2011年12月22日
12月22日「宮城県石巻市・牡鹿半島の今(4)」
今週は宮城県石巻市・三陸海岸の南端に突き出た牡鹿半島の現在の状況、復興に向けた動きをご紹介しています。
鮎川地域に先日完成した復興商店街「おしかのれん街」は、平屋の建物2棟に飲食店・販売店が16店舗入っています。
その中の一軒、「マルニ鮮魚店」のお母さんは、お店の軒先で牡蠣鍋をお客さんに無料で振る舞っていました。
その理由を尋ねると、「牡蠣を剥いたことがない人がやってるから売り物にならないので」 とおっしゃっていましたが、どういうことなのか、お店の裏で黙々と牡蠣を剥いていたお父さんに事情を伺いました。
◆違う仕事をしている
(牡蠣を剥くのは)練習。(もともとは)鮎川モータースというクルマ屋さんをやっていた。今からクルマ屋を再開するため工具を揃えては、私の代では借金が返せない。てっとり早いのが魚屋さん。地元の漁師さんは友達がいっぱいいる。全部回してくれるから手に入る。地元の人達にいくらでも安く出してやろうと思って。お店は難しいけど楽しい。朝早く仕入れにいって、市場を覗いて。地元の猟師さんを手伝って網から魚をはずしたり。全部が楽しい。
クルマ屋さんじゃなくても大丈夫。今はある程度、スパナとか工具は少しずつ揃えている。それで故障だと言われれば現場に行って直す。この商売をやりながらちょっとした仕事を。こんなのに負けてられない。はりきってやらないと。頑張っています。
牡鹿半島の復興商店街の完成は、マルニ鮮魚店のご夫婦にとって、過去を乗り越えて先へ進むための大きなきっかけになったようです。
お母さんはこのように語ります。
◆夢を持って進む
変わったと言うより思い出さなくなった。忙しいから思い出すヒマがない。避難所にいた時は怖い想いをしたのも夢に見たし、生きている人が 「助けて」と言ったのを見殺しにしたのもあるし。そういうのがグルグル思い出されたが、それがない分いいか。だって目の前で助けてって叫ばれても、結局自分の身が大事だから。結局見て見ぬフリしたような形になるから、そういうのが一番気持ちに引っかかっていた。
こういう風にみんなと接してしゃべったり普段と変わらなく、「生きていたっちゃ」とか「お茶飲んでけ」とか、「これ食ってったら」とか言うのが嬉しい。一番心残りなのはクルマ屋の腕があってもクルマが出来ない。
うちらの夢は、子どもたちが大きくなったら、工場を小さくしてパンクとか直して2人でやっていくべっていう夢があったから。やっぱり何をやったってクルマ屋さんは離れない。クルマ屋をやるには大金が掛かるし先行きも不安だし、だからお父さんはこの魚屋さんをやるって決めた。
牡鹿半島のボランティアについては、ツイッターで情報を発信しています。
詳しくはこちらからどうぞ。
【石巻牡鹿ボラPikari支援プロジェクト official twitter】
鮎川地域に先日完成した復興商店街「おしかのれん街」は、平屋の建物2棟に飲食店・販売店が16店舗入っています。
その中の一軒、「マルニ鮮魚店」のお母さんは、お店の軒先で牡蠣鍋をお客さんに無料で振る舞っていました。
その理由を尋ねると、「牡蠣を剥いたことがない人がやってるから売り物にならないので」 とおっしゃっていましたが、どういうことなのか、お店の裏で黙々と牡蠣を剥いていたお父さんに事情を伺いました。
◆違う仕事をしている
(牡蠣を剥くのは)練習。(もともとは)鮎川モータースというクルマ屋さんをやっていた。今からクルマ屋を再開するため工具を揃えては、私の代では借金が返せない。てっとり早いのが魚屋さん。地元の漁師さんは友達がいっぱいいる。全部回してくれるから手に入る。地元の人達にいくらでも安く出してやろうと思って。お店は難しいけど楽しい。朝早く仕入れにいって、市場を覗いて。地元の猟師さんを手伝って網から魚をはずしたり。全部が楽しい。
クルマ屋さんじゃなくても大丈夫。今はある程度、スパナとか工具は少しずつ揃えている。それで故障だと言われれば現場に行って直す。この商売をやりながらちょっとした仕事を。こんなのに負けてられない。はりきってやらないと。頑張っています。
牡鹿半島の復興商店街の完成は、マルニ鮮魚店のご夫婦にとって、過去を乗り越えて先へ進むための大きなきっかけになったようです。
お母さんはこのように語ります。
◆夢を持って進む
変わったと言うより思い出さなくなった。忙しいから思い出すヒマがない。避難所にいた時は怖い想いをしたのも夢に見たし、生きている人が 「助けて」と言ったのを見殺しにしたのもあるし。そういうのがグルグル思い出されたが、それがない分いいか。だって目の前で助けてって叫ばれても、結局自分の身が大事だから。結局見て見ぬフリしたような形になるから、そういうのが一番気持ちに引っかかっていた。
こういう風にみんなと接してしゃべったり普段と変わらなく、「生きていたっちゃ」とか「お茶飲んでけ」とか、「これ食ってったら」とか言うのが嬉しい。一番心残りなのはクルマ屋の腕があってもクルマが出来ない。
うちらの夢は、子どもたちが大きくなったら、工場を小さくしてパンクとか直して2人でやっていくべっていう夢があったから。やっぱり何をやったってクルマ屋さんは離れない。クルマ屋をやるには大金が掛かるし先行きも不安だし、だからお父さんはこの魚屋さんをやるって決めた。
牡鹿半島のボランティアについては、ツイッターで情報を発信しています。
詳しくはこちらからどうぞ。
【石巻牡鹿ボラPikari支援プロジェクト official twitter】