2013年10月29日
10月29日 災害時の民間ヘリコプターの支援活動(高橋ヘリコプターサービス)1
今朝は、東日本大震災 発生直後から宮城県で支援活動を続けた“民間ヘリコプター”にクローズアップします。
お話を伺ったのは、茨城県にある 『高橋ヘリコプターサービス』の代表、高橋雅之さん。この会社は、ヘリの整備や法定検査の代行を行う民間会社です。
一昨年の震災直後、高橋ヘリコプターサービスは、いち早く、被災地へ飛び、物資の輸送・供給などの支援活動を続けました。
なぜ、民間のヘリコプター会社が、震災に素早く対応して、支援を始めることができたのでしょうか。高橋さんは、そのきっかけとして阪神淡路大震災を挙げています。
◆飛んで行っても何もできなかった
災害時は自衛隊をはじめ、消防、警察、防災ヘリ、ドクターヘリも飛んできたが、シビックフォースのようなNPO、NGOの団体が一緒に飛ぶことは非常に難しい。まず「相手にしてくれない」。阪神淡路大震災の時は、ただやみくもに飛んでも、行政などとコラボしていないと何もできない。連絡を取っても「余計なヘリは来るな」という状況だった。地団駄を踏むだけで行きたくてもヘリで飛んで行っても何もできなかった。
こうした経験から高橋ヘリコプターサービスは、2008年ごろ行政・企業・NPOと連携して迅速な災害支援をするための組織「シビックフォース」の呼びかけに応じ、災害時のパートナー協定を結びました。協定は元々、東南海地震を想定したもので、静岡県袋井市やショッピングセンターのイオンと連携して、防災訓練も行っています。
これらの繋がりがあったことで、高橋ヘリコプターは、東日本大震災直後、即座に行動できたと言います。
◆悔しさと複雑な思い
3月11日、まずシヴィックフォースと連絡を取り、「1便飛ばしてくれ」ということでヘリを手配。「石巻に飛んでくれ」ということで石巻イオンへ。現地のイオンは津波にやられておらず、避難所としてイオンが使われていた。そこでシビックフォースの大西代表が災害対策本部と話をし、気仙沼の方が被害が大きいと言う情報を聞いて気仙沼へ向かった。気仙沼イオンは津波に1階部分がやられていた。着陸場所を探していたが防災ヘリや自衛隊ヘリが飛んでいるため、有事ということもあり、イオンの屋上に着陸。イオン店長と気仙沼災害対策本部で話をして、気仙沼を支援しようということになり、その日は飛んで帰った。
それからはパイロット席だけのヘリコプターにして、ベースのある茨城県の結城から気仙沼に、1日2機で2便往復した。バルーンシェルターという送風機と発電機があれば膨らませて、その中に150人くらい入れるもの、一家族ずつが入れるテント、食料品などありとあらゆるものを運んだ。石巻からクルマに乗れないような人を帰りの便で運んでくれと頼まれ運んだこともある。うちの母の実家が新潟県柏崎で、地震の時に手伝いに行ったが、その時とは全然違う。津波のひどさも違うし、当時は気仙沼大島も火が出ていた。色んなヘリがレスキューしていたが、尋常じゃない被害の大きさと、現地に燃料さえあれば自分も現地で色んなことができるなという悔しさと、複雑な思いで飛んでいた。
こうして高橋ヘリコプターサービスは、震災直後からおよそ1か月にわたり、ヘリによる被災地支援を続けました。そして現在、高橋さんは、シビックフォースとともに 『NPO法人 オールラウンド・ヘリコプター』を立ち上げ、 気仙沼を拠点に、民間ヘリの新たな取り組みを始めています。これについては、明日のこの時間にご紹介します。
お話を伺ったのは、茨城県にある 『高橋ヘリコプターサービス』の代表、高橋雅之さん。この会社は、ヘリの整備や法定検査の代行を行う民間会社です。
一昨年の震災直後、高橋ヘリコプターサービスは、いち早く、被災地へ飛び、物資の輸送・供給などの支援活動を続けました。
なぜ、民間のヘリコプター会社が、震災に素早く対応して、支援を始めることができたのでしょうか。高橋さんは、そのきっかけとして阪神淡路大震災を挙げています。
◆飛んで行っても何もできなかった
災害時は自衛隊をはじめ、消防、警察、防災ヘリ、ドクターヘリも飛んできたが、シビックフォースのようなNPO、NGOの団体が一緒に飛ぶことは非常に難しい。まず「相手にしてくれない」。阪神淡路大震災の時は、ただやみくもに飛んでも、行政などとコラボしていないと何もできない。連絡を取っても「余計なヘリは来るな」という状況だった。地団駄を踏むだけで行きたくてもヘリで飛んで行っても何もできなかった。
こうした経験から高橋ヘリコプターサービスは、2008年ごろ行政・企業・NPOと連携して迅速な災害支援をするための組織「シビックフォース」の呼びかけに応じ、災害時のパートナー協定を結びました。協定は元々、東南海地震を想定したもので、静岡県袋井市やショッピングセンターのイオンと連携して、防災訓練も行っています。
これらの繋がりがあったことで、高橋ヘリコプターは、東日本大震災直後、即座に行動できたと言います。
◆悔しさと複雑な思い
3月11日、まずシヴィックフォースと連絡を取り、「1便飛ばしてくれ」ということでヘリを手配。「石巻に飛んでくれ」ということで石巻イオンへ。現地のイオンは津波にやられておらず、避難所としてイオンが使われていた。そこでシビックフォースの大西代表が災害対策本部と話をし、気仙沼の方が被害が大きいと言う情報を聞いて気仙沼へ向かった。気仙沼イオンは津波に1階部分がやられていた。着陸場所を探していたが防災ヘリや自衛隊ヘリが飛んでいるため、有事ということもあり、イオンの屋上に着陸。イオン店長と気仙沼災害対策本部で話をして、気仙沼を支援しようということになり、その日は飛んで帰った。
それからはパイロット席だけのヘリコプターにして、ベースのある茨城県の結城から気仙沼に、1日2機で2便往復した。バルーンシェルターという送風機と発電機があれば膨らませて、その中に150人くらい入れるもの、一家族ずつが入れるテント、食料品などありとあらゆるものを運んだ。石巻からクルマに乗れないような人を帰りの便で運んでくれと頼まれ運んだこともある。うちの母の実家が新潟県柏崎で、地震の時に手伝いに行ったが、その時とは全然違う。津波のひどさも違うし、当時は気仙沼大島も火が出ていた。色んなヘリがレスキューしていたが、尋常じゃない被害の大きさと、現地に燃料さえあれば自分も現地で色んなことができるなという悔しさと、複雑な思いで飛んでいた。
こうして高橋ヘリコプターサービスは、震災直後からおよそ1か月にわたり、ヘリによる被災地支援を続けました。そして現在、高橋さんは、シビックフォースとともに 『NPO法人 オールラウンド・ヘリコプター』を立ち上げ、 気仙沼を拠点に、民間ヘリの新たな取り組みを始めています。これについては、明日のこの時間にご紹介します。