2012年1月25日
1月25日「被災地で放送を続けるラジオ(3)『宮城県南三陸町・FMみなさん』」
宮城県南三陸町の災害FM「FMみなさん」は、津波で流出した防災無線の代わりとして、昨年5月、町の総合体育館の一角で放送をスタートしました。
町の災害・生活情報を中心に、生放送を含む24時間体制で放送を行っています。
開局にあたって、大震災を経験した神戸や長岡のラジオ局がノウハウを提供したそうです。
現在「FMみなさん」のスタッフは9名。
そのうちの1人、和泉博文さんは、震災前はラジオと全く関係のない仕事をしていたといいます。
◆震災前の仕事
震災前はトラックの運転手だった。山で原木を積んで街に下ろす仕事。社長の家も流され、会社を解雇された。
災害FMに応募したのは町の臨時職員にもなれるし、いままでと違う仕事をしてみたいと思ったから。
今はゲストの出演依頼交渉や、現場に行って収録、編集して番組を作っている。手さぐり状態。トラックの運転手だったので、人と喋ることもあまりなかった。知らない人と喋ることに最初は抵抗があったけど、だんだんわかってきてスムーズにできるようになった。
◆3人の子育て
震災前から父子家庭で、親子の会話はカタコトだった。でもこういう仕事をすることによって、言葉で意思の疎通ができるようになった。言葉って大事。
声かけすることによって子供たちの気持ちもわかるし、自分の気持ちも伝えられる。この仕事をしてよかった。親子の関係を修復できた。
「FMみなさん」は、3月で閉局になる。俺が仕事しなければ生計が立たない。今は何も考えられない。先のことを考えてくよくよしても仕方ない。やれない仕事はない。とりあえずなんかやってみようかなと思う。
「FMみなさん」などの災害FMは、インターネットで全国どこからでも聴くことができます。
【災害FMがネット上で聴ける「サイマルラジオ」】
【南三陸災害エフエム「FMみなさん」のブログ】
町の災害・生活情報を中心に、生放送を含む24時間体制で放送を行っています。
開局にあたって、大震災を経験した神戸や長岡のラジオ局がノウハウを提供したそうです。
現在「FMみなさん」のスタッフは9名。
そのうちの1人、和泉博文さんは、震災前はラジオと全く関係のない仕事をしていたといいます。
◆震災前の仕事
震災前はトラックの運転手だった。山で原木を積んで街に下ろす仕事。社長の家も流され、会社を解雇された。
災害FMに応募したのは町の臨時職員にもなれるし、いままでと違う仕事をしてみたいと思ったから。
今はゲストの出演依頼交渉や、現場に行って収録、編集して番組を作っている。手さぐり状態。トラックの運転手だったので、人と喋ることもあまりなかった。知らない人と喋ることに最初は抵抗があったけど、だんだんわかってきてスムーズにできるようになった。
◆3人の子育て
震災前から父子家庭で、親子の会話はカタコトだった。でもこういう仕事をすることによって、言葉で意思の疎通ができるようになった。言葉って大事。
声かけすることによって子供たちの気持ちもわかるし、自分の気持ちも伝えられる。この仕事をしてよかった。親子の関係を修復できた。
「FMみなさん」は、3月で閉局になる。俺が仕事しなければ生計が立たない。今は何も考えられない。先のことを考えてくよくよしても仕方ない。やれない仕事はない。とりあえずなんかやってみようかなと思う。
「FMみなさん」などの災害FMは、インターネットで全国どこからでも聴くことができます。
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