NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest石川ひとみさん

石川ひとみさん

愛知県出身。1978年に歌手デビュー。1981年に「まちぶせ」が大ヒット。数々の賞を受賞。NHK人形劇「プリンプリン物語」のプリンセスプリンプリンの声と主題歌を担当。レッツゴーヤング(NHK)司会など、歌手としてだけではなく幅広い分野で活躍。2023年5月にデビュー45周年を迎え、7月19日に45周年記念アルバム「笑顔の花」をリリースする。

歌い続けて45年

2023/06/24
今年でデビュー45周年を迎えた石川ひとみ
改めて歌の魅力とは?

「いつも私を元気づけてくれて背中押してくれて、やっぱり歌に携わると勇気や力が湧いてくるかなって思ってますね」

そして、歌はギタリストでプロデューサーの山田直毅と引き合わせ、結婚に導いた。

「何をするにも二人で一緒に行うこともできますし、思いも、いつも見てる方向も同じ人がいるっていうのはすごく心強いですし。もちろん個々違うところも山ほどあって、色々なこともありますけど。でもそういうのも全て力にもなったり、栄養にもなったり。気づきにもなったりていう感じありますからね。2人だと悲しい時なんかは特に心強いっていうか、なんか寄りかかれる人がいるとね、嬉しいなあと思いますよね」

デビュー45周年記念アルバム「笑顔の花」にも夫の協力があった。

「45周年だからっていうわけではないかもしれないですけど。この先もそうだと思うんですが、やっぱりあのつまずいたり転んでしまったり。迷ってしまったり、生きていると失敗もあったりとかで後悔もあったりとかっていっぱいあるけども。あの時は悲しくて、悔しかったけどもでも笑顔で笑えたらいいなって。ふふふって笑えたらいいなって、これから先も人生まだ歩いて行くわけで。その思いをちょっと曲に託したりとか、そんな思いも入っているアルバムとなってます」

石川ひとみの10年後とは?

「歌っていられたらいいなって思いますね。やっぱり一生涯現役みたいな。ちょっと 欲張りですけども、そんなことがもしできたらなんか夢のような話かもしれないですけど。自分が例えば、80歳ぐらいになったころってどんな声になっているのかなって、先輩の皆様もやっぱり80代になっても、本当に現役バリバリの方達ってたくさんおられて、そういう先輩を見て私もそうなりたいなって楽しみにしたりとか、想像しています」
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まちぶせ

2023/06/17
石川ひとみは1978年 昭和53年に
「右向け右」で念願の歌手デビューを果たした。

「全く違う世界っていう感じで、どう振る舞っていいかがよくわからなかったですね。マネージャーさんがついてくるんですけど、最初マネージャーさんもよくわかんなくて、この人何でいつも私と一緒にいるんだろうって本当に思っていたんですよ」

そのマネージャから芸能界のイロハについて学んだ。

「いろいろ教えてくれて、お部屋に入るときは必ずノックをして何々です入ります。失礼しますって言って入るとか、事務所が礼儀について細かく教えてくれて、挨拶はもうきっちりしなきゃいけなくてね。なんども、なんども同じ人に挨拶したりとかしてしましたね。わからないから、しなきゃいけないと思っているので、さっきも会ったよって感じで言っていたりして。いつもガチガチでいましたね。いつも緊張してた気がしますね。楽屋でも」

歌手以外の活躍の場も広げた。
NHKの人形劇プリンプリン物語の主役に抜擢される。

「プリンプリン物語はデビューして翌年から3年間やってました。最初は1年って言われていていたんですけど、とても人気が出た人形劇だったので、2年、3年と続きましたね。楽しかったです。子供のころから着せ替え人形が好きで、小学校の頃いっぱい集めてたんですね。お洋服を着せ替えしたりなんかして遊んでたんですけど、それぐらいお人形が大好きでプリンプリン物語も人形劇なんで、やっぱり子供の頃のその着せ替え人形で遊んだ時のあのイメージでプリンプリンを演じてました。どっちかって言うとその延長線上の声だったかな」

しかし、いわゆるヒット曲には中々巡り合わなかった。

「やっぱヒットってどうしてもベスト10に入ったりとか、オリコンだったら左のページの1位から50位までの上の方だったりとか、どこいってもみんなが知っていたりとかっていうイメージがあったじゃないですか、やっぱり私自身も歌手に憧れていた時はそういう曲ばっかり聞いていましたし、歌っていましたし。それを夢見てこの世界に入ってきたんですけれども。あれ?だんだん自分が描いていた歌手の姿とはなんか違うな、バラエティ番組の司会とか、クイズ番組の司会とかレギュラー番組はあったんですけど、あれって?はて?これは一体、何だろういいのかな?私は東京に何しに来たのかな?みたいになってしまって。そうだ、そうだ私は歌を歌いたくてきたのにって」

その中、三木聖子「まちぶせ」をカバーでリリースするという話が持ち上がった

「私両親とのお約束がありまして。で友達がみんな4年の大学行く子が多かったので、じゃあ私あの大学は行ってないけれども4年間だけ私は社会の勉強のために、4年間だけ東京に行っていいかなっていう風に説得していて。でそれOK をもらって東京でやってたんですけど」

約束の4年目、
次に出す曲で区切りをつける決心をした。

「もう一度自分のこれからの長い人生まだまだあるので見つめ直してみようって、ひそかに思ってて心の中で。でも、誰にも言わなくて両親にも言わなくて本当に心の中だけで思って決心してたんですよ。次の曲でやめようって、その時にまあいろんな候補がある中に“まちぶせ”っていう曲があって、実はこのまちぶせは、東京音楽学院の名古屋校に通っていて、個人レッスンを受けていた時の課題曲にあったんですよ。なんていい曲なんだろうって鳥肌が立ってしまってこの曲いいなって思いながらレッスンをしていました」

初めてそのレッスンした日の帰り道にすぐにレコード屋さんに行き
「まちぶせ」のレコードを買って、毎日、家で歌っていた。
その曲が自分の元へとやってきた。

「この曲だったら、最後にしても絶対後悔ないなって思って。で、詞の内容もね、なんと私が中学、高校あたりに経験したのとそっくりなんですよ。なんか待ち伏せしてしまってキュンとする話なんですけど、もう好きだけど好きって言えないそういう気持ちもうなんか私のこと歌ってんじゃないかって思うぐらいに詞もよくわかって」

発売された「まちぶせ」は
石川ひとみに様々な景色を見せてくれた。

「キャンペーンで地方に行くじゃないですか?帰ってきて事務所にマネージャーさんと寄って、オリコンとかランキング雑誌がありますよね。それを開けるじゃないですか?最初の頃って本当に1位から遠いページのところにあって、100位ぐらいだったかな。あること自体うれしくて上向きの矢印が付いていたりするとよかったね。次にまた他の地方にキャンペーンに行ってで帰ってきて、事務所で見ると、あれなんか上の方に行ってるってなって、次に帰ってきて雑誌を見るとなんと左ページ1ページ目にあるっていうのが嬉しくて。

「まちぶせ」紅白歌合戦にも連れて行ってくれた。

「今もすごく覚えてますよ。緊張しながらちょっとテンポ早かったけど、歌ったのを覚えています。すごく覚えてます目に浮かびますね。あの時やぱっり涙出てしまいましたけど、でも歌は絶対途切れないように、涙声で変な声になっちゃったとしても最後まできっちり歌おうっていう思いはすごくあって、あの皆さんの記憶の中ではひとみさんは泣いてしまって歌えなかったねってよく言われるんですけど、いやいやちゃんと歌ってます。涙声だけど歌ってますって言ってるんですが、ちゃんと歌いました」
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右向け右

2023/06/10
高校生の時に通っていた
渡辺プロダクション 東京音楽学院 名古屋校。
この時、歌手になりたいという気持ちはあったのか?

「あったんですけど、でも親には言えなくて。月謝が上がってしまったので、両親に”あなたは歌手になるんじゃないからやめなさい”って言われて、そうか私は両親に歌手になりたいんですっていう希望を話したことが一度もなかったので。そっかーと思ってやめたんですよ。しばらくしたら、新聞の記事に渡辺プロダクションの新人オーディションが名古屋でありますっていうことが書かれていて。せっかく、1年弱でしたけども学院で習ったので、このオーディションだけ受けさせてもらっていいかなって両親に言って、それはもうこれ最後にするんだったらいいよって言われて。あのオーディション受けに行きました」

オーディションを受け、その場で合格。
審査員の中にはテレビ番組「君こそスターだ」のディレクターがいた。
そして、番組出演を勧められたという。

「君こそスターだ。7週勝ち抜きの番組の7回も出ないといけないんです。1週目受かれば、2週、3週で行くっていう番組で、6週目に落ちれば落っこっちゃうって言うね。7週連続勝ち抜きって結構厳しいですよね」

ところが1週目で痛恨のミスをしてしまったのだった
歌詞を間違え、歌うのを止めてしまったのである。

「いや~色んな番組やってきたけど、出場する子がね。手を上げて間違えたってVTR止める人は今までいなかったよ。君だけだよって」

その度胸が認められ石川ひとみは
番組を勝ち抜き芸能界入りの道を切り開いた。

「君こそスターだを受けてたのが高校2年の時で、あと1年あるじゃないですか?高校3年生の1年間。なので、その3年生の1年間は普通にあの学校に通って行って、何もそういう活動とかっていうことは何もしてなかったですね。ただ学院では通ってちょっとレッスンしてたかなっていう記憶はありますけど」

そして、高校卒業を待って、名古屋から東京へ。

「上京するのは両親は大反対だったんです。そんな何ともわからないそんな東京という大都会に娘を出すなんて思ったと思うんですよ。歌手デビューは決まってないですけども、プロダクションは一応決まってたので。寮があるってことがきっと安心の一つだったと思うんですね」

所属した渡辺プロダクションは夢のような世界が広がっていた。

「憧れの小柳ルミ子さんとか、梓みちよさん、中尾ミエさん、園まりさん、伊東ゆかりさんとか、ドリフターズのみなさまとか、クレイジーキャッツの皆さんとか。布施明さん。沢田研二さん。もうキリがない。言わなきゃいけない方がたくさんいるので、ちょっと全員の方言えなくてすいませんって感じなんですけど」

その中で、事務所の先輩・キャンディーズとは特別な縁があった。

「キャンディーズの皆さんが、1978年の4月に後楽園での最後のあのステージを終えて。解散になりましたよね。4月に。で、私がデビューしたのがその年の翌月の5月なんですよ。なので、あのキャンディーズの皆さんについていた現場のマネージャーさんとかは私についてくださって。バックで演奏してくれている人たちも何人かの方たちは、そのまま私のコンサートをやってくださったり、なんか恐れ多いっていう感じでしたけども。そんなことがありましたね」

デビュー曲のレコーディングは本人に知らされないで進んでいた。

「私知らなかったんですよ。この曲が自分のデビュー曲になるってことを。知らないで初めて連れて行かれた大きなスタジオみたいなところで、ヘッドホンをしていたら大きな音できれいな音でカラオケが流れてきて、スタジオに行く前に数日前に、事務所のピアノの前で練習した曲がなぜかそっから流れてきて。で、歌ってたんですね。右向け右を歌ってて。もう1曲、2曲歌わせていただいて、そしたら、OKですってみたいな感じで。終わったらスタッフの方が急に話し始めて。いや、この2つの曲どっちも良いと思うんだけど、デビュー曲どっちがいいって言われて、えっ、今のデビュー曲だったですか?みたいな」

こうして石川ひとみは
1978年、昭和53に「右向け右」で念願の歌手デビューを果たした。
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レコードが教えてくれた歌の魅力

2023/06/03
今年でデビュー45周年を迎えた石川ひとみ。
愛知県名古屋市で生まれた。

「ちっちゃい時。小学校くらいになってくるとだんだん活発になってきてスポーツも好きになったりとかドッジボールが好きだったり跳び箱が好きだったりソフトボールではピッチャーやってたりと人見知りだけど活発な女の子でした」

音楽に興味を頂いたのは小学4年生の時。

「黒猫のタンゴが大ヒットして、その曲のレコードをお小遣いで買ってお家にあるプレイヤーでかけて最初は聞いていたんですけどだんだん 自分でも口ずさむようになってきて楽しくなってきちゃって それから毎日のように レコードをかけて歌うようになりました」

それからはレコードを買っては
聴きながら歌うということをやっていたという。

「小学校の頃から中学高校と、それこそ東京に出てくる前までは毎日2時間ぐらいはもう宿題もそっちのけでレコードかけて、いろんな方の歌を歌っていたんですけど 中学高校となってくるとアルバム LPレコードとかも買ってきて好きをずっとかけながら毎日歌っていました」

岩崎宏美、天地真理、南沙織のレコードが歌のお手本であった。
すると高校生活を過ごす中で人生の分岐点がやってきた。

「母親とお買い物に電車に乗って行く時の駅のホームのところの看板のすみっこに渡辺プロダクションの東京音楽学院 名古屋校で書いてあったんですね、母にあのちょっと見に行かないって言ったら 母も民謡とか好きだったので何気に民謡とかお母さんやったらとかって言いながらじゃあちょっと見に行こうかって言ってお買い物行かないでその足で見学に行ったんですよ」

その日は入学のオーディション当日。
石川ひとみは飛び入りで参加した。

そして、合格。

石川ひとみの歌手人生の分岐点となった。
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