2014年1月22日
1月22日 続・東北食べる通信3
引き続き、『東北 食べる通信』の続報です。
去年11月、読者と生産者が、よりつながりを深めるイベントとして東京でオフ会が行われました。
オフ会に招かれたのは、会津若松の小菊(こぎく)かぼちゃの生産者・長谷川さんともう一人、お隣 喜多方市で高麗(こうらい)人参を作っている、若き生産者です。
◆会津の風土の味がする
人参というのは太い部分の主根、細い細かいひげ根、細いところと太いところのあいだの肉、という風に部位がある。蒸すと甘くなるが匂いもすごくする。逆に天日干しだと会津の風土の味がするという。苦みがしっかりする。そして三種類の部位を三種類の加工方法でみなさまに届くように今回はしました。
喜多方市の清水琢さん(32)。東京でシステムエンジニアとして働いていた清水さんは、いま、ふるさとの喜多方に戻り、郷土の伝統である高麗人参作りに携わっています。
漢方薬の王様 高麗人参は1本作るのに5年かかり、年数がかかるからこそ、滋養が詰まっていると言います。そして清水さんが作る高麗人参には、ふるさとの歴史も詰まっているんです。
◆故郷の伝統を受け継ぐため
最初は江戸時代。八代将軍吉宗の時。江戸幕府も太平の世で健康ブームがあった。その時に「一番に人参がほしい」と江戸の人たちが言った。人参を手に入れるには輸入するしかない。当時は朝鮮から輸入していたが、その対価として国内の銀が流出してしまう。それを防ぐために国内で栽培しようということになり、各地で栽培が始まったのだが、会津藩は人参の奉行所を作りお役人で管理した。会津で人参の栽培が始まったのは300年前。昭和から平成に移り変わるくらいが一番の最盛期だった。農家数で360軒、収穫量で170トンくらいあったが、急激に経済状況が変わり後継者不足で落ち込み、今は10軒の農家でやっている。このままだと絶滅してしまう状況。自分は東京にあこがれがあり上京したが、薬草屋の息子だから、全然違うことをやってきたが、薬草をやりたいと。帰ってやる仕事は継ぐことしか考えられなかったのでやりましょうと。
もともと、喜多方の高麗人参づくりに関わる方は高齢化が進んでいました。そこに震災もあり、生産組合自体が存続できない状況だったといいます。もし清水さんが、後継者として名乗りを挙げなかったら本当に、会津地方の高麗人参作りは、消滅してしまっていたかも知れないそうです。
32歳の清水さんは今、人参作り数十年のキャリアを持つベテラン農家の方、おかあさんたちに囲まれ、色んなことを学んでいます。
去年11月、読者と生産者が、よりつながりを深めるイベントとして東京でオフ会が行われました。
オフ会に招かれたのは、会津若松の小菊(こぎく)かぼちゃの生産者・長谷川さんともう一人、お隣 喜多方市で高麗(こうらい)人参を作っている、若き生産者です。
◆会津の風土の味がする
人参というのは太い部分の主根、細い細かいひげ根、細いところと太いところのあいだの肉、という風に部位がある。蒸すと甘くなるが匂いもすごくする。逆に天日干しだと会津の風土の味がするという。苦みがしっかりする。そして三種類の部位を三種類の加工方法でみなさまに届くように今回はしました。
喜多方市の清水琢さん(32)。東京でシステムエンジニアとして働いていた清水さんは、いま、ふるさとの喜多方に戻り、郷土の伝統である高麗人参作りに携わっています。
漢方薬の王様 高麗人参は1本作るのに5年かかり、年数がかかるからこそ、滋養が詰まっていると言います。そして清水さんが作る高麗人参には、ふるさとの歴史も詰まっているんです。
◆故郷の伝統を受け継ぐため
最初は江戸時代。八代将軍吉宗の時。江戸幕府も太平の世で健康ブームがあった。その時に「一番に人参がほしい」と江戸の人たちが言った。人参を手に入れるには輸入するしかない。当時は朝鮮から輸入していたが、その対価として国内の銀が流出してしまう。それを防ぐために国内で栽培しようということになり、各地で栽培が始まったのだが、会津藩は人参の奉行所を作りお役人で管理した。会津で人参の栽培が始まったのは300年前。昭和から平成に移り変わるくらいが一番の最盛期だった。農家数で360軒、収穫量で170トンくらいあったが、急激に経済状況が変わり後継者不足で落ち込み、今は10軒の農家でやっている。このままだと絶滅してしまう状況。自分は東京にあこがれがあり上京したが、薬草屋の息子だから、全然違うことをやってきたが、薬草をやりたいと。帰ってやる仕事は継ぐことしか考えられなかったのでやりましょうと。
もともと、喜多方の高麗人参づくりに関わる方は高齢化が進んでいました。そこに震災もあり、生産組合自体が存続できない状況だったといいます。もし清水さんが、後継者として名乗りを挙げなかったら本当に、会津地方の高麗人参作りは、消滅してしまっていたかも知れないそうです。
32歳の清水さんは今、人参作り数十年のキャリアを持つベテラン農家の方、おかあさんたちに囲まれ、色んなことを学んでいます。