2012年1月11日

1月11日「千葉県旭市の『語り部』が、後世に伝える体験」


津波の被害にあった千葉県旭市は、市の発表によると、
地震と津波による死者13名、行方不明者2名、
住宅被害は全部で3677戸、そのうち全壊と大規模半壊が768戸、液状化の被害767戸
千葉県で最も大きな被害を受けた地域です。
旭市では現在も、約170世帯が仮設住宅での暮らしを続けています。

旭市飯岡地区の小野芳子さん(75歳)は、市内で働くダウン症の長男と一緒に、今も飯岡地区にある仮設住宅で避難生活を続けています。

また小野さんは現在、飯岡の市民団体が立ち上げた、震災・津波の体験を後世に伝える「語り部」としての活動に参加しています。

◆「語り部」の震災体験
 2階のある家はみんな2階へ上がった。うちは平屋だった。津波は瞬間7mといっていたがそれ以上だったのでは。第一波は玄関までで引いた。「この程度で終わった」と思った。
 息子が帰らないのでうちで待っていた。それから40分ほどして大きなのがきた。息子が帰ったところだった。避難しろと言われ、大事なものを家に取りに行った。奥の座敷へ財布などを取りに行き、手を繋いで座敷から帰ってきて下駄箱に手を置いたらバーンと津波が来た。
 手を繋いでいた息子がいない。「まさかず」と呼んだが、返事もない。茶箪笥も冷蔵庫も倒れてきた挟まれた。波はどんどん重なり3mくらいになった。捕まっていたが潜ってしまった。
 「まさかずゴメンね」と謝りながら意識を失った。気がついたら仏壇の前のガレキだらけの上に座っていた。助かった。
 でも正和がいない。「ごめんね正和」と大きな声で言ったところで引き潮に。消防隊が来たので、「障害を持つ息子がうちの何処かに沈んでいるから探してくれ、そうでないとうちは出られない」と言ったら、息子は既に助けられたことを知らされた。その後、どうやって正和が助かったのか教えてくれた。息子は流木を乗り換えて、屋根に飛び乗り、助かった。



小野さんは、生まれも旭市飯岡で、1960年のチリ地震など、過去に襲った津波も経験していますが、「今回のような津波は全く想像していなかった」ともおっしゃっていました。

2012年1月10日

1月10日「宮城県南三陸町の現状。発揮される『地域力』」

昨年3月の東日本大震災で、宮城県南三陸町を襲った津波は、町内を流れる3つの川を逆流。
町の庁舎も津波に飲み込まれました。
死者・行方不明者は1万人を超えています。

南三陸町・佐藤仁町長の、復興に向けた想いを伺いました。

◆今年は「復興元年」になる
 震災復興計画が決定した。復興計画の基本は「高台移転」を進めること。それに向けて、いま町民の皆さんにアンケートしている。今年が復興元年になると思う。

◆雇用の確保と「地域力」
 町の雇用を支えていた85%の企業、会員が壊滅してしまったので、雇用は厳しい。収入がある、ということが生活の再建の基本中の基本。雇用の場所をどう確保するかが課題。
 基幹産業は水産業。去年7月1日、漁が解禁になった。9月から秋サケの水揚げが始まった。サケの孵化放流事業を展開しているが水揚げは宮城県内トップ。例年に比べて量は少ないが、単価が高かったので、ほぼ前年と同様の売り上げがあった。水産の分野については前を向かって歩み始めることができた。
 震災前から元気な人は震災後も元気。去年4月末に復興市の第一回目を開催した。三回、四回と会を重ねるうち、はずみもついて、出店する商店も増えていった。今年も進めていきたい。
 地域の皆さんの「地域力」が発揮されている。今年もがんばって、復興に向かって歩みを進めていきたい。




復興計画の基本となる「高台移転」に向けて、「復興事業推進課」「復興企画課」という二つの部署が新設されました。新年の仕事始めで、16人が配属されたばかりです。

また2月末ごろに、町内に仮設の商店街も誕生する予定です。
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パーソナリティ 鈴村健一

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