2020年1月21日
そば粉ワッフルで川内村の魅力を発信2
今朝も、福島大学4年生、栃木県出身・大島草太さんのインタビューです。
大島さんは、大学の講義で知った双葉郡川内村の魅力を広めようと、川内村特産の、そば粉を使ったワッフルづくりで起業した若者です。
起業のきっかけは大学3年、大島さんがカナダに留学したときのこと。福島へのネガティブなイメージを避けて「福島から来た」ことを隠してしまった。胸を張って福島を自慢できるようになりたい、そう考えた大島さんは、帰国後、川内村とのつながりを、より深めていったといいます。
◆「川内村の一員になりたい」
海外から、3年の年に復学しました。3年の夏ぐらいに、バイクで九州の端っこまで旅をしていたんですけど、それで都会から地方からいろんなところを見て、僕が1年の時から関わっていた川内村っていろいろ見た中でも良い場所だなと、旅をするあたりから思えるようになりまして、というのも、川内の人って外の人も含めて面白いことをやっていこうよと、震災もあって課題もたくさんあるけどそれに向かって前向きに生きていて、かつそこの生活を楽しんでいる人がたくさんいるので、あの場所は良いし、僕もあそこの一員になりたいなという気持ちが、3年の夏過ぎあたりから湧いてきて、それで再び村に通うようになり、それこそ大学の授業と関係なしに何度も何度もふらっと行くようになり、村の人とたくさんしゃべるようになって、通っている中で課題はたくさんあって、少子高齢化だったり、主にそういうところなんですよね。若者がいないと言うことでいろんな問題がある。それを自分の力で何か貢献したいと言う話も村の人にしていて、じゃあそういう事業構想を練っていこうと自分の中でなっていきまして、ピザよりももっと若者に来てもらいたかったので若者ターゲットのもので、村のものを使ってできるものはないかなと言うので思いついたのがそば粉のワッフルだったんです。
こうして大島さんは、大学生ながら、事業計画書を作り、そば粉ワッフルの試作を繰り返しました。そんな大島さんを、川内村の人たちも村を挙げて応援してくれたのだそうです。ちなみに村の人たちからは、かなり厳しい意見もバシバシ言われたそうです。それだけ、村に新しくやってくる若者のことを想っているということ。
大島さんのそば粉ワッフル事業については、「コカゲキッチン」のFacebookページで確認できます。
明日も、川内村の魅力を発信しようと奮闘する大島草太さんのお話です。
大島さんは、大学の講義で知った双葉郡川内村の魅力を広めようと、川内村特産の、そば粉を使ったワッフルづくりで起業した若者です。
起業のきっかけは大学3年、大島さんがカナダに留学したときのこと。福島へのネガティブなイメージを避けて「福島から来た」ことを隠してしまった。胸を張って福島を自慢できるようになりたい、そう考えた大島さんは、帰国後、川内村とのつながりを、より深めていったといいます。
◆「川内村の一員になりたい」
海外から、3年の年に復学しました。3年の夏ぐらいに、バイクで九州の端っこまで旅をしていたんですけど、それで都会から地方からいろんなところを見て、僕が1年の時から関わっていた川内村っていろいろ見た中でも良い場所だなと、旅をするあたりから思えるようになりまして、というのも、川内の人って外の人も含めて面白いことをやっていこうよと、震災もあって課題もたくさんあるけどそれに向かって前向きに生きていて、かつそこの生活を楽しんでいる人がたくさんいるので、あの場所は良いし、僕もあそこの一員になりたいなという気持ちが、3年の夏過ぎあたりから湧いてきて、それで再び村に通うようになり、それこそ大学の授業と関係なしに何度も何度もふらっと行くようになり、村の人とたくさんしゃべるようになって、通っている中で課題はたくさんあって、少子高齢化だったり、主にそういうところなんですよね。若者がいないと言うことでいろんな問題がある。それを自分の力で何か貢献したいと言う話も村の人にしていて、じゃあそういう事業構想を練っていこうと自分の中でなっていきまして、ピザよりももっと若者に来てもらいたかったので若者ターゲットのもので、村のものを使ってできるものはないかなと言うので思いついたのがそば粉のワッフルだったんです。
こうして大島さんは、大学生ながら、事業計画書を作り、そば粉ワッフルの試作を繰り返しました。そんな大島さんを、川内村の人たちも村を挙げて応援してくれたのだそうです。ちなみに村の人たちからは、かなり厳しい意見もバシバシ言われたそうです。それだけ、村に新しくやってくる若者のことを想っているということ。
大島さんのそば粉ワッフル事業については、「コカゲキッチン」のFacebookページで確認できます。
明日も、川内村の魅力を発信しようと奮闘する大島草太さんのお話です。