2019年1月18日

飯舘村で畜産を再開した山田農場の山田猛史さん2

今朝は引き続き、福島県飯舘村で畜産を再開した、山田農場、山田猛史さんのお話し。

震災のあとの原発事故によって、この飯舘村は全村避難となりましたが、2017年春に避難指示が解除され、住民の帰村が始まりました。学校なども再開をしていますが、まだまだ戻る人は少ないのが実情です。

そんななか、いち早く村に戻って、畜産を再開した山田さん。もともとブランド牛の“飯舘牛”が有名な畜産が盛んな村で、しかも牛を放牧させることで、農地を守ることにもつながるというのもあって、迷わず帰村を決めたというお話しを、昨日聞かせてくれたんですが、
本当にそこに迷いはなかったのか?あらためて聞いてみました。


◆「近い将来、畜産だけで食べていけるように」

「いや、避難する時からいずれ戻って来るっていうような考えでいましたから。困った困ったって下向いて生活したくないもんで。まあ楽天家っていえば楽天家なんですが。まあどうにかなるさっていう感じで。俺の職業は百姓だから、「きれいごと」では“農地を守るため”っていうことになりますが、“自分の生活を守るため”です。息子も震災の時も百姓してましたし引き続きヤルっていいますから、安心して牛を増やして土地を増やして行ってるんです。うちもこういう牛、29頭の親牛がいたんです。子牛を含めると40頭ぐらいいたんですが、その29頭のうちの3頭だけ置いて、あとの26頭は売りました。3頭は3日前に買ったばかりの牛と、系統の良い牛。将来柱になるなという3頭の牛を置いて、あとは全部売りました。そしてまたその時に同じ競りで他の牛を買ったんです。26頭売りながら20頭ぐらい買ったんです。系統の悪いやつ年とったやつを売って、系統のいいやつ若いやつと交換したみたいな。牛の数は少しは減ったが20頭ぐらい連れて白河のほうに避難したんです。そして向こうの牛舎を借りて、震災後もずっと休まないで牛飼いだけはしてたんです。今は54頭かな。近い将来100頭ぐらいの頭数にして、畜産だけで食べられるようにしたいなと思ってます。 」




福島県飯(いい)舘(たて)村(むら)で畜産を再開した、山田農場、山田(やまだ)猛史(たけし)さんのお話し。

年末には牛舎を建て、徐々に環境を整えている山田さん。もともとあった畜産農家100数十軒中、戻ったのは山田さんをふくめ4軒ということですが、迷いがないコメントでした。牛飼いとしての生業を成功させながら、同時に牛を放牧させることで、農地が荒れないよう守る・・・それはいずれ戻って来ると信じている農家のためでもあるということ。

かつて飯舘村は「日本で最も美しい村」にも認定されていました。その豊かな村の再生を願う気持ちが伝わってくる、この2日間の山田さんのお話しでした。

パーソナリティ 鈴村健一

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