2014年8月28日

8月27日 関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え(3)

今週は、「関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え」について、名古屋大学・減災連携研究センター教授の武村雅之さんに伺います。武村さんは、「関東大震災」の傷跡が残る地域をくまなく歩き、震災の教訓を伝える活動を続けています。

関東大震災の死者行方不明者は、10万5千人。そのうち、4万人近くが一度に命を落としたのが、現在の東京墨田区に位置した「元陸軍の被服廠跡(ひふくしょうあと)」です。公園予定地として更地になっていた2万坪の広大な敷地に逃げ込んだ人達は、一旦は安全を確保したとものと、安心します。けれども、その安心もつかの間、被服廠跡は地震による火災に包まれ、ここで多くの人が命を落とす結果となりました。被服廠跡の教訓として「災害時には、安心が危険を招く」と語る武村さん。さらに、もう一つの教訓があります。もう一つ被服廠跡のポイントは家財道具。家財道具を皆さん大八車に乗せて持ってきた。当時の報告書を見ても、それが大量の死を招いた一番の原因だと書いてある。

◆車は可燃物である
その次に書いてあることは、「江戸時代、火災のときに家財道具を大八車に乗せて逃げることはご法度だった」と書いてある。それが江戸の市民のルールだった。ところが明治になって、いろんな人が東京に来て人口密集が起こり、そういう(江戸の)ルールを知らない人が、結局関東大震災のときに家財道具を持って逃げてしまって、大参事が起こってしまった。その火災を調査した東京大学の中村清二先生が報告書の最後にこう書いている。「同じ失敗を何度となく経験しても、わたしたちは一向賢明にならなかったのである。大八車が自動車に代わることはあろうけれども」と。
当時自動車はほとんど走っていない時代なのだが、大八車が車に代わることがあっても、わたしたちはまた同じ失敗を繰り返すかもしれないと、心配している。
思い当るのは東日本大震災。東京の人達は多くの人が自分の車で自分の家に帰ろうとして大渋滞を引き起こした。車は可燃物。大渋滞が起こった時にまわりで火災が起こったらどうなるのかと考えなければいけない。皆が想い想いに行動していては、安全は確保できないのではないか。
例えば首都直下地震の場合、家も壊れるし延焼火災も起こる。当然高速道路も火災の危険がある。当然東京のまわりはドーナツ状に木造密集地で火災危険度の高いところがある。車で帰りたい人は、そこより外側に住んでいる人が多いので、非常に危険な木造密集地を可燃物を抱えながら突入していくということが、車で自宅に帰るということ。われわれはそこのところを考えなきゃいけない。


東日本大震災で東京の道路は大渋滞になっていました。幸い火災などはなかったが、もし火が出ていたらどうなっていたか・・。「もし火災が起きたら・・」「もしビルが倒壊して道路がふさがれたら・・」
“想像する力”も防災を考えるうえで大切なことではないでしょうか。

パーソナリティ 鈴村健一

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