼関係が無いとそういう話って進まない

「菊)震災後、建屋とかそういったものって復旧事業でぼんぼんぼんぼん出来てきてはいるんですけど、まぁ将来的にはランニングコストだったり維持費っていうのが乗っかってくると思うので、だからそれまでにちゃんと自走してやってけるような形にはしておかないとダメなのかなと思ってます。
哲)あとは気になるのは汚染水をどうするかっていうが出てますけど・・・
菊)まあ当初言ってたのは、トリチウムのみが除去できない、そのトリチウムの放水をどうするかっていうのが問題だったと思うんですけど、それがいつのまにかトリチウムだけじゃないぞという話になり、そんな水はもう放出できないからじゃあどうすんだっていう話に変わってきて、やっぱお互い漁業者も電力事業者もこの先何年何十年の付き合いのあるかわかんないですけど、信頼関係が無いとそういう話ってホントに遅くなると思うんです。進まないっていう風になると思うんですよね。」



福島第一原発の汚染水については、当初、“除去できない放射性物質「トリチウム」を含む水を規準以下に薄めて海に放出する”という方向で話し合いが持たれていました。

トリチウムを含む水を規準以下に薄めて海へ流す処分は、じつは日本や海外の多くの原発で行われている処分方法です。むしろそれをどう周知してどう風評被害を防ぐか?の方が課題でした。

ところが去年夏の公聴会直前に、“トリチウム以外の放射性物質の残留”が発覚しました。

原子力規制委員会は、トリチウム以外についても、“希釈して法令規準濃度を下回れば海洋放出は問題ない”として、問題を公表しなかった理由を明らかにしたうえで、“海洋放出を容認する”としましたが、こうした政府、東電の隠ぺい体質への不信や、「長期保管も検討すべき」と反発が相次いで、処分方法を巡っては足踏み状態が続いています。去年の暮を最後に処分方法を検討する小委員会も開かれていません。

今後どのような処分方法が示されるのか、これは福島の海ではなく、日本の海のこととして、我々一人ひとりが考えなければならない問題です。完全にトリチウムだけになるまで再度浄化したうえで希釈して海洋放出する、出来ないのであれば長期保管の方法を考えるなど、漁師を、住民を、海の未来を守る賢明な判断が下されることを願っています。

『LOVE & HOPE』、明日も菊地基文さんのお話し、お届けします。

2019年3月19日

相馬市原釜漁港の漁師、菊地基文さんに聞く

引き続き、福島県相馬市からのレポートをお届けします。

2011年、震災の年から中西さんが欠かさず訪ねている相馬市。今回は、相馬の基幹産業でもある漁業にフォーカス。原釜港の漁師、菊地基文さんにお話を伺いました。



原釜をはじめ、福島の各漁協では、今も原発事故の影響で、「試験操業」という限られた形での漁を続けていますが、モニタリング検査で基準値を超える魚種は一切なく、現在、主要魚種のすべてが対象(つまり操業OK)となるまで回復してきています。そして“国より厳しい基準値”を設けて出荷するなど、風評被害の払しょくに努めてきた結果、価格も概ね回復してきているということ。

菊地さんはそんな状況の中、これまで6次化商品を手掛けたり、相馬の魚のPRイベントに参加したり、積極的に取り組んできた人物。いつも前向きで番組で取材を始めるようになった時から“悲壮感”みたいなものを一切感じたことが無い人でもあります。

あらためてそんな菊地さんに、震災からここまでの8年を振り返って思うことを聞いてみました。


◆「嫌だったことって、ほぼない」

「菊)いやもう8年かって感覚なんですけど、ただなんか震災って自分にとっては有意義な時間が増えたというか、やりたいことを形にする時間が出来たっていうような見方をしてて、自分はこの地域に何を落とし込めるんだろうとか、そういうことを考えてくと、まあ自分達も自分の子供たちの世代も、まあ面白く思ってもらえるような地域になるんじゃないかと思いますよね。いやでも自分が生まれ育ってきたこの“地元”っていうところを考えるようにはなったですよね。深く。震災前もそういうこと思ってもまあ何も行動に起こそうとかそういうこともなかったし、そういう意味では“動けるような自分になった”かなと思うんですよね、ただ基本的にこうなんでも楽しくやりたいタイプなんで事業でも何でも面白くないものやらないし、だから本当にこう嫌な事っていま思い出してもほぼなくて、だから性格に助けられてるってのもありますね。8年間・・・
哲)でもそういう菊地さんに僕も引っ張られてると思いますし、若い、漁師になりたいっていう人達っていうのも増えてきてはいるんですか?
菊)いや毎年10代の子とか入ってくる・・・今年でいうとうちの船に17歳の子が乗り始めたりとか、まあ全国的にいえば後継者不足ですけどそういう意味では相馬って漁師に魅力を抱く若者が多いってのはほんと誇らしいっていうか、そういう気持ちはあるんですよね。」



地域のことに対して深く考えるようになった”、そして考えるだけじゃなく、“動ける自分になった”・・・という菊地さんの8年。そしてその根っこには“楽しむこと”という単純明快なテーマがあって、そのスタイルこそが、新しい漁師の卵たちが次々と彼のもとにやってくるということにもつながっているのではないでしょうか。

『LOVE & HOPE』、明日も菊地基文さんのインタビュー、お届けします。

2019年3月18日

相馬市原釜漁港の漁師、菊地基文さんに聞く

今週は先週に続き、福島県相馬市からのレポートをお届けします。

2011年、震災の年から中西さんが欠かさず訪ねている相馬市。今回は、相馬の基幹産業でもある漁業にフォーカス。原釜港の漁師、菊地基文さんにお話を伺いました。



松川浦で生まれ育った42歳の若き漁師、菊地基文さん。番組では以前より継続して菊地さんにお話を伺っています。

松川浦はじめ福島の各漁協では、今なお原発事故の影響で「試験操業」という限られた形での漁を余儀なくされていますが、操業が始まった2012年には、たったの20種類だった水揚げできる魚種は、いま主要魚種すべての操業が可能なほど回復しています。

先日、漁を終えて船から上がったばかりの菊池さんに、まずはそんな相馬の漁業の「今」について伺ってみました。


◆「今は“日本一”の値が付くほどに回復」

「哲)今日漁に出られていたんですよね。もともとなかなかいろんな魚を引き揚げて売ることができない状況だったんですけど、だいぶ改善されてきた・・・?
菊)そうですね。震災前に水揚げしていた魚種のほぼほぼ90数%くらいは水揚げOKになってるんで。
哲)お値段の方は?
菊)ま需要と供給の関係もあって、ほかの港で獲れなければココの魚も高くなるし、魚によっては日本一の値段がついたりする魚種もあったり。たとえばこれからの時期だと小女子。小女子って西日本とかで最近不漁なんですよね。で逆にこっちの方はけっこう大漁で。だから築地の・・・いま豊洲か。の方でも一番の値が付いたっていう話も聞きましたね、この間。
哲)菊池さん、最初はちょっと難しいっていう話をされてましたけど、とはいえネガティブな感情はあまり持ってらっしゃらなくて、それが僕らにとってすごく頼もしかったんですけど、やっとこう“追いついてきた”っていうふうに見てもいいんですかね?
菊)そうですね。やっぱそういう大漁の魚を中央に出荷して、“福島県産の魚”ってだけ見られると、やっぱどうしてもつっつく人とか横やり入れる人とかいると思うんですけど、中央市場に出荷すると同時に、個人レベルでも首都圏に行ったり、全国いろんなところに行って、ちゃんと現状だったり、魚の魅力だったり、そういうことも同時にやっていけば、福島県産=魚種が豊富で美味しいっていうイメージに変わっていくんじゃないかと思いますよね。」



親潮と黒潮、寒流と暖流がぶつかる福島沖は、魚種が豊富で、“常磐(じょうばん)もの”と呼ばれる、いい魚があがる場所でもあります。福島県の漁協は、試験操業で上がる魚について、国より厳しい基準値を設けて、安全を確認したうえで出荷しています。試験操業を始めた頃は値が付かず、プライドを持ってやってきた相馬の漁師たちにとっては悔しい日々であったはずですが、それが今は日本一の値が付くこともあるほど回復しているということでした。

菊地さんはそんな厳しい状況の中でも、どこへ出しても胸を張れる魚を獲り、加工品も新たに手掛けるなど、様々な挑戦を続けて、相馬の海の復興をけん引してきた人。悲願の本操業再開へ向けて今も懸命に走り続けています。

『LOVE & HOPE』、明日も菊地基文さんのインタビューをお届けします。

2019年3月15日

3月23日、24日『女川町復幸祭』

今朝は3月23日、24日。宮城県女川町で行われるイベント『女川町復幸祭2019』をご紹介します
東日本大震災による大きな被害から、復興へ向けて前へと進んでいる姿を全国の人に見てもらいたい、という思いで2012年から行われてきた女川復幸祭。今年度で女川町の復興計画事業の全てが終わるということで8回目を迎える今回で、最後となりました。
そして今年も前日祭として、津波避難の大切さを伝承するための「女川復幸男」も行われます。

今朝は、地元町づくり会議のメンバーで、女川のかまぼこ屋「高政」の高橋正樹さんにお話し伺いました。

◆猊興の向こう側へ”
女川復幸祭3月24日(日)とその前日、23日(土)開催されます。サブテーマが今回でファイナルですので「復興の向こう側に、僕ら行くぞ」という思いを込めています。というのも女川町今年の3月で復興期8年が終わるので、復興期間が終わってそこが本当のスタートですので我々の門出のイベントにしたいなと考えています。復幸男はバーッと走って派手なイベントに見えるんですけど、津波から逃げるという当たり前の、命を守るということを伝えるという意味でも、1000年に一度の震災でしたので、1000年続けようとみんなで言っているんですけど何らかの形で後世に伝えたいなと思っています。女川復幸祭、外から来た人が楽しめるとしたらやはり食べ物です。女川はやはり海鮮丼、おかせいの女川丼とかとくに3月は春の食べ物、イサダとかコウナゴとか出てきますのでその辺も釜めしになったり丼ぶりになったり、うち高政も季節ものの商品いっぱい出ていますので、なかなか女川へ行ってみたいけど足が向かないという方はこういう機会にぜひ女川へ来ていただいて美味しい食べ物いっぱい食べていただいて。あと街が復興してきた空気を感じて頂きたいと思います。どうしても被災地というイメージで来られると違和感があるかもしれません。僕らは日常を取り戻して普通の生活で生きていくという復興期間終了後の僕らの生活もありますのでそれを明るい空気で迎えられて良かったと思っています。足を運んでいただいて女川町を堪能してください。よろしくお願いします。


津波避難の大切さを伝承するための「女川復幸男」は「逃げろ!」という掛け声とともに、高台まで長い坂道を全力疾走するイベント。
先着300名、女川復幸祭のサイトで受け付けています。

今年のテーマが 「復興のむこう側へ」。ここまで進化し続けた女川を感じることができる復幸祭、3月23日(土)〜3月24日(日)に行われます。
女川町復幸祭2019


【追記】
3月23日(土)〜3月24日(日)、無事に女川復幸祭が行われました。2月並みの気温という真冬並みの寒さの中でしたが、たくさんの方が訪れ、食べ歩きやステージイベントを楽しまれていました。真新しい街並みに漂う浜焼きのいい匂い、コンパクトにまとまったシーパルピアは街歩きもしやすく、来場者の楽しそうな笑顔が印象的でした。ラストの復幸祭になりましたが、きっと来春もリニューアルされ、さらにパワーアップした春のイベントが行われることでしょう。





2019年3月13日

震災から8年、相馬市を訪ねて 

今週は、福島県相馬市からのレポートをお届けしています。

2011年、震災の年から中西哲生が欠かさず訪ねている相馬市。今回は相馬市企画政策部長の宇佐見清さんに、市内の復興を象徴する場所をあらためてご案内して頂いています。

今日は「そうまIHIグリーンエネルギーセンター」です。



なぜかゴーカートに乗ってご満悦の中西さん。じつはこのゴーカート、「そうまIHIグリーンエネルギーセンター」にある、“水素で動くゴーカート”なんです。水素で発電して動く電気カートなんですが、子供が乗っても大丈夫なようにアクセル全開でも最高速度7キロ。大人が歩く程度のスピードです。水素から発電をする仕組みを子供たちに知ってもらうためのものなんです。どうりで中西さん、お尻が窮屈そう・・・

水素タンクと発電、蓄電施設が並ぶ、この「そうまIHIグリーンエネルギーセンター」、あらためてどんな施設なのか?伺いました。

「宇)震災後、再生可能エネルギー、とくに太陽光発電がものすごく急激に増えました。この施設はその太陽光発電を地産地消、作った電気は全部使っちゃいましょうという施設です。もう一つは将来の水素社会に向けた実証実験を行うという目的でできた施設です。再生可能エネルギーを利用するにあたっては、余剰電力をどうやって使っていくか?というのが課題になります。その余剰電力を、水素として保存する。で水素で利用する。たとえば水素を使って燃料電池を動かして発電をして、その電気を供給できる・・・そんな体制になっています。
哲)将来的に今ここで実現してるものをより大きなものにして街全体に行き届かせるということですか?
宇)街全体は大変かもしれませんね。ただこのエリア内でどこまで出来るか?っていうのはこの後の実証研究ということになってきます。それから市としては、とくに相馬の子供達。エネルギーとか新たなテクノロジーとか、そういうのを感じる、そんな場所にしていきたいなと思っています。」




 
“水素を活用したCO₂フリーの循環型地域社会づくり”をテーマに実証研究を重ねているのが、「そうまIHIグリーンエネルギーセンター」。

すでにここで作られた“太陽光発電の電力”を下水処理場に供給。その“余剰電力で作った水素”をタンクに保存して、もし災害などで電力供給が絶たれた時は、その水素で発電をして、隣の光陽サッカー場にある復興交流支援センターに送電する仕組みが出来ているといいます。

“子供たちの学びの場”としてはもちろんですが、再生可能エネルギーの拠点施設としての成果も期待したいと思います。



『LOVE & HOPE』、明日も引き続き、相馬市の復興を象徴する場所のレポートをお届けします。

2019年3月12日

震災から8年、相馬市を訪ねて 

今週は、福島県相馬市からのレポートをお届けしています。

2011年、震災の年から中西哲生が欠かさず訪ねている相馬市。今回は相馬市企画政策部長の宇佐見清さんに、市内の復興を象徴する場所をあらためてご案内して頂いています。

今日は「エル・システマジャパン」と「相馬子どもオーケストラ」について。

子供たちを犯罪や非行から守るのを目的にベネズエラで始まった音楽教育プログラム「エル・システマ」は、震災後の2012年に「エル・システマジャパン」を立ち上げ、相馬市、岩手県大槌町、長野県駒ケ根市、そして東京の4都市で活動を続けています。いま相馬市では約150名の子供たちが参加しているということですが、その練習の様子を見ながら、お話を伺いました。


「宇)エル・システマジャパン、子供たちが音楽を通してたくましく成長、それから子供たちを中心に地域が活性化していく、そんなことを目標に出来た団体なんです。で今日はですね、小さい子供たちのレッスンがいま行われています。このあと、3月23日24日、「子ども音楽祭」が開催されます。これに向けての練習ということです。第5回目の「子ども音楽祭」、今年はオックスフォード大学の管弦楽団も出演して頂ける。期待しています、私も。
哲)じっさいもう5回目ということで、ここまでも数々、世界的な素晴らしい楽団とコラボレーションしたり・・・
宇)あのベルリンフィルともジョイントしたことがある・・・ベルリンフィルですよ。サッカーだったらレアル??そういうところと相馬の子供たちが一緒に音楽を奏でる・・・もともと相馬市内に管弦楽をやってる小学校があったんです。それから合唱なんかも結構盛んだったんですね。それが土壌にはなっていたと思います。相馬の子供たちにとっては、一つは音楽って共通言語。それからトップの皆さんの演奏とか、指導を受けられる。これは今までになかった環境ですね。」




被災地の子供たちを音楽で励まそう!というエル・システマジャパン。もともと音楽が盛んだった相馬市にはこれがいい形で結びついているのでしょう。5回目の「エル・システマ子ども音楽祭」は、3月23日・24日、相馬市民会館で行われます。

「第5回エル・システマ子ども音楽祭in相馬」


“相馬子どもオーケストラ”の演奏のほか、オックスフォード大学の管弦楽団も参加するということ。お近くの方は足を運んでみてください。

『LOVE & HOPE』、明日も引き続き、相馬市の復興を象徴する場所のレポートをお届けします。

2019年3月11日

震災から8年、相馬市を訪ねて 

今週は、福島県相馬市からのレポートをお届けします。



2011年、震災の年から中西哲生が欠かさず訪ねている相馬市。その当時の、瓦礫や崩れた家々、松川浦に浮かぶ家や車といった津波の爪痕は、今も彼の記憶にはっきりと残っているといいます。




毎年、夏の風物詩である「相馬野馬追」の時には相馬を訪ね、野馬追を観覧し、光陽サッカー場でサッカー教室を開くのが恒例となり、町の復興も同時に見続けてきたわけですが、一年一年、見違えるようにきれいになっていき、むしろ震災前よりも良い町が出来上がっているんじゃないか?と思うほど。

今回は2011年からずっとお世話になっている、相馬市企画政策部長の宇佐見清さんに、市内の復興を象徴する場所を、あらためて案内して頂きました。



原釜の「相馬市伝承鎮魂祈念館」で待ち合わせ、そこから見える工場群、去年再開した原釜海水浴場、景観を壊さない程度の堤の向こうに見える真新しい住宅について話を聞き、祈念館では2011年の相馬の被害の様子を見学。

そして次に向かったのは、平成25年に出来た相馬市の防災備蓄倉庫、その名も、「相馬兵糧蔵」です。

「宇)そこに見えるのが水。2ℓのペットボトルで18000本。それから毛布も7000枚。この程度を備蓄しています。震災の時にいろんなご支援を我々頂きました。そういうご支援をまず忘れないように。それから何かあった時には速やかにお返しをしましょうと。とくに防災協定を結んでいる自治体、いま14ございます。それからご支援を頂いた自治体はもっともっとあります。一つにはこの備蓄の目的は市民のため。それからもう一つはいま申し上げた自治体に何かあった時に速やかに可能な範囲でご支援をすると。そのような目的で作ってあります。
哲)じっさいすでに起こった災害に対して、ここからすでに送ってらっしゃるんですよね?
宇)もうすでにたとえば熊本地震、総社市、倉敷市、胆振東部もありました。
哲)そして災害の時に命を落とされた消防団員の方々の碑もありましたけど、ここに遺していくことで教訓にということもあるんでしょうか?
宇)災害が起きた時にまずいちばんに地元にいらっしゃる方、消防団の役割っていうのはものすごく大きい。で、そういう方々がじっさいに10名の方が亡くなりました。英雄化する必要はないと思いますけど、やはりその精神は尊い。これは語り継いでいかなければいけない。そんなことで碑も建てたところです。」





殉職した10名の消防団員の顕彰碑、それは相馬市民や、各地の消防団などの寄付で建てられたのだそうです。

ここには有事に備えての備蓄のほか、太陽光発電パネルや非常用発電機、ヘリポートなどを備え、防災教育研修施設としての役割も担っているのだそうです。

相馬中村藩時代を思わせる「相馬兵糧蔵」という名前は、じつは市民の公募で決まったのだとか。カタチもまさに蔵そのものです。

『LOVE & HOPE』、明日も引き続き、相馬市の復興を象徴する場所のレポートをお届けします。

2019年3月8日

あの日から8年、メッセージ募集

東日本大震災からもうすぐ丸8年。あの震災があなたに与えた影響はなんですか?
番組ではあなたからのメッセージを募集しています。
改めてあの日を振り返り、あの日から今に繋がっていること、あの日をきっかけに学んだこと、出会い、仕事や進路への影響、防災・減災についてなど。また被災地の皆さんからも、復興への想い、伝えたいメッセージをお待ちしています

抽選で10名様に、サポートアワーキッズへのチャリティ商品にもなっているタリーズコーヒーのドリップバッグをプレゼントします。

2019年3月7日

南相馬市 上野敬幸さん(10連休の菜の花迷路)

福島県南相馬市の、上野敬幸さんの「いま」お伝えします。

上野さんと「福興浜団」は、今年もご自宅前の土地を使った「菜の花畑の迷路」の準備を進めています。津波で失った永吏可(えりか)ちゃん、倖太郎(こうたろう)くん、そして、遊びに来るたくさんの子どもたちの「笑顔」のためのこの企画。今年はなにしろ、ゴールデンウィークが10連休ということで・・・どうなるんでしょうか?

◆10連休は全て実施
ゴールデンウィークが今年は10連休になると言うことで10連休中はすべて迷路。迷路を閉める日はないです。僕らもずっと付いて、イベントとして10連休中全てやろうと思っているので、お天気に恵まれれば楽々10,000人を超えていくだろうし、と思っていて。今からそのプレゼントの購入だったり、子どもたちの道の誘導だったり、最低1日20人以上が必要になるので、ボランティアとして10連休中すべていてもらう事は不可能だと思うし難しいので、延べ200人をどう調整していくかを考えながら、もうちょっとしたら準備に入ると思います。大変ですけれども、笑ってもらえることがどんなに嬉しいか。やはり子どもたちが笑って、菜の花を走ってくれる姿が見られるというのは逆に僕が幸せ。それがすごく嬉しいし、幸せだと思うから大変だけれどもそれもまた楽しく感じますよ、迷路作りも、大人が泥だらけになりながらやっていて、それが結果子どもたちの笑顔になって、ということを考えるとそんなに苦にはならない。どちらかというとワクワクしてしょうがないですけどね。気を揉んでますよそろそろ(笑) 楽しいので。そのほうが大きいですかね。


★福興浜団ブログ
★福興浜団Facebook

2019年3月6日

南相馬市 上野敬幸さん(笑顔のために)

福島県南相馬市の、上野敬幸さんの「いま」お伝えします。

津波でご両親と、まだ幼かった2人のお子さんを失った上野さんは、この8年、ご自身の家族のため、そしてつらい経験をした人たちのために
継続的に行っている活動があります。

それが、上野さんのご自宅前の土地を使った「菜の花畑の迷路」、そして夏に行われる、「追悼福興花火」です。

いずれも自分たちで資金を集め、ボランティアの方々と手弁当で続けているもの。こうした活動を続けること。その意味を上野さんはこう考えています。

◆みんなの笑顔のために
一番最初は当然、自分のわがままでスタートしたと思っているんです。永吏可(えりか)と倖太郎(こうたろう)に花火を見せるには、ここで上げるしかないと始めていたので。翌年からは2000発で追悼復興花火という名前はついていますけれども、喜んでもらえればそれで良いんですよ。菜の花も花火もそうですけれども、震災の時にあげた花火ではみんな泣いていて、翌年も当然泣いている人たちもいましたけれどもその中で子どもたちがはしゃいでいたり、そういう声が聞こえたりだとか、そういった部分で笑顔というのにすごくこだわるようになってきたと思うんですよ。自分が今できる事は何なのかなと思って、親父、お袋、永吏可、倖太郎・・・自分の場合だと4人がいて、俺が辛そうな顔をしていたりだとか、泣いてばかりしていると上から心配で見ているんだろうなと思っていて。そう思った時に天国でみんなにはゆっくりしてほしいので、そしたら俺が笑うことだったり、こういった場所で笑顔が生まれることでしか、亡くなった人たちを安心させる事は出来ないんだろうなと思って。そういうふうに考えるようになってすごく笑顔にこだわって、今は花火だったり菜の花だったり、喜んでもらおうと思ってやっています。


今年も、南相馬・萱浜地区で、上野さんは菜の花畑の巨大迷路づくりにすでに取り掛かっています。ゴールデンウィークの10連休に、子どもたちがめいっぱい遊べる菜の花迷路がまた、登場する予定。詳しくは福興浜団のFacebookなどを御覧ください。

★福興浜団ブログ
★福興浜団Facebook

2019年3月5日

南相馬市 上野敬幸さん( 震災から8年)

福島県南相馬市の、上野敬幸さんの「いま」お伝えします。

2011年の津波でご両親と、まだ幼かった2人のお子さんを失った上野さん。あの日から8年が経とうとする今も、「福興浜団」として、子どもたちを笑顔にするための様々な活動を、ずっと続けています。

一方、その間にも、日本では大きな災害が何度も起こりました。上野さんは、この8年の間に起きた災害について、こんな想いを持っていると言います。

◆自分の命、家族の命と向き合って欲しい
鬼怒川で思い知ったというのがあるんですよ。東北の震災と言うものが、みんな教訓にされているものだと自分で思っていました。だけどあの鬼怒川を見たときに全く違かったじゃないですか。前の日から「雨が降りますよ」とあれだけ言っていて、あんな川のそばに人が残っているんですよ。目の前が川なのに。全く教訓にされていない。去年も西日本でたくさんの方が亡くなってしまいましたけれども、それを見るたびに悔しくてしょうがないわけですよ。悲しいとか大変とかそういうわけではなくて、悔しくてしょうがない。自分の家族の命が、永吏可(えりか)と倖太郎(こうたろう)、親父とおふくろの命は何の意味もなかったなと。無駄になったような気がしてしょうがない。東北の20,000人弱の人々の一番の喜びは、何かが起きたときに死者がゼロということだと思うんですよ。手遅れになる前に逃げて欲しい。避難した結果何もなかった、よかったね〜でそれでいいじゃないですか。そういう風になってほしいと思っているので、教訓に全くされていない意識の低さ。それがすごく悔しくて3月11日は教訓として、命という部分と、別に東北の命と向き合う必要はないです。自分の命と自分の家族の命と、向き合ってほしい。そういう日になればいいなと思っていますよ。

2019年3月4日

南相馬市 上野敬幸さん( 萱浜で初の海上捜索)

福島県南相馬市の、上野敬幸さんの「いま」お伝えします。

上野さんは、2011年の津波でご両親と2人のお子さんを失いました。お父さんと、当時 幼稚園入園直前だった長男・倖太郎君はいまも行方がわかっていません。番組では上野さんのその後を、継続的にお伝えしています。

先月、2月23日。上野さんのご家族が被害にあった萱浜(かいはま)地区で福島海上保安部による海の捜索が行われました。震災からまる8年を前に、ようやく行われた捜索。上野さんは、浜からそれを見守りました。

◆震災から8年、初めての捜索
今日は海保の海底捜索ということで、ダイバーが来て初めて萱浜の海に潜ってもらいました。今日はあいにくの天気というか、風が強くて、波が強くて視界も30センチくらいしか海底では見えないとということで、午前中に1時間くらい潜って午後の捜索は中止になりました。萱浜で30名がいまだ行方不明の状態で、何かひとつつでも手がかりがあればと言うことで潜ってもらった。今回は小高地区の人たちが署名を集めたのかな。そんな話で潜ってほしいとスタートしたみたいですけども、そこで初めて海保に話がいったんだと思うんですよ。それがなければ潜らなかったと思いますし、それに関して僕は黙っては見ていましたけれども、まあ、うれしかったですよ、正直本当に。なんていうんだろう、海保もただ潜るのではなくて海に献花をしてくれたりして。献花をして黙祷をして。それを見ているだけでもすごく嬉しくは感じましたけれども、そこから先、次があるのか、また1年経ってしまうのかわからないですけれども、長い目で、別に焦ってはいないので、海保さんの都合で僕は良いと思っているので、都合が良い時に来てもらって、もしまた捜索をやりますよと言うのであれば、また一緒に海から見ていようと思います。


萱浜地区で初めて行われた海保の捜索は、海の状況も厳しく、大きな手がかりを得られることはなかったといいます。遺族の要望を受けた捜索は翌日も別の地域で行われましたが、こうした捜索は、なかなか行われることも少なくなっているのが現状です。ただ、震災から8年が経った今もおよそ2500人が行方不明のままとなっています。

2019年3月1日

The 9TH SUPPORT OUR KIDS CHARITY GALA PARTY

今朝は、東北の中高生の海外ホームステイを支援するプロジェクト、「サポートアワーキッズ」がこの春に行うパーティーについてご紹介します。

番組で度々ご紹介しています、この「Support Our Kidsプロジェクト」。2011年6月に、「被災児の自立支援」、「復興のリーダーづくり」を目的に発足。世界11ヶ国の大使館や外務省と連携して、「海外ホームステイを通した被災児の自立心育成活動」を実施、これまでに海外に渡った子ども達は、去年11月までで404名を数えます。

これに参加した子供たちは、帰国後、自発的に、復興プロジェクト、「HABATAKI」を発足させて、ネパール地震や熊本地震で被災した、同世代の人たちを東北に招くなど、自ら支援活動にも乗り出しています。

そんな「サポートアワーキッズ」がこの春に行うのが、「The 9TH SUPPORT OUR KIDS CHARITY GALA PARTY」です。

今年は、アイルランド、オーストラリア、カナダ、スイス、ニュージーランド、フランスの大使館が、東北学生の受け入れを表明。各国に最大10名ずつ送ることを目的に開催されます。各国の大使館に加えて、東北から学生も参加、
参加者に向けてのプレゼンテーションを行うほか、3.11をきっかけに生まれた歌「名も知らぬ花のように」を唄う、Yaeさんのチャリティライブも行われ、これにはお母さんの加藤登紀子さんも出演。また毎年注目度が高い恒例のチャリティオークションには、ラグビーW杯が日本で行われるということで、元ニュージーランド All Blacksのキャプテン リッチー・マコウ選手が実際に着用したサイン入りオールブラックストレーニングジャージ、そしてビートルズのポール・マッカートニーとリンゴ・スターのWサイン入りギター、エド・シーランのサイン入りギター、テイラー・スイフトのサイン入りマイク、サッカー界からはロナウジーニョとプジョルのWサイン入りバルセロナユニフォームなどなど、レアなアイテムが50品以上出品されます。

3月12日(火)、東京・目黒、「八芳園」で開催。会費は一席20000円。もちろんこの会費は、必要経費を除いて、「Support Our Kids」の被災児童自立支援活動に充てられます。

参加申し込みは「Support Our Kids」オフィシャルサイトからお願いします。

パーソナリティ 鈴村健一

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TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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