NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest草刈民代さん

草刈民代さん

1965年、東京都生まれ。8歳からバレエを始め、数々の賞を受賞し、日本を代表するバレリーナとして活躍。1996年、映画「Shall we ダンス?」で映画初出演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、新人俳優賞を受賞。2009年にバレリーナを引退後、女優として数々のドラマ映画に出演し、現在放送中の帯ドラマ、テレビ朝日「やすらぎの刻~道」に出演中、10月には自身がプロデュースする舞台「PURGATORIO-あなたと私のいる部屋-」にも出演する。

草刈民代流の妥協なき基礎作り

2019/09/07
バレレリーナから女優へ。
40代になってから挑戦した理由とは?

「引退するとも、気持ちのケジメをつけるためにも、次なにをするのか?出てこないと辞められなかったんです。私は何をやりたいんだろう?パっと出てきたのが「女優」でした。ただ「Shall we ダンス?」に出ていますが、それ以降は女優の仕事はしていないし、そもそも、女優として出たわけでなくダンサーの役だったから出たわけで、女優さんが普通に演じる仕事はできるものと思っていませんでした」

では女優として輝くためにどんな努力を重ねたのでしょうか?

「ニューヨークで芝居と発声のレッスンを受けました。発声の先生は言っていたのは、バレリーナは細くてかっこいいかもしれないけど、声を出すというのは違う。もっと緩んでないと自然な声じゃない。悲しい声・楽しい声は体が解放されてれば自然と出てくるということ。体が緩んで本来の声になるまで時間がかかったんです。体を緩めることには抵抗もあって、すごく嫌なんですけどこれからは芝居ができる声が出るという体の方が大事なので」

女優としての体作り、技術を磨き続けている草刈さん。
10月に舞台「プルガトリオ-あなたと私のいる部屋-」という大きな挑戦が待っています。

「これは二人芝居。役名も「男」と「女」しか、いない。高嶋政宏さんにお願いしました。憎しみあってた男女が最後許す。「憎しみ」と「許し」が大きなテーマがある戯曲です。これを選んだのは本当に直感で、これなんかすごい面白そうだ。だけど英語で読んでいるので、細かいところまではわからない。でもどんどんどんどん翻訳が近づいていくと、やっぱりすごい面白いんですよね。、芝居でしか表現できないもの。言葉とか、例えば、今ここは東京のTOKYOFMだとしても、ここは「ロンドンなんです。」と言ってしまえば芝居の中ではロンドンになっちゃう。芝居ってそういうものだから、そういうものが、ポンポン展開があったりとか。なのでこれはチャレンジングなものなんですけど、私も高嶋さんもそこを目指してやりたいと思ってバッチリ稽古しているところです」

常にチャレンジングな草刈さん。
そのライフストーリーは
まだまだ物語の途中です。
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草刈民代流 年齢を重ねて行く中での自分との向き合い方。

2019/08/31
草刈民代さんの35年にも及ぶバレエ人生。
映画「Shall we ダンス?」の大ヒットではダンサーとしても絶頂期を迎えた草刈さん。
注目されたことで、どのように仕事の環境が変わって行ったのでしょうか?

「本当に多くの方に知って頂けたので、海外からのバレエを招聘している会社や、バレエを草刈さんに踊っていただきたいんですけどとお声をかけてくださって仕事を頂くことがあって、どういうものを踊る、どういうものを揃えばおどれますとか30代前半から自分で提案しながらやってきました。40代になってから3回プロデュース公演をしているんですけどそういう事が練習になっていった。あらゆる意味で変わり、舞台回数も多くなった。30代になってからローラン・プティさんと出会い、日本に来るようになって気に入って頂いて、レパートリーを沢山踊るようになったし、振り付けていただいたりして、30代でいろいろ開花していった実感がありますね」

そして、迎えたバレエ人生に終止符を打つ瞬間。
引退を決意した理由とは?

「体が動かなくなってきたからですよね。白鳥の湖など毎年踊っていたんですよね。左右足首何回も捻挫しているんですけど、そうなると関節も緩んできたりとか、30代からはテーピングしなければ怖くて踊れなかったんです。かばいながら踊ったりすると体の歪がひどくなるし、38、39ぐらいになると少しづつ変わってくるんだと実感しました。白鳥の湖とか32回左足を軸にして回り続ける見せ場ができなくなってきたんですね。別の回転もあるのでそれで見せてもいいんですけど、私は決まった振り付けじゃない白鳥の湖を踊り続けるのは嫌だなと思って見切りをつけました」

しかし、日本を代表するバレエダンサーの草刈さん。
簡単にやめることは出来なかったそうです。

「辞めるまでに1年半2年近くかかりました。スパッと辞めるやり方もありますが、それでは、あまりよくないと主人も、けじめをつける形で公演をやった方が言ってくれて。42ぐらいですかね、白鳥を最後にして。41歳で白鳥は次の年で辞めようと思いました」

35年もの間、情熱を注いできたバレエとの別れの瞬間は・・・?

「最後の白鳥というのはあんなに緊張するのかなという公演だったんですよ。お客様の方もすごく緊張なさっているんですよね。幕が開いて出て行ったときに、いつもと比べ物にならない緊張度なんです。あの客席の雰囲気が、ここで踊りきらないと辞められないという引退するのも大変だなと思いました。これを乗り越えないと辞められないんだと思ったら、ハードルが高いんだなと思いまいましたね」

草刈さんが考える「自分」との向き合い方とは?

「歳を重ね、体も付いていかなくなりますから、もしも踊り続けていても大変ですよね。あとは決して満足できませんから。そこに時間を費やすだったら新しく何かに挑戦して新たな物を見出した方がいいんじゃないかと思いました。時にはリスクをとるかもしれない、それを感じるとがに見えてくると思うんですよね。何も感じないところでやってもあまり変化はないし、劇的な事は何もないですよね。逆につまらない。何やっていいかわからない場合なんでもいいからとりあえずちょっとやってみる。何かとことんやってみると自分の事も見えてくるし、自分が何をしたいか、自分について考えられないとダメですよね」

自分で何をしたいのか?
まずは自分について考えること。
新たしい挑戦もそこから生まれると草刈さんはお話されました。
みなさん、草刈さんの自分との向き合い方、参考にしてみてくださいね。     
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人生を変えた映画「Shall we ダンス?」との出会い

2019/08/24
高校を去りバレエ1本に賭ける決断をされた草刈さん。
バレリーナを続けていると転機が訪れました。
映画「Shall we ダンス?」への出演です。

「監督と初めて会ったのが94年だったと思います。周防正行さんは脚本を書き上げたもののヒロインは誰がやるんだと思っていたんですって。その時、たまたま新聞に私のインタビュー記事が出ていて、何人もの方が草刈さんどうですか?と推薦したそう。でも私ははバレエ以外の事を全くやる気が無くて遠慮していた。そのうちに周りがシノプシスを取り寄せてくれて、読んだら凄い取材してあることがわかるんですね。ここまで書く人の作品に出てみたいと思ってお目にかかってみたいと思いました。監督が一番の決め手になったのは、私が近寄りがたかったからと言っていましたね。演じた女性は孤高というかね、一人だけ違う、自分の殻に閉じこもるとか彼の中でリンクしたみたいですけど」。

映画「Shall we ダンス?」は
人生のパートナーとの出会いの場でもありました。
後に夫となる映画監督・周防正行さんとの出会いです。

「撮影中は全くそんなこと考えていなくって、結婚してみてもわかるんですけど、お互いに自分がやるべきことを没頭するとあんまり他見えないタイプなんですね。なので、私も初めて映画に出るし、29、30でそれなりの立場で踊ってましたから、それなりの結果を出さなきゃと当然思っていましたし、主人もバジェットも規模大きくなって作品を作っているときだったので、失敗をしたくないと思って作っていたと思います」。

周防監督は10月4日からの舞台「プルガトリオ-あなたと私のいる部屋-」の脚色を担当。
ビジネスパートナーとしても大切な存在です。

「これは10年前の芝居なんですけど、日本で上演するのは初めてなので、日本語版の台本お作らないといけなくて、海外でも脚色する人はいるんだけど、英語を単に日本語に直しただけでは元の英語のセリフと同じニュアンスにならなかったりするんですよね。なので、英訳のたたき台を作ってもらって、それから主人が日本語の大体の土台を作って、それから細かい英語と日本語をチェックするなど丁寧にやって、英語の脚本に近い物になった。それを主人に一緒に入ってやってもらったんですけどね。物語は愛とか許しとか、その対極に憎しみとかね、自我とかエゴとか。そういうとこで、憎しみをぶつけ合っていた人たちが、どう許していくか?そういう話でもあるんです」

草刈さんが出演される舞台
舞台「PURGATORIO/プルガトリオ -あなたと私のいる部屋-」は
10月4日~14日、場所は東京芸術劇場 シアターウエストで公演されます。
草刈さんの公式HPチェックしてください。
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草刈民代がたどり着いた自分がいるべき場所「バレエ」。

2019/08/17
草刈民代さんのライフストーリーを語る上で欠かすことの出来ない「バレエ」
国内外を問わない活動は日本のバレエを一般に広めることに大きく貢献し、
日本人バレリーナの新たな可能性を示してきました。

そのバレエと出会い、
バレエにかけた10代について次のようにお話されました。

「8つからバレエを始めました。その前はお転婆な女の子で父親が止まっている写真がないと言っていました。実際にバレエを習うこととリンクしたのは札幌オリンピックのジャネット・リン選手を見て、習いたいと打ち明けました。高校を辞めてバレエ一本に打ち込んだのですが、その理由は学校と自分があわなかったこと。バレリーナになりたいと中学時代には決めていたので、ここで勉強をすることが本当に良いのか?という疑問を持っていました。自分の価値観と学校の価値観がずれていたんでしょうね?親が見かねてバレエ一本の道を後押ししてくれました。周りにも留学したいとか、そういう友達も出てきたので、そういう時代だったのかもしれませんね。」

学校を辞めバレエ1本に絞った決断。
その決断に至ったのは、
ある感覚によるものだったと草刈さんはお話されました。

「16で学校を辞めてバレエ団に入りましたので、みんなが応援してくれるという状況ではありませんでした。周りは年上ばかりだし。ただそこは私の居場所でした。適正ってあると思うんですよね。子供のころ気が進まないことは受け取り辛くてバレエの稽古は一生懸命に通ったという・・・それは自分にあった適正な場所に居ると突進できるというか、人それぞれ、あうあわない、向く向かないというものがあると思うんですけど、それはどういうことかというと”理解できると受け入れられる”そうなるとそこに対する拒否というものはないはず。人によって段階や順序はあると思います。私のこどものころははっきりしていましたけどね。今は興味を持ってみることができるようになりました。それも人それぞれですね。」

適正。
興味。
理解。

草刈さんは
人それぞれにあった場所があると仰いました。

その価値観。
大切にしたいですね。
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