NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest原田美枝子さん

原田美枝子さん

1974年、15歳で映画「恋は緑の風の中」でデビューを飾る。1076年に出演した「大地の子守唄」「青春の殺人者」でブルーリボン賞やキネマ旬報主演女優賞などを受賞し、注目を浴びる。10代の頃から演技派女優として高く評価され、黒澤明監督の「乱」や「夢」など多数の映画に出演している。

やりたいことは全部やる

2023/07/29
俳優・原田美枝子
物語のシーンに出てきたことが
プライベートの趣味になることもあるという。

40代からは乗馬をはじめている。

「40代の中頃にどろろっていう映画があって、その中で馬に2人乗りするシーンがあって。練習に行ってやったんですけど、その撮影に行ったらニュージーランドのスタッフだったんですけど。みんなロードオブザリングとかやったスタッフだったですね。その馬の関係の人が、あなたたちには乗せられないって言われちゃって、全然あの うまく乗れないから危ないからのっちゃダメって言われて。乗るところ、降りるところしか乗せてもらえなかったんですよ。すごい悔しくて。やっぱりこういう乗馬なんかはもう本当に時間をかけてやらなきゃうまくならないんだなっていうのがわかって。で、それからあの悔しくて始めました」

仕事の都合がつくときは週2回。
そして大会にもエントリーした。

「そうですね何回か出ています。やっぱり、ただ練習してるだけだとどうしても、こうなんとかマンネリ化しちゃうので。大会に出てちょっとこう勝を入れるというかね、乗馬の面白さよさって男女関係ないし、年齢関係ないんですよ。だからみんな同列でその競技にエントリーした人が出られるんですね。前に出た時に私4位だった時に3位の子は小学校4年生の男の子だったんです。めちゃくちゃ悔しいですね」

さらにピアノも趣味にしているという。

「百花という映画が去年公開されたんですけど、その撮影の時にピアノ教師の役だったので、ずっと練習をしてて。あのグランドピアノで練習させてくれてたんですね。で初めてグランドピアノを弾いて音がすごい気持ちがいいんですよ。それで何かそのピアノが大好きになっちゃって。で撮影が終わってからもやはり続けようって思って、それであのその撮影の時に教えてくださってた方がそのまま引き続き教えてくださってるんですけど」

俳優・原田美枝子にとって演じるということは?

「何でしょうね。若い頃はその自分が褒められたいっていう自意識の方が強かったんですけど。30代過ぎてから思うようになったのは、誰かの代弁者であるって思うんですね。つまり歴史上の人物であったり、無名の人であったり、あるいは架空の人であってもだれか女の人の思っていることや、言いたかったことを代わりに言ってあげる。伝えてあげるのは仕事なんだなって思うようになりましたね」

では10年後はどんな自分でいたいのか?

「どうですかね。とんでもないですね。リアルすぎて。まあいつ死んでもいいなあと思ってるんですけど。やることやって。やりたいと思うこと全部やり尽くしたいですね。それでなんかじゃってこう行きたいですね」
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俳優・松田優作の言葉

2023/07/22
原田美枝子が人生の分岐点にあげたのが
俳優 松田優作との出会い。

「正式なデビューの前に友達っていう映画があるんですよ。勉強がてら行ってごらんなさいと言われて初めて撮影に行った時にロケバスで待っててって言われて、近くの座席にいたのが 優作さんだったんですよね。でも私が15歳になる前ぐらいだったので、見かけたっていう感じですね」

手の届かない松田優作との距離を縮めたのはある人物の存在があった。

「北の国からで、当時は 熊谷美由紀さん。後に優作さんの奥さんになる 松田美由紀さんと共演してその時に すごい仲良くなるんですね。家族ぐるみで仲良くしてもらって、優作さんに相談に行ったりするようになったんですね」

原田美枝子が

「乱という作品をやって、その後、火宅の人という作品に出演したんですけど両方とも 優作さんが見てくれて 火宅の人を見た時に 別人だな っていう一言を褒め言葉でもらいました。同じことを同じようにやってるのは誰だってできるけど全く別人に見えるように仕事をするのが俺たちの仕事だろうっていう感じで褒めてくれたんですよね」

松田優作のひとことは
重く、そして、痛いところに入るという。

「剣道とかの戦いだったら ポンっって叩けば一番痛むし 絶対勝てるっていうな ポイントがあるじゃないですか そういうところにトントン 入ってくるんですよね だからその言い方はとても強くて乱暴のように聞こえるんですけど、後になって効いてくるんですよね」

松田優作の言葉は
今もなお俳優・原田美枝子を支えている。
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家族のチカラ

2023/07/15
原田美枝子が人生の分岐点として
結婚と出産をあげている。

「28歳で結婚して29歳で子どもができたんですけど、3人の子どもに恵まれました。子育ては全部が初めてのことじゃないですか、それこそ試行錯誤ででも自信はないわけですよね。松田優作さんと仲良くさせてもらって、相談に乗ってもらったりしてたんですけど 最初に私がその長男を産んですごい嬉しくて、遊びに来てくれた時に ほら可愛いでしょって見せたら“殺すなよ”それで終わっちゃったんですけど すっごい びっくりしたんですけど でもその 殺すなよ っていうのは死なさないことが一番大事っていう言葉なんですよ。だからそれさえちゃんとしてたら あとはその子が決めていくでしょうっていう」

親は守ってあげなきゃいけない
自立するまでは 育ててあげなきゃいけない
その子が育って自分の道を選ぶ時までは手を離しちゃいけない。

松田優作からもらった強力なメッセージを守りながら
俳優業と母親はキチンと切り替えた。

「パンとドアを閉めたらもう切り替えて、何も考えないようにして最初の時はやっぱりどうしても引きずっちゃうし自信がない しこれでいいのかな とか って思いながら仕事場にも行き家に向いてっていうもう どっちつかずな 状態があって それは両方 良くないんですよね だから 割り切りをしなきゃいけないし 任せるところは人に任せて 切り替えました」

原田美枝子は立派に成長した子供たちと一つのビッグプロジェクトに挑んだ。
短編映画 女優 原田ヒサ子の制作だ。
原田美枝子初監督作品である。

「80代の半ば頃に 認知症になって時にお見舞いに行ったら突然、私ね15の時から女優やってるのって言ったんです ポロッと、私を通して世の中を見たり仕事を一緒になって気持ちの上でやってたのかなと思うようになったんですね でも ひょっとしたら 芝居 やりたかったのかな っていうとこまでやっと思い当たったんですよ そしたら じゃあそのワンカット 取って映画にしてデビューさせちゃえばいいじゃないっていうアイデアが上から落ちてきたんですよ」

そして、その構想を子どもたちに相談
すると、全員が賛同してくれた。

iPhoneや一眼レフカメラで撮影し、
人の手を借りながらもパソコンで原田美枝子自ら編集も行った。

「長年、この仕事をしているので映像のどことどこをどういう風に編集すると 話の辻褄が合うなとか、なんとなく自分の中にあったみたいなんです」
「ワンカットだけ きちんと お着物を着てもらってお化粧して髪もきれいにしてもらってじゃあ 用意スタートってやったらなんかスイッチが入ったみたいですっごい素敵なカットが取れたんですね それで私はそのカットを見てできたってなんかすごく思って これを中心に映画をまとめられるって確信しちゃったんです」

短編映画「女優 原田ヒサ子」は
劇場で公開され、今、配信もされている。
自分、そして子どもたちが力を合わせた作品となっている。
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名監督から学んだ演技の世界

2023/07/08
高校1年生で 映画デビューした原田美枝子。
その反響は少なくなかったという。

「15の女の子にしてはもうとっても傷つくようなことをたくさん言われたりして、そこがちょっとつらかったですね。大地の子守歌に関してもそういうことはありました」

しかし、増村保造監督出会いが
原田美枝子の人生を変えた。

「増村さんとの出会いっていうのが 本当に 芝居の原点なんですね やらなかったらもうやめてたかもしれないなあと思うんですけど。面白さがわかんなくて 撮影は3ヶ月かかったんですけど 3ヶ月かけて撮影してそれで最後に アフレコをやってたんですけど自分が繋がった映像を見てると全然顔が違うんですね。そうしたら増村さんがやっと人間らしくなったなって後半の顔を見て言うんです」

3か月の撮影で俳優を知った。

「1カットにつき30回ぐらいテストがあるんですよ。とにかくできるまでOKを出してくれないんです。撮影が終わった時には 演じていた女の子が自分の中にいたかもっていう発見をしたんですよね そしたら現実の方になかなか戻れなくなっちゃって」

その経験は原田美枝子にとって刺激的だったという。

「自分の中にこんな人が住んでたのかな とかっていうのを16歳の時に感じて、それがなんか面白い って思っちゃったんですよね また次のことやってみたいって思うようになっちゃったんですよ」

数々の作品に出演してきた原田美枝子。
時には演技に悩んだこともあった。
これがだめだったら と俳優 生命をかけて臨んだのが世界のクロサワ作品だった。

黒澤明監督の映画 乱 を撮影したのは25歳の時。
復讐に燃える悪女を演じた。
原田美枝子から見た黒沢明監督とは。

「本当の本当のアーティストですよね。もう芸術かなと思います もう目が違うしでもとっても優しいですよ。私から見ると巨人ですよね。本当に大きな人、本当に登れない山 みたいな大きさと強さと 鋭さがあったので」

黒沢明監督との印象深い思い出を語ってもらった。

「すごく大事なシーンは4ヶ月にわたってリハーサルをしたんですけど 最初、本番用の衣装を着せてくれるんです。置物をすぐに俳優が着こなせないということはわかっているので体になじませるためにも本番用の衣装を着せてくれたんです。ヘアメイクもどういうヘアメイクが一番合うのかっていうのを試行錯誤しながらやるので、体になじんでくるし 動きもスムーズになってくるし 最初はもう全然できなくて。でも OKの時にはもう立ち上がってご自分から拍手して良かったですよ 素敵でしたって言ってくださるんですね そうすると そのまま 俳優もスタッフもそれまですっごい 苦労してるので もう 氷が溶けるようにとこそれまでの苦労が報われる 気がするんですよかったって思うからまた 次のシーンもできるんですよね」

さらに黒沢明監督のすごさを次のように語る。

「ト書きに昼の情事って書いてあるんですよ。黒沢さんは と ピタッと襖を閉めておくっていうだけでそれを表現してるんですよね それで、ちょっと空いた時にその着物ばっと慌てて着てるっていうので、そういう 表現になってるんですけど、見せなくて見せるっていう所がすごいんですよね」

原田美枝子が駆け抜けた10代と20代、
そこには名監督の存在があった。
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スクリーンの向こう側へ

2023/07/01
俳優・原田美枝子。
彼女が演技の世界に魅力を感じたのは中学1年生の時だった。

「私が中学1年生の時にイギリスの映画で小さな恋のメロディ という作品があったんですけどその映画を友達と2人で 初めて銀座に見に行って、その時の衝撃、あまりにも美しくてそれで同じ年なのに、光り輝く緑の風のようでした。素敵なものがスクリーンの中にあったんですよね。でその主役をやってた子をマーク・レスター って言うんですけどすごい可愛いんですけど で もうその映画の世界にも大好きになっちゃって」

本当にマーク・レスター 一色に染まっていた毎日、
その中、千載一遇のチャンスがやってきた。
マーク・レスターを呼び、東宝が映画を作るという情報をキャッチした。

「相手役を一般公募しますよ ということになってそれを新聞で発見して応募したいって言ったらいいんじゃないってすごく気楽に言うんですよ。最終選考で落ちちゃったんですけど最終面接は 松屋デパートってありますよね 銀座に屋上になんかステージがあったんですよでそこで歩いて行って マイクで一言言ってっていうのだったと思うんですけど 」

憧れのマーク レスター主演映画の相手役 オーディションに応募するも落選。
ただ、その素質に気づき声をかけたプロダクションがあった。

「最初はアイドルへの道が最短距離 みたいな時代だったんです。とりあえず歌わせちゃえ!みたいな歌手としてデビューさせようという話が盛り上がったんですけど 歌は下手だし 挨拶できないし自分的には全然無理って思ってたんです」

その中、演技の話が舞い込んだ。
1974年公開のデビュー作「恋は緑の風の中」

「憧れていた世界とは全然違いました。なんて言うんですかね 土臭いというかその素敵なことの最先端だと思ってたんですけど スクリーンの向こう側が汗と涙とって感じですね。だけどその大人が何十人も集まって一つのことをやる っていう事の面白さを見ちゃった感じなんですよ 面白いってなんかそこで全然違う 面白さを感じてしまって自分が芝居して楽しいって思いました」
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