2019年6月27日

福島県大熊町 佐藤信康さん2(いちご植物工場)

引き続き福島県 大熊町の「いま」をお伝えします。

原発事故以降 およそ8年ぶりに一部地域で避難指示が解除され、災害公営住宅への入居もスタート。大熊町は、町の再生へ一歩を踏み出したところです。

中でも大きなトピックが、町の新たな事業 イチゴ栽培の植物工場です。最新の技術で作られた安心安全なイチゴを新たな産業として成長させようとしています。

お話を伺った佐藤信康さんは、大熊町役場の職員からこの植物工場を運営するネクサスファームおおくまに転職した方。町の新しい産業に期待を寄せています。

◆「雇用」が町にもたらすこと
一番最初の農作業の足がかりになるのかなと。あとは雇用ですね。復興公営住宅に入居される方がたくさんいると思うんですけれども、入っただけでずっと家の中にこもっていても意味がなくなってしまう。そういった方々が働く先が必要になってくるということもあると思うんですよね。高齢の方も多くフルタイムは難しいと思うので、イチゴの摘み取りや手入れ作業に来ていただく形で、1日数時間でもパートで入っていただければ当然こちらとしてもありがたいですし、働く先があれば家にこもってテレビを見ているだけじゃなくて、「今日も仕事行かねっかなんね」と家から出る場所にもなるかなと思っています。


佐藤さんは、生まれも育ちも大熊町。避難指示解除後はいちはやく大熊へ戻り、4月からの新しい職場にも、やはり大熊を選んでいます。佐藤さんが地元にこだわる理由とは。

◆戻るのが普通だと思っていた
最初からイメージがわかなかったんですね、自分が「他の場所」に暮らしているイメージは。なので、震災で避難した直後から、いつ帰れるかなと。解除になれば当然戻ってくるのが普通だなということで戻ってきただけなんですけど。(奥さんは?)一緒に暮らしているので。(帰ることについて意見は?)2人とも変わらないですね。妻は震災後に知り合っているので。もともとは千葉から復興支援員として町に来た方なんですけれども、お母さんがもともと隣町の双葉出身で、昔からこの双葉郡の方には夏休みでも冬休みでも長期休みの時には、ばあちゃんちに遊びに来ていたというので、縁もないというわけではなくて。



※佐藤信康さん(左) 父親の佐藤定信さん(右)

ちなみに佐藤さんが働く植物工場は春の時点でおよそ10人ほどの方が社員として働いていて、その多くが20−30代の若い世代とのこと。佐藤さんもまだ39歳。若い世代がこうして活動しているというのは町にとって良いことですが、一方、災害公営住宅に入居した方の多くは年配の方。今後は、大熊に戻って生活する高齢者の方の生活のケアも課題です。

明日もこの続きをお伝えします。

パーソナリティ 鈴村健一

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