2016年4月5日
4月5日 大川小出身 佐藤そのみさん2
東日本大震災の津波で多くの児童・教職員が命を落とした、石巻市の大川小学校。宮城県石巻市出身、佐藤そのみさんも、妹のみずほさんを大川小で亡くしました。
震災後「解体か保存か」で、街を二分する議論が続く中、そのみさんは、2014年春、他の卒業生とともに「大川小保存」の呼びかけを始めました。昨年は仙台で行われた「国連防災会議」でスピーチ。今年2月、石巻市で行なわれた市民公聴会でも自分の意見を発表しました。
◆5年経って地域の人の距離もどんどん離れていってる
妹の同級生の代の生き残った女の子3人とか、何人か同じ気持ちを持っている子たちと集まって、「大川小を残したいんです」という意見表明をしてきました。わたしたちの母校だから遺してほしいというのもあるし、これからまた同じことを起こさないためにも、防災、教育、学べる場にという気持ち。いまもうそうなっていると信じたいが、これからもあそこがないとだめだなと思って。
震災は地域の人の距離とかもすごいバラバラにしちゃったなっていう感じがした。どんどん離れていってるなっ、距離があるなって。5年経ってなおさらですね。戻る感じがしない。どうしたらいいんだろうと思うけど。ずっと残していくためには、お金もかかるし、いろんな補強も必要だし、もちろん地元の人たちの気持ちもちゃんと一緒にしないといけないから。
同級生の子たちの中にも「壊してほしい」という子もいたし、それは全然間違ってなくて、気持ちもわかる。壊してしまったらどうすることもできないので、とりあえず遺して時間をかけて、これからもっといろんな地区の子たちと話せる場が欲しいなと思っている。
そのみさんは昨年の春、故郷石巻を離れて上京し、日本大学芸術学部に進学。子どものころから目指していた「映像作家」になる夢を叶えるため、映像制作を学んでいます。
「いつか、大好きな石巻を舞台にした映画をつくりたい。」そのために、石巻の風景や大川小学校の様子を少しずつ撮りためています。
撮影:佐藤そのみ
◆私が生きてるうちになにかやりたい
大川地区を映画にしたいなという思いは変わらない。小学校のときに撮った、いまは流された場所の写真を見て想い出すこともあるし。どうにか、大川地区でこういうことがあった、大川地区ってこういう地区だったということをフィクションとして映画にして発信したいと思い、大学も(映像監督の道に)決めた。できれば卒業制作でやりたい。
地元に戻りたいという気持ちも半分。こちらで映像制作もやりたいし、地元のためにもなにかやりたい。地元の景色は戻らないけど、震災前の道を歩けば必ず誰かが挨拶してくれるような、あの地域の暖かい関係を取り戻すことができたらいいな。なにかここから変えていかなくちゃいけないなと。わたしが生きているうちに、なにかやりたい。
「震災や津波の記憶を伝える“震災遺構”として、また自分たちの想い出が詰まった場所として、大川小を保存したい」そんなそのみさんたちの思いが伝わって、市は大川小保存の方針を先日発表しました。
「LOVE&HOPE」明日は、佐藤そのみさんが、亡き妹のみずほさんに宛てた手紙をご紹介します。