2019年6月28日

福島県大熊町 佐藤信康さん3(大熊のこれから)

引き続き福島県 大熊町の「いま」をお伝えします。

およそ8年ぶりに一部地域で避難指示が解除された大熊町。6月に、災害公営住宅への入居がはじまり、町は、再生へ一歩を踏み出したところです。

ただ、今回取材した大熊町大川原地区は、役場の近くに仮設のコンビニが1軒。それ以外にお店は見当りません。生活に不便はないのでしょうか。大熊町・大川原地区の佐藤信康さんに聞いてみました。

◆不便さは感じない
大熊全体で言うと不便かもしれないんですけれども、大川原ってもともとこんな感じなんですよ。買い物にしても近くにスーパーが全然ないですし、富岡のほうに買い物に行っていたのは前から変わらないんですよね。買い物って毎日するわけではないので。こちらの人って家の冷蔵庫はデカめで、1週間分をまとめて買ってきたという感じでそんなに頻繁に買い物に行くわけでもないので。割と特に変わらないです。


大熊町役場によりますと、7月には生活雑貨店と家電店が新たにオープン、また町の復興計画では2021年に商業施設や交流施設、宿泊・温浴施設も造られる予定!徐々に賑やかになっていくといいます。また、大川原地区は医療機関がまだないため、隣町の富岡の病院へ行ける巡回バスの運行も始まっています。

一方、放射線量についてはどうなのでしょうか。

◆山のほうの線量は高いが・・・
(話:佐藤信康さん)ここは1回除染していただいているので線量的には全然ないですね。ただ山のほうに行くとそれなりに数値が高いので。(山に入るなと言われますか)いや、別に。用があるなら入るかなという感じで。私はもともと狩猟をやるので山に入りたいんです。(狩猟こそダメなんじゃないですか) 食べられはしないので、今そこで罠をかけていますけれども有害獣の駆除という形ですね。ここのキウイも去年は実がなったので測ったら全然(線量が)出なかったので全然食いましたよ。


いま39歳の佐藤さんは、「大熊町以外の選択肢が考えられなかった」と、当然のこととして、街に戻ってきた方です。

ただ、町に戻ってきた方 と これから戻る見込みの方のうち、6割は高齢者世帯。そして、大熊町が行った最新の調査では町民のうち今後、町に「戻りたいと考えている」14.3%、「まだ判断がつかない」28.4%、「戻らないと決めている」 55.0%。

温浴施設ができるなど前向きな話題も多いのですが、お年寄りが住みやすく、若い世代が戻ってくるための「働く場所」「子育ての場」など、今後も解決すべき課題は多いようです。


※佐藤信康さん(左) 父親の佐藤定信さん(右)

2019年6月27日

福島県大熊町 佐藤信康さん2(いちご植物工場)

引き続き福島県 大熊町の「いま」をお伝えします。

原発事故以降 およそ8年ぶりに一部地域で避難指示が解除され、災害公営住宅への入居もスタート。大熊町は、町の再生へ一歩を踏み出したところです。

中でも大きなトピックが、町の新たな事業 イチゴ栽培の植物工場です。最新の技術で作られた安心安全なイチゴを新たな産業として成長させようとしています。

お話を伺った佐藤信康さんは、大熊町役場の職員からこの植物工場を運営するネクサスファームおおくまに転職した方。町の新しい産業に期待を寄せています。

◆「雇用」が町にもたらすこと
一番最初の農作業の足がかりになるのかなと。あとは雇用ですね。復興公営住宅に入居される方がたくさんいると思うんですけれども、入っただけでずっと家の中にこもっていても意味がなくなってしまう。そういった方々が働く先が必要になってくるということもあると思うんですよね。高齢の方も多くフルタイムは難しいと思うので、イチゴの摘み取りや手入れ作業に来ていただく形で、1日数時間でもパートで入っていただければ当然こちらとしてもありがたいですし、働く先があれば家にこもってテレビを見ているだけじゃなくて、「今日も仕事行かねっかなんね」と家から出る場所にもなるかなと思っています。


佐藤さんは、生まれも育ちも大熊町。避難指示解除後はいちはやく大熊へ戻り、4月からの新しい職場にも、やはり大熊を選んでいます。佐藤さんが地元にこだわる理由とは。

◆戻るのが普通だと思っていた
最初からイメージがわかなかったんですね、自分が「他の場所」に暮らしているイメージは。なので、震災で避難した直後から、いつ帰れるかなと。解除になれば当然戻ってくるのが普通だなということで戻ってきただけなんですけど。(奥さんは?)一緒に暮らしているので。(帰ることについて意見は?)2人とも変わらないですね。妻は震災後に知り合っているので。もともとは千葉から復興支援員として町に来た方なんですけれども、お母さんがもともと隣町の双葉出身で、昔からこの双葉郡の方には夏休みでも冬休みでも長期休みの時には、ばあちゃんちに遊びに来ていたというので、縁もないというわけではなくて。



※佐藤信康さん(左) 父親の佐藤定信さん(右)

ちなみに佐藤さんが働く植物工場は春の時点でおよそ10人ほどの方が社員として働いていて、その多くが20−30代の若い世代とのこと。佐藤さんもまだ39歳。若い世代がこうして活動しているというのは町にとって良いことですが、一方、災害公営住宅に入居した方の多くは年配の方。今後は、大熊に戻って生活する高齢者の方の生活のケアも課題です。

明日もこの続きをお伝えします。

2019年6月26日

福島県大熊町 佐藤信康さん1(いちご植物工場)

きょうは、福島県 大熊町の「いま」をお伝えします。

大熊町は、廃炉作業中の福島第一原発が立地する町。住民およそ1万人の大半は、いまも県内外で避難生活が続いています。
一方、今年4月には一部地域で避難指示が解除され、役場の新庁舎も完成。6月には、帰還希望者雨の災害公営住宅への入居も始まりました。



そんな大熊町でお話を伺ったのが、佐藤信康さん(39)。避難生活を経て、いち早く故郷での生活を再スタートさせた方です。

◆植物工場が完成
私たちは一番最初に(避難したのは)猪苗代ですね。あちらのほうにお世話になってそのあと新潟のほうに行きました。姉とか小っちゃい子がいたので、遠くに行った方が良いということで。それから1ヵ月ぐらいして、役場が本庁舎を置いたので会津のほうに戻ってきたんです。以前は仕事が役場の職員だったんですよ。そして準備宿泊が始まるちょっと前のタイミングで大川原の連絡事務所が開所したので、勤務先の変更ということでそのメンバーとしていわきから大川原のほうに帰ってきまして。新庁舎ができるタイミングで、植物工場ができたので退職して植物工場のほうに勤め始めたということです。


この「植物工場」というのが、大熊町が出資して今年4月に完成したばかりの、イチゴの栽培施設です。佐藤さんはこの施設を運営する会社、「ネクサスファームおおくま」のスタッフとしてこの春から働き始めたばかりだそうです。

◆大熊復興の足がかりに
(イチゴ栽培の仕事に転職した理由は)単純に面白そうだなというのがあったんですよ。今はこういう状況で、当然作物、農産物は作れない状況なので、そんな中で、植物工場でイチゴを作るということであれば、一番最初の農作業の足がかりになるのかなと。誰もここで食べ物を作るというのはあまり感覚的に持たないと思うんですけれども、使っているものも大熊の土を使ってどうのこうのということではなくて、高設養液栽培という形ですね。高い場所に設置してあるので「高設」、「養液栽培」というのはチューブでちょっとずつ水分を与えてあげて、イチゴの苗自体はポッドの中に入っているんですが、そこは土じゃなくて培地と言うんですね。ヤシガラやゼオライトをブレンドした土で、4月1日に始まったばっかりで収穫自体はまだなんですよ。


このイチゴ栽培を行う植物工場は完全屋内(ハウス栽培)、温度や湿度、光やCO2などの環境はコンピュータ制御、最先端の技術で安心・安全なイチゴを生産できる施設となっています。8月には、いよいよイチゴが初出荷される予定だということです。

明日も大熊町の復興の足がかりとしても期待の大きいこの植物工場についてお伝えします。

2019年6月25日

大船渡「スリーピークスワイナリー」の及川武宏さん?

今朝は引き続き、岩手県大船渡市に「スリーピークスワイナリー」を立ち上げた、及川武宏さんのお話しです。



大学卒業後にワーキングホリデーで訪れたニュージーランドでワインツーリズムの魅力を知り、衰退していく大船渡でこれが出来ないか?と考えていた及川さん。震災で故郷が大きな被害を受けたのを機に、東京からUターンして、2013年にワイナリーを立ち上げました。

ただブドウは畑を作っても収穫できるまでは何年もかかります。しかも大船渡というブドウづくりが盛んとはいえない土地で。難しさもとうぜん、あったと思うんですが・・・


◆敵は「やませ」

「そうですね、うちの畑があるあたりは、それこそシカの被害とかそういった被害だけで、とくにそこまで課題はないかなと思うんですが、いちど海の近くに植えたことがありまして、その時は“やませ”が吹いて、“やませ”が吹くと日照時間がけっこう減少しますので、そこであまり育ちが悪かったなっていう印象がありますね。その畑は3年でやめて移し替えたり廃棄したりっていう感じにはしましたね」



 

シカや虫の被害、それに大船渡特有の気候も何とかクリアしてブドウを収穫。去年完成したばかりのワイナリーで仕込み、立ち上げから7年目にしてようやく、“完全大船渡産”のワインが初出荷されました。限定100本の“初モノ”は即完売でしたが・・・。

昨日のコメントの中で、“ワインの出来は良い”と話していた及川さんですが、初出荷を終えて見えてきた課題、そしてこれからについて聞いてみました。


◆「いつか『甲州』をやりたい」

「去年の反省点としては、ブドウに関してはどうしても糖度が上げきれなかったっていうところがありますし、シカですとかハチですとか、そういった被害を防げなかったっていうのがあるので、その対策を今年もう既に始めていたりしています。あとはブドウの収量がどうしてもまだ少ないので、で、栽培面積もまだまだ足りないので、今年はちょっと難しいんですけど、来年、出来れば2倍3倍ぐらいまで広げてきたいなという風には思っていますね。やっぱり僕自身、どうしても“甲州”をやってみたいという思いがあってですね、やはり日本の品種ですので甲州の畑を大きめに作りたいなというふうに考えてます」



 

畑を広げて、日本産ワインのエースの品種である「甲州」を育てて、まずは自社製品のラインナップや生産規模を拡大していきたい。そしてワイナリーでは製品の展示、販売のほか、地元の子供たちなどへ向けた“工場見学”をすでに始めている。これもじつは及川さんが“ワイン文化”を地域に根付かせるため、やりたいと言っていたこと。それらすべての先には“大船渡、東北沿岸にワインツーリズムを広めたい!”という及川さんの思いがあります。



そんな「スリーピークスワイナリー」の商品は、オンラインでも購入できます。ぜひ「スリーピークスワイナリー」のオフィシャルサイト、チェックしてみてください。

2019年6月24日

大船渡「スリーピークスワイナリー」の及川武宏さん?

今日と明日の2日間は、岩手県大船渡市に「スリーピークスワイナリー」を立ち上げた、及川武宏さんのお話しです。



以前にもこの番組で取り上げた「スリーピークスワイナリー」。東京で仕事をしていた及川さんが、震災後に故郷の大船渡に戻り、大船渡と東北沿岸部に“ワインツーリズムを根づかせよう”と、2013年に立ち上げたワイナリーです。

まずワインを仕込むためのブドウ畑を始めますが、ブドウは実をつけるまで何年もかかります。そこで近隣で採れるリンゴを使ったシードルや、甲州産のブドウを使ったワインを委託製造のような形で作って、これまで販売していました。

去年、念願だったワイナリーが大船渡市の新市街地「キャッセン大船渡」に完成。秋に収穫したブドウで、ついに“完全大船渡産”のワインが出来上がりました。


◆「『ウルッ』より『ホッ』」

「まあ1年間、去年の5月にオープンしまして、実際に醸造をスタートしたのが10月ぐらいからなんですけど、で、ある程度1年間分の、本数的にはフルボトルで8000本から9000本ぐらいワインとかシードルを作ることができましたので、これから販売していくというような感じですね。自社製品として初めての。本来はシードルをメインで作っていく予定だったんですけれども、途中でリンゴの香りとか味がいいなという風に感じまして、りんごのワインも新しく新商品として作ってます今は。そうですね、ワインの方はやっぱり5年かけて作ったワインっていう、ちょっとウルッとくるかなと思ったんですけどそんな感じもじつはなく、ホッとした感じがすごくあってですね、やるやるって言ってきまして、でもおととしは結局収穫できずに終わりましたし、本当に収穫できるかなというのを毎年毎年勝手にプレッシャーを感じてやってたんですけど、ようやく一本目を何とか完成させたっていう思いですね。でウチは基本的には補糖しないで作ってますので、アルコール分はすごい低いんですけど、シャルドネの複雑な感じとかフルーティーなグレープフルーツとかそういった香りも感じられるので、いい出来ではないかなと思います。リンゴに関してはですね、自分の中でどういうシードルがいいかなっていうのをじっさい今も試行錯誤中なんですけど、何て言うんですかね今までもこのシードルを飲んで頂いた方にはすごく“ドライでキレのあるシードルっていう印象が強い”っていうふうに聞いておりましたので、そっちで僕も間違いないかなと思って、ドライですごくキレがあって、若干余韻がしっかり残ってるようなシードルを、少しずつ自分の理想に近づいてきてるかなという感じですね」


 


立ち上げから7年目にしてようやく完成させた“完全大船渡産”のワイン。第一号となる「シャルドネ」は、大半がこれまでの支援者たちへ贈られ、先日、100本が限定販売となりましたが、一瞬で完売。

もう一つの看板商品である「シードル」を鈴村さんに試飲して頂きましたが、これが超ドライ。大船渡の代表的な海鮮、たとえば牡蠣やサンマにも合うよう甘さを抑えて食中酒としてもイケるシードルです。

その他、リンゴのワインなど「スリーピークスワイナリー」の商品は、オンラインでも購入できます。気になる方はぜひチェックしてみてください。

『LOVE & HOPE』、明日も及川さんのお話し、お届けします。

2019年6月21日

秋保ワイナリー(3)


今朝も宮城県仙台市の『秋保ワイナリー』のレポートです。

秋保ワイナリーは震災後、“ワインと食のマリアージュを通して宮城の食をサポートしたい"と4年前にオープン。「秋保温泉」からすぐの高台にブドウ畑が広がっています。

また、ワイナリーの地を散策しながら食や文化を楽しむ「ワインツーリズム」も始まっています。秋保ワイナリーのオーナー、毛利親房さんに伺いました。

◆テロワージュ東北
実は宮城県でワインツーリズムを最初想定していたんですけど、ワインツーリズム東北でやりたいよね、という話になって。もう1つ日本酒の酒蔵さんともこのマリアージュの食事会をやるんですけど、東北は日本酒もビールもウイスキーもワインも作っているんです。なので地元のお酒と地元の食材と生産者のストーリーをちゃんと伝えようという動きが徐々に広がってきていて、『テロワージュ東北』という名前のプロジェクトなんです。これは造語なんですけどフランスの気候風土とそこの人の営みを表す「テロワール」という言葉があるんですね。それと「マリアージュ」これは食とお酒のペアリングやマッチングの意味合いですけど、産地に行って食べるマリアージュが究極なマリアージュですよ。食べて巡る旅の提案を一緒にしていこうと。今「テロワージュ東北」の中には「テロワージュ青森」から「テロワージュ福島」まで6つあって。テロワージュ宮城の中には「テロワージュ秋保」や「テロワージュ南三陸」があったり各地いっぱいあるんです。これがどんどん増えてくると、旅の提案をしてくれるコンシェルジュが必要になってくるんですけど、今はその部分を人工知能でやろうと、AIのコンシェルジュサービスをその中に取り込んで、その旅人に最適な旅のプランを提案していく、しかも多言語に対応して。ということもその中でやろうとしています。


『テロワージュ東北』。目標としてはAIのコンシェルジュが東北6県で1000や2000のコンテンツを用意し、その中から「あなたに最適な旅のプラン」を提案する、そんな構想とのこと。「東北の魅力を全国に発信して多くの人に来てもらいたい。」毛利さんのチャレンジはこれからも続きます。


★今回、秋保ワイナリーのワインをご好意で送っていただきました!次回は現地で食とのマリアージュ楽しみたいですね!

秋保ワイナリーのサイト
公式facebook

2019年6月18日

秋保ワイナリー(2)

今朝も、宮城県仙台市に2015年にオープンした『秋保ワイナリー』のレポートです。

もともと設計事務所に勤めていたオーナーの毛利親房さん。震災前、女川の温泉施設「ゆぽっぽ」を担当されていたことがきっかけで支援活動に参加。「地元でワインを作って地元の食を応援したい。」と秋保温泉郷にワイナリーをオープンさせました。

◆ “ワインと食のマリアージュ”を通して宮城の食をサトートしたい
秋保ワイナリーは震災があって一次産業の漁師さんや農家さんの食のサポートをしようというので立ち上がったプロジェクトで、ワインというのが食との結びつきが強いので “ワインと食のマリアージュ”を通して宮城の食をしっかりPRしていこうと。
もう1つ、実は宮城県にはワイナリーが1社だけあったんですが東日本大震災の津波で流されて、社長さんも亡くなって宮城県のワイン産業が途絶えたんです。そのワイン産業を復活させるというのと、担い手を育成してワイナリーを県内に増やしていこうというのでうちが研究施設になって、県からも予算をいただきながら担い手の育成をしています。


秋保ワイナリー、現在はワインづくりの担い手を育成する「宮城ワインアカデミー」の研修の場ともなっています。この日、畑に現れたカナダ人も、毛利さんの元で勉強して自身のワイナリーを立ち上げた一人。なんとその方、仙台在住の4ピースバンドの、あのフロントマンでした。

◆仙台在住の4人バンド、ワインが大好きなカナダ人とは!?
ブ)Good morning!元気?
毛)今年から秋保でブドウ畑をオープンするカナダ人の方なんですけど、2年前からうちでワインづくりをやってその移植と新しくブドウを植えるという。
ブ)ブレイズです。よろしくお願いします。
スタッフ)ブレイズさんは日本へ来て何年?
ブ)今年で19年になりますね。カナダ人で、まずは音楽活動でハイブリッドバンドを、二人兄弟でお兄さんと。
す)…もしかして!?
ブ)はい、その人です!笑 ワインのことがすごく大好きで毛利さんが5年前からスタートして、every year 毎年レベルアップしているので、とくに今年めちゃくちゃ美味しくなりますね。うまみがいっぱい入っているので、日本のローカルの料理に合うワインを頑張って作ろうかなと思って。


なんとこの方、仙台在住、Monkey Majikのブレイズさんでした!ブレイズさんの作る、宮城のローカルフードに合うワイン、飲んでみたいですね。
こうしてワインづくりの担い手が育成され宮城県では現在2ヶ所のワイナリーが、2020年までに5ヶ所になる予定とのことです。

ブレイズさんの畑づくりの様子はインスタで見られます。コチラ

秋保ワイナリーのサイト
公式facebook

2019年6月17日

秋保ワイナリー(1)

今週は、震災後に東北各地に誕生した“ワイナリー”についてお伝えします。

近年、日本各地でワイン造りが盛んになってきていますが、東日本大震災で被災した東北3県でもブドウ畑が生まれ、ワインの醸造がおこなわれています。その中、いち早くワイン造りに乗り出したのが、2015年にオープンした「秋保(あきう)ワイナリー」。オーナーの毛利親房さんは、ぶどう栽培に適した気候風土を求めて、「秋保温泉郷」をブドウ畑の地に選びました。「奥州三名湯のひとつ」とも言われる「秋保温泉」から歩いて来られる高台に、ブドウ畑が広がっています。

◆『ブドウの涙』がブドウ畑のスタートの合図
僕らが最初にブドウを植えたのが2014年なので、一番古いブドウは今年6年目を迎えます。今は16品種、合計7000本植えている。主力品種は赤はメルロー、カベルネソーヴィニヨン、ピノタージュ。白はピノグリ、ゲブルツ、マルアジア。もともとこの辺りは耕作放棄地で藪になっていたのを開墾してブドウ畑にしていったんです。そこの石が「秋保石」という凝灰岩なんですけど、凝灰岩のある畑というのはミネラル感があるブドウができるといわれていて、ミネラル感のあるワインは魚介類にも合うのでそういったワイン作りができればいいなと思っています。あとこの風が、南と北に山があって真ん中に延びる渓谷を風が抜けて、夜になるとまた山の方から涼しい風が吹いてきて、日中と夜間の温度差もしっかりあるのでブドウの糖度が上がりやすいんです。5月ぐらいから新芽が出て「水が上がる」という表現を僕らするんですけど水を吸って、枝の切り口から水がポタポタ落ちてくるんですね。これを『ブドウの涙』と言うんですけど、これが今年の畑のスタートだという合図なんです。この頃はたくさんの虫たちも出てくるので僕らも春を感じるというか、僕らも元気になるというかソワソワする感じですかね。


2015年にオープンした「秋保ワイナリー」、新芽が芽吹いて緑の小さな葉が表れている頃でしょうか。
秋保ワイナリーでは、地元のチーズや生ハムを味わいながらワインを楽しめるダイニングも併設されています。目の前の秋保温泉に泊まって、徒歩でここに来るのがオススメ!

そしてオーナーの毛利さんは震災前、建築の仕事をされていたんだとか。毛利さんのワインづくりにかける想い・・・続きは明日、お伝えします。

2019年6月14日

ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負?

じつは東北沿岸の港町は美味しいラーメン屋さんが居並ぶラーメンパラダイスでもある!ということを知ってもらいたくて、今週は「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負!」、お届けしています。しかも今回は「海鮮系ラーメン」に絞って。

今日ご紹介するのは、岩手県宮古市「ひろや食堂」の看板メニュー「わかめラーメン」です。



「ひろや食堂」がある宮古市の津軽石という町は、津軽石川にサケが遡上する“サケの町”、そして肉厚で上質なわかめが採れる重茂半島が有名な町です。ただこの土地も津波では大きな被害を受けました。当時は山田線の横倒しになった車両の映像が幾度となく映し出されていました。「ひろや食堂」ご主人の木村広義さんは、当時のことをこう振り返ります。


◆「定年退職かなと思ったけど」

「津波でね、うちの店は全部流されて、何も残ってなかった。そしてもう、年齢も年齢だから、ちょうど定年退職になるのかなと思っていたら、3ヶ月ぐらい休んでいたらもう退屈しちゃって。もう一回食堂をやるかということになって。11月に再開へ向けて動きはじめて、翌年1月3日に開店したわけです。」

そして木村さんは知人の大工さんに依頼して自宅と店舗を再建しました。ただしその当時、周辺に建物はほとんどありません。津波が削り取った広大な荒れ地にポツンと新しい建物を建てたようなものです。周りの方には“頭がおかしくなったんじゃないか?”と言われたほど。それでも木村さんは奥さんと二人で40年暖簾を掲げてきたお店を再建し、そして震災後にこの看板メニューとなる「わかめラーメン」を産み出しました。


◆「暇だったから製麺を習った」

「ちょうど食堂を建てているときに何もやることがないから、東京の品川製麺さんのところに行って麺作りを習って、その時に重茂のわかめを、これを使ったらいいかなと思って、それを粉にして麺に入れてわかめラーメンを作って。色が綺麗で、味も良くてこれはいいなと。生まれが重茂なんですよ。だから重茂のわかめで慣れているからよそのわかめを食べれてもわかる。やっぱり重茂のわかめが一番。味のほうは磯味が一番良いんだけど、ラーメンだから鶏ベース、煮干し。この前、東京の人が三陸鉄道に乗って、津軽石で降りて店まで来てくれました。まさか来るとは思わなかったけど。そういう人もいました。」





ヒスイ色の美しい麺。のど越しがなめらかで重茂のわかめが醸す磯香がします。70歳を目前にして麺づくりを学んだ木村さんによる無添加の自家製麺。鶏と煮干しベースのスープに、そんなヒスイ色の麺と、トッピングにはチャーシュー、エビ、しうり貝、ふのり、メカブ、そしてわかめなどが乗ります。高級ブランドで知られる“重茂のわかめ”を贅沢に使った「ひろや食堂」の「わかめラーメン」。ほかでは食べられない一杯です。ちなみにもっと“ワカメ麺”を味わいたい人には、「ワカメざるラーメン」や「ワカメうどん」もあります。

噂を聞きつけて遠方から訪ねる人も多いといいますが、重茂半島や津軽石川の美しい景色、のどかな三陸鉄道の「津軽石駅」など、周辺には見どころもいろいろとあるので、ぜひ足を運んで頂きたいと思います。




2019年6月13日

ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負?

じつは東北沿岸の港町は美味しいラーメン屋さんが居並ぶラーメンパラダイスでもある!ということを知ってもらいたくて、今週は「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負!」、お届けしています。しかも今回は「海鮮系ラーメン」に絞って。

今日ご紹介するのは、岩手県大船渡市の「黒船」というお店の看板メニュー「秋刀魚だしラーメン」です。



現在、大船渡では7つのお店がそれぞれオリジナルの「サンマラーメン」を提供して町おこしをしています。揚げたり煮たり焼いたり、いろんな方法でサンマを使ったラーメンを作っているのですが、「黒船」はそうした他のお店とまったく違った「秋刀魚だしラーメン」を町おこしの前から提供しています。サンマ節を出汁に使ったラーメンで人気が高く、開店前から行列のできる店です。ご主人の岩瀬龍三さんに伺いました。


◆「最初は店をたたもうかというくらい不人気だった

「きっかけは、いろいろラーメンを食べ歩いている中で、当時「麺屋武蔵」と言う新宿にあるお店がサンマ節を使っていたんです。それで大船渡はさんまの町だしなと。ホタテとかいろんな具材を当たったんですけれども、さんまに行き着いたんですね。イメージ的に生臭いんでしょうと見られていたんでしょうね。最初は。今月だめだったらお店をたたもうかなという所まで来ました。でも次の年が売り上げが上がったんです。不思議と。そこから上がっていきましたね」




店主の岩瀬さんは兵庫県明石市出身。奥様の故郷・大船渡で2002年にこのお店を開業しました。震災時は炊き出しも経験し、いまはすっかり地域の一員です。そんな岩瀬さんが手掛ける「秋刀魚だしラーメン」への思いを伺いました。


◆「大船渡でしか食べられないラーメンを」

「サンマだからというこだわりはないんです。さんまを使うことによって地元感を出そうという考えは当初ありましたけれども、おいしいし、風味が良いし、いろんな意味があってのサンマ。武器にしようと言うのは特にない。結果的にこうなっていますけど。正直言うと東京のラーメン屋さんのほうがおいしいと思いますよ。全国の食材を使えるんですよね。でもほら、例えば、うちでナゴヤコーチンとか秋田比内地鶏を使ってラーメンを出したところで、私はそこに意味を感じないんですよ。だったら多少は落ちるかもしれないけれども、地元の南部鶏を使いたいなと思っているので、本当のラーメンのマニアの方からすると、東京のラーメンには勝てないねと言われちゃうかもしれないです。そのかわりうちのラーメンは東京では食べられないよという」




こちらが黒船の「特製醤油」です。写真からも丁寧なつくりと豊かな味わいが伝わると思います。南部鶏と秋刀魚節のスープは旨み・甘味があり、かつすっきり。蒸し鶏、バラ、ロース、3種のチャーシューもそれぞれに別に味付けされている手のかけよう。しかも麺は、のど越し・香りが抜群の自家製麺です。“東京にはかなわない”と岩瀬さんは謙遜しますが、いやいや東京に黒船があったら連日売り切れ間違いなしです。地元食材の味を最大限に生かして丁寧なつくりをしているからこその味わいだと思います。取材させて頂いた日も他府県ナンバーの車が停まっていましたが、遠方からでもわざわざ食べに行く人の気持ちがよーく分かりました。また食べに行きたい・・・

「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負!」、明日は岩手県宮古市の「わかめラーメン」です。

2019年6月12日

ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負?

じつは東北沿岸の港町は美味しいラーメン屋さんが居並ぶラーメンパラダイスでもある!ということを知ってもらいたくて、今週は「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負!」、お届けしています。しかも今回は「海鮮系ラーメン」に絞って。

今日ご紹介するのは、宮城県南三陸町の復興商店街「南三陸さんさん商店街」の「食楽しお彩」というお店です。



お店のご主人、後藤一美さんは番組で何度か紹介していますが、2011年3月11日、震災による津波で自宅とお店を流されながらも、「移動販売車」で商いを再開。被災した地元の方に温かい料理を届けつづけ、2017年に本設の「南三陸さんさん商店街」が開業したのに合わせ、念願だったお店を再開。現在はその海鮮料理のお店「しお彩」のランチメニューとして、南三陸町ならではのラーメンを提供しています。名前は・・・「たこつぼラーメン」!

いったいどんなラーメンなのか?後藤さんに伺いました。


◆「2年で2万食の大ヒット!」
「南三陸町の志津川は、『西の明石・東の志津川』というくらいタコが有名で、オクトパス君というご当地のキャラクターもあるくらいタコの有名な町なんですね。そこで新しい商店街ができるときに、ラーメン屋さんが入らないと言うことで、海鮮系のお店だけではお客さんが選ぶのに困るだろうと、子どもからお年寄りまでリーズナブルな値段で食べることができるものは何かと考えて、タコを使った「たこつぼラーメン」を考案しました。スープは昆布だしであっさりした塩系のスープ、タコはもちろん志津川の水ダコを使ってラーメンの上に分厚いタコを2切れ乗せて、その他にトッピングとしてタコを細かく切ったものを入れた魚のつみれが2つついたのが、たこつぼラーメン。お客さんからはタコの入ったラーメンを初めて食べるということと、蛸壺に見立てた器で食べるのが初めてということで、2人のうち1人は必ずこのラーメンを注文するという感じです。遠方からたくさんのお客さんに来てもらっています。やっぱり南三陸町と言ったら、キラキラ丼が有名なんですが、その他に「しお彩のたこつぼラーメン」も有名だと皆さんに言われています。2年目になるんですが2万食以上出ているので、本当におかげさまで大ヒットというか皆さんに喜んでもらっているラーメンですね」






ちなみに志津川のタコ”は“アワビを食べて育つ”と言われるブランド食材。その旨味が染み出した昆布ベースのスープはたいへん美味美味。これにさらに「たこ飯」が付く「つぼつぼセット」も人気ということです。「たこつぼラーメン」1100円、「つぼつぼセット」1500円。

お話に出た「キラキラ丼」。これは南三陸のいろんなお店で食べられる、キラッキラに輝く 海鮮丼で、冬のイクラ、秋の鮭など四季折々の食材が乗るのですが、いま現在の夏場はいちばん人気がある“うに丼”を展開中です。「しお彩」は「キラキラ丼」と「たこつぼラーメン」両方食べられる貴重なお店でもあります。

さ、「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負!」、明日は岩手県大船渡市の、「秋刀魚だしラーメン」です!

以上、『LOVE & HOPE』でした。

2019年6月11日

ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負?

じつは東北沿岸の港町は美味しいラーメン屋さんが居並ぶラーメンパラダイスでもある!ということを知ってもらいたくて、今週は「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負!」、お届けしています。しかも今回は「海鮮系ラーメン」に絞って。

今日ご紹介するのは、宮城県石巻市の「サバだしラーメン」です。現在、市内飯野川(いいのかわ)地区の5店舗で食べられます。その中心的なお店が、今回取材した「食堂きかく」。昭和13年創業。ご主人の佐藤宗雄さんのお話です。


◆「学生たちと産み出したラーメンです」
「私んとこは昔は役所があって中心地の商店街だったんですね。でも街がどんどん寂れて、その中で石巻の専修大学の石原先生という方が学生さんと一緒にまちづくりをしませんか?と言うことで、震災の前の前の年にいろんなことをやり始めたんですね。その中で金華山で取れる石巻の名物なので、“鯖でラーメンを作れないでしょうか?”と言うのがあって、ラーメンが出た。ただ鯖って足がはやい。悪くなるのが早いし、鯖なんてもらって食べてても残してしまうみたいな時代があったので、「地元で売れないよね」なんて言いながらやっていたんですけれども、学生さんがいろいろPRをしていただいて、ポツポツくるようになってきて、1年半ぐらいかかりましたかね。かなり評判になったもので(お客さんが)来ていただけるようになったんですね」



ちなみに食堂きかくは津波の被害をまぬがれ、営業再開も早かったので、当時は多くの工事関係者やボランティアの皆さんが足を運んだといいます。

そんな食堂きかくの「サバだしラーメン」、味のヒミツを伺いました。

◆「ポイントは“焼サバだし”」

「うちでは、元はそのままでスープを取ったり煮て取ったりいろんなことをやったんですが、今は全部洗って身を外して、それを高熱で長時間焼いて、それでスープを取るように。焼きサバだしですよね。あと上にトッピングするのは、サバのつみれ、焦がしネギを載せたり、ニンニクをチップにして。汁まで全部食べてもらえるような、何かクセになる、毎週のように来る方もいますし毎日かなり忙しくさせてもらっています」




ラーメンDの寸評
●焼サバと鶏の透き通ったスープはすっきりしており、かつ、魚介系の風味とコクがある。生臭みはゼロ。旨味しかない。焦がしネギとニンニクチップが食欲をそそる。一番人気はサバだしラーメン+ミニソースカツ丼のセット。じつは食堂きかくがサバだしラーメンを始める前から看板メニューだったソースカツ丼は、香ばしいコク甘の特製ソースをまとったカツが控えめに言っても“腰が抜けるほど旨い”。オーダーするならぜひこのセットをおススメします。

ということで「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負!」、あしたは南三陸町の「たこつぼラーメン」です。

2019年6月10日

ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負?

毎週のように東北各地を取材しているLOVE & HOPEスタッフ。東北沿岸部を巡るうちに気付いたことがいくつかあります。美味しい海の幸に恵まれた地域ですが、地元の皆さんはた魚に食べ飽きて肉が好きな人が多い。だから美味しい焼き肉屋さんやホルモン屋さんがじつは多い。そしてもう一つは漁に出て体が冷えた漁師さんを温める美味しいラーメン屋さんが多いこと。じつに行く先々で美味しいラーメン屋さんに出会うのです。そこで今週はそんな美味しいラーメン屋さんにフォーカスすることにしました。ただしまあ各地に美味しいラーメン屋さんがありすぎて絞れない!!なので今回は“海鮮系ラーメン”に絞ってみました。題して「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負」!

まず月曜日に取り上げるのは、宮城県東松島市、野蒜地区で約40年続くお店「えんまん亭」です。

初めてこのお店を訪れたのは2014年。野蒜には牡蠣小屋さんが1軒あるくらいで食べ物屋さんはほとんどなかったんですが、この年、通り沿いに新しく開いたお店を見つけてたまたま入店したところ、牡蠣ラーメンや海の幸ラーメンといった海鮮系の美味しいメニューが充実していて、しかも旨い!以来、東松島へ行くと立ち寄るようになりました。

今回、あらためて取材をさせて頂いて、お店の歴史、震災から再開までのいきさつを知ることが出来ました。

まずは震災当時の状況を、女将の遠藤キヨさんに伺いました。


◆いまは笑って話せるけど

「もともとは、野蒜の洲崎というところでやっていましたね。野蒜海水浴場の近く。今は笑って言ってますけどね、何もなくなりましたよね。バリバリバリって松林を越えて(津波が)壁になってきましたからね。それで車ごと流されてやっと生きてきましたから。お父さんも低体温で死にそうだったし。でもたまたま、2階に避難することができたんですよ。よその家ですよ。それで布団があったのでくるまって・・・」

野蒜海水浴場の近くに自宅と店を構えていましたが、2011年3月11日、大きな揺れのあと、津波が来るというので車で避難しているうちに波にのまれ、たまたま行き当たった、1階が打ち抜けたものの2階が無事だった誰かの家に命からがら避難。毛布にくるまりながら夫婦で暖をとり助けを待ったのだそうです。

その後、隣町の矢本で避難生活を送りながら、遠藤さん夫婦は“やっぱり商売を続けたい”と思い立ち、仮設店舗でお店を再開。噂を聞きつけてテレビ局が著名人が来店し、今でもお店には写真や色紙が飾られています。

そして2014年に野蒜地区の北赤崎に本設のお店を開店し、営業を続けています。

そんな「えんまん亭」で看板メニューとなっているのが、冬場の「牡蠣ラーメン」、そして通年で提供している「あさりラーメン」と「海の幸ラーメン」です。どんなメニューなのか?詳しく伺いました。


「あさりラーメンはね、地元の(水場げ)は終わって、今は北海道のアサリを使っています。12〜13個入っていますね。あと海の幸ラーメンは何種類入っているのかしら、毛ガニが入って、ズワイの足が入って、ホタテが入っていますね。あとはエビとアサリです。カニの甲羅を外して味噌をスープに入れて、それで食べるのが一番おいしいと思います。ひと味ふた味、さらにライスを頼んでカニ雑炊にして食べると3つの味が出ると思います・・・」



「あさりラーメン」は鶏と煮干しのすっきりしたスープにたっぷりとあさりが入っていて、あさりならではの旨味と香りがじゅわっと口に広がります。そして「海の幸ラーメン」はビジュアル的にもインパクト大!毛ガニが丸ごと一杯。エビやホタテやアサリやらが入って、まあ竜宮城のような豪華さです。しかもカニ味噌をスープに溶かし込んで食べるという贅沢この上ない逸品で、しかも麺と具を食べつくしたらそこにライスをぶっこんで、カニ雑炊で〆るという、フィナーレまでしっかり楽しめるラーメンなんです。




どうですかこの写真。スマホで撮っても味わいが伝わると思います。でも皆さんがいま想像しているその味わいのたぶん100倍は美味しいです(笑)。

不定休ですがいつ行ってもほぼ開いてます。営業時間は10:30-19:00。目移りするほどメニューは豊富なのでいろいろ味わって頂きたいところですが、まずはなにしろこの「海の幸ラーメン」を食べてみてください。〆のカニ雑炊も忘れずに。

「LOVE & HOPE」、「ラーメンディレクターが行く東北海鮮ラーメン五番勝負」!あしたは石巻市、飯野川の「サバ出汁ラーメン」です。これがまた旨い!

2019年6月7日

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局 長田剛さん?

今週は、釜石シーウェイブスOBの元ラガーマンで、現在は「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」メンバーである、長田剛さんのインタビューをお届けしています。



3か月後に迫った「ラグビーワールドカップ2019日本大会」。全国12の会場のうちの一つで、“釜石市の復興のシンボル”といわれる「釜石鵜住居復興スタジアム」では、予選ラウンドの2試合が行われるほか、7月には前哨戦「パシフィックネーションズカップ」の日本対フィジー戦も行われます。



今後メディアにも多く取り上げられて注目を集めるであろう釜石市。これを機会に地域の魅力を知ってもらって、次は観光で、多くの人に足を運んでもらえるようになって欲しいと、長田さんは言います。


◆「ラグビーだけじゃない釜石の魅力」

「せっかく来てもらったんで試合だけじゃなくてやっぱ釜石っていう場所を楽しんで帰ってもらいたいなと思います。なので街の方へ行って頂いてちょっと観光するなりですね、試合だけじゃなくていろんなところを回ってから帰ってもらうってことをしてもらえれば、来て下さった人達も釜石のいいところいっぱい見れるし、釜石の人達も色んな人達が来てくれることで街も賑わうので、すごくいいかなと思いますね。やっぱ「海」じゃないですか?めちゃくちゃ綺麗ですから。めちゃくちゃ綺麗です。釜石でってなるとやっぱ根浜海岸になるんですけど、ちょっと下に行ったとこに吉浜っていうところもありますし、ちょっと上の方に行って、釜石市ではないんですけど浪板海岸なんてのもありますし、どこに行っても綺麗だと思います。で、海だけかなと思ったら、ちょっと山の方に行ったらめちゃくちゃ綺麗な川があるんで。ただクマ気をつけないとダメなんですけど(笑)。食べ物で言えばやっぱり魚とお酒、日本酒ですね。むかし横丁があったのが、一度仮設に入って、仮設から今、むかし横丁でお店を出してた人が店を出した集合体「かまりば」ってところがあるんですけど、そこは飲んでも食べてもおいしいですし、あとはそうですね街の方に行って頂いたらお寿司屋さんも美味しいですし、中心部のファンゾーンっていうパブリックビューイングが開かれるような市民ホールがあるんですけど、あの辺りはご飯やさんも色々とあるんで、楽しいと思います。あとはとにかく釜石の人達ってすごい優しい人たちが多いので、いろんな人と触れ合ってもらうと、釜石の良さを知ってもらえるかなと僕は思います」







きれいな海、きれいな川、酒と魚・・・あふれるほどの魅力が釜石にはあるといいます。そして釜石は、新幹線の駅がある花巻から高速道路がつながって、鉄道も、JR山田線の沿岸部の区間が三陸鉄道として開通と、アクセスが格段に良くなりました。港のエリアには美味しい魚が食べたり買ったりできる施設、「魚河岸テラス」も新たに開業。番組スタッフおススメの宿「宝来館」に泊まれば、名物女将が語り部として震災とこれまでの地域の復興ものがたりを聞かせてくれます。酒も魚もバツグンに美味しいです!

ワールドカップやパシフィックネーションズで行かれる方はもちろんですけど、春夏秋冬の行楽でも、ぜひ足を運んでください。

『LOVE & HOPE』、今週は釜石シーウェイブスOBで、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」メンバーの長田剛さんのインタビューをお届けしました。

2019年6月6日

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局 長田剛さん?

今週は、釜石シーウェイブスOBの元ラガーマンで、現在は「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」メンバーである、長田剛さんのインタビューをお届けしています。



3か月後に迫った「ラグビーワールドカップ2019日本大会」。全国12の会場のうちの一つで、“釜石市の復興のシンボル”といわれる「釜石鵜住居復興スタジアム」では、予選ラウンドの2試合が行われるほか、7月には、前哨戦「パシフィックネーションズカップ」の日本対フィジー戦も行われるということで、いま準備が急ピッチで進められています。

観客席を増設中のスタジアムで、長田さんに現在の状況について伺いました。


「今も工事の最中なんですけど、仮設部分、10000席を足す工事をやってます。元々ある常設の部分に、バックスタンドにまず2000席、メインスタンドの上に2000席仮設を作って、で、インゴールの裏、メインから見て左右に3000、3000とまた仮設をつけて10000席増設して、で、パシフィックネーションズカップとワールドカップを迎えると。で終わったらまた足した10000席の仮設をはずして、6000席の増設部分だけにするっていうことですね」


(5月26日撮影)


選手とハイタッチできそうなくらい、グラウンドと客席が近いスタジアム「釜石鵜住居復興スタジアム」。16000席と、規模としては小さいですが、何万人も収容できる大きなスタジアムには無い一体感が生まれそうな雰囲気があります。しかも目の前に、海があり山がある・・・。

ワールドカップ2試合はもちろん、「パシフィックネーションズカップ」の日本対フィジー戦も、チケットはあっという間に完売してしまいましたが、いま課題は、「アクセス」と「宿泊」なんだそうです・・・


◆「課題は泊まるとこがない」

「そうですねもうホテル自体を今から増やすことはできないので、いま釜石には1400の人が泊まれる分はあるんですけど、それに対して16000の方が来られるので、県内の沿岸、そうですね、宮古、大船渡のホテルに泊まっていただいて、そっからバスで来ていただくとかですね。県内の盛岡より下の新幹線の駅がある所からはライナーバスを出します。で、釜石のこのスタジアムまで繋がるようになりますので、内陸の方にも泊って頂いてそこからバスで来たりとか、三陸鉄道を使ってもらう、本数を増やすってのは聞きましたね。で、車の乗り入れは出来ないので、釜石市内のパークアンドライドっていって、広いところに車を停めて頂いて、そっからバスで来るっていう形を取る予定です」




部屋数1400人分の町に16000人!おまけの両方のチーム関係者とか世界各国のメディアとかも集まって、たいへんなことになりそうな釜石・・・ただいろんな住民の方に話を聞いたところ、釜石に人が溢れることについて、不安を口にしながらどこか皆さん嬉しそうで、ある意味たのしみにさえしている様子でした。お祭りの前の期待感のような・・・。

そして“釜石を訪れたらぜひこれを楽しんでほしい!”というお話しも、長田さんには伺ってますので、あすご紹介したいと思います。何なんでしょうか??

2019年6月5日

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局 長田剛さん?

今週は、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」の、長田剛さんのインタビューをお届けしています。



釜石は、今も新日鉄釜石の“日本選手権7連覇”が語り継がれる“ラグビーの町”。一方、奈良県出身で、元プロラグビー選手でもあった長田さんは、関西のトップリーグのチームから、2009年に「釜石シーウェイブス」に移籍した人物です。

在籍中に震災を経験し、ほかの選手とボランティアをしている時、被災した住民から“早くラグビーが見たい”と逆に激励されて、“釜石市民のラグビーへの思いに感銘を受けた”と話してくれました。

その後、試合中に負ったケガの影響で選手を引退。コーチを5年間務め、チームを離れたあとは、自身の“ラグビー人生の集大成”として、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」に入り、秋に釜石で行われるワールドカップ2試合の成功へ向け、いま準備に汗を流しています。

試合会場となる「釜石鵜住居復興スタジアム」は、津波で全壊した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に建てられた、“釜石の復興のシンボル”とも言われるスタジアム。去年8月に完成し、竣工記念試合として、釜石シーウェイブスとヤマハ発動機ジュビロの交流戦、さらにV7時代の新日鉄釜石と、ライバルだった神戸製鋼の名選手が顔をそろえるOB戦も行われ、
満員の約6500人の観客が、このスタジアムの船出を祝ったといいます。


◆「忘れられないあの日」

「うん、そうですねあれはすごかったなぁと思いますね。8月19日のこけら落としの時はやっぱり。僕その日はずっと観客誘導の統括みたいなのをしてたので、試合見れなかったんですね。で、お客さんの方ずっと見てたんですけど、そのぶん、みんなの顔を見れたんですよ。すごかったですよ、こんなにみんな夢中になって喜ぶんや〜って思ったらね・・・あかんな、やっぱり。すごくここ悲劇的な町やったんです、悲劇的な町っていうか、すごい被害の大きな場所だったんですけど、そこであんなに人たちが笑顔で楽しそうにしてるの見たら、なんか素敵やなっていうか、難しいんですけど、特別な一日でしたね、あの日は」





津波で流され、荒れ果てた場所に真新しいスタジアムが出来、人々が笑顔で声援を送る様子・・・その時の光景を思い出すと、長田さんは今でも言葉に詰まってしまうのだそうです。

今スタジアムには、ワールドカップへ向け、10000席が増設中ということ。明日は長田さんに、そんな現在の準備状況について伺います。

2019年6月4日

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局 長田剛さん?

今週は、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」の、長田剛さんのインタビューをお届けしています。



3か月後に迫った「ラグビーワールドカップ2019日本大会」。全国12の会場のうちの一つで“釜石市の復興のシンボル”ともいわれる「釜石鵜住居復興スタジアム」では、予選ラウンドの2試合が行われます。

本番へ向け、いまは裏方として奔走している長田さんは、元トップリーグでも活躍したプロ選手。2009年に「釜石シーウェイブス」へ移籍し、震災が起きた時は現役の選手でもありました。


◆「釜石はラグビーで復興する」
「ボランティアをやってる時、クラブハウスとボランティアの(拠点のある)駅のところを毎日行き来してたんですね。で、僕は言われたんですけど、“カラダちっちゃくなったな〜”とか被災した方たちに。“こんなんやってんと早くラグビーせいや!”とか。いちばん心を動かされたのは、“次は早くラグビーで町を元気にして”って僕言われたんですよ。その時になんか心震えたというか、僕達は今までずっと町の人、釜石市民の人たちに支えられたんですね。でその人たちが大変なんやから今ラグビーじゃなくてボランティアでその人達の支えにならなあかんなと思ってやってたんですけど、“早くラグビーで町を元気にしてくれ”っていうのを聞いて、もうその一言で“あ、この町はラグビーで復興するんやな”って僕は思いましたね。自分のラグビー観も180度変わりました。その一言で。改めて自分たちの存在価値みたいなものを感じさせられて、よっしゃ、じゃあ明日からも俺たちはラグビーで町を盛り上げるぞってなりましたね。すごい結束でその1年はすごいチームだったと思います」



その年のシーズンは4位に終わりましたが、一丸となって試合に向かう結束力はすごかったと長田さんは振り返ります。被災した住民にかけられた“早くラグビーで町を元気にしてくれ”という言葉に、「新日鉄釜石」の日本選手権7連覇の歴史が息づくラグビーの町・釜石市民の気質が伝わってきます。

長田さんは、2009年に移籍で釜石に来るまでは、関西のチームに所属で、出身も奈良ということでした。選手を退いてもなお、釜石に残って今に至る・・・その理由とは、いったい何なんでしょうか?


◆「ラグビー人生の集大成として」

「選手で怪我してそのあとコーチをやって、でコーチを引退するっていう時に、まあずっと シーウェイブスの中にいた時は、応援してくれる人に“トップリーグに上がるトップリーグに上がる”とずっと言い続けてきたんですね。でも何一つ結果残せてないなと思って、結局上がれなかったんで。で、いま目の前に、絶対釜石市の為になる「ワールドカップ」っていうのがあって、自分のラグビー人生の集大成じゃないけど、成功させれば絶対釜石に恩返しができると思ったから、今は帰りたくないと思って、ここの試験を受けて入れて頂いたんですね。だから釜石に残ろうと思いました」




こうして長田さんは、釜石シーウェイブスを離れたあと、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」に試験を受けて加わり、いまは秋の本番へ向けて奔走を続けています。

『LOVE & HOPE』、明日もそんな長田さんのインタビュー、お届けします。

2019年6月3日

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局 長田剛さん?

今週は、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」の、長田剛さんのインタビューをお届けします。

いよいよ3か月後に迫った「ラグビーワールドカップ2019日本大会」。“アジアでは史上初の開催”ということで世界が注目する大会にもなっていますが、全国12の会場のうちの一つが「釜石鵜住居復興スタジアム」。東日本大震災で甚大な被害を受けた場所に新たに作られた、復興のシンボル的なスタジアムでもあります。



6月1日に、ここで行われるワールドカップの前哨戦「パシフィックネーションズ2019日本ラウンド」、日本代表対フィジー代表戦のチケットが一般発売されましたが、このフィジー戦はもちろん、釜石で行われるワールドカップ2試合の成功へ向け、今は裏方として奔走する長田さんは、じつは元トップリーグでも活躍したプロ選手でもあります。


◆2009年に釜石へ

「生まれは奈良で、ラグビーを小学校から始めて、高校天理高校に入って、帝京大学に行って、「ワールド」っていうトップリーグのチームに入って、でそこが強化をやめるっていったタイミングで移籍先を探して、それが2009年で、そのタイミングで「釜石シーウェイブス」がいちばん最初に“ぜひ来てくれ”って声をかけてくれたので、ひとつ返事で来さして頂いたんですね。そっから選手を4年間やって、そのあとコーチを5年間やって、で契約が終わったので、2018年から「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」に入れて頂いて今の仕事をしてるってことですね」



かいつまんで来歴をお話ししてくださいましたが、スクラムハーフの選手とし活躍していた長田さん、じつは2012年シーズンの試合中に頭を骨折、命の危険にかかわるほどの大けがを負ってしまい、その影響で選手を引退することになったのだそうです。

東日本大震災は「釜石シーウェイブス」の選手時代に遭遇したわけですが、その時の状況についても伺いました。


◆選手みんなでボランティアを

「僕たちが住んでいたのはグランドの近くだったので、津波とかはまったく無くてですね、地震があった日からクラブハウスでの生活が始まって、男は車で寝て、女子供はクラブハウスの中で寝て、という生活をして、で、街でどうやら自衛隊がボランティアをやってるって事を聞きつけて、じゃあもう次の日にそれじゃ行くぞって、で、その日から何日経ったとかその日毎日必死に生きてたので、時間軸とか何日経ったとかっていうのはまったく覚えてないんですけど、そっからボランティアが始まったんですね、なので地震の時はボランティアをしてました。町の人たちもくれた喜んでくれた・・・喜んでくれてるってのはどういうか難しいですけど、そうですね力になれたと思います。はい」





日本選手権を7連覇した「新日鉄釜石」の町。市民にとってラグビー選手は今なお「誇り」で、そのラガーマンたちがボランティアに汗を流してくれた。住民の皆さんも心強かったのではないでしょうか。

そしてその時にはラグビーの再開はおろか、ワールドカップの開催なんて夢にも思わなかった長田さんだと思いますが、そこからここまでの道のりについても、明日以降、お伝えをしていきます。


パーソナリティ 鈴村健一

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