2013年6月5日
6月5日 リアス・アーク美術館
今朝は、宮城県気仙沼市赤岩牧沢のリアス・アーク美術館がスタートさせた常設展、
「東日本大震災の記録と津波の災害史」を紹介します。
4月から開設されたこの常設展は、震災直後から学芸員が現地調査した写真約 200点と、津波で流された家財道具や、破壊された家屋の一部をそのまま展示しています。いわゆる「震災がれき」と呼ばれるものです。学芸係長の山内宏泰さんに伺いました。
◆失われた日常の記憶
我々はこれを瓦礫と呼ぶことをとにかくやめさせたい。例えばそこにあるH鋼の緑色のやつは私の家の一部。私も家を根こそぎ流された。200mくらい離れてめちゃくちゃになっていたものを発見して、最終的にそこから1本もぎ取って持ってきたもの。
モノには全て、関わってきた人間の記憶が例外なくどんなものにもある。実は我々が一番大きく失ったものは日常の記憶。それを宿している。自分の家の残骸を発見した時、3月13日に家を確認しにいった時に、家は根こそぎなかった。鉄骨4階建てのビルが根こそぎ無くなっていた。周辺をどんなに見ても自分の家の残骸がどこにもない。あれだけの質量のものがどこに消えたのか。理解できなかった。一旦はあきらめで自分で調査活動、記録とりをしはじめた時に、自分の家があった場所と全く違う場所で、鉄骨の残骸がもしかしたら自分の家かも知れないと見た。観察しているとどうやら自分の玄関のタイルと思われるものを見つけた。なんだろう、こんなものあったかなと記憶をたどるとタイルを発見した。自分の家だった。200m離れた場所に、4階建てだったものが2階建て分になり天地がひっくり返って東西が逆転している。それでも分かる。分かった瞬間、これは経験した人じゃないと理解できないが、鳥肌がたつくらい嬉しい。「あった!」と。
目の前には残骸しかないが、それがあったことがどんなに嬉しいか。たった1個でも自分の家のかけら、持ち物1個見つけた時、ものすごく嬉しいと感じる。ずっとそういう想いを抱えながら観てきた我々にとっては、今の現状で「片付いてよかったですね」とあたりまえに言うが、我々にとっては何もなくなってしまったという感覚。「大変だね全てがなくなって」という問題ではない。記憶喪失に近い。アイデンティティが丸ごとどこかに消えてしまうような感覚。
この常設展で展示されている、いわゆる震災がれきをリアスアーク美術館では「がれき」ではなく、「被災物」と呼んでいます。また、学芸員の方が撮影した写真は全部で数万点。その多くは、まだ報道も入れない震災直後の状況を伝える貴重なもの。その中から200数点が、当時、学芸員が感じた言葉とともに展示されています。
明日も、リアス・アーク博物館の常設展についてお届けします。
学芸係長の山内宏泰さん
リアス・アーク美術館