NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest朱野帰子さん

朱野帰子さん

東京都生まれ。2009(平成21)年、『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。2013年、『駅物語』がヒット。2015年、『海に降る』が連続ドラマ化される。シリーズの第一弾となる『わたし、定時で帰ります。』は労働問題が社会的な関心を集める世相を巧みに反映し、そのエンターテインメント性も相まって大きな話題となる。2019年4月、続編である『わたし、定時で帰ります。ハイパー』と合わせてドラマ化。近刊に『対岸の家事』『会社を綴る人』『くらやみガールズトーク』がある。

会社以外でもう一つ自分の軸を持つことが大切

2019/06/22
今の世の中には、組織に属さない“働き方”も、これまで以上に増えてきています。
その流れもあって副業の解禁を行う企業も増え、
短い時間でも簡単に仕事ができる仕組みも増えてきました。

朱野さんが生み出した『わたし、定時で帰ります。』
そのストーリーや主人公の・東山結衣から導き出される
良い仕事を続けていくためのヒントとは?
朱野さんは次のように語ってくださいました。

「人間本業は何かというと、息を吸って生きる事じゃないですか?食べてちゃんと寝て、遊ぶという事をやっていないと人間は死んでしまうんで、まずその時間を確保して空いた時間に副業を2つ目、3つ目という風にはめ込んでいくと意外と収まると思います。『わたし、定時で帰ります』の主人公・東山結衣はすごく合理的ではありますが、定時で帰るというのは凄く大変なんですよ。本当に大変で、調子悪いから体調悪いからで、この仕事明日に回そうとか出来ないんですよ。意外と定時で帰るというのが大変という事を小説の中で伝えたかった。今までの女性の仕事物で、新人のドジっ子ちゃんが頑張るではなくて、より責任のある大人の女性の働き方って言うのを彼女に体現してほしかった気持ちがありました。」

では、逆に『わたし、定時で帰ります。』を書き綴ってゆく中で朱野さんが学んだこととは?

「私、それまで弱音を吐けないだとか、逃げたら負けだという意識がすごく強かったです。彼女の場合は、意識的に嫌になったら温泉に行っちゃうとか、すぐ逃げる属性を与えたんですね。書いている内にそういうことが出来るようになって、過労で弱くなった時にいろんな人に助けてもらったりしていく中で、弱みを見せられる人の方が強い、意外と愚痴言っている人の方が会社を辞めないですよね。会社としては長く働いてもらった方がいいじゃないですか?日本人は苦手なので、もっと小出しに言った方がみんなのためにも良いと思いますよね」

そして、ラジオの前にあなたに
定時で帰って豊かな人生を過ごすためヒントをいただきました。

「会社以外の何かを持つという事なんじゃないかと思うですけど、会社はいつか終わるもので、意外と早く終わるんですよね。今長生きなので、20年、30年何もない時間が待っているじゃないですか?そういう事を考えると、やっぱり会社以外でもう一個自分の軸を持ってもらいたいし、2つ以上軸があるとどっちかがダメになっても人間生きていけるんですよね。なんでもいいんですけど、もう一つ本当に夢中になれるものを見つける事が大事なのかなと」
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何を成し遂げたかが大事

2019/06/15
朱野帰子さんの代表作『わたし、定時で帰ります。』
この作品が生まれる直前の朱野さんは、
主人公、東山結衣とは180度違う生活を強いられていました。
そんな中、のちの話題作となる作品を書き上げて行く中で見つけた
働き方の意識改革とは?

「わたし、定時で帰ります。を書き始めた時は、設定として考えただけなので、私自身は24時間働く派に私のマインドがあって、それと正反対のキャラクターを無理やり作った感じ。最初そんなに愛着もなければ、共感もしていなかったんですよ。その当時、過労だったので、心のどこかで誰かに助けてもらいたい、自分を止めてもらいたいという気持ちがあって、今思えば、結衣というキャラクターに私自身が助けを求めていたのかもしれないなと思います。私みたいな仕事を生きがいにしてしまってセルフブラック化していく。歯止めが効かなくなった時が一番怖いなと思っていて、どっかで結衣っていうようなキャラクターをみんな心の中にインストールしておいてもらって、本当に危なくなったときは作動させてもらいたいなという気持ちで書いていました」

時間の長さ、仕事の量で成果を測るというこれまでの“働き方”から効率重視な合理的な働き方へ。
朱野さん自身も様々な経験を通して気付かされた部分もあると言います。

「効率というと単に仕事を早く、無駄を無くすと捉えられるですが、それ以前の問題として利益率の低い仕事を取らない、仕事の受け方、断り方というものもあるし、収益をどう出すかという仕組みが間違っているんじゃないか、今の日本の現場は、とりあえずみんなで頑張って仕事を終わらせようという事ばかり注力してしまって、ちょっと一歩引いてその仕事が正しいのかというのを見る習慣がないのかもしれないなと」。

これからの働き方については?

「新しい時代にどう向き合うのか。歳をとればとるほどキツイなと思います。若い人は人数少ないので、上の大量にうようよしていた人達のやり方でやれって言っても、少ない人数でやるのは無理なので、下の人たちは言う事聞かなくていいと思います。」

合理的な働き方も大切ですが、
「何を成し遂げたかが大事」
というのが朱野さんのメッセージでした。
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朱野流「働き方改革」。 セルフプロデューサーを生み出す。

2019/06/08
朱野帰子さんが小説家デビューと同時期に就職した食品会社は、
がむしゃらに働かされた1社目と違い「定時で帰る」会社でした。
のちの作品に影響を与える「定時で帰る働き方」を経験したことで、
ある価値観に出会います。
その価値観とは?

「定時に変える2社目に入ってから気づいたことは、1社目の会社では仕事をしている自分が好きだったということ。だから、仕事をしている時間が長いほど幸せで、実際仕事で成果でなくても、達成感があるからあまり成果が出なかったことを深刻に捉えていなかったです。2社目は、早く帰されちゃって、8時間内の成果が問われるので、仕事そのものに全力投球する。そういった意味では、2社目の方が仕事への愛がたくさん必要だったんです」

我武者羅に働く会社、定時に帰る会社。
そして、専業作家。
朱野さんは様々な経験を通して見つけた働き方があります。
それは、「好きな仕事をする人ほど自分を俯瞰する目を持ったほうがいい」
ということ。いわゆるセルフプロデュースです。

「過労になる前は、自分の中にディレクターしかいない状態で、作り手は、いっぱい作りたいし、全ての人の気持ちに答えたいから無尽蔵に仕事を受けてしまったんですね。過労になってからは、もう一人プロデューサー人格みたいなのが出てきて、これお金にならないよとか、自分の中の敏腕プロデューサーがアドバイスをしてくれただいぶ楽になり、変な依頼は断ったりしています」

朱野さんはリスナーのみなさんにこう訴えかけました。

「いい人にならない。いい人になるとみんなが幸せになるって割と間違いで、仕事を無尽蔵に受けちゃって、結局周りに迷惑がかかる。後で愚痴を言うんであれば、断る勇気も必要なのではないでしょうか?」
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朱野流“働き方改革”の道のり ~作家・朱野帰子が生まれるまで~

2019/06/01
子供のころから活字が好きで小説家を夢見ていたという朱野さん。
ですが大学時代に「作家はベストセラーでも出さない限り食べていけない」と聞かされ、会社員になろうと就職活動を始めました。しかし、時は超就職氷河期。就職活動でことごとく落とされ、なんとか滑り込むことができたのは、従業員5~6人の小さなマーケティング会社でした。

そこでの生活は…

「実はマーケティングにはまったく興味がなかったんです。でも入社前に本を読み、マーケティングとは人の心を読んで仕事をするということを知ったんです。お客さんが何を考え、どういうふうに行動して、そこにどういう商品を出して行くか・・・そこには私が小さなころから興味があった人間って何だろう?人間の心の動きがあったんです。人の動きを研究するってとっても楽しかったです」

しかし、就職したマーケティング会社では、繁忙期は徹夜があたり前の生活だったそう。

「徹夜をする。長時間仕事をしてい自分たちに酔っているという部分もありました。20代は深夜帰り、明け方帰りがカッコいいとも思っていましたね」

そんな我武者羅に働く日々の中で、ある日ふと朱野さんに葛藤が生まれたのでした。

「ずっとこのままの仕事を続けるのか?やっぱり小説を書きたい」

自分の“働き方”、そして“生き方”について見つめ直し始めます。
働きながら、小説の学校に通い始めた、朱野さん。
『私は小説で食べていきます』と言って、7年勤めた会社を退社。
それまでの、“働き方”から、1歩を踏み出しました。

派遣会社に登録して定時で終わる仕事をしながら、小説を書くつもりでいた朱野さん。
吉報が届いたのは、食品会社の内定通知と同時タイミング。
そう、ダ・ヴィンチ文学賞の大賞受賞の知らせが届いたのです。
二足のわらじを履くことになりペンネーム朱野帰子とし活動を開始したのでした。



朱野流の“働き方改革”の始まりは、夢を諦めない生き方。

だったのでした。
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