2012年1月9日
1月9日「岩手県宮古市の現状。市民のチカラ」
岩手県宮古市田老町は過去に週十回の津波の被害を経験してきました。
1978年には、津波に備えた、高さ10メートルの防潮堤が完成しましたが、東日本大震災の津波は、その巨大防潮堤をも乗り越えて、地域に大きな被害をもたらしました。
宮古市・山本正徳市長に、現在の宮古市の復興の状況を伺いました。
◆宮古市の現状
復興の基本的な計画は立っているが、日々の生業をしっかり持つためには仕事ができるようにしなければ。それは並行してやっている。
この地区はわかめ、昆布の養殖、ホタテ、カキの養殖、定置網。いま全体からいえば(震災前の)60%ぐらい。その後の加工業などがしっかり回復していない。スピード感がないとか、国の制度がついていかない、というのも現状。
一つの原因は、工場を建設したり、商店を復活させるための業者の数が少ないこと。メニューやお金も用意されているのに建築が進まない、ということもある。そこは地元だけのチカラではできないので、県内、また全国の業者が入ってきて、復興を支えてくれないと、なかなか早くは進まない。
津波で甚大な被害を受けた宮古市ですが、宮古市魚市場は震災1ヶ月後の4月11日、岩手県の沿岸被災地の中で、いち早く再開をしました。
◆宮古市民の「チカラ」
宮古は「民力」がすごい強い。商売をやっている人、お店をやっている人、加工業の人。(それぞれが)わたしはこれをやらなきゃいけない、家族を食べさせなきゃと頑張っている。なので、昼も夜も街に活気が出てきている。これを一部だけでなく全体に持っていかなければ、と思っている。
宮古市魚市場では新年4日、今年の初セリが行われ、サケ、スルメイカ、メバルなどがセリにかけられました。昨年の水揚げ量、取引金額は、例年の7、8割にまで回復したということです。
また1月8日には、宮古市民総合体育館で成人式も行われました。
1978年には、津波に備えた、高さ10メートルの防潮堤が完成しましたが、東日本大震災の津波は、その巨大防潮堤をも乗り越えて、地域に大きな被害をもたらしました。
宮古市・山本正徳市長に、現在の宮古市の復興の状況を伺いました。
◆宮古市の現状
復興の基本的な計画は立っているが、日々の生業をしっかり持つためには仕事ができるようにしなければ。それは並行してやっている。
この地区はわかめ、昆布の養殖、ホタテ、カキの養殖、定置網。いま全体からいえば(震災前の)60%ぐらい。その後の加工業などがしっかり回復していない。スピード感がないとか、国の制度がついていかない、というのも現状。
一つの原因は、工場を建設したり、商店を復活させるための業者の数が少ないこと。メニューやお金も用意されているのに建築が進まない、ということもある。そこは地元だけのチカラではできないので、県内、また全国の業者が入ってきて、復興を支えてくれないと、なかなか早くは進まない。
津波で甚大な被害を受けた宮古市ですが、宮古市魚市場は震災1ヶ月後の4月11日、岩手県の沿岸被災地の中で、いち早く再開をしました。
◆宮古市民の「チカラ」
宮古は「民力」がすごい強い。商売をやっている人、お店をやっている人、加工業の人。(それぞれが)わたしはこれをやらなきゃいけない、家族を食べさせなきゃと頑張っている。なので、昼も夜も街に活気が出てきている。これを一部だけでなく全体に持っていかなければ、と思っている。
宮古市魚市場では新年4日、今年の初セリが行われ、サケ、スルメイカ、メバルなどがセリにかけられました。昨年の水揚げ量、取引金額は、例年の7、8割にまで回復したということです。
また1月8日には、宮古市民総合体育館で成人式も行われました。